番外編 きつねと雀のある秋の日の追伸
生まれたばかりだった初夏の青い季節は、人間たちのカレンダーが頁をめくるよりも早く、足早に過ぎ去っていきました。
あの大雨の夜、星屑堂の裏庭を埋め尽くしていた瑞々しい紫陽花はとうに枯れ果て、今は赤茶けた静かな骨組みだけを秋の陽光に晒しています。
その代わりに、庭の隅にある大きな柿の木が、夕暮れの火をそのまま閉じ込めたような、見事な橙色の実をいくつも実らせていました。
実の重みで、しなる枝が時折、古びた板塀をトントンと優しく叩いています。
からから、と乾いた北風が庭を通り抜けた、ある午後のことでした。
それまで高かった秋の空に、にわかに薄墨を流したような雲が広がり、ぽつり、ぽつりと、大粒の雨が降り始めました。
真夏の夕立とは違う、どこか物静かで、地を濡らす音さえも慎ましやかな秋の雨です。
しぐれは、いつものように薄暗い縁側から一歩を踏み出し、冷えていく黒い石畳の上に座りました。
天を仰いで顎を上げ、朱色の舌をそっと伸ばします。
舌の上で転がる秋の雨粒。それは、あの初夏の瑞々しさや、あの激しかった嵐の夜の味とは、全く異なるものでした。
幾夜もの冷たい夜風に晒され、じっくりと時間をかけて熟成した、どこか奥深い柿の果肉のような味。濃厚な甘みのなかに、微かな寂しさと渋みが混ざり合う、大人の味がしました。
「しぐれーー!」
雨音の向こうから、聞き馴染んだ鋭く高い声が響きました。
頭上から滑空してきたひばりは、しぐれの丸い頭の上へと、少しの躊躇もなく器地よく着地しました。
初夏の頃に比べると、その身体は一回り大きくなり、羽毛の茶色もぐっと深みを増して、立派な大人の雀のそれになっています。
けれど、甘えるようにしぐれの頭に身体を擦り付ける仕草は、出会ったあの夜のままでした。
「本当に、秋になっても雨の日にいるんだね」
ひばりはしぐれの白い耳を優しく突くようにして、可笑しそうに鳴きました。
「ぼくの食事だからね。雨が降る日は、ここにいるって決めているんだ」
しぐれは耳をぴくぴくと動かしながらも、その懐かしい重みを拒むことなく、静かに目を細めました。
「ねえ、今日の雨は、どんな味がするの? やっぱり前とは違う?」
ひばりはしぐれの額のあたりまで器用に移動し、覗き込むようにして尋ねます。
しぐれは、喉の奥に残る、冷えた秋の余韻をもう一度確かめるようにして、静かに答えました。
「冷たい柿の、一番甘いところの味。きみが食べたら、きっとほっぺたが落ちちゃうよ」
「へえ、おいしそう! やっぱり、ぼくにはただの冷たい水にしか思えないけど……でもね、しぐれ」
ひばりはしぐれの濡れた鼻先に、自分の小さな嘴をちょんと触れ合わせました。
ツンと冷たい雨の感覚の奥にある、雀の小さな、確かな体温。
「しぐれとこうして話していると、なんだかぼくの口の中まで、少しだけ甘くなる気がするよ。前に教えてくれた、あの『飴玉』の味が、ぼくにもわかる気がするんだ」
風が吹き、大きな柿の葉が、一枚、また一枚と濡れた石畳へ落ちていきます。
季節は巡り、やがて世界は味のない冬の静寂に包まれるでしょう。
けれど、この裏庭に降る雨は、どんなに冷たい季節であっても、二匹にとっては世界で一番温かく、そして甘い「約束」の味がし続けるのでした。




