違う方向へ
そんなことを話し合ったものの、どうしようもなく十六夜と維心は、不安なまま毎日を過ごすよりなかった。
相変らず維月は、教えられた通りに奥宮に篭って、侍女達と楽しげに過ごしている。その姿は、子供でありながら王族のようだった。そう、龍の王族として扱われているので、維月は自然、回りが求めるままに維心の妹のように育っているのだ。
仕草まで、おっとりとし始めて維心は苦しかった。維月は、はきはきと小気味良く、動きに切れがあってそれなのに美しく、それすら愛していたのだ。
ここで育てると言ったことを、維心は後悔していた。月の宮で育っていれば、恐らく術が解けなくてもこんなことは無かっただろう。前の維月とよく似た感じに育っていたはずなのだ。これでは、まるで別の女神。前世今生と共に来た維月とは別人なのだ。
そう思うと、維心は共に居ることすら辛かった。なので、自分がそうして来たにも関わらず、維月を居間に置くことを後悔した。政務が終わっても、居間へ帰る気になれない。そこだけが、いつも自分の憩いの場であったのに、それすら維心には無くなってしまったのだ。
それでも、いつまでもあちらこちらと宮の中をうろうろ落ち着かずに居ることも出来ず、維心は重い足を引きずりながら、自分の居間へと戻った。
すると、いつものように、幼い維月がすぐに出て来て維心に頭を下げた。
「おかえりなさいませ。」
維心は、ぎこちなく頷いた。
「今、帰った。」
と、椅子へと進む。すると、維月も維心について、いつものように維心の隣りへ座ろうと歩いて来た。だが、維心は手を上げてそれを制した。
「ああ、良い。主はまだ、我の妃ではないのだから。主は主の良いように過ごせば良い。そのように、常ここで我を待って篭っておることはない。」
維月は、驚いたような顔をした。
「え、でも侍女達が…我は妃らしくせねばならぬと申すのですわ。」
維心は、首を振った。
「そのように幼いうちから宮へ篭っておったら、健やかに成長せぬぞ。我は主の父から主を滞りなく育てることを任されておるのだからの。妃とかはそれからぞ。」
維月は、目を丸くしたまま、じっと維心を見た。
「…良いのですか?」
維心は、目を合わさずに頷いた。
「良い。自由にしておって良い。十六夜が出掛ける時、共に連れて参ってもろうても良いのだぞ?我は忙しいゆえ、なかなかにそのようなことが出来ぬからの。」
維月は、それを聞いて目を丸くしたまま、しばらく口元を袖で隠して黙っていたが、頭を下げた。
「では、そのように。御前失礼致しまするわ。」
維心は、維月の表情が良く見えないので少し不安になったが、頷いた。
「ではの。」
維月は、居間を出て行った。いつもなら維月が自分から離れるようなことは言わなかった維心が、その背を見送ってホッとしていることに、維心は自分というものを信じられなくなって来ていた。
それから、維月は維心に回りをうろうろすることがなくなった。
今まで同じ部屋で休んでいたのだが、維月は自分の部屋で寝るようになり、維心はそれには少し寂しいと思ってはいたが、それでもどこか安堵していた。あまり側に居ると、前の維月とは違う所ばかりが目に付いて、きっと維月を厭わしくなるのではないかと案じていたからだった。
十六夜とも、まずは宮の、本宮の方や外宮、内宮などを案内されて回っているようだった。一日が終わると、維心の部屋へ来て本日はこういった所へ行って参った、などと報告をし、そうして部屋へ下がるといった風に、まるで父親に対するような、そんな感じの接し方でいた。維心はそれに対しては、育ってからのことが案じられたものの、自分の気持ちももやもやとしていたので、あまり深く考えずにいた。
そんな毎日の中で、また神の会合の日がやって来た。
順番に回っているのだが、今回はまた、龍の宮だった。
焔が神世に戻って来た時の会合は、急遽別の宮から龍の宮が大きいからと変更されたのだが、今度の会合は普通に順番が回って来たからで、焔が戻った会合からはもう一年経過していた。
維月は、緩やかに育っていて、この一年で人で言う高校生に近いぐらいまでは成長しているようだった。つまりは、14、5歳ぐらいで、維織は10歳ぐらいの大きさだった。二人で庭で居ると、本当に姉妹のようだった。
十六夜は、最近ではよく維月と出掛けたり出来ていたので、満足していた。このまま戻らなくても、成人したら月がどういうものか教えて、自分とは対の命であることも告げ、信頼関係を一から構築して行くという覚悟も出来て来ていた。相変らず他の女神達のように淑やかな動きではあったが、それでもその維月も、よく見てみたらいいかもしれない、と本来あまり深くこだわらない十六夜なので、受け入れて来ていたのだ。
