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枯淡  作者: 水原伊織


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21/39

21.叶わない未来を知りながら、求め合った夜

手を伸ばしている君が消えない。


その一文で、原稿を締めくくった。


裕介が来るまでのあいだ、織は文芸誌向けの小説の最終章を書き上げ、そのまま出版社へ送信した。

恋愛を軸にしてはいるが、甘さよりも、後悔の影が濃く滲む物語だ。

ありきたりと言われればそうかもしれない。

それでも織は、そこに“命のやりとり”を必ず置く。


戦争であったり、

誰かの死であったり、

あるいは静かに訪れる滅びであったり。


——どうやって終わらせるのがいちばん美しいのか。


その問いが、物語全体をゆっくりと流れていくように、

織は意識して書いたつもりだった。


----


織は、就職した頃、重度の月経困難症に悩まされていた。

生理が来るたびに、日常生活が成り立たないほどの出血と痛み。

そのため、医師の勧めで低用量ピルを服用し始めた。


作家になるとき、

「家にいるなら、多少つらくても大丈夫かもしれない」

そう思って、一度服用をやめてみた。


だが、久しぶりに来た生理のひどさに、

織はすぐにその考えを撤回した。


再び服用を続けるうちに、少しずつ症状は落ち着いていった。

そして、気づけば、生理は来なくなっていた。


医師からも「こういうケースはある」と説明を受けていたし、身体の状態としては珍しくない。

ただ、そのことを知っているのは織だけだ。


誰にも言っていない。

裕介にも、当然話していない。


だからこそ、昨夜の裕介の行動の意味が、織にはどうしても知りたかった。


——あの人は、何を思っていたんだろう。


自分の身体では、おそらく起こり得ない妊娠。

自分との間に、子供が欲しかったのか。


----


入ってきた裕介は、どこか気だるげだった。

寝起きのようにも見える。


「今日は、意外と早く来たのね」

「……ああ。家にいても、用事がなければ、別に」


整えたわけでもないのに、整って見える顔立ち。

眉も、髪も、無造作なのに形がいい。

裕介は、いわゆる“イケメン”の部類に入るのだろう。

四十六歳だと言わなければ、きちんと身なりを整えれば、三十代でも通るはずだ。


——多分、自分のことが二の次になるくらい、無理しているんだ。


織はそう思った。

そっと両手を伸ばし、裕介の顔に触れる。

着る毛布の前はゆるくはだけていて、その隙間に、ふっと温度が流れ込む。

裕介は迷うことなく、織の胸元に顔を埋めてきた。


「……ただいま」

「ふふ…おかえり」


その短いやり取りだけで、二人のあいだにある、帰る場所のような静けさが満ちていく。


----


「そういえば、裕介の曲の中のフレーズにさ、【隔離された箱庭で、愛し合おう】ってあったよね?」

「…ああ、だいぶ昔にね」

「今、まさにそうじゃないの?」


一糸に纏わぬ姿で、リビングのソファで抱き合いながら、織がそう言った。


「確かに」

「昔から、裕介、こうなりたかった?」

「…そうかもしれない」


織の言葉に返事をしながらも、そのぬくもりを味わっていた。


やがて二人は和室へ移り、布団に入ると、裕介は自然な流れで織を抱き寄せた。

その動きに迷いはなく、織の呼吸のリズムを確かめるような静かな近さだった。


そのとき、織が裕介の顔にそっと触れた。


「昨日さ、裕介…私の中に出したでしょ?」

「…ああ。…嫌だった?」

すでに入ってきていた、裕介の動きがわずかに止まる。


「違う…の。…どうしてって、聞きたかった…の」


その声は震えてはいないのに、どこか深いところに触れるような響きを持っていた。

裕介は、織の頬に触れ返すように手を添えた。


織となら、一緒にいてもいい、織の子供なら、育ててもいい、本当にそう思った。

そういえば、嘘になりそうで、言葉にしたくなかった。


裕介はそう思ったことを率直に、織に伝えた。

織は、ふうん、としか言わなかった。


----


「嘘じゃないよ。本当に、さっきの事」

裕介は、終わった後で、まっすぐな声でそう言った。

その言葉には、飾りも誇張もなく、たった今も昨夜と同じことをした。


「……裕介」

織が呼ぶ声は、どこか揺れていた。


「……何?」


「……なんでなの?」


裕介は一瞬だけ言葉を探すように目を伏せた。

「なんでって?」


織は、ゆっくりと息を吐き、自分でも整理しきれない思いを、慎重に言葉にしていく。


「……私と、一緒に生活ができるわけないでしょう?」


その言葉は責めているわけではなく、ただ、現実を静かに置いたような響きだった。

裕介の胸の奥に、言い返せない痛みが沈んでいく。

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