幽霊屋敷 2
フィカスは自分が噂を拾ってきたと言う事実に、心の底から力一杯後悔していた。
そもそも、フィカスがこの依頼を耳にしたのは、一刻ほど前のことである。この町でも有数の商家の一人娘が、何かに祟られているらしい。毎夜悪夢にうなされ、近ごろでは起き上がることすらできないほど、身体は衰弱してしまっている。
それが、フィカスが町で拾って来た噂だった。
それを聞き及び、ヴァルが訳を詳しく調べて見ると、祟りと言うよりはどうやら呪術士の仕業のようであった。
そのことを告げると、娘の父親は法外な値でヴァルたちに呪術士退治を依頼したのである。
傭兵であるヴァルの噂は、充分に彼の知るところであったのだ。
彼は、ヴァルを雇うことに何のためらいもなかった。そもそも傭兵と言う人種には慣れている。
この商業都市ロトシスでは、大きな成功を手にした商人ほど、人から買う恨みも大きいのだから。
その商人のまな娘は、つまるところ父親のとばっちりでも受けたのだろう。
同情などはまったくヴァルの心の中には沸き上がって来なかったが、依頼料はなかなか甘い誘惑である。
よもやこれに飛びつかない、ヴァルではなかった。
路銀もそろそろ底を突こうというときに、この依頼は渡りに船であったのだ。
一も二もなく、ヴァルはこの仕事を請け負った。
それは、ヴァルの内に存在する自信からでもあったが、対してフィカスはそういう訳にはいかなかった。フィカスには、呪術士と対等にやり合えるだけの自信はなかったのだ。
しかも、獣の言葉が解るらしいロスの示した先は、この町でも悪名高い丘の上の幽霊屋敷であったからなおさらだ。
はっきり言って、いくら路銀に困っていても、この仕事にかかわりたくはなかったフィカスであった。
「ほーら、ほら。グズグズ言ってんじゃねーよ」
「んなこと言ったって、魔術士とか幽霊とかと、どう渡り合おうってんだよ!」
「ばっか、じゃねーの。んなもん、気迫だよ。キ・ハ・ク」
「気迫で、幽霊が切れるっての?」
「さあ、他の奴らは知らねーけど、オレは切れたぜ」
「……まじ?」
フィカスはヴァルの言葉に、呆然とうめいた。
ヴァルが並の剣士でないことは、つきあい深からぬフィカスとて知っている。なんと言っても、ヴァルはその筋では《流浪の黒き風》とまで言われているくらいなのだ。
その剣技は、一陣の旋風の如し。
凍てついた風は、触れるものをカマイタチのように切り裂く。しかも完璧に。
目の前で現実に、ヴァルの剣さばきを見たこともあるフィカスは、その言葉の信憑性を良く知っている。
その姿はまさに美しき、鬼神だ。
が、しかし、幽霊までたたき切れると言うのは、とても真っ当なことではないような気がする。
「……でも……ヴァルだったら、本当にやりそう……」
「おい、本当にやりそうってのはなんだよ。オレは、本当にやったんだ」
「……もういい……ついてく、ついてくよ。俺でも何かできるだろ」
「ほーお、足手まといにだけは、なるなよなー」
「ぐっ」
いきなり痛い所を突かれて言葉に詰まるフィカスを見やり、ヴァルはからからと豪快に笑った。
何がおかしいのかと、フィカスは恨めしそうにヴァルを見やった。
「だいじょーぶだよ。辻占ないの婆さんが、くれたお守りもあるしな」
「大体、役にたつのかよ? そんな短剣が、さ……」
「ま、一度っきりくらいは、役にたってくれるだろ。何の役に立つかは、オレも知らねーけど?」
飾りっけのない薄汚れた短剣をひらひらと示し、ヴァルは呑気なことを言った。
町外れの幽霊屋敷へと向かう際に、ヴァルは辻占ないの老婆に呼び止められた。老婆はヴァルのことをいたく気に入り、何やかやと世話を焼いた後、お守りにとこの短剣をくれたのだ。
ヴァルの美貌に老婆も惑わされたのかと、その時フィカスは思ったが、別れ際老婆はヴァルに向かって
「その魂を大切におし」
と、何やら意味不明の言葉を与えた。
つまり、老婆はヴァルの外見よりも、魂の方が気に入ったらしかった。
「インチキじゃないの?」
「そう思うなら、お前には絶対やらん」
疑わしげに言葉を紡ぐフィカスに、ヴァルは冷ややかにそう言い放ち、短剣を腰のベルトへと戻した。
「いらねーよ。んなもん」
はっきり言って、老占い師のことを信用していないフィカスは、べっと舌を出しながらそう言った。
大体、辻占ない師の言葉など、どうして易々と鵜呑みにできようか。
そんなフィカスとは違って、ヴァルは老婆の言葉に一応の信頼は、寄せているようである。
一体全体、何の根拠があってのことだろうか。
よもや、己が身を褒められたからではあるまい。それにしたって、ヴァルの行動はどうしてもフィカスの予測の内のものではなかった。
そんなフィカスの栗色の頭を、ヴァルは流れるような、とても自然な動作で易々と張り飛ばす。気配すら感じさせないヴァルの行動に、フィカスは前のめりになった。
「だからあ、そのすぐに人を殴るの、やめてくれない?」
「だって、お前の頭。すっげー、殴りやすいんだよな」
「あのねえ……」
疲れたように、フィカスは言葉を吐き出した。こんなこと一度や二度ではなかった。
ヴァルは何が楽しいのか、よくフィカスを殴るのだ。別に力任せで殴られたことだけは、一度とてないが、弱くであろうと強くであろうと、殴られること自体本人としては楽しくもない。いかに軽くとは言え、痛いものは痛いのだ。
「だったら、殴られる前に、避けちまえばいいんだよ」
恨めしそうなフィカスに、ヴァルはとても簡単そうな顔でそう言った。
「……それができりゃ、苦労はないよ……」
小さくため息をつき、フィカスは肩を落とした。