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黄金の魂  作者: 向井司
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偽りの魂 1



 その地で実際剣を携え、最前線にて戦う者たちは、戦いのそもそものきっかけを知ってなどいない。

 傭兵が大半を占めるガイアスの部隊ともなれば、なおさら戦いの意味など知り得るはずがない。

 傭兵たちの知りたいことはそんなことではなく、どうすれば勝てるかということと、勝った後の報奨金は少しでも弾んでもらえるかということだけである。

 クレイトン公国の最北、レイルートの国境付近はは今北の隣国フエンリアの脅威にさらされようとしているのだ。

 クレイトンの将軍の一人であるガイアスがこの傭兵部隊を率いて、戦線の一端を担っている。

 ガイアスはもう五十も半ばを越えるころだが、過去に傭兵たちと付き合ったこともあり、傭兵の扱いはクレイトンの中で最もうまい将軍である。そして、それを証明するかのようにガイアス率いる傭兵部隊は、この戦線を預かるいくつもの部隊の中で一二を争う働きをしていた。


「ま、ガイアスの大将についてるうちは、オレたちの命も安泰さね」

「全くだ。いばり散らしたお貴族さまが相手じゃ、剣の腕も鈍っちまわあな」


 その日の作戦をようよう終えた傭兵たちは、口々に気楽なことを言い合いながら、簡素な夜営地へと引き戻って来ていた。

 この夜営地の天幕の一番奥に、傭兵たちが言うところの大将がいる。

 ガイアスは寝起きのみならず、食事まで傭兵に合わせ行っているのだ。

 多少、ガイアスの方が豪華とは言え、夜営地の豪華さなどたかが知れている。

 その辺りの気安さもまた、傭兵たちは気に入っている。

 自分一人、安全な所でのうのうとしている上官など、彼らがもっとも信用したくない人種であるのだ。

 大将であるから、よもや最前線に出て来いという無理はさすがに言わない。しかし、状況もそこで戦う兵士たちの様子も見ようとしない者に、命の指揮を取らせることだけは御免だった。

 その点、ガイアスは確かに最前線へと出て来ることはないが、常に兵士の様子と戦場の状況へと気を配る人種であった。

 そして、采配を奮うのだ。最も勝率の高い方法を捻り出しながら。だからこそ、傭兵たちにも大将と信頼される。

 ガイアスの部隊は戦績もはかばかしく、死者も少ない。それは、ガイアスの力量のみならず、彼の配下に従う傭兵たちの力量の高さにもよる。その傭兵たちの中で、重要と見なされる者は、ほとんどがガイアスの見立てであった。

 結局のところ、部隊の功労者は、ガイアスと言ってもあながち間違いではないのかもしれない。

 

 夜営地では、毎晩無茶をしない程度の酒盛りが開かれる。

 戦いに明け暮れる日々では、酒にしか喜びが見いだせないのだ。

 たき火を囲んで、小さな酒盛りの場が幾つも開かれている。どの酒宴も陽気である。

 血なまぐさい男たちは、この時ばかりはその血の匂いを酒に紛らわせる。

 笑いに大きくどよめき、そして安酒を酌み交わす。

 今日を生き延びたことをだけを、口々に祝いながら。

 そんな酔っ払いの間を、傭兵にしてはやけにそぐわぬ風貌の男が、悠然と歩き抜けていく。

 すらりと伸びた体は、一見して華奢にも見える。それは、背を覆うほどの漆黒の髪のせいもあるだろう。

 黒の短衣にズボン、それと同色の外套と言ういで立ちは、戦場において《死神》と噂されたこともありそうだ。

 しかし、このいで立ちであるのならば、べつに傭兵の中では珍しくもない。彼がここで完璧に浮いてしまっているのは、その美貌のせいであった。

 白磁器のような肌は傷一つなく滑らかで、彼の身に纏う黒と言う色に一層際立って見える。そして白皙の面に浮かぶ意志の強い漆黒の瞳。すらりと通る鼻筋に薄い唇は、見事な均衡を守っていた。

