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父ではない

十六夜も維織を連れて龍の宮へと入り、宮は途端に騒がしくなった。

維心の子達も育って落ち着いていた宮に、また赤子が二人も増えたのだ。しかも、片方は維心の正妃である、維月なのだ。

そのうちに突然に夢から醒めるように元へと戻るのだと聞いては居るが、それがいつなのかは誰にも分からなかった。

なので、とにかくは目の前に居る赤ん坊を何とかしなければならないと、維月の侍女達も必死に小さな着物を維月に着せて、世話をしていた。

維心は、自分の部屋の隣りにある元々の維月の部屋を、そのまま赤子の維月の部屋としていた。なので泣けばすぐに分かったし、夜は赤子の維月を寝台の奥に寝かせて、自分は手前に寝て落ちないように気遣いながら寝ていたので何かあるということは絶対になかった。維月は、そうして過ごす間にすっかり維心に懐いて、姿が見えないとよく泣いた。維心は、謁見でも会合でも、維月を腕に行なっていた。

父も、こんな風だったのだろうか…。

維心は、なぜか気持ちが穏やかになっていた。父が自分にしてくれたことと、同じことを維月にしている。それが、なぜか維心の心を癒した。

十六夜も、毎日維月の様子を見に来るので、維月は十六夜の顔も覚えているようだった。とは言っても、まだ本当に赤子なので、どこまで分かっているのか、まだ言葉も発しない今は全く分からなかった。

「早よう言葉を話せるようになれば良いのにの。」維心は、維月に気を与えながら、ただ自分を見るばかりで何も答えない維月に独り言のように言った。「よう話しておった主が、時に恋しゅうなる…。」

維月は、じっと維心を見ながらひたすらに気を飲んでいた。維心は、そんな維月の頭を撫でながら、どんな姿でも何と愛おしいものか、と悶えるほど思っていた。


ある夜、維月がなぜか愚図って泣くので、維心は寝台の上に胡坐を組んで座り、維月を抱いてうつらうつらとしていた。子育ては大変だと聞いていたし、確かに眠れないのは大変なのだが、それでも維心は少しも面倒だとは思わなかった。維月が、自分に構って欲しくて泣いているのだ。維月が己から自分を求めていると思うと、嬉しいという感情こそ湧いて来ても、その他の煩わしい感情など全く浮かばなかった。

「愛いヤツよ…。」

維心は言って、そっと布団の上にやっと眠った維月を下ろすと、自分も横へ並んだ。

そうして、昼間の子育て疲れも手伝って、スーッと眠りに落ちて行ったのだった。


次の日の朝、維心は目を覚ました。もう日が高いようだ…疲れていたのか。

いつもなら、これほどに日が高くなれば、さすがの維月も目が覚めて泣いて維心を起こすのだが、今朝はそれが無かった。維心は、自分の左側を探って、ガバッと起き上がった。

…維月が居ない。

侍女が、連れて行ったのだろうか。しかし、自分の許可もなくそんなことをするはずはない。維月は、まだ這うことも出来なかったのだ。まさか、気を使えるようになって、飛んでしまったのだろうか。

維心は、慌てて袿を間に合わせに引っ掛けると、維月を探して居間へと飛び出した。自分の結界の中で、維月がどこに居るのか分からなくなるようなことはない…。維心は、自分を落ち着かせながら、回りを見回した。

「いしんちゃま。」

維心は、びっくりして声の方を見た。すると、そこには人で言うと3、4歳ぐらいの大きさの女児が、身の丈にあわない小さな着物を着て立っていた。

この、まだ幼いが覚えのある気…。

「い、維月?」

女児は、こっくりと頷いて微笑んだ。

「いづき、おはなしできる。いしんちゃま、うれしい?」

維心は、胸がいっぱいになった。維月は、成長した。まだこんなに小さいが、なんと愛らしい。

維心は、思わず維月に駆け寄って抱き上げた。

「おお、何と愛らしいことよ。維月、しかし着物が小さいの。すぐに仕立てさせねば。」

維月は、頷いた。

「おきたら、きものがちいさかったの。」

維心は、維月を見つめた。

「しかし、なぜに急に大きゅうなったのかの。驚いた。」

維月は、真面目な顔で言った。

「いしんちゃまが、おはなししたいっていったから。いづきは、おっきくならなきゃっておもったの。そしたら、とってもくるしかったけど、おきたらおおきくなってたの。」

維心は、それを聞いて胸が詰まった。維月は、自分のために大きくなろうと思ってくれたのだ。陰の月である維月は、身を大きくすることも可能だろう。だが、それと共に心も成長させねばならなかった。昨晩、あれほどに愚図ったのも、その苦しさのせいだったのだ。

「維月…。」

維心が、そのふっくらした頬にほお擦りすると、維月はくすぐったそうに笑った。

「いしんちゃま。だいすき。」

維心は嬉しくて、涙を浮かべながら頷いた。

「我もよ。維月、もっと大きゅうなったら、我の妃になるのだぞ。」

維月は、不思議そうに維心を見つめた。

「ひ?ひってなあに?」

維心は、まだ早かったかと困ったように維月を見た。

「そうよな…ずっと共に居て、子をなして、幸福に過ごすのだ。分かるかの。」

維月は、小さな首をかしげた。

「よくわからない…。まだ、