トレイア・アンダーグラウンド?(6)
二人、薄暗い夜の通りを歩いていく。
歩みを進めるにつれて周囲の景色は、『あんまり治安のよくなさそうな場所』から『とてつもなく治安のよくなさそうな場所』へと移り変わっていった。
ごつごつとした不揃いの石畳で出来た通りには、古びた家々がぎっしりと詰め込まれたみたいに並んでいる。
家々のしっくいは剥がれかけていて、煉瓦は崩れかけていて、木材は腐りかけて丸みを帯びて……、屋根や壁は歪んでうねうねと曲がりくねっている。
通りにはお酒の臭いをぷんぷんとさせながら、私物を抱きかかえて寝転がっている人が居たり……、
はたまた〈ごろつき〉というそのままの名前の人物が、まるで獲物を探すみたいに辺りを見回しながら、通りをうろうろとしていたり……。
なにか特別な用事でもなければ、あまり近寄りたくないような場所だ。
……そのおかげかは知らないけれど、衛兵の何人かとすれ違っても疑われる事なく通り抜けることが出来た。
西南の門と港との間付近にあるというこの一帯は、いわゆるスラムと呼ばれるような、トレイアでも一際に貧しい地区みたい。
ちなみに、ユウくんはこの先――西南の門から出た先にある〈タフラ沃野〉というフィールドで、普段は経験値を稼いでいるんだって。
大通りや中央広場があるような、立派な石造りの建物が立ち並ぶエリアがトレイアの日の当たる部分なのだとすれば、この辺りの一角はまさしく日陰に当たる場所なのだろう。
一部の豊かな市民が、きらびやかな場所に住居を構え、立派な馬車に乗り、召使いを従え、豪奢な服に身を包み暮らしているその裏では……沢山のそうではない人たちがこういった場所へと追いやられ、身を寄せ合って暮らしている。
大通りから離れた場所には、プレイヤーも寄り付かないような薄気味悪い場所がちらほらとあるのだ。
✤
「あの橋の下です」
ユウくんが、歩きながらに目の前の小さな橋を指差すと、びゅう……と、何度目かの強い風が吹いた。
こじんまりとした木製の橋で、橋だと言われなければ橋だとも気付かないような、そんな場所。
橋の両側には木製の欄干が。橋の真下にはこじんまりとした水路が通っていて、水路の左右には古びた家々がずらりと並んで続いている。
水路の上へ張り出すようにしてぎゅうぎゅう詰めに建てられた家々は、様式も窓の位置もめちゃくちゃで、なんだか今にも崩れ落ちてきそう。
聞いていたとおり、水路の左右には人一人が歩けるくらいの歩道が。それに沿っていくつかの小さな木の船が係留されていて、ぎしぎしとロープを軋ませ音を立てている。
「こっちに、下へと降りる階段があります」
橋の隅に当たる場所まで歩いていくと、ランタンを取り出すユウくん。
私も同じようにして〈所持品リスト〉からランタンを取り出して火を灯すと、ユウくんの後を追いかけて、水路の縁にあたる部分へと降りていく。
ユウくんはそれから、小さく屈んで真っ暗になった橋の欄干の下へと潜り込んでいって、その下を照らすようにランタンをかざすと……
「……あれ? ……おかしいな」――ぼそりと、考え込むようにして呟いた。
「どうしたの?」私が聞くと、
「……僕、この板を退かしておいたんです。……ちょうど、人が通れるくらいの隙間を開けて」
そう言って、壁に立て掛けてあるぼろぼろの木の板を指さした。
それから、その板を掴んで、ずずず、と横へずらすと……――なんと板の裏側から、ちょうど人が一人通れるくらいの通路の入り口が現れた。
「…………あ、いえ。多分、衛兵か近所の人が気付いて直したんでしょう。この通り、扉が壊れてしまっているので」
隠されていた通路の入り口には、木の板とは別に、ぼろぼろになった木の扉が添え付けられている、のだけど……。
扉と言っても木の板を重ねて打ち付けただけの適当なもので、いくつかの補修の跡も虚しく、腐りかけて外れかかっている。
鍵は壊れていて、開けようと思えば誰でも開けられてしまう状態だ。
「ここを通り抜けるように、猫の足跡は続いています」と、扉の下にぽかりと空いた隙間を指さす。
……うう……。
どうしよう。思っていたよりも不気味で、あんまり、この中には入りたくない、かも……。
ユウくんが壊れかけの扉に手を添えて押し開くと、ぎぎぎ、と音を上げ、その怪しげな通路がぽっかりと真っ暗なその口を開けた。
ランタンを掲げてみると、通路のその奥には地下へと潜り込むような下り階段が続いているのが見えている。
男の子なら、こういう場所に一人で入っていってしまうのも十分に考えられる、けど……それも飽くまで、昼間だったら、の話だ。
――すると、私の頭の内を見透かしたように、ユウくんが遠慮がちに言った。
「……と、こんな場所なんですけど。……本当に入ってみますか?」
「……の、乗りかかった船、だし……」
私が言うと、くすりと笑うユウくん。
「では……僕が先に降りますね」
それから、うーん、と何かを考えるようにして、
「本当は、辺りを明るく照らす、光の精を呼び寄せる魔法があるんです。……けれど、銀貨が15枚もするので、まだ買えてなくて……。本当に、ごめんなさい」
しゅん、とした様子で呟いた。
惜しい……。その魔法があったらすごく便利そうなのに。
