訪問の日
次の日の夜明け、維心は自分の結界に掛かった数人の神を感じ、目を開いた。この気は、焔…。
維心が、思ったより早く来た焔に、事の大きさを感じて起き上がろうとすると、維月の手と足ががっつりと自分を掴んだのを感じた。驚いて維月を見ると、いつもは日が高くなるまで眠っている維月が、じっと恨めしげな目で維心を見上げて起きていた。
「維月?客が来た、我は起きねば。」
維月は、ぶんぶんと首を振った。
「まだ起きるのは早ようございまする。」
維心は、困って維月の上に移ると、まだがっつり自分に足まで使って絡み付いている維月を見下ろした。
「維月、我は政務があるのだ。今日は鷲の王が何やら話があると申して、書状を遣わせて来ておったのだ。もう、結界に掛かった。行かねばの。」
維月は、目と潤ませた。維心は、何かいけないことを言ってしまったか、と慌ててそのまま上から被さるように維月を抱きしめた。
「何を泣く。同じ宮の中に居るではないか。すぐに帰って参るから…の?」
そうして抱きしめていると、維月にぴったりと体が重なって、まるで愛し合う時のようだ。維心はそれに気付いて、体が熱くなって来るのを感じた。
まだ、我を忘れるわけにはいかぬのに。
維心は思って、急いで放れようとしたが、維月ががっつり維心に抱きついているので、放れられない。そんなことをしている間にも、維心の体は維月に対する条件反射で驚く速さで変化した。
「あら…?」
維月は、何かに気付いて腕を解いて足の方を見た。維心は、思わずガバッと維月の上に体をくっつけて見えないようにした。何も知らないのに、びっくりしてショックで恐怖症にでもなったら大変だと思ったのだ。すると維月は、じっと黙って自分の上で固まっている維心の事を見ていたが、急に火を噴くように真っ赤になったかと思うと、急いで足を解いた。
「あ、あ、あの…申し訳ありませぬ。あの、我は…侍女達が話しておるのを盗み聞いて知っておったのですけれど…実際に目の当たりにするのは、初めてで。」
維心は、苦笑した。実際は毎日見ておったのだぞ、維月。
「…そう、いつまでもこうして戯れておったら、我は主が良いと言わずとも何をするか分からぬぞ?」と、起き上がった。「さあ、我は行く。主はまだゆっくりしておったら良い。本日は炎嘉と焔が来て、我と十六夜と会合の場を持つのだ。時が掛かるやもしれぬから、我の帰りが遅うてもここで先に休んでおって良いからの。」
維月は、それを聞いて寂しそうな顔をした。
「はい…。お帰りが、遅うなるのですね。」
維心は、側の袿を自分に引っ掛けながら、寝椅子の淵に腰掛けたまま維月を振り返った。そして、困ったように微笑むと、維月の肩を抱いた。
「困ったの…急にそのように我にべったりになってしもうて。我は逃げぬぞ?早よう妃になれば良い。そうなればもう、一日中離さぬぞ。」
現に前は自分が維月を追い回していたし。
維心はそう思いながら、維月の額に口付けた。維月は、真面目な顔をして、小さく、しかししっかりとひとつ、頷いた。維心はそれを後目に、奥へと戻って着物を着替えると、謁見の間へと向かって行ったのだった。
謁見の間では、もう炎嘉が来て焔と向かい合って立っていた。十六夜は、まだ来ていない。炎嘉は、入って来た維心を振り返って、顔をしかめた。
「遅いわ。結界に掛かったのは知っておったろうが。何をしておったのよ。」
維心は、炎嘉を軽く睨んだ。
「我とて引き留める者が居るわ。して、十六夜はまだか。」
炎嘉は、膨れっ面になって首を振った。
「まだぞ。まさか主、維月をまた娶ったとか申すのではあるまいの。」
