星屑堂の微睡み
山のふもとに、押し潰されたように小さな古道具屋がありました。
店の名は「星屑堂」。
傾いた木造の軒先には、何十年もそこにあるような、薄緑色に変色した古びた風鈴が吊られていました。
風がほんの少し喉を鳴らすたびに、ちりん、ちりんと、乾いた硝子の爆ぜるような涼しげな音が、誰もいない路地にこぼれ落ちてはいきます。
引き戸を開ければ、そこは時間の淀みでした。
薄暗い店内の空気の中を、格子窓から差し込む夕暮れの斜光が斜めに切り裂き、その光の帯の中で、無数の埃の粒が星屑のように静かに、ゆっくりと舞い踊っています。
棚の奥では、文字盤の割れた大きな柱時計が、不規則な心音のように、こ、こ、と重い音を刻んでいました。
その隣には、銀色の曇りかけたティースプーン、持ち主を失って久しい片方だけの擦り切れた革靴、頁の端が茶色く爆ぜた絵本、そして遠い異国の砂漠を思わせる、煤けた琥珀色のランプ。
それら誰かに忘れ去られ、置き去りにされたものたちが、埃の布団を被って静かに微睡の中に沈んでいました。
その古道具屋の、鬱蒼とした裏庭に、一匹のきつねが住んでいました。
まだ若く、しなやかな身体をもった、雪のように白いきつねです。
名前を、しぐれ、といいました。
しぐれは、きつねの形をしていましたが、他の獣とは決定的に違っていました。
赤肉の滴る血の匂いも、熟して落ちた甘い木の実の匂いも、彼の鼻を動かすことはありません。
しぐれはただ、空から降る「雨」だけを食べて、その身体を維持していたのです。
しぐれにとって、雨は単なる水ではありませんでした。
雨の日が近づくと、彼の細い耳は遠くの雲の擦れ合う音を捉え、鼻腔は湿った風の匂いにひくつきます。
雨が降り始めると、しぐれは裏庭の縁側から、ゆっくりと濡れた世界へ歩みを進めるのでした。
大輪の紫陽花が重たげに頭を垂れる、苔むした石畳。その中心に、しぐれは美しく尾を巻き付けて座ります。
そして、天を仰いで細い顎を上げ、朱色の舌をそっと伸ばすのです。
上空から落ちてくる透明な雫が、舌の先で小さく弾けてほどける瞬間、しぐれの脳裏には、その雨が旅してきた世界の景色が鮮烈な映像となって浮かび上がりました。
春の雨は、まだ土から顔を出したばかりの若葉の、青く瑞々(みずみず)しい味がしました。
夏の雨は、照りつける太陽に温められた、激しい青い川の匂いが鼻腔を駆け抜けました。
秋の雨は、どこか遠い里の庭先で冷やされた、熟した柿の奥深い甘みを含み、冬の雨は、凍てつく空の静寂そのものを固めたように、白く吐き出す息のように味のない、静かな余韻を残しました。
とりわけ、初夏の雨を、しぐれは深く愛していました。
六月の雨は、生まれたばかりの瑞々しい季節の味がしたからです。
それはどこか切なく、それでいて胸の奥がじんわりと熱くなるような、特別な風味でした。
ある日の夕暮れ時のことでした。
それまで琥珀色だった西の空が、急速に濁った鉛色へと塗り替えられていきました。
遠くの山背の向こうで、ゴロゴロと、地響きのような低い雷鳴が鳴り響きます。
店の奥から、腰の曲がった店主のおばあさんが、きぃきぃと軋む音を立てて木戸を閉めながら、裏庭に向かって声をかけました。
「今夜は大雨になるよ、しぐれ。こっちに入っておいで」
しぐれは薄暗い縁側に腰掛けたまま、ふさふさとした白い尻尾を、トントンと板張りに打ち付けて揺らしました。
「うん。だから、楽しみなんだ」
その声は、鈴の音のように静かで、雨音に溶けてしまいそうでした。
おばあさんは深い皺の刻まれた目をさらに細め、愛おしそうに笑いました。
「おまえは本当に、変わった子だねえ……」
おばあさんの淹れるほうじ茶の煙が、夕闇の室内に白く消えていくのを、しぐれは静かに見つめていました。
大気の底が、じっとりと重く湿り始めていました。