このランタン……懐中電灯のような便利なものに慣れた私達にはちょっと薄暗くて、使い勝手が悪いんだよね……。
とはいえ一応、さっきのパーティとの戦いの際にユウくんが掛けてくれた〈ギフト・オブ・ザ・ワイルド〉の魔法が未だに効いているので、私は少し夜目が利く状態……普段よりも暗い場所が見通しやすくなっている。
✤
煉瓦で組まれた狭い地下への階段へと足を踏み入れると……途端、なにかに深く包まれたように物音の一切が消え去って……聞こえてくるのは、かつ、こつ……という私達の鳴らす靴の音だけになった。
雑居ビルの外側に添えつけられた階段のように、ぐるぐると何度か折れ曲がりながら、大体2階から3階分ほどの高さをひたすらに降りていくと――……
ぱっと、私たちの目の前に空間が開けた。
二人そこへ歩み出ると、ランタンを高く掲げて、きょろきょろとその周囲を眺める。
そこは――なんというか、予想通りの下水道だった。
広さは、ちょうど現代の歩行者用のトンネルや地下道くらい、かな。
その真ん中には大きな水路がぽかんと口を開けていて、左右には私達が歩けるような歩道が。壁面には石製や鉄製のパイプがむき出しになっていて、あまり綺麗とは言えないような水が、道を横切るようにして水路へと流れ込んでいる。
水は干上がりかけていて、底に溜まったヘドロがむき出しになっている。その上には街から流れてきたゴミが散乱していて、その間を縫うようにして僅かばかりの水がちょろちょろと流れている……といった状態。
……ぼーっ…… と、地下道を吹き抜ける風の音が、真っ暗になったその通路の奥から反響しあって、ただただ不気味に響いている。
……うーん……。
ここでログアウトするのは……ちょっと――いや、かなり、嫌かも……。
「こちらへと足跡は続いています」
ユウくんが地面をじいと眺めた後で、右を指差す。
「……ちなみに、猫に名前はあるの?」
「レオ、だそうです」
すう、と息を吸ってから、その名を呼んでみる。
「ヴァルターくーん――……。レオー――…………」
…………ただただ、暗闇へと吸い込まれていく私の呼び声。
それからしばらくの後、ぼんやりとくぐもったような私の声の残響が、地下道の奥から帰ってくる。
耳を澄ませてみたけれど、それ以外の音は何も聞こえてこなくて……。
もう少し足を踏み入れてみるしか無さそうだと判断した私達は、その足跡を追って下水道の奥へと向かうことにした。
✤
しばらく歩いていくと、いくつかの分岐が現れた。
水路と水路が重なっている(つまり十字路になっている)場所には雑に木の板が渡してあって、猫の足跡はその上を渡って奥へと続いていた。
ぎしぎしと軋むその板の上を私とユウくんと横断し、ひたすらに足跡を追いかけ、その先へ先へと進んでいくと……。
しばらくの後、私達は、一際に広いホール状の空間へと辿り着いた。
地下にぽっかりと空いたその大きな空間は、何本かの柱とアーチ状の構造によって支えられていて、その真ん中には大きな水ためのようなプールがどーんとある。
私の学校のプールよりもずっと広いそれは、水かさは大分低く、手を伸ばした所で水面には触れ無さそうなほど。……けれど、水が濁っているせいか、それとも底が深いのか……水底は全く見えない。
辺りはむしむしとして靄がかっていて、暗いせいもあり部屋の奥まで見通すことが出来ず、空間の正確な広さや全体像までは推し量れず。
側道や天井に添えつけられた何本かのパイプや水路から中央のプールへと水が流れ込んでいて、ざざざ……、と水の音が響いている。
それから、その大部屋の壁に沿って、ぐるりと回るようにして歩いていく私達。
大部屋からはいくつかの通路が枝上に伸びていて、その大きさは様々。私達が歩いてきた道は、中でも広い方だったみたい。
……すると、その通路のうちの一つ、壁にぽかりと空いている狭い横道の前ではたりと立ち止まったユウくんが、
「この先、みたいです」
と通路の奥を指差して言う。
私達は頷きあって、その脇道へと折れ……何歩か歩いていくと、通路はすぐに行き止まりになった。
……かと思いきや。
その行き止まりになった通路の奥の床部分がすっぽりと抜けていて、大きな穴が空いていて……その先に道は続いていた。
二人、その穴の縁に立って、覗き込むようにしてその下を眺める。
深さは、ちょうど建物の一階分程。よく見ると壁面には鉄製の階段が添えつけられていて、昇り降りが出来るようになっている。
「ここを飛び降りていったみたいです」
足跡をじっくりと検分するようにしてユウくんが言う。
――ひょい、とそこから飛び降りる私。
ざっと音を立ててその階下へと着地をすると……ちちちっ! と声を上げ、何匹かのネズミが走り回って逃げていった。
通路の奥へとランタンを掲げてみると、ネズミ達が逃げていったその先に、まだまだ道が続いているみたい。
先は深いみたいで、奥は真っ暗。……当然ながら、猫の姿は見えない。
私の後から階段を使ってユウくんが降りてくると……なにやら、じろじろとその床面を何度も眺めたあとで、あれ……? と、不可解そうに呟いた。
「どうしたの?」
「足跡が……消えています。……ええと、この場所でぷつりと、――完全に」