維心は、炎嘉を見てふふんと笑った。
「まだぞ。だが、維月は前向きに努力してくれておるぞ?」
炎嘉が、ふいと横を向く。焔が、戸惑いがちに言った。
「維月が…?また娶るとは、どういう意味ぞ。」
炎嘉は、それを聞いてしまった、という顔をした。焔が居た…これの前では、もう維月の話はせぬと約しておったのに。
「その…術に掛かっての。」炎嘉は、しどろもどろに言った。「いろいろと忘れてしもうて。」
焔は、驚いた顔をして、炎嘉に詰め寄った。
「術?!何の術ぞ、命に別状はないのだろうの?!」
炎嘉が、どこまで言っていいのかと助けを求めて維心を見ると、維心も渋い顔をしている。すると、入って来た声が答えた。
「オレと維月の娘の維織が暴走して、その術に巻き込まれちまったんだよ。それで赤子に戻っちまったんで、ここで維心が育ててるんだ。順調に早く育って、今は成人の姿なんだが、いろいろ真っ白な状態から育ってるから、維心の妃だったことも忘れちまってる。だから維心は、まだ誰とも婚姻してないのさ。そのうち術が解けて、元へ戻るがな。」
維心と炎嘉が、咎めるように十六夜を見た。
「十六夜!そこまで詳しく言わずとも良いではないか!」
十六夜は、歩み寄って来ながら言った。
「何でだよ。隠してたって気になるだけだろうが。で、ここで話すのか?この人数には不必要に広いが。」
維心は、不機嫌に踵を返した。
「応接間へ。兆加と義心もあちらで待たせてある。参れ。」
焔は、今聞いて事実にまだ驚きながらも、頷いて維心に続く。
そうして、四人は謁見の間の側にある、中規模の応接間へと歩いて行った。
応接間へ入ると、維心が言った通り兆加と義心が待っていて、維心を見て立ち上がると膝をついた。維心は、軽く手を振った。
「良い。早よう話がしたい。座れ。」
兆加と義心は、言われるままに後ろの方の椅子へと座った。維心が正面の席へと座り、その横に炎嘉、そしてその前に十六夜、焔と座った。維心が、口を開いた。
「用件を聞いて、早よう対策を練りたい。して、主は何を話しに来た。宮が荒れておったのは知っておったが、なぜに急に出て来れたのだ。」
焔は、頷いた。
「主らが我が宮を調べさせておるのは知っておった。なので、手出しするなと申したのだ。あそこで外から何某かあれば、それを利用して何かを起こし、主らに罪を着せて我の責任を追及し、王座から追い出そうとする可能性があった。」
炎嘉が、頷いた。
「知っておる。だから我らは黙って見ておったのだ。だが、すぐに出て参れるほど改善したのだろうが。何があったのだ。」
焔は、息をついた。
「話せば長くなる。煽の正妃だった、綾のことぞ。話そうぞ。」
そうして、焔は綾が挨拶の場で何を言ったのか、掻い摘んで皆に話した。炎嘉も維心も呆れたような顔をして聞いていたが、次第に険しい顔つきになる。事態が、こちらへ向いて来たからだ。
「…そういうわけで、主らに相談に来た。綾を、宮へ入れて良いと申す王は居るだろうか。」
維心と炎嘉は、顔を見合わせた。そうして、炎嘉が言った。
「聞いたところ、我は絶対に娶りとうない体質の女よな。同じ気が強いと言うて、維月はそんな権力に取り付かれた女ではない。いくら美しゅうても、無理ぞ。」
維心も、首を振った。
「我も維月以外は無理であるから。しかし、その主の筆頭重臣の話しによると、一人身であれば良いようなことを申しておったのだの。ならば最上位の宮では、志心と箔翔がそうよ。炎嘉もそうだが、こやつは無理ぞ。」
「蒼もな。」十六夜が口を挟んだので、皆が驚いて見た。「昨夜、華鈴が逝った。」
