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覚悟

維月が、苦しんでいる。

維心は、すやすやと自分の腕の中で眠りについた、維月の顔を見つめて考え込んでいた。その頬には、まだ涙の後が残っている。維心は、それを綺麗に拭ってやると、そっと維月を抱いて、居間の大きな寝椅子へと横になった。奥の間へと連れて入るわけにも行かない。なので、ここで一緒に休もうと思ったのだ。

覚えていないとは言っても、それでも維月の心の中には何かが残っているのかもしれない。そうして、自分への愛情も、どことなくあるのではないか。それで、炎嘉と共に居ると罪悪感を感じるのではないのか…。

辛いのは、自分だけではないのだ。

維心は、改めてそう思った。そうすると、ふっと維織の顔が頭に浮かぶ。維月の術を今すぐに解くには、維織を滅してしまうしかない。だが、記憶を戻した維月が、維織が死んだと聞いてどれほどに悲しむかと思うと、維心にはそれは出来なかった。だが、このままでは維月も苦しいまま、炎嘉のことを想うわけでもなく、それで居てはっきりしないまま皆が苦しむことになってしまう。

維心が思い悩んでいると、何の前触れもなく、不意に目の前に青い髪と空色の髪の人型が、パッと現れた。維心は、最早驚くことも忘れて、その二人の姿を維月の横に横になったまま見た。

「…何ぞ、夜分に。主らは礼儀を覚えたのではなかったか、碧黎、大氣。」

すると、碧黎が肩をすくめた。

「ああ、忘れておった。最近は月の宮へも行かず、大氣と地の宮で過ごしておるからの。あそこは我が法で誰も口答えなどせぬし。だが、主は今我が必要かと思うて。」と、維心の横で眠る維月の顔を覗き込んだ。「おお、慕わしい姿に戻っておるの。だが、いろいろとややこしいことになっておるようぞ。」

維心は、そっと維月から腕を放すと、起き上がって別の椅子へと座った。

「仕方があるまいよ。維月にしたら一から育っておるのだから。新しい気持ちで、それに変化が起こってもおかしくはない。我はそれを悟って諦めておったが、しかし辛いのは我だけではないようぞ。維月は…己の心が分からずに苦悩しておるのだ。我は、そんなものを見たくはないかった。」

碧黎は、頷いた。

「そうであろうの。我とてそうよ。維月には、いつも笑っておって欲しいのだ。なので我が守っておったのであるから。しかし…」と、大氣を見た。「維織は、まだそれほど育っておるのではないようぞ。あれは恐らく、大氣のことを思い出したくはないのだろう。未だ子供の姿。大氣は、今は特に維織に執着は無いようぞ。」

維心は、ちらと大氣の方を見た。大氣は、頷いた。

「我らは不死。限りある命を見送ることに慣れておるから、維織が戻らずでも我はそう悲しむこともないの。今でも、維織が死んだような心持ちでおるから。なので主、お互いに苦しむのが否と申すなら、維織の命を絶つが良いぞ。我は構わぬから。」

維心は、呆れたように大氣を見て首を振った。

「あのな、前にも話したであろうが。維月の娘であるのだぞ?戻った維月がどれほど悲しむかと思うと、そのようなこと我には出来ぬ。それに、十六夜もそれを阻止するだろうしな。主、本当にもう維織のことは良いのか?やっとのことで娶ったのではなかったか。」

大氣は、息をついて首を振った。

「我らは所詮、不死であるし、限りある命としか接して来なんだゆえ、維織とのことももう、終わったものとして我の中で処理しておるのだろうの。いくら悲しんでも追いすがっても、命と申すものは黄泉へ参る。そうして、再びこちらへ出て参る時には、全て忘れてしもうておる。なので、我らは忘れることに長けておるのだ。いちいち未練など持っておられぬのだ…主らに、その感覚が分かるかの。」

維心は、眉を寄せた。確かに、自分も前世で1700年も生きた経験から、先に死なれることに慣れねばならなかった。なので、少し大氣の言うことも分かった。大氣や碧黎のように無限の命を生きていたら、そうなっても誰も責められないだろう。

だが、自分はそれでもまだ、命というものを諦めることは出来なかった。生きている間は、精一杯その命を見る。限りある命であるからこそ、その一瞬は無駄ではないと思うことが、出来るようになったのだ。

維心は、答えた。

「我とて前世誰より長生きであったゆえ、主の気持ちも少しは分かるつもりぞ。だが、我はまだ諦めてはおらぬ。慕わしい命であるなら、例え一瞬であろうと精一杯愛しておきたいのだ。いずれ消え去るのだとしても、生きておる己の記憶の中には残る。それは、己を豊かにするであろう。我は、そのように思うぞ。主らのように悟ってしまうには、我はまだ若いのであろうの。」

大氣は、考え込むように黙った。碧黎が、横から言った。

「大氣を責めるでないぞ、維心。我らは主には考えられぬほど長い時を生きておるのだ。その間にあった何某かは、我らをこのようにした。我らは他と接することなどなかったし、己の中で消化するよりなかったのだ。考え方が主らと違うのは当然であろう。己しか対話する者が無いのだからの。」と、息をついた。「して?炎嘉に嫁がせるか。さすれば維月はそこに定着し、己の立ち位置をそこに作るであろう。今維月がつらいのは、己がどこへ行けばいいのか分からぬゆえ、不安定であるからぞ。何か心の固定する位置さえあれば、これの苦しみは終わる。後は、主の問題ぞ。維月が戻るまで、主は父親に徹することが出来るか。」