 つまりその美しさが、到底傭兵にはそぐわぬものであるのだ。

 酒を酌み交わす男たちは思わずその手も止めて、通り過ぎる青年に一瞬、もしくはしばらくの間見とれた。


「…ヴァルだ……」

「へえ、あれが…」


 男の一人が感嘆の息と共に、青年の名を紡いだ。


「流浪の黒き風、かぁ……噂以上におきれいじゃないか……」

「…言っとくけど、剣の腕も噂以上なんだぜ……」


 ささやくように、あちらこちらで言葉が交わされる。

 皆、ちらちらとヴァルの顔色を窺っていた。ヴァルという人間を知る者は、決して話題の人物を怒らせないようにと、言葉の節々に気を遣っている。

 ヴァルは、はっきり言って短気の部類に入る気性の持ち主である。


「……でもよ、あんな細っこいナリのどこに、飛鷹剣を振り回す力があるんだ?」

「そればっかりはなあ…オレらにも解らねえよ……」


 飛ぶ鷹まで叩き落とすと言われる、《飛鷹剣》は普通の幅広剣の二倍近い長さを誇る。当然重さも二倍になる訳で、身幅もあるので普通は両手でしか扱えないと言う代物だ。

 しかし、ヴァルはその剣をこともあろうに片手で振り回すのである。

 あの華奢としか言えない体つきで。

 六尺そこそこのヴァルは、己の身長とほぼ同じ身丈の剣を、軽々と扱うのだ。

 それゆえヴァルの名は、半ば恐怖の念を込められてささやかれるのである。

 と、言ってもヴァルはそれらのことにほとんど無頓着であった。

 彼は、ある一つの事柄を除けば、短気と言えどあまり人の言うことを気にしない性格であったのだ。

 ささやく男たちの目の前をヴァルは、意に介した様子もなくすたすたと進んで行く。

 そのヴァルの外套の裾を掴み、四尺になるかならないかくらいの少年が歩いている。少年はヴァルが歩調を合わせてくれているので、二尺の身長の差があれど、歩くことに苦労はしていないようだ。多少すすけている金の巻き毛は、ちゃんと手入れをすればもっと輝くであろう。そばかすの散る顔とて、まだ幼さを充分に湛えているので愛らしい。緑のくるくるとした瞳をヴァルへと向けて、少年は黙って歩き続ける。

 ヴァルだけでも浮いているのに、その端に少年が張り付いている様は、尚一層一目を引いてしまう。


「よーお、きれいな兄ちゃん。一体いくら出しゃ、買えるんだい?」

「…お、おい。スウォン……」


 酔っ払いの一人が、ヴァルに向かって軽口を叩いた。酒瓶を振り回し、ちょうどヴァルの真ん前でそう声をかけたのである。

 隣の男が、慌てたようにスウォンを止める。しかしスウォンは、にやにや笑ったままその手を振り払った。

 ヴァルは立ち止まると男を見下ろして、冷ややかに笑った。


「……あいにくとな、オレは高ぇんだ。てめぇのような雑魚に買えると思うなよな」

「なんだと! 偉そうに、すましてんじゃねーよっ!」


 ヴァルにはつきり雑魚呼ばわりされたスウォンは、かっとして腰の剣へと手を伸ばす。

 しかし、片膝を立て腰を浮かしたスウォンは剣を抜くことはできなかった。ヴァルはスウォンが剣を引き抜くより早く、他の者が持っていた剣をひったくり、鞘を払うと切っ先をスウォンの喉元へと突き付けていたのだ。

 まさに風のような動きに、このやり取りを見ていた男たちは息を飲んだ。

 剣を突き付けられたスウォンは、さあっと音をたてるように一気に酔いも冷め、緊張にごくりと喉を鳴らす。

 切っ先は喉元紙一重のところで、止められていた。

 それよりも、ヴァルの殺気は間違いなく本物であった。


「てめぇの、小汚い首の一つや二つじゃ、たんねぇんだよ。これにこりたら、こんなふざけた真似、二度とすんなよな」


 ヴァルの冷ややかな言葉に、スウォンは黙ったまま何度も頷いた。

 それで取り敢えず満足したのか、ヴァルは切っ先をスウォンから不意に外すと、元の持ち主に放って戻す。

 そして、再び何事もなかったように歩きだした。

 スウォンはヴァルが背を向けて間もなく、その場にへなへなと座り込んだ。


「こ、殺されるかと思った……」

「なに言ってんだ、お前運がいいぜ」


 冷や汗を拭うスウォンに、隣の男が声をかける。


「よもや殺しゃしねぇけど、ヴァルにちょっかいかけて、半殺しになった奴ってのは、結構いるんだぜ?」

「ヴァルだってぇ 」


 名を聞いた途端、スウォンは素っ頓狂な声をあげた。

 スウォンもまた、ヴァルの噂を聞き及ぶ一人ではあったのだ。


「…おいおい、まさか知らなかったってのか? 背の飛鷹剣が見えなかったのかよ」

「そりゃ、無理ねぇよ。スウォンはここに来て、日も浅いからな」

「ついでに言えば、酔っ払いだ」

「それで、見逃してもらえりゃ、まったくありがたいこったぜ」


 本気で青ざめるスウォンに、男たちは口々に気楽な声をかける。

 当のスウォンは、自分のしでかしたことに声も出ない。

 剣の腕は超一流、そして気の短さも天下一品の噂も高いヴァルに、冗談とは言えちょっかいをかけたのだ。

 回りの連中の言うとおり、五体満足であった。ようやく引いたはずの冷や汗が、再び吹き出していた。

 あの殺気ならば、ヴァルは先刻の言葉の通り、半殺しくらいのことは本当にやってのけるだろう。

 確かに運がよかったと、スウォンはため息をついた。


「……まあ、二度とあんな冗談はヴァルの前で口にしないこったな……五体満足でいたかったらな」

「……ああ、オレだっててめぇの身はかわいいからな」


 スウォンは頷くと差し出された酒を一気に飲み干した。

 この際、酔ってしまうに限ると、結論を出したのであろう。しかし、今日はもう、いくら飲んでも酔えそうにないスウォンであった。



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