途端に、維心が愁傷な顔をした。
「そうか。では蒼は今つらいであろうの。そんなことに巻き込みとうない。」
炎嘉は、遠い目をした。
「我の前世の、最後の娘であった。よう長生きしてくれたもの。蒼に世話をされて、あれも幸福であったろう。我は、満足ぞ。」
焔は、維心と炎嘉を見た。
「だが、志心殿は会合で会ったが穏やかな王。箔翔殿は若い王だった。あれらでは、綾の世話は無理ぞ。宮に力があるが、綾にいいようにされる恐れがある。あれを押さえられる力を持つ王でなければ、娶るのは無理であろう。」
その言葉を聞いて、十六夜も炎嘉も、維心を見た。維心は、それに気付いて慌てて何度も首を振った。
「我は無理ぞ!死んでも維月以外は娶らぬと決めた!前世からそれは変わらぬのだぞ?!今更、そんな女抱え込みとうないわ!」
十六夜が、腕組をして息をついた。
「まあ、維心には無理だわな。お前にそれが出来たら、今頃ごろごろ妃が居ただろうし。そうなると次は、上から二番目、月の宮で言うAランクの宮の王になるが、それでその綾って女は納得するのか。」
焔は、顔をしかめた。
「どうであろうの。鷲の宮を見て育った女であるからな。まだほんの子供の時に、煽が見初めて半ば強引に浚うように宮へ入れたのだと聞いておる。」
炎嘉は、焔を見てどうしようもないものを見た時のように顔をしかめて椅子へそっくり返った。
「何ぞ、煽は幼女趣味でもあったのか?そこそこの歳になっておったら、変な野望も抱かぬだろうに。そんな幼い内から上がっておったから、今そのように。」
焔は、炎嘉に肩をすくめて見せた。
「将来美しくなるのが目に浮かぶような美しい顔立ちであったのだそうだ。煽は、どうしても見逃せなかったのだろう。確かに、見目だけなら美しいのだ。黒髪で、薄い紫の瞳での。我とて本性を知らねば良いかと思うたやもしれぬ。が、知っておるから虫唾が走る。」
十六夜が、珍しく真剣な顔をして考え込んでいたかと思うと、言った。
「じゃあ、茶会だ茶会!神世じゃ、何でも茶会だろうが。選ばせてやるとか言って、その女もこっちへ呼べ。それで、こっちのSランクとAランクの王を揃えて、話をさせたらどうだ。黙ってたら美人なんだろう。引っ掛かる王だって居るさ。」
焔は、眉を寄せた。
「茶会は分かったが、SランクとAランクとは何ぞ?」
炎嘉が、ああ、と説明した。
「月の宮は人世からの帰還者が多いゆえ、そうやって神世の格を分けておるのだ。最上位がS、次がA、次がB。C、Dと続くのだ。主や龍の宮、月の宮はSよな。」
焔は、やっと分かったように頷いた。
「最上位と上から二番目の王と集めて茶会を催すのだな?さすれば、知らぬ誰かが娶ると。」
十六夜は、頷いた。
「そうだ。龍の宮ほど大きかないが、それでもAランクでも大した大きさの宮を持ってらあな。文句は言わねぇだろうよ。」
炎嘉が、口を挟んだ。
「では、龍の宮では催せぬの。この宮を見たら、絶対にここに嫁ぐと言い出すに決まっている。維心が思わず斬ってしもうたらどうするのだ。外交問題になるぞ。」
それには、維心が抗議するように炎嘉を見た。
「あのな、いくら我でも誰彼構わず斬ってしもうたりせぬわ。だが、居座られたら困るゆえ、ここでは無理ぞ。月の宮は?」
十六夜が、首を振った。
「今言ったろうが。蒼が喪に服してるから、一年は無理だ。鷹の宮はどうだ?同族だろうが。」
それには炎嘉が答えた。
「鷹の宮は、箔翔の代になって少し開けて来たものの、まだそんな大人数を収容出来る広さがない。箔炎が引きこもっておったのだからの。すぐには宮は大きくはならぬ。」
維心が、ため息をついた。