保守的な維心とは、そこは少し違っていた。
今日は宮が騒がしい。
維月は、奥宮でホッと息をついた。会合だと聞いているし、きっと宮は他の宮の王達でいっぱいなのだろう。
今日は維織を探して十六夜の部屋へ行くことも出来ないかな、と、維月は庭を見た。庭には、誰もいない。元より、ここは奥宮なので、その横まで入って来るような神は居ないのだ。
回りを見ると、いつもは側に一人は居る侍女達も、今日は忙しいのか一人も居なかった。維月は、さっと立ち上がると、辺りを伺った…誰も居ない。
維月は、そっと庭へと足を踏み出して、一目散に奥へと駆け出していた。
奥の池の近くまで来て、誰にも見咎められなかったのを振り返って確認すると、維月は肩の力を抜いた。疲れる…息が詰まるわ。
実は、維月は奥に居るととても無理をしていた。
本当は着飾ったりするのにも興味はないのだが、侍女達が龍王様の妃になるかたが、それではならぬと毎日とっかえひっかえ着物を変えるので、仕方なく言うがままにしていた。
維心のことは好きだったが、とても厳しい神で礼儀にはうるさいと、侍女達から散々に聞かされていたので必死に言われるままに振舞って来た。でも、維月はずっと面倒だった…自分には、向いていないように思うのだ。
その点、十六夜と居ると寛げた。なぜかフランクな感じの十六夜には癒された。月なのだと聞いているし、その娘だという維織もよく維月に懐いていたので、楽しかった。
本当は、こんな着物など脱いで甲冑でも着て飛び回ってみたかった。軍神達が立ち合っているのを見て、気持ちが湧き立った。きっと、あんな風に動き回る方が、自分には向いているのだろう。
維月は、ふーっと息をつくと、草履を脱いで足先を池につけた。侍女達が居たら、絶対に止められてしまうことだ。だが、維月は時々、こうやって一人で来てはこうしてここで、羽目を外していたのだ。
「あ~きゅうくつ~!」
維月は、後ろに手を付いて座ると、空を見上げて叫んだ。
すると、明るい笑い声が響いた。
「おお、窮屈か!主らしいことよ!」
維月は、びっくりして飛び上がると、急いで足を振って水を避けて草履に足を通し、回りを見た。すると、そこには金髪のような茶髪に、赤い茶色の瞳の、それは華やかな神が、笑いながら立っていた。
「ど、どなた…?」
維月は、慌てて袖で顔を隠しながら言った。侍女達に、他の神に顔を見られてはと散々言われていたからだ。だが、その神は驚いたような顔をしながら側に寄って来たかと思うと、維月の手を取った。
「維月?何を言うておる、我相手に隠すことなど…」と、維月の顔を覗き込んで、目を見開いた。「なんと?!なぜにそのように可愛らしい姿になっておる?!」
維月は訳がわからず、その神を目だけで見上げた。
「あの…これでも大きくなったのですわ。赤子から、父が維心様に我をお預けになっていらして…こちらで、育てられましたの。」
相手は、呆然としている。維月は、不思議に思いながらも、続けた。
「それで、あなた様は?我を、ご存知でありまするの?」
相手は、ハッとしたように維月を見ると、慌てて何度も頷いた。
「知っておる。主は我の妃であったのだぞ?というて…わからぬか。炎嘉と申す。覚えはないか?」
維月は、困ったように首をかしげた。
「炎嘉様…申し訳ありませぬ。ずっと奥に篭って育っておりまして、宮の外の殿方は、存知ませんの。人違いでは?」
炎嘉は、首を振った。
「この珍しい慕わしい気を間違うはずなどないわ。それに、主は維月であろう?」
維月は、困ったまま頷いた。
「はい…確かにそうではありまするけれど。」
炎嘉は、そのまましばらくじっと維月を見ていたが、パッと表情を明るく変えた。
「ま、良い。訳は後で維心にでも聞くゆえ。それより、このような所で一人など…窮屈と申しておったの?では、我と宮の外でも見に参るか。」
維月は、首をかしげた。
「でも…維心様に叱られてしまうやもしれませぬ。宮の中に篭っていては良くないとはおっしゃっておったけれど、でも何も言わずに出掛けても大丈夫かしら…。」
炎嘉は、笑って維月を抱き上げた。
「良い良い、我が維心に申すわ。」と、浮き上がった。「さ、どこへ参る?維心の領地の端には海があるが、主は海が好きだったの。参るか?」
維月は、どうして海を見るのが好きなのを知っているのだろうと思ったが、嫌な気は感じない。なので、恐る恐る頷いた。
「はい…。」
炎嘉は、空高く舞い上がった。
「よし、参ろう!なに、十六夜にでも月に向かって話しておくから大事ないわ。」
そうして、炎嘉は維月を抱いて、維心の領地の端の海を目指して飛んで行ったのだった。




