第24話 聡
「あの・・・すみません。立花局長ですか?」
隆也は、春樹達の探偵事務所のあるビルの入り口で、スラリと背の高い紳士に声を掛けた。
顔は薫とそんなに似てはいなかったが、そのスマートな物腰と高潔な雰囲気から、この人が立花聡に間違い無いという直感が働いた。
この人なら、春樹が少しばかり嫉妬心を抱いても仕方ないと納得できる、と。
「君は?」
男はエントランスへ向かおうとしていた足を止め、涼やかな目を隆也に向けた。
「春樹の友人です。あの・・・美沙さんを迎えに来たんなら、もう少し待ってあげて貰えますか? 今、春樹、たぶん美沙さんと大事な話をしてると思うんです」
「春樹君が? 私が行ってはダメな話?」
「はい」
あまりにキッパリと言ってのけた隆也が可笑しかったのか、聡は顔に似合わず豪快に笑った。
「そうか。今、取り込み中なんだね。じゃあ君は、私が邪魔するのを止める役割りってことかな」
「そんなんじゃありません。春樹はそんなことを指示する奴じゃありません。俺がここにいることもあいつは知らないはずです」
無意識にかなり棘のある言い方をしてしまい、隆也自身がハッとしたが、聡は穏やかな表情のまま隆也を見つめた。
「ごめん、そういうつもりで言ったんじゃないんだ。私も春樹君の人柄は分かってるつもりだよ。君は、・・・ええと」
「穂積と言います。穂積隆也。春樹とは高校の同級でした」
「そうか、隆也君か。・・・私の目的はここの支店長を送り届けるだけだから、待つのは構わないんだけど。ねえ、長い話になりそう?」
「分かりません。でも待ってやってください。きっと・・・大事な話をしてると思うんです」
「何の話だろう。ちょっと怖いな」
聡はさり気なくチラリと視線を上に向け、そしてすぐに戻した。
「・・・怖い?」
「この頃まるで自分が高校生くらいの子供に戻ったような気持ちになるんだ。・・・なーんて事を、ちょっと前ポロッと口にしたら、弟に笑われたよ」
「薫さんですね。何度も会ったことがあります。楽しい人ですよね」
「へえー。あいつの行動半径がまた分からなくなったよ。そして・・・君はウチの事情を何でも知ってそうだね」
「いえ、そんな。春樹や美沙さんと親しいだけです。あの、立花さん、さっきの“怖い”って、何でですか?」
隆也の真っ直ぐな問いかけに聡は少しばかり面食らったような表情をしたが、暇つぶしだと諦めたようにポツリと話し始めた。
「春樹くんがさ」
「春樹が?」
「そう。18歳のあの子の中にあるものに、この俺は少しも太刀打ちできない。そんな気持ちになってくるんだ。可笑しいだろ? でもね、それってすごく情けなくて怖いんだ」
いつの間にかかしこまった「私」は砕けた「俺」に変わり、始めに感じた近寄りがたい颯爽感も、少しばかり形を変えた。
初対面の18歳の少年に、あっさりと本心を晒してしまう気安さと純粋さ。立花聡という人物が、この短時間でサラリと隆也の中に入ってきた。
その心の中に、美沙を想う真剣な気持ちが確かに存在している。
春樹をずっと苦しめていたものの一つが、ここにある。“いい人”だと分かるからこその苦しみなのだ。
「春樹はずっと苦しんできました。俺なんか想像も及ばない世界で。美沙さんはそんな春樹の支えだったんです。その春樹が今たぶん、言ってしまったら、今までの自分達に戻れないかもしれない事を、美沙さんに伝えようとしているんです。きっと、・・・大げさかもしれないけど、死ぬ想いで。だから、もう少しここで待ってやってくれますか? お願いします」
隆也は一気にそう言うと、聡に頭を下げた。
隆也自身、今、上の事務所で春樹が何を美沙に伝えているのかは分からない。
春樹からはただ、《今日の終業時に、美沙に今の気持ちを伝えて来るよ》と、今朝短いメールをもらっただけだった。
春樹は答えを出そうとしている。
きっと決心が揺るがないように隆也に送ったメール。
必死で強くなろうとしている春樹の中の、ほんのわずかな脆さを感じ取った隆也は、どうにもじっとしていられず、この場所に来てしまっていたのだ。
「春樹君は、いい友だちを持ったね」
聡は柔らかい声でそう言った。皮肉やおべんちゃらは一度も言ったことの無さそうな、包み込むように優しく真っ直ぐな声だ。
「いいよ、待とう。何時間でもここで二人を待とう」
薄いコートの襟を立て、冷たい植え込みの縁に座り込んだ聡に、隆也は感謝の笑みを漏らした。
「温かい飲み物買ってきます。コーヒーでいいですよね」
隆也はそう言うと、返事も待たずに隣のファーストフード店へ走った。
『ねえ、隆也。立花局長って、いい人だよね』
昨日、そう訊いてきた春樹のその気持ちが今さらながら心に染みこんできて、隆也はまだ紫色の夕映えを残した空を、泣きたい気持ちでふっと仰いだ。




