mission21 目覚めぬノワーレ
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第二使命 観測開始
mission21 目覚めぬノワーレ
…………
天井に、窓からの日差しが四角く白く光っている。
クラウナーはぼんやりと白い光の枠を眺め、何度か瞬きをした。
昼間だ。部屋の外から使用人たちの話し声が聞こえ、誰かが忙しなく歩き回っている。
横になったまま、右手を握ってみる。次は左。足もちゃんと動きそうだ。目は相変わらず天井を見ている。
良かった。自分の視界で、自分の体だ。
クラウナーは目覚める前のことを思い出す。ノワーレが倒れたあと、ユーリが血まみれのノワーレを抱え、ミゲルが立てなくなったニーナを抱え、あの場を離脱した。戦線は混乱を極めていたが、本陣に控えていたジョルジオの一喝と歌唱大隊によって立て直され、災厄獣の上陸自体は避けることができた。負傷者、行方不明者は数知れず、戦没者の数も不明だった。
本陣に着いて、クラウナーも意識を失ったのだと思う。全身の聖紋を惜しみなく解放したのだから当然だ。倒れるくらいで済んだのだから、運が良かったとすら言えるだろう。
手のひらを目の前に持ってきて、握ったり開いたりし、聖紋が灼きついていないかを確かめる。少し体が熱っぽいから、酷使した喉や胸の辺りが灼けているのかもしれない。しばらくは声が出しにくいだろう。あとで確かめなくては。
「あ、起きてる」
誰かの声が聞こえ、クラウナーはベッドの上に起き上がる。
「あ、いいのよ、そのまま」
部屋に入ってきたのはシャンティで、少し足を引きずっているが、顔色は良いように見えた。
「大丈夫? 熱は? どこか痛かったりしない?」
「……だい、じょうぶ。熱も、すこしだけ」
声はやはり掠れた。シャンティが慌ててベッド横の卓から水を取ってくれる。灼けた喉に冷たい水が沁みて、クラウナーは咽せた。それでも、声は出た。そんなにひどい灼け方はしていない。十分回復できる。
クラウナーは自身の喉に手を当てる。手のひらの聖紋を少しだけ解放し、自分の喉を癒した。手当、というごく初歩的な女神の技だ。軽い傷を治す程度の効果しかないが、手に聖紋を持つ者なら誰でもできる。
「うん、これで話せるよ」
クラウナーが笑うと、シャンティは困ったように微笑んで息をついた。
「誰か、手に聖紋がある人を呼んでこようと思ってたのに……自分でできちゃうのね」
クラウナーは曖昧に頷いた。もし他に聖紋を持つ人を呼んできたとして、クラウナーを治療しようとした方の手が灼きつくだろう。聖紋の規模も深さも、クラウナーと他者では違いすぎる。
「ノワーレとニーナは?」
クラウナーが問うと、シャンティは眉を寄せた。
「ニーナは無事よ。でも、ノワーレは……眠ったまま」
やはり。クラウナーは思い、立ち上がろうとして「待って待って!」とシャンティに肩を押さえられた。
「あの……ノワーレとニーナに会いたいのはわかるわ。でも、あなただって本調子ではないのよ」
そんなことはわかっている。けれど、自分より絶対にノワーレの方が悪いはずだ。そして、ノワーレが起きていないのなら、ニーナは。
クラウナーの顔を見て、シャンティが「もう!」と唸る。
「あなたもニーナもなんなの? 銀狼城砦にはたくさん人がいるし、ノワーレのことだって診てくれてるわ」
「ニーナは?」
「……ノワーレの隣でずっと泣いてる。そんなに会いに行きたいのなら、ニーナをどうにかしてあげて。あんなに泣いたら脱水になるわよ」
シャンティはぶつくさ言いながらも、クラウナーが立ち上がるのに手を貸してくれた。自分だって足を負傷しているくせに、とは、言わないことにする。たくさん人がいる、と、人手が足りている、は別なのだろう。
「ありがとう、シャンティ」
「いいから、ノワーレの部屋に行ってあげて。ノワーレの顔を見たら、ご飯食べるなり寝るなりするのよ」
