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第40話:【第1部完】新たな貸出カード

 


 ゼフィール基地での激戦と、それに続く王都での大粛清から一ヶ月。

 王国軍の中枢は、腐敗していた上層部が一掃されたことで、良くも悪くもひっくり返ったおもちゃ箱のような大混乱に陥っていた。

 ルーク監査官をはじめとする監査部の面々は、連日のように徹夜で不正の洗い出しと組織の再編に追われ、顔を合わせるたびにゾンビのように目の下のクマを濃くしている。


 だが、そんな地上の喧騒など、この地下深くにある『第8魔導記録保管庫』には一切届かない。

 分厚いコンクリートと防音壁に守られたこの空間は、カビと古い紙の匂い、そして古時計の秒針が刻む音だけが支配する、完璧で絶対的な静寂の世界だった。


「……ふむ。やはり、休日の午後はこうでなくては」


 私はカウンターの奥の指定席に深く腰掛け、淹れたての紅茶の香りを楽しみながら、分厚い戦術書のページをゆっくりとめくった。

 ここ最近は、私の顔を見るなり尻尾を振って教えを乞おうとするエリート騎士たちも、ルーク監査官が徹底的に追い払ってくれているおかげで、完全に寄り付かなくなった。


(やれやれ。これでようやく、正真正銘のスローライフってやつが満喫できるぜ)

(あのクソ重い鉄の棺桶(アナログ機体)を引っ張り出すような真似は、もう二度とごめんだ。これからは、記録係としての定時退社と有給消化だけに全力を注ぐとしよう)


 心の中の老兵は、最高級の葉巻でもくわえているかのような、深い満足感と安堵に包まれていた。

 誰も死なない。誰も泣かない。理不尽な命令も、命を削る物理演算も必要ない。

 退屈極まりないが、それこそが私がこの世界で最も手に入れたかった『報酬』だった。


 ――だが。

 運命というやつは、いつだって平穏を貪る兵士の背中を、唐突に、そして理不尽に蹴り飛ばすものだ。


 コツ……コツ……。

 重厚な鉄扉の向こうから、静かだが、ひどく存在感のある足音が近づいてきた。

 ルーク監査官の忙しない足音ではない。エリート騎士たちの軽薄な金属音でもない。

 それは、長年にわたって幾万人もの人間を従え、国家の重圧をその双肩に背負ってきた者だけが出せる、絶対的な『権力者』の歩法だった。


(……おいおい。嫌な予感がするぜ。この足音の主、ただの将校クラスじゃねえぞ)

 心の中のおっさんが、瞬時に警戒レベルを引き上げる。


 ギィィ……と、錆びた音を立てて鉄扉が開かれた。

 入ってきたのは、目深に被った灰色の外套マントに身を包んだ、大柄な初老の男だった。

 護衛は一人もいない。完全に「お忍び」の装いだが、その外套の隙間から覗く仕立ての良い衣服と、隠しきれない王者のごとき覇気は、彼が軍の、いや、この国の最上層に君臨する人物であることを無言で物語っていた。


「……いらっしゃいませ。第8魔導記録保管庫へようこそ」

 私は本から視線を上げず、可憐な少女の声を、一切の感情を排した絶対零度のトーンで響かせた。

「あいにくですが、ここは一般の将兵が立ち入る場所ではありません。迷子でしたら、地上の案内所へどうぞ」


「……相変わらず、肝の据わった小娘だ」

 初老の男は、低い、腹の底に響くような声で笑い、ゆっくりと外套のフードを下ろした。


 現れたその顔を見て、私は手元の戦術書をパタンと閉じた。

 白髪交じりの短髪に、歴戦の猛者のような鋭い眼光。右目には、古い戦傷の痕。

 軍の教範の最初のページに必ず載っている顔。王国の全軍を統べる最高権力者にして、先日の生放送で私が間接的に『身内の恥(バルバレス将軍の裏切り)』を叩きつけてやった相手。


「……大元帥閣下。このようなカビ臭い地下室に、最高司令官自ら足を運ばれるとは、何か探し物ですか?」

 私は一切の動揺を見せず、ただ淡々と事実だけを口にした。


「ふん。挨拶も敬礼もなしか。……監査部のルークから聞いていた通り、階級も権威も一切通用しない『規格外の怪物』らしいな」

 大元帥は私の不遜な態度を咎めることもなく、むしろ面白がるように目を細め、カウンターの正面へと歩み寄ってきた。


「バルバレスの一件は、軍のトップとして礼を言う。……奴の派閥の腐敗には私も手を焼いていたが、まさか十三歳の少女が、たった一人で物理的に、そして社会的にあの巨悪を完全に粉砕するとはな。痛快という他なかった」


