先見
十六夜は、碧黎と大氣が龍の宮へ来たのを気を感じて知っていた。
それでも、わざわざ維心の部屋へ出向くのも億劫で、自分に宛がわれた部屋で維織が休むのを確認してホッと一息ついていた。
維織は、維月とは違って育って来たとは言っても、僅かなものだった。最初、突然に幼稚園児ぐらいまでの身の丈になった時には、戻るのも早いかと思ったものだったが、維織はまだ、そこから少し育った程度で、せいぜい小学生ぐらいだ。それが、早く早くと心急かせている維月と、戻りたくないと思っているだろう維織の違いを浮き彫りにしていて、十六夜はため息をついていた。
せめて維織に早く思い出してもらって、術を解いてもらわないことには、維月があのままになってしまう。維織はどうあれ維月だけには、一刻も早く元に戻って欲しかった。それなのに、維織が戻らなければ維月が自然に戻る気配が無い今、どうしても維織には思い出してもらう必要があったのだ。
大きな気配が三つ、十六夜の部屋の前に現れたのが分かる。十六夜は、来たか、と思い、表情を引き締めて三人が入って来るのを待った。
「十六夜。」
維心の声が、暗い部屋の中にする。十六夜は、椅子に座ったまま言った。
「ここだ。何かあったか、維心?親父と大氣が来てるだろう。」
維心の気が入って来たのが感じられ、その維心が軽く手を上げた。すると、パッと部屋の灯りが灯る。明るくなると、維心の後ろには碧黎と大氣が並んで立っているのが見えた。
「起きておるのに灯りも付けず。話があるのだ。」
十六夜は、面倒そうに頷いた。
「オレは月なんだから灯りなんか関係ないんだよ。話ってなんだ?その辺に座れよ。」
維心は、頷いて十六夜の斜め前に座った。碧黎と大氣も進み出て、十六夜の前に腰掛けた。
「主には話さねばならぬの。というて、維心が来ておるのは大氣が見た先見の結果を知りたいがためであって、我らの話しに付き合うつもりなどないようぞ。」
維心が、横から頷いた。
「維月のことぞ、十六夜。大氣は、維織を殺しても良いと我に申した。それほどに、元の維月を戻したほうが良いと判断したからなのだ。」
十六夜は、驚いたような顔で椅子の背から身を乗り出した。
「なんだって?!大氣、お前にゃ維織をどうこうする権利なんてもう無ぇ!何を言ってやがる!」
碧黎が、手を上げて押さえるような仕草をした。
「まあまあ、落ち着かぬか。維心が今言うたであろうが、事はそれほど切迫しておるということぞ。先見の結果が良うなかったとは、主は思わぬか。」
十六夜は、激しく首を振った。
「どうでもいい!維織は、オレの娘だ。維月だってそんなことは望まないはずなんだ。」
碧黎は、ため息をついた。
「そうか、やはり聞かぬか。分かってはおったがの。」と、大氣を見た。「主、これらに己が見た先を見せる必要があるようぞ。」
十六夜は、立ち上がって皆に背を向けた。
「そんな話なら聞く必要なんてねぇ!オレは何を見ても、維織を殺すことなんてできねぇ!」
碧黎が、急いで、そして強い声で言った。
「待たぬか!」十六夜は、びくっと固まった。「…分かっておるわ。我とて、ぎりぎりまでは待つつもりでおる。だがの、今のままでは嫌な未来が待っておるぞ。我とて望まぬ。言うたであろうが、我は維月より大切なものなどない。あれを失うぐらいなら、何人でも殺してみせようぞ。」
それを聞いた十六夜と維心が、驚いたように碧黎を見る。十六夜が、碧黎に詰め寄った。
「親父…まさか、このままじゃ維月は…」
碧黎は、十六夜を睨んだ。
「主は何を選択する?己の娘か、それとも妻か。どちらにしても、主は月に独りになることはないがの。ただ、どちらかを失う確立は高い。両方を残すのなら、未来を知って対策を練っておった方が良い。いくらか可能性は上がるであろうからの。」
十六夜は、呆然と立ち尽くした。維織か、維月か…。そんなもの、どっちも選べるわけが無い。だが、維月は維織を助けようとああなった。自分は、維月だけは失くすことは耐えられない…。だが維月を取ると、言ってしまう度胸もない…。
黙ってしまった十六夜に変わって、維心が言った。
「早よう!早よう先を我に見せよ!対策を練らねばならぬ、維月を、我は決して失くすわけには行かぬのだ!」
大氣と碧黎は、視線を交わした。碧黎が頷くと、大氣はふっと息をついて、手を上げた。
「座れ。主らの頭に映像を流そうぞ。それを見て、よう考えるが良い。そう遠くない未来のことぞ。」
維心は、まだ呆然としている十六夜を気で押して後ろの椅子へと押し込むと、自分も椅子の背もたれにもたれ掛かって目を閉じた。維月を失う未来とはなんだ。早ようそれを知って、どうあっても回避する策を練らねば…!
