mission36 猫の言う通り
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第三使命 観測開始
mission36 猫の言う通り
…………
ローランの金猫は、戻って早々にローランを殴った。
猫にとってローランはキリエリの愛娘たるカジャカのための人間であり、キリエリに託されたから認めているだけの小僧っ子なので当然である。いきなり海なんぞに飛び込みよって、おまえカジャカをどうする気だこのスカポンタン、このお猫様が止めてやったのに道連れにするとは何事だクソガキめ、ということである。肉球の一撃で許してやったのだから、この金猫も寛大になったものだ。全盛期なら両の爪でズタズタにしていたところである。
ノワーレはローランを前にシャーシャー息巻いている猫を抱き上げると、「おまえはこっち」と眠っているカジャカの隣に置いた。ノワーレの不遜な行為に猫は鼻を鳴らしたが、カジャカが寝返りついでに抱き寄せてきたので甘んじて受け入れる。お猫様はカジャカのために女神に生かされているのだから、カジャカが良いならそれでいいのだ。
ノワーレは猫が大人しくなったので、「元気出しなよ」としょげているローランに茶を注いだ。ローランは猫パンチを食らった頬を押さえながら受け取る。
「戻ってきてからというもの、みんなに怒られっぱなしだ……しかし……まあいいか」
ローランは茶を啜りながらぼやいた。海の後遺症もないようで、それはローラン自身が「まあ僕は上半身全部が聖紋だしな。灼きついてあんまり役には立たんが」と答えた。
午後の茶室は穏やかだ。カジャカは眠っているし、ノワーレの横でニーナも眠そうにしている。第三小隊は今日は休養日だ。海岸哨戒もなく、皆それぞれのんびりしている。
「ニーナ、寝るなら膝」
ニーナが肩に寄りかかってきたので、ノワーレはニーナの頭を自分の膝に促した。ニーナは大人しく膝枕の姿勢で眠ってしまう。しばらく戦い続きだったから疲れているのだろう。救世主だと持て囃されていても、戦場を離れればただの食いしん坊な女の子なのだ。
「懐かれてるねえ……」
ローランが欠伸をしながら言う。ノワーレは肩をすくめ、眠るニーナの髪を撫でた。ニーナは眠る子犬のようにされるがままだ。
「まあ、女神様の思し召し、ってところでしょ」
「いやぁ、なかなか得難いと思うぞ。二回も海から引き上げられて、二人とも無事とは」
「自分こそ。本当に海でのこと覚えてないの?」
「残念ながら。イライヤに誘われた後のことはさっぱりだ」
ローランは、海でのことを何一つ覚えていない、ということだった。意識のない状態であれだけ歌われたらたまったものではないが、本人が言うならそうなのだろう。
クラウナーは、今は城砦を回ってイライヤの歌に侵された騎士たちを診て回っていた。シャンティが歌唱者を集めて対抗してくれてはいたが、未だ精神に不調をきたしているものは多い。クラウナーはシャンティと協力し、手に聖紋を持つ者としての責務を果たしている。
イライヤはあれから意識を失って、今もとぎれとぎれに目覚めるばかりでまったく本調子ではない。フランツがつきっきりで看病をしており、白鼠からは戸惑いながらの謝罪と謝礼が届いた。
みんな疲労困憊だ。それでも命を落とした者はいなかったそうだから、被害としてはましな方なのだろう。クラウナーが受けた預言の通り、ノワーレとカジャカが海に突っ込んだことで、城砦と街は守られた。津波が到達することもなく、岸に出ていた少ない騎士たちは、波から溢れた災厄獣の討伐のみで済んだそうだ。
被害の少なさと、ノワーレが海底の彼らと会ったことに、何か関係はあるのだろうか。
茶室の扉が開き、クラウナーが顔を出した。
「ローラン、聞きたいんだけど……」
クラウナーの控えめな言葉に、だらけていたローランは体を起こす。クラウナーは困ったような、戸惑ったような顔で続ける。
「イライヤって……喉に、強い聖紋あるよね?」
「あるな」
ローランは実にあっさりと答えた。
クラウナーは茶室に入ってくると、「なるほど……」と言いながらノワーレの隣に座った。ノワーレの膝で眠るニーナを見て、ほんの少し表情がほころぶ。
「たぶん、イライヤは大丈夫だよ。ローランに海の記憶がないのも、イライヤの聖紋だと思う」
今度はローランが「なるほどな」と答えた。
「あいつは確かに聖紋持ちだ。でも、あいつのところに現れたのは金猫でも金馬でもない。白鼠だ。白鼠がイライヤを選んだんだから、あいつは歌唱士じゃなく騎士だろう」
「それでも、喉にあれだけ深い聖紋があるなら歌えるよ。イライヤは聖紋を開いて歌ったはずだ……でないと、海に落ちたのに二人がなんの後遺症もなくいられるはずがない。女神様の権能が、二人を守ったはずだ。騎士たちの消耗が激しいのは……聖紋が、海の声と共振したからだと思う。イライヤのせいじゃなく、海のせいだ」
クラウナーの話を聞きながら、ノワーレは自身の体のことを考えた。クラウナーの髪と歌。その二つが海からノワーレとカジャカを守った。相変わらず耳の奥に潮騒は鳴っているし、胸に傷も残っているが、その他の後遺症はない。
