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暗殺者、仕事に行く

 俺とレイが屋敷に住み始めて数日がたった頃だった。

 思ってもみないことだったが、屋敷での生活は想像を超えたものだった。


 とにかく、うちの執事とメイドの性能が半端ない。

 どれくらい半端ないかというと、完璧だ。家事全般はもれなくである。

 今は執事であるアンドレイに特別頼むことは少ないのだが、たったふたりで屋敷を完璧な状態にしておける二人の仕事ぶりに、俺は感嘆の声を漏らしていた。


「レイ、びっくりするほどうまいなぁ。俺、これ好きだわ」

「レイも、こんなにおいしいもの食べたの初めて!」

 

 称賛しかない食卓で、ヤーナはいつも通りの毒舌を披露していた。


「お二人程度の舌でも理解できる美味しさにしましたから。それさえも美味しいと思えないなら、家畜の餌でも食ってやがれ、です」


 うん。

 ヤーナはの言葉はよくわからない。

 褒める、貶される。

 褒める、貶される。

 そんなやりとりをしている俺達のもとに、アンドレイがどこかから戻ってきた。


「お待たせしました、ご主人様。早速ですが、今後の予定や方針のご相談をさせていただきたいのですがよろしいでしょうか?」

「ああ。いろいろ調整してくれたんだったよな。いいよ、聞こうか」


 この数日。

 アンドレイは、俺が王都で生きていけるように調整をしてくれているとのことだった。当然、暗殺者ギルドのことは話していないが、レイに胸を張れる仕事を見つけてきてくれると言ってくれた。

 そんなことまでしてくれるのか、執事って。有能すぎて怖い。


「ありがとうございます。では、ヤーナ。お嬢様とすこし遊んでいてくれるか?」

「はい。わかっていますから、いちいち上から命令すんな、糞執事。では行ってまいります」

「いちいち毒を吐かないと生きていけないのか?」


 文句を言いながらも、ヤーナはレイを連れて屋敷の外に向かっていった。

 最近の遊び場は屋敷の庭だ。本当ならもっとのびのびと遊ばせてやりたいが、王都は危険も多い。レイに何かあったら俺はどうしたらいいかわからない。

 

「で、アンドレイ。首尾はどうだ? 俺は、一応戦う力もあるから冒険者なんかでいいと思うんだが」

「はい。ご主人様のご要望通り、冒険者として働く方針で考えました。ご主人様のお力はかなりのものとうかがっております。しかし、冒険者ランクは低い。ひとまずは、銅級からの脱却をしていただかないと、この屋敷を維持していくにふさわしい報酬を得ることは難しいと思われます。まあ、蓄えがかなりあるので、しばらくは大丈夫かと思いますが……」

「贅沢しなきゃ遊んで暮らせるからな。だが、レイに俺が何もできないとは思われたくない。かっこいい父親でありたいからな」

「かしこまりました。とりあえず、今日中にできる依頼を受けてまいりました。これが詳細でございます」

「ああ、ありがとな」


 もらった依頼に目を通すと、たしかに初心者向けなのだろう。

 薬草採取や、獣の盗伐依頼など。これなら、一般人でもできるレベルのものだ。

「銅級から銀級まで昇級するのに、多くのかたが半年くらいかかるそうです。もちろん、あがれない人間もいますが、私の予定通りいきますとひと月ほどで昇級が可能かと思われます」

「そりゃすごい。……じゃあ、それなら行ってくるかな。レイに話してくるよ」

「いってらっしゃいませ。その間、レイお嬢様は必ずお守りいたします」

「ああ。よろしく頼む」


 そういって、俺は食堂を後にした。







「レイー!」

 