閉じた目の裏に、維心は高い山々が連なる鷲の領地を見た。飛んでいるような画像から、すーっとその山に張り付くように大きく建てられた宮へと下りて行く…焔の、様子を見るのか。
維心が思って見ていると、その映像は宮の謁見の間らしき場所で座って、険しい顔をしている焔の姿を見せた。
「…なぜに我がそのようなことを。」焔が、重臣筆頭の河に向かって言った。「あんな女、正妃でなくとも妃の列にも加えとうないわ!」
しかし河は、必死の様子で言った。
「しかし王、此度のことを抑えるにはそれしかありませぬ。反対勢力を黙らせた上、王が王座に滞りなくお座りになるためにも、どうか綾様をお迎えに。幸い、綾様はまだ400歳にもなられておられず、大変に妖艶でお美しいかた。妃のお一人においておいても、構わぬのではありませぬか。」
それでも焔は、激しく首を振った。
「要らぬ!美しい女など見慣れておるわ!あんな年増を娶らずとも、我は女に困っておらぬ!」
河は、必死に縋った。
「ですが…ですがこのままでは、燐様を王座にと申す勢力が、軍神達まで抱きこんで何を言い出すか分かりませぬ!それでなくとも王が神世へ向けて宮を開いた事に、反対している者達が居るのでございます!今、外の宮と何かがあれば、それを理由に大変なことに…!」
焔は、勢い良く立ち上がって出て行こうと河に背を向けた。
「うるさい!あんな女、来たら斬って捨ててやるわ!」
「お待ちを!」河は、焔の袖に掴みかからん勢いで追いすがって、焔の行くてを遮った。「では!ではどうか、龍の宮か月の宮、もしくは鷹の宮か白虎の宮から、どうか妃を!そこの王に近しい、皇女か縁戚のかたを妃に迎えてくださいませ!さすれば何かあれば、そちらの宮から縁戚の姫を救うためとこちらへ介入することが出来まする!」
焔は、ぐっと詰まった。確かに、今のままでは誰もこちらの内政にまで介入しては来れない。だが、縁戚が嫁いでいるのなら別。その待遇を良くするために、相手が口を出すことも許されるのだ。
河は、焔を見上げて必死の形相でいる。焔は、横を向いて言った。
「…考える。あれらに問い合わせるゆえ、時を。」
河は、ホッとしたように、深々と頭を下げた。
「ははー!どうか、早急に!」
焔は、部屋へとその場を逃れるように向かってそこを出て行ったのだった。
場面が変わる。
次に見えたのは、龍の宮だった。兆加が、膝をついて維心の前で困ったような顔をしており、その横には蒼が立っている。維心は謁見の間の玉座に座って険しい顔をしていて、十六夜が維心の横に立っていた。維心は、手にした巻物を閉じて言った。
「…瑠維しか居らぬの。」
しかし、蒼が言った。
「ですが維心様、瑠維は既に明輪に嫁いでおります。そのようなことは出来ませぬでしょう。」
しかし、兆加が首を振った。
「いいえ、蒼様。昔から、このようなことは多々あり申した。何かの折には、政略のため皇女を娶った者は王の求めに応じて宮へ妻を返さねばならぬのです。つまりは、此度のような事態の場合でございまするな。」
蒼は、驚いたような顔をして維心を見上げた。維心は、息をついた。
「…しようがないのだ。志心にも箔翔にも子はないし、姉妹も居らぬ。主の娘はもう嫁げぬ歳であるし、十六夜と維月の子である維織は術に掛かってあの調子。そうなると、瑠維しか嫁げる皇女が残らぬのだ。焔がこのようなことを言うて参るということは、それだけ事が切迫しておるということであろう。瑠維を、あちらへやるよりない。そうして、事が収まったらこちらへ返してもらう事も出来るゆえ。どうせ焔は、妃など欲しいと思うてはおらぬのだから。」
十六夜が、暗い顔になった。