ニーナがノワーレの膝の上でもぞもぞ動く。「寝てていいよ」と言いながら、ノワーレは胸の傷にニーナに渡した礎石が埋まっていることを思い出す。礎石は虹色の光を放ち、恐らく、海底の王からノワーレを守った。
ノワーレと同じ顔をした女は、ノワーレの胸を突き刺して、ここに希望がある、と言った。
希望とは、ニーナのことだろうか。それとも、ニーナが振るう女神の力のことだろうか。
ローランの隣で眠っていたカジャカが目覚め、猫を抱いたまま起き上がった。猫は寝ぼけたカジャカに顔を擦り付けられて、満足げに喉を鳴らしている。ローランはカジャカの寝癖がついた髪を直してやりながら、ぼんやりとクラウナーに答える。
「イライヤは意識して聖紋を開けないって聞いてるがな。あるのは知ってるが、使い方は全くわからんらしい。少し教えてみたこともあるが、さっぱりわからん、と言われたよ」
「あれだけ深い聖紋なら、無意識に呼応することもあるんじゃないかな……そもそも、イライヤはどうして海に行ったの?」
「……それは本人に聞いてくれ。僕からは答えられんよ」
ローランは明らかに何かを覚えている様子だったが、クラウナーはそれ以上聞こうとはしなかった。品が良いというか、優しすぎるというか。しかし、ノワーレもまた、クラウナーの控えめな優しさに助けられている。
海底で、自分と同じ顔をした女と出会ったことを、ノワーレは誰にも話せていない。ローランは忘れているのか見ていないのか怪しいし、イライヤはほとんど眠ったままだ。カジャカは声を出せない上に、普段は誰かに積極的にものを伝えようとする方ではない。ノワーレが話さない限り、誰も知ることはないだろう。
だが、海から戻って以来、ニーナかクラウナーが必ずノワーレの横にいた。二人は何も言いはしないが、ノワーレが何かを隠していることに気づいている。
しかし、いったい何を言えるというのだろう。
自分と同じ顔をした女と会った。女の首は海底で王を名乗る者に落とされた。それで?
王から逃げながら、ノワーレはおそらくあの女の記憶を自身のものとして垣間見たのだろう。慕っていた。後悔があった。だが、ノワーレ自身の記憶ではないはずだ。その証拠に、海で見た一場面以外のことは、何一つわからない。
猫が鳴いた。
ノワーレは顔を上げる。クラウナーとローランも顔を上げたが、カジャカの膝の金猫は素知らぬ顔をしていた。後ろ足で耳の後ろを掻きながら欠伸などしている。
にゃーん。
また、猫の鳴き声。と思ったとたん、クラウナーが「あれ?」と声を上げた。
「エヴァ様の猫だ……」
長椅子の下から小さな金猫が顔を出し、クラウナーの足に擦り寄って甘い鳴き声を上げた。クラウナーは抱き上げて膝に乗せる。
「なに、どうしたの?」
クラウナーが問うと、猫は「にゃー」と答えた。クラウナーは首を傾げ、猫がにゃーにゃー鳴くのを聞いている。
「……エヴァ様が、ノワーレとニーナと僕に、大聖軸に顔を出してほしいって。できればイライヤもいたほうがいいけど、無理はしなくていいってさ」
「クラウナー……エヴァ様の猫の意志、わかるの?」
ノワーレが聞くと、クラウナーは「わかるよ?」と平然と答えた。ノワーレはクラウナーの異常性にやや驚く。
「普通……聖獣の言葉って、主人にしか伝わらないと思うんだけど……」
「僕もアルタノッドとミミ……エヴァ様の猫としか話せないよ。ミミも、小さい時から近くにいたからかな?」
「へえ……まあ、いいか」
ノワーレが知る限り、聖獣の意志は主人にしか伝わらない。ノワーレだって銀狼城塞で多くの銀狼に囲まれて育っているが、明瞭な意思疎通ができるのはチュテレールとガルディエーヌだけだ。他の銀狼は、肯定と否定くらいしかわからない。銀狼の方はノワーレの発言を明瞭に理解している節はあるが、それだけだ。
まあ、クラウナーだし、女神の力が何か作用しているのかもしれない。そもそもエヴァだって規格外だ。規格外のお方の猫なら気に入った人間に意志を伝えるくらいはできるのだろう。
ローランの猫は怪訝な顔をしてクラウナーを見ている。ミミと呼ばれた猫はクラウナーの膝の上で、嬉しそうにクラウナーに鼻を擦り付けている。
「ノワーレ、いつ行く? ミミが連れて行ってくれるって」
クラウナーもミミの額を指先で撫でてやりながら、少し嬉しそうな顔をしていた。猫の耳を軽く引っ張ったり、顔を捏ねたりしている。
「えー……明日……とか……。ニーナは私が空いてれば空いてるだろ」
「わかった。僕も空いてるし、明日行くってエヴァ様に伝えてもらうよ。イライヤにも聞かなきゃね」
クラウナーの膝の上で、ミミが愛らしく「みゃーん」と鳴いた。
カジャカの膝の上では、ローランの猫が不機嫌そうに「にゃー」と鳴き、ローランに「にゃーじゃない、本人に言え」と言われている。
カジャカとクラウナーは首を傾げ、ノワーレの膝で、ニーナがむずかりながらノワーレの腰に顔を埋めた。
…………
mission36 完了
称号獲得
イライヤ「聖紋の使い手?」
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