プロローグ この世界は素晴らしい!
公爵令嬢、ケミスト・ラヴォスが前世の記憶を思い出したのは、この世界の人間が三歳になると必ず受ける魔力測定検査にて、自分に『無魔力』という診断が下った時のことだった。
心配そうに顔を覗き込む両親に、ケミストは呆然と溢れ出す前世の記憶に飲まれていく。そして車、機械、ヲタク文化etc.....挙げるとキリがない膨大な知識を詰め込まれたケミストは、その場で鼻血を吹いてぶっ倒れてしまったのである。
(転生したら公爵令嬢でした。尚魔力なしっと……)
ケミストは意外にも冷静であった。精神はすっかり17歳の「私」に塗り変わってしまったが、それも仕方ない。生きていた年数が違いすぎるのだから。
前世の「私」はいわゆるヲタクであった。それも様々な分野に精通する重度の好奇心の塊であった。ある時にはアイドル、ある時には手話、ある時には哲学にはまり、その知見を広めてきた「私」は、将来科学者になろうと意気込んでいたことを思い出す。
しかしとある哲学イベントの帰り道、信号無視をした自動車に跳ねられ呆気なく亡くなってしまったのだ。
(はぁ、私の素敵な人生設計が!)
クッキーをバリボリと頬張りながらふんふんと前世を思い出すケミストの姿は、少し前までのお淑やかな公爵令嬢の影なんか微塵もない。
仕方ない。ケミストは前世の「私」になり、好奇心ヲタクの変人となってしまったのだから。
「ケミィ!」
バン!と部屋の扉が開き、ちょび髭を生やした中肉中背のおじさんが入ってくる。はて、誰だっけかと思案し、このおじさんが自身の父親だと思い出した。
「どうされました!お父様!」
「ケミィ……!」
元気いっぱいに返事をするケミストに、父親は泣きそうな顔をすると、ベッドに走り寄りケミストを力いっぱい抱きしめた。
「すまないケミィ……!驚いたろう、大丈夫だよ。無魔力でもできることは沢山ある。少し気が動転しているんだよね、大丈夫。無魔力だからって悪いことは何もない」
なんだか慰めてくれているような父親の言動に、ケミストは頭にハテナを浮かべた。
なぜ、私はこの人に謝られているのだろう?そんな疑問が頭を占める。
「お父様?なぜ謝られるのですか!」
「ケミィ……?だって、無魔力────」
「だからなんですか!」
ケミストはふんす、と息を吐くと、ベッドから降り立ちカーテンをシャッと開けた。
「お父様、ご覧下さい!あそこにいるのは魔物!そしてあそこに生えているのは薬草!素晴らしいでしょう!」
「……??」
父親は意味がわからないと更に顔を困惑顔にさせていた。しかし、ケミストにとってはそれが全てなのだ。
そう、この世界はありとあらゆる面白いもので溢れかえっている。ケミストが、前世の記憶が蘇った時にまず考えたのはその事であった。
魔獣学、薬草学、魔法学、食肉植物学……。この世界はそんな、前世では考えられない学問のオンパレードなのである。これを好奇心の塊となったケミストが逃すはずがない。前世の記憶が戻ってからというものの、ケミストは今か今かとそんな学問たちと触れ合うのを待ち侘びていた。
「お父様!無魔力だからなんですか!確かに、魔法学とは縁が無いかもしれませんが、それ以上にこの世界は面白いもので溢れかえっている!」
「私はこの世界を遊び尽くしますよ!なんてったって、素敵な家柄と財産がありますからね!」
あけすけにものを言うケミストに、父親は苦笑いしながらもどこか安心したようにほっと息を吐いた。
「そうだね……それはいいことだ。よぉし、ケミィの為に父様、図書館作っちゃうぞ!」
「やったぁ!」
少し変わってしまった娘に疑問を持とうとも、娘は娘。親バカな父親はその後、本当に屋敷に図書館を作ったのだとか。
こうしてケミスト・ラヴォスは、この世界で最も非常識な研究者への第一歩を踏み出したのである。