 俺は庭で遊んでいるレイに声ををかけた。

 レイはヤーナと二人でしゃがみ込んでいるが、何を見ているのだろう。声をかけつつ覗き込んでみた。

 すると、そこには小さな花が咲いておりレイは、にこにことそれを眺めている。


「このお花、可愛いね」

「そうですね、ご主人様の心と比べるとその落差に驚きます」

「あ、ダンゴムシだ。えい、えい!」


 レイは花の回りにいる虫をつついて遊んでいる。つついた虫がコロンと丸くなった。

 うん。

 たしかにダンゴムシだけど、なんか大きくないか? なんでレイの手のひらくらいあるんだよ。怖いよ。

 そんなことを思っていると、レイは俺に気づいてダンゴムシを差し出してきた。


「あ、お父さん! ほら、ダンゴムシ! あげるよ!」

「え? あ、うん。その……ありがとな」


 満面の笑みできっと喜んでもらってくれるだろうと期待しているレイを傷つけることなんてできない。

 俺は、必死で笑みを浮かべてそれを受け取った。そして、上着のポケットに入れるが、なんだかポケットで体を開きだしている。もぞもぞとうごめいているのが、上着越しに伝わってきた。

 うん、気持ち悪い。


「ちょっと、レイに話があってきたんだ。聞いてくれるか?」

「どうしたの?」

「お父さんな、ちょっと仕事をしてこようと思うんだよ。だから、夜まで留守番、できるか?」


 俺は、レイくらいの年齢ならば、アンドレイやヤーナがいれば留守番はできると思っている。

 保護者がいるのだから別に問題はないと思っていたが、想定外のことが起きてしまった。

 

 実は、異世界に来てからレイは俺と離れたことがない。だから不安だったのだろう。

 その大きな目からはぽろり、ぽろりと涙が流れてきた。


「お、とさん……お仕事行くの?」

「あ、ああ」

「わかった。レイ大丈夫。待ってるね」


 そういってほほ笑むのだ。

 涙を流しながら、ぎこちなく、笑顔を浮かべる。


 それを見た瞬間、俺は後悔した。

 なぜ、仕事に行こうと思ってしまったのか。

 まだ、レイは異世界に来て一か月もたっていない。両親に虐待を受けてきた少女だが突然一人、知らない世界に取り残されたのだ。その心細さと言ったらないだろう。

 普通の子供ならできること。けれど、レイにとってはとてつもなくつらいことなのだ。

 俺は、レイの涙をみてそれに気づく。そして、思わず、感情に任せて口を開いた。


「ごめんな! お父さん、やっぱり仕事――」

「ご主人様。ご主人様はこれから先、ずっとお嬢様と一緒にいるおつもりですか? それが本当に正しい形だと?」


 しかし、俺の言葉を遮ったのはいつの間にか後ろにいたアンドレイだ。

 アンドレイはほほ笑みを浮かべながらも、どこか厳しい視線を俺に向けていた。


「けど、レイが……」

「お嬢様もおつらい時期だと思います。けれど、離れても必ず戻ってきてくれる。そのような事実と信頼を築いていくのは必要なことではないのですか?」

「っ――」


 俺は、子育てなんかしたことがない。

 つい甘やかしてしまいたくなるが、きっとそれはレイのためにならないこともあるのだろう。

 どちらか正解か。それは俺にはわからない。

 しかし、たしかにずっとレイと一緒にいるのも限界はある。今日、仕事をするのをやめたとしても、いつかはお互いに乗り越えなければならない道だ。ならば、俺はこの困難を必ず乗り越えて、レイの元に帰ってこよう。

 俺は、両拳を握りしめて大きく息を吸った。


「……レイ」

「うん」

「俺は絶対に戻ってくる。必ずレイの元に戻ってくる。それだけは約束だ。俺は、レイを一人にしない」

「う、ん」

「だから、待っていてくれるか? 帰ってきたら、一緒に晩御飯を食べよう……な?」


 そこまで言うと、レイは俺に飛びついてぎゅっとしがみつく。

 寂しいのだろう。だが、俺も成長しなければならないし、レイも成長しなければならない。お互いに前に進むために。


「行ってくる」

「行ってらっしゃい」


 そういって、俺は屋敷を飛び出した。

 あのままだと俺ももらい泣きをしてしまいそうだったから。


 けれど、冒険者ギルドについて依頼の確認を行っていると、信じられない事実に気づく。

 俺がこれから行くのは薬草採取と獣の討伐。

 なぜにこの程度の依頼で今生の別れみたいになっているのだろうか。

 俺は、苦笑いを浮かべながら王都の外に出た。この程度の依頼、さっさと屋敷に帰ろう。そして、レイを抱きしめてやるんだ。


 そう思って俺は薬草の群生地である森に走っていった。

 

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