「困ったことよ。志心ならば頼まれれば断ることはないだろうが、それだけに不憫よな。兆加、どこか知らぬか。」
じっと維心の後ろに座って聞いていた兆加は、急に話を振られて皆の視線を受け、慌てて頭を下げて答えた。
「は…妥当な場所と申すなら、公青様の西の島の中央の宮が一番かと。あの宮は、上から二番目の中でもかなりの規模を誇っておりまする。本来なら、公青様のお力を見ても、最上位でもおかしくはないほどの宮かと。」
それを聞いた炎嘉と維心、十六夜は顔を見合わせた。西か。
「…良いかもしれぬの。」維心は、考えながら言った。「公青は今、奏とその子に夢中で綾には興味はないであろうが、場ぐらい提供するであろうし。」
炎嘉も、頷いた。
「それが良い。皆もあの宮には行ったことがないゆえ、出席率も上がるであろう。珍しいもの見たさでの。」
焔も、首をかしげながらも、同意した。
「我も広く神世を知らねばならぬし。では、公青殿に、打診してもらえるか。」
それには維心が頷いた。
「書状を送らせる。なに、あれも華やかなことを好むゆえ。受けるであろうよ。案ずるでない。」
焔は、ホッとしたように頷く。十六夜が、身を乗り出した。
「じゃ、一つは解決だ。で、もう一つ忘れてねぇか。」維心と炎嘉が、はて?と首をかしげたので、十六夜は焦ったように皆を見た。「焔の相手じゃねぇか!その綾って女は、その妃を見てからでねぇと、宮を出ねぇんじゃなかったのか。」
忘れていた、と焔もがっくりと肩を落とした。それにしても、なぜにあんなことを言うてしもうたのか。あの女に、一泡吹かせたいだけだったのに。
「…別に、あれが出て行けば何でも良いのだ。実際に娶らずとも良い。とにかく、出て行くまで貸してもらえたらそれで。どこかに居らぬか、若くしっかりとした気質の、綾でも太刀打ち出来ぬ美しさを持つ女神は。」
炎嘉が、言いにくそうに言った。
「その…維心の娘が維心にそっくりで、絶世の美女と言われておったが臣下に嫁いでおっての。それぐらいしか、主が言うような目が覚めるほど美しい女など、居らぬ。」
焔は、維心をじっと見た。
「主にそっくりであるなら、それは美しいであろうな。目に浮かぶようぞ。しかし、いくら飾りとはいえ、そんな所から無理に引き離すのも心が痛いような。」
炎嘉が、言った。
「だがしかし、そこまで美しい女など、他に居らぬのだ。後は我か維心が女に化けて潜り込むとかかの。だが動きは男であるし、納得させられそうにないがの。」
維心が、また兆加を見た。兆加が、息をついた。
「…恐れながら、今神世の上位の宮には王族の女神が居りませぬ。上から二番目の宮であるならたくさん皇女が居られまするが、焔様が言われるような美しい女はなかなかに…。やはり、瑠維様が誰よりお美しいでしょうか。」
十六夜は黙って聞いていたが、じっと考え込んで、そうして、焔を見た。
「…お前、ほんとに借りるだけでいいか?手ぇ出したりしねぇな?」
焔は、鬱陶しそうに手を振った。
「ない。我とて選びたいと、以前申した。否と言うのなら、礼儀と言われておる一夜も通わずでおこうぞ。」
十六夜は、じっと焔を見た。
「心当たりがある。」
維心も炎嘉も、焔も仰天したように十六夜を見た。
「十六夜?!主、女の友でも居ったか。」
炎嘉が言うと、維心も言った。
「維織はならぬぞ。あの危険性があるからの。わかっておろうの?」
十六夜は維心に面倒そうに頷いた。
「分かってらぁ。」と、焔を見た。「維月だ。」
それを聞いた焔も、炎嘉も維心も絶句した。
後ろでは義心も兆加も、言葉が出ずにうつむいていた。