「だが維心…やっと落ち着いたばかりじゃねぇか。息子を生んで、まだ幼いだろう?そんな瑠維を、明輪と子供から引き離して焔の宮へやるなんて…帰れるったって、いつになるのかわからねぇのに。」
維心は、寂しげに十六夜を見た。
「維月が居ったら同じことを言うたであろうの。我とて不憫だと思うが、それでも皇女と生まれたからには、責務がついて参るのだ。此度はまだ、帰れる望みがあるのだから良い方よ。瑠維が嫁いでからも、宮から瑠維あてに支出されておるのだぞ?つまりは、皇女であるから主らの言う手当てというものが出ておるのよ。それに見合うだけの、働きはせねばならぬのだ。」
十六夜と蒼は、顔を見合わせた。だが、せっかく幸せに嫁いでいるのに、それを無理に引き離してまで政略結婚させるなんて…。
「…どうせ返してくれるなら、焔だって手を付けるつもりもないんだろう。だったら、維織じゃ駄目か。まだ幼いが、政略結婚なんてそんなもの。月の娘なんだ。誰も文句は言えないんじゃないか。」
維心も兆加も、仰天したように十六夜を見た。
「それは…主、良いのか。維織であるぞ?確かに孫のような歳の娘を娶るなど、政略ではようあること。そんな時には王も、育つまではと手を付けぬ。だが、父親が娘の嫁ぎ先へ付いて行くわけには行かぬのだぞ。」
十六夜は、頷いた。
「分かってる。だが、維織は自業自得であんなことになってるが、瑠維は何も悪いことをしちゃいねぇのに。王の妃だったら、幼くても待遇はいいんだし、おまけに普通の神に襲われてもあいつは死なない。親父や、お前の命を断ち切る力でないと、維織は殺せないんだ。だから、もしも何かの陰謀があいつを襲ったとしても、命を落とすことはねぇ。瑠維を、あっちへやるこたねぇよ。」
蒼は、少し考えるような表情で黙っている。兆加が、戸惑いがちに維心を見上げた。
「王、いかが致しましょう…我も、瑠維様のことは不憫であられると思うておったので、十六夜様のお申し出は大変にありがたいことかと。」
維心も、少し肩の力を抜いた。維月の記憶が戻った時に、瑠維を戻してあちらへ政略でやったなどと言ったら、どれほどになじられるかと危惧していたので、確かに十六夜がそう申し出てくれて、ホッとしたのだ。
なので、維心は頷いた。
「では、維織を…」
「我が!」急に脇から飛び出して来た叫び声に、維心も兆加も、蒼も十六夜も仰天して振り返った。「我が参ります!焔様の、鷲の宮へ!」
「ええ?!」
蒼が叫ぶ。十六夜が割り込んだ。
「維月!何を言ってる、お前は、なんのために龍の宮に居ると思ってるんでぇ!」
維月は、ぶんぶんと首を振った。
「酷いわ!維織はまだ、あんなにも小さいのに。十六夜、あなたがそんなことを言うなんて思わなかったわ!維心様も、瑠維様のお立場は我にも分かっておりまするけれど、そんなことを許されるなんて理解出来ませぬ!ならば、まだどこへも決まっておらぬ我が、焔様の所へ参ります!」
維心が、慌てて首を振った。
「ならぬ!主はならぬのだ、今は訳は話せぬが、どうあっても主だけはあちらへやるわけには行かぬ!」
維月は、それでも退かなかった。
「焔様は形式だけの妃を欲しがっておいでなのでしょう?!ならば我が!我も不死でございまする。どんな陰謀があろうとも、死ぬことはありませぬから!」と、兆加を見た。「我が行くと、焔様にご連絡を。」
兆加は、他ならぬ維月からの言葉であるし、しかし維心のことが気になって返事が出来ずにおろおろとした。しかし、維月はそんなとこには構わず、そこをさっと出て行った。呆然としていた維心だったが、ハッと我に返って慌てて維月の後を追いかけた。
「維月!ならぬと言うに、維月!」
そうして、蒼と十六夜、維心は必死に維月を説得してその日は暮れて行ったのだった。