「礼には及びません。私は自分の『残業代』を取り立てただけですから」

 私は冷たく言い放ち、ティーカップを手に取った。

「それで? 大元帥閣下がわざわざお忍びで、こんな地下の記録係に会いに来た理由は何ですか? 私を特務部隊の教官にでも引き抜こうというのなら、お断りですよ」


「安心しろ。貴様のその異常なまでの『面倒くさがり』な性格も、すでに報告に上がっている。無理に表舞台に引きずり出せば、今度は私が社会的に抹殺されかねないからな」

 大元帥は苦笑交じりに冗談を言い、だが、次の瞬間にはその瞳に「一国の最高指導者」としての鋭利な光を宿した。


「私がここへ来たのは、特任記録解析アドバイザーである貴様に……個人的な『査定』を頼みたいからだ」


「……査定?」


 大元帥は懐から、年季の入った古びた木箱を取り出し、コトリとカウンターの上に置いた。

 軍の最高機密が入っているような厳重な魔力封印はない。ただの古ぼけた箱だ。


「先日、北部の辺境にある未踏遺跡を調査していた部隊が、奇妙なものを持ち帰ってきてな」

 大元帥は、木箱の蓋をゆっくりと開けた。


 中から現れたのは、世界を滅ぼすような魔導具でも、極彩色のクリスタルでもなかった。

 それは、ただの『泥と錆にまみれた金属のガラクタ』が二つ。


「……ゴミ、ですか」

 私は眉をひそめて、その奇妙な形をした金属片を覗き込んだ。


「軍の魔導技師たちもそう言ったよ。『魔力伝導率ゼロの、ただの金属片だ』とな」

 大元帥は自嘲気味に息を吐いた。

「以前、監査部が摘発したゲイル中尉が『魔力を使って鉛玉を撃ち出す銃』のようなものを使っていた記録がある。だからこれも何かの武器かと思ったのだが……技師長曰く、魔力回路が一切存在せず、用途も不明の廃棄物だそうだ。……だが、私はゼフィール基地での貴様の戦いを見て、思い直したのだ」


 大元帥の鋭い眼光が、私を真っ直ぐに射抜く。


「魔力を持たない機械。純粋な『物理法則』だけで成立する兵器。……そういうものが、この世界には確かに存在するということをな」


(……おいおい。冗談だろ)

 心の中の老兵は、その箱の中の『二つのガラクタ』の形状を細部まで観察し、息を呑んだ。


 一つは、先端に白い陶器(碍子)のようなものが付き、そこから黒ずんだ鉄のシリンダーが伸びている不格好な筒。

 もう一つは、ひどく酸化しているが、かすかに金色の光沢を残す『真鍮しんちゅう』で作られた、親指ほどの空洞の円筒。


 魔法使い達には、ただのガラクタにしか見えないだろう。

 ゲイルが使っていた「魔力で鉛玉を押し出す」という魔法前提の銃と比べても、あまりにも原始的で、魔力のカケラもないからだ。

 だが、前世の泥臭い戦場と機械油の匂いを知り尽くした私の目には、それが何であるか一瞬で理解できた。


(……一つ目は、化石燃料を爆発させるための『点火プラグ(スパークプラグ)』。魔導ジェネレーターの世界に、内燃機関エンジンの部品だと……?)

(そして二つ目は……底面に雷管プライマーの跡が残る、薬莢カートリッジじゃねえか。ゲイルの使っていたような先込め式のオモチャじゃない、火薬を内包した現代の『実包』の空薬莢だ)


 なぜ、魔法至上主義のこの世界の辺境の遺跡から、俺のいた世界(前世)のエンジン部品と、現代銃の薬莢が出土するのか。

 それは、世界を滅ぼすような派手な脅威ではない。

 だが、この世界の『歴史の根底』を静かに、しかし確実に揺るがす、極めて異質なノイズ(物理の痕跡)だった。


「……技師たちは廃棄を勧めたが、私は貴様に見せようと思ったのだ」

 大元帥は、静かに私に問いかけた。

「どうだ、レイ。魔導記録保管庫の記録係として、これが何であるか……『査定』できそうか?」


 静まり返るアーカイブ室。

 私はティーカップをソーサーに置き、ゆっくりと、その真鍮の空薬莢へと白い指先を伸ばした。


 指先が触れた瞬間、冷たい金属の感触とともに、確かな火薬と硝煙の記憶が蘇る。

 私はその空薬莢を摘み上げ、底面(雷管の周囲)に刻印されている微細な文字に目を凝らした。

 そこにあったのは、魔法世界の文字ではない。


 ――『 7.62 × 51 』

 そして。

 ――『 N A T O 』


(……ビンゴだ。前世のアルファベット(言語)。……間違いない、かつてこの世界には『俺と同じ物理世界そっちの連中』がいた)

(知的好奇心ってやつは、どうにも抗いがたい。……平和な老後もいいが、たまにはこういうカビ臭い歴史の謎解きも悪くねえな)


 心の中の老兵は、退屈な日常に投げ込まれた極上のミステリーに、ニヤリと口の端を吊り上げていた。


「……いいでしょう」


 十三歳の美少女は、前髪の奥でサファイアの瞳を妖しく光らせ、可憐な唇に、かつてないほど知的な、そして楽しげな笑みを浮かべた。


「この『貸出カード』、確かに受理しました。……ただの鉄クズか、それとも歴史の闇を暴く遺物か。私の論理ロジックで、完璧に読み解いて差し上げますよ」


 大元帥が、その頼もしい笑みに応えるように、深く、満足げに頷く。

 カビ臭い地下の記録保管庫で、一人の少女の手によって、魔法世界の歴史の裏に隠された『物理の謎』を解き明かす準備が整った。


 平和なスローライフは、退屈しない程度の極上のスパイスを得て、新たなフェーズへと移行する。

 エンジン、銃弾、そして歴史の真実を巡る、知的で泥臭いコンサルティング。

 第二幕の幕開けは、すぐそこまで迫っていた。


【第1部 完】


最後までお読みいただき、ありがとうございます。


本作を応援してくださる方は、ぜひブックマークや下の評価【★★★★★】をいただけますと幸いです。


次回お楽しみに。

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いつも楽しく読ませていただきました(*`・ω・)ゞ 第二部楽しみに待ってます!
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