ベッドの横で少し足踏みをし、クラウナーは自分が一人で歩けることを確認する。長椅子の上に畳まれていたストールを肩にかけ、髪を手櫛で整えながら部屋を出ると、チュテレールがクラウナーの部屋の前をうろうろしていた。ノワーレのために獣舎から出されているのだろう。チュテレールが鼻先でノワーレの部屋を示すので、クラウナーは着いていく。乗るか? というような視線を向けられたが、クラウナーは首を振った。ノワーレの部屋は、ニーナの部屋を挟んだひとつ隣だ。
ノワーレの部屋のドアは開いていた。ドアの隙間から、ニーナがしゃくり上げる声が聞こえている。部屋を覗くとノワーレがベッドに仰向けで横になっており、隣の長椅子で膝を抱えたニーナが洟を啜っていた。ベッドの足元で丸くなっていたガルディエーヌが、クラウナーの気配に顔を上げる。
「ニーナ」
呼ぶと、ニーナが泣き濡れた顔を上げた。
「クラウナー……起きたぁ……」
ニーナの顔は涙でぐしゃぐしゃで、泣きながら立ってクラウナーの傍に来るので、クラウナーは抱き止めてやる。
「ノワーレもクラウナーも起きないし……ノワーレ、ノワーレは……ぜんぜん、寝返りとかも、なくて。息は、してるけど、でも、うごかなくて」
「ニーナ、大丈夫。僕も診てみるよ」
クラウナーが背を撫でると、ニーナはぐずぐず言いながらも頷いた。クラウナーは泣いているニーナの背を押して長椅子に座らせ、眠ったままのノワーレの隣に立つ。
ノワーレの顔の血は綺麗に拭い去られていた。真っ赤な血と真っ黒な海を吐いて痙攣していた様子を思い出し、クラウナーは眉を寄せる。ニーナがクラウナーの服の端を掴んで「ねえ、クラウナーは? 大丈夫?」と泣きながら言うのに微笑んで、ノワーレの額に手を当ててみる。
目を伏せて、聖紋を開き、人間の目や手では辿れない全ての感覚に全身を研ぎ澄ませた。
「クラウナー……? 光ってる……」
ニーナが呆然と呟いた。
手のひらの聖紋から、ノワーレに刻まれた海を辿った。手当を拒絶する壁がノワーレの全身に張り巡らされているようだ。女神の権能への抵抗を感じる。あまり探るとノワーレ自身に害が及ぶかもしれない。
以前、大聖軸にいた頃に、似たような症状の騎士を診たことがあった。エヴァは彼に少し触れ、すぐに首を振った。彼は海に落下こそしていなかったが、全身を津波に呑まれ波に攫われた後、奇跡的に流氷の上に倒れていた、ということだった。
海に落ちた人間は助からない。体に残された海が、女神の権能を拒絶するからだ。たとえ災厄獣に喰われなくとも、海はゆっくり人体を蝕み、呪い、命を奪ってゆく。
それでも、海から引き上げられた時のノワーレには一時的に意識があった。血を吐きながらもニーナを人型の災厄獣から助けた。ならば、まだ絶望する段階ではないはずだ。
ノワーレに張り巡らされた拒絶の壁は、稠密ではない。ところどころに穴がある。貫かれた胸の辺りなどは固く閉ざされているが、手足や顔の辺りなどには、女神の権能が届く気がする。ここを深く探るべきだろうか。少しずつでも女神の権能が届くのなら、ノワーレに張り巡らされた海の絶望を、女神の希望に染めることができるかもしれない。
「クラウナー! 戻ってきて!」
ニーナに強く服の端を引かれ、クラウナーは我に帰った。
「クラウナー……、手、どうしたの?」
ニーナがぼろぼろと涙を溢しながら言う。ノワーレの額に当てていた右手を見ると、聖紋が虹色に灼きつき、蔦模様のように肘までを覆っていた。やりすぎた。開きすぎた聖紋を左手で鎮めながら、クラウナーはニーナに微笑む。
「大丈夫だよ、すぐ治る」
「わたしが遅かったから……わたしが、すぐノワーレを助けられてたら……クラウナーもこんなにならなかった?」
ニーナがしゃくり上げながら言うので、クラウナーはニーナの隣に座った。チュテレールが足元にやってきて、ニーナの足に鼻先を擦り付ける。
「クラウナー、二日も寝てたんだよ。ノワーレも起きないし、わたし、救世主なのに、みんな、ぼろぼろだ……」
「僕は起きたよ。聖紋だって、すぐに鎮められる。ニーナがいなかったら、ノワーレは海に沈んだままだったよ」
ニーナがぐずぐずになって泣くので、クラウナーはニーナの頭をゆっくりと撫でた。ニーナが落ち着くまでそうしてやり、しゃっくりが止まったところで、声をかける。
「ねえ、ニーナ。僕、二日寝てたからまだうまく歩けないんだ。喉乾いたから茶室に行きたいんだけど、一緒に行ってくれる?」
この様子なら、ニーナはこの二日間、碌に食事も睡眠も取っていないのだろう。基本的に美味しいものが好きで、優しい子でもあるから、クラウナーが言えば断らないはずだ。
「……わかった」
ニーナは両手で目をこすりながら答えた。クラウナーは自分のストールでニーナの顔を拭ってやる。ずっと泣いていたニーナの頬は熱く、目は真っ赤だ。
「ノワーレ、すぐ戻るからね、待っててね」
ニーナは眠るノワーレに言い、クラウナーも、「また、すぐ来るよ」と声をかけた。ノワーレは反応しない。目を伏せたまま、身じろぎ一つしない。
ニーナは立ち上がると、クラウナーが立つのに手を貸してくれた。クラウナーの手を引いて、主塔の茶室へ向かう。狼たちはノワーレの傍に残った。何かあっても、彼女らがノワーレを守ってくれるだろう。それに、シャンティの言う通り、銀狼城砦にはたくさんの人がいる。
ニーナに手を引かれながら、クラウナーは自分が思っているより疲弊していることに気づく。多少の眩暈と鈍い頭痛。さっきノワーレを診たせいもあるだろう。ニーナに気づかれないよう、ゆっくり歩く。
ニーナが茶室の扉を開けると、ちょうど出てきたジョルジオと行きあった。ニーナが驚き、体を動かすのに必死だったクラウナーは、咄嗟に反応できずに固まってしまう。
「起きたか」
ジョルジオは低く言い、クラウナーは必死で「はい……」と答えた。顔色の悪さも、声の震えもバレただろう。取り繕えなかった。さらに言えば、寝起きのまま、身繕いもせず出てきてしまった。誰かに会う想定を全くしていなかったことに、クラウナー自身も驚く。
ジョルジオは息を吐くと、いきなり両手でクラウナーの頭をわしわしと撫でた。「えっ、えっと」クラウナーは反応できず、子供のように戸惑ってしまう。
「無事には見えないが、ひとまず良かった」
ジョルジオの声は、心の底から安堵した、というように聞こえた。
「茶も、菓子もある。ゆっくり休め」
言われ、頷く間もなくジョルジオは行ってしまう。防衛戦の直後で、彼も忙しいのだろう。クラウナーは呆然とし、撫でられぐしゃぐしゃに乱れた髪をなんとなく直す。
「おーい、突っ立ってないで入りなさい」
部屋の奥から声が聞こえ、カジャカがドアを広く開けて二人を中へ手招きした。部屋の中の長椅子にはローランが寝そべっており、金猫がローランの腹のあたりで欠伸をしている。
「ニーナも、ようやく何か食べる気になったか? どれ、選んでやろう。蒸しパンなんかどうだ? いま茶を淹れてやるから、ゆっくり食べなさい」
ローランが長椅子の上に座り直し、金猫がニーナの足元へやってきて「みっ」と鳴いた。カジャカがニーナの手を引っ張るので、ニーナに手を引かれたクラウナーも一緒になって引っ張られる。そのまま長椅子に座らされ、暖かな茶と菓子が載った盆が差し出された。
「ノワーレはまだ起きないんだろう? 少しゆっくりするといい。泣いたところで何も起こりはしないよ。まずは食べて、しっかり寝る。ノワーレならそう言うだろうさ」
ローランが言うと、ニーナはまたぐすぐすと泣き出した。カジャカが慌て、ニーナの前に山のように菓子を並べ始める。
ローランはカジャカを呼ぶと、自分の隣に座らせ膝の上に猫を置いた。猫に居座られたカジャカは動けずに固まる。
「その蒸しパンを食べたら、いい話をしてやろう。だから、まずは食べなさい」
ローランが言い、ニーナは泣きながら蒸しパンにかぶりついた。ローランが目配せするので、クラウナーも蒸しパンを一口頬張る。二日ぶりの食事だ。クラウナーは口の中が渇ききっていることに気づき、少し咽せたが、ローランが出してくれたぬるめの塩乳茶で事なきを得た。
「よーしよし、何もそんなに泣くことはない」
ローランがニーナに言い、クラウナーは自分が緊張していたことに気づく。ずっと気を張っていた。だって、ノワーレは起きないのだ。
「大丈夫だ。きっと大丈夫さ」
ローランの言葉は、冷え切りひび割れていたクラウナーの心にゆっくりと沁みた。
クラウナーは泣きそうになるのを堪え、ニーナと共に蒸しパンを頬張った。
…………
ミッション21 完了
称号獲得
ニーナ「泣き虫救世主」
クラウナー「聖紋の使い手」
mission22へ