維心は、眠る維月を見た。維月は、自分の妃であった維月と、同じ姿ですやすやと眠っている。維心はしばらく維月を見つめて黙っていたが、小刻みに唇を震わせた。維月を楽にするためならば、己のことなど考えていてはならぬ。だが、どうしても、一時でも他へやる気持ちにならぬ。たとえ他の男を想っていても、自分の手の中に置いてその姿を見ていたい…。

「…無理ぞ。炎嘉ならと、我は思うた。しかし実際にそうなると思うと、どうしても手放せぬ。エゴイストとののしられようと、我は維月を手放せぬのだ。」

碧黎は、維心の様子を見ていたが、頷いた。

「であろうの。分かっておる。それでも、ここで炎嘉が維月に会うことを許したのであろうが。それだけでも、主は維月のためと思うておるのは我にも分かる。」と、維月の頭を撫でた。「炎嘉が、失う時の苦しみを危惧して維月をここに置く決断をしたことも、我は見ておって知っておる。維心、ならば維織の記憶を一刻も早よう戻すことを考えよ。殺すことが出来ぬのならば、主に出来ることはそれしかない。このままでは、維月もどっちつかずで苦しむことになろう。我にはそれは、本意ではない。ならば後は、維織を戻して維月の術を解かせるのだ。術に掛けられた維月より、掛けた維織の方が解けやすいはず。十六夜と相談して、どうにかしてあやつの記憶を戻せ。そうせねば…恐らく、(きた)る未来は、主らが望まぬものになる。」

碧黎の斜め後ろで、大氣が視線を落とした。維心は不安になった…大氣には、先見の才がある。常は見ていないと言っていたが、もしかして此度は見たのではないか。そして、このまま過ぎた先を見て、こうしてわざわざ訪ねて来て、維織を殺すが良いと言ったのでは…。

「もしや…見たのか。この先を。」

維心が言うのに、碧黎は困ったように大氣を振り返った。大氣は、落としていた視線を上げて、維心を見た。

「見た。それと思うて見たのではない。ただ、地の宮でうとうととまどろんでおった時に、期せずして見てしもうた。碧黎にそれを話し、ここへ来た方が良いと申したので、こうして参った。元よりこれは、維織の術が生み出した未来。主らには、それを戻せる力があるはずぞ。戻せば良い…我は全て元に戻ることを望んでおる。」

維心は、表情を曇らせた。碧黎と共にわざわざ来るほどのことなのだ…考えたくはないが、望ましくない、碧黎や大氣ですら避けた方がいいと思わせるような未来なのだろう。

維心は、碧黎を見た。

「碧黎、起こってしもうたことは、元へ戻すことは出来ぬか。主は、龍の宮が無くなった変わった未来を過去へと遡って変えることが出来た。では、此度のことも、何もかも無かったことには出来ぬのか。維織が、術を使う前の時間に行って、それを止めることは…。」

碧黎は、維心を見て気の毒そうな顔をした。

「維心…あれは、変わってしもうたゆえに戻しただけのこと。此度のことは、恐らくは無理ぞ。歴史というものは、修正機能があるようでな。行くべき方向に、何があっても向かう。あの、維織が術を使う時間に合わせて参っても、またその後に維織は術を使うであろう。全てを無かったことにすることは出来ぬ。我ですら、己の良いように歴史を導いて参ろうとして、うまく行かぬことが多かったのに。かなりの力と考えがなければ、歴史の行こうとしておる方向を変えることは難しいのだ。主は、これからのことを考えよ。未来の時間の中で、どうにかして己の望む未来を掴むのだ。そうでなければ、此度は確かに…かなり面倒なことになろう。実は我は、維織は今すぐにでも滅してしまいたいのだ。後のことを考えて、それをせぬだけで。」

維心は、碧黎を凝視した。冗談を言っているようではない。つまりは、本気なのだ。

「それほどに、まずい未来であるのか。」

碧黎は、真剣な顔で頷いた。

「我は望まぬ。そうなる前に、我は維織を殺すであろう。だが、まだ時はあるゆえ、ぎりぎりまで待とうと思うてこうして主に警告に参った。ちょうど、主も維月のことで悩んでおるようであったしの。」と、大氣を見た。「さて、我らは十六夜にも警告に参る。主らにも、それなりの覚悟を持ってもらわねばならぬからの。ではな。」

維心は、消えようとする碧黎を慌てて呼び止めた。

「待たぬか!その見えた未来、十六夜には見せるのか。」

碧黎は、維心を振り返って答えた。

「十六夜の納得次第で分からぬな。どうしても土壇場になっても維織だけはと縋ったり止めたりせぬように、あれを説得せねばなるまい。言うただけで否なら、大氣の見た未来を見せることも考えておる。」

維心は、更に言った。

「ならば、我も参る!あれの部屋は今、我の宮の中にあるのだ、共に行って支障はあるまいが。我とて、覚悟を持っておきたいのだ!」

碧黎は、大氣を見た。大氣は、頷いた。

「ならば、共に。だが我は、あまり気が進まぬがの。見ぬほうが良いかと思うが。」

維心は、首を振って立ち上がった。

「参る。」

そうして、まだ自分の居間の寝椅子で眠る維月に慕わしげな視線を向けると、そっと掛け布団を掛けてやり、維心は碧黎と大氣と共に、十六夜の部屋へと向けて歩き出したのだった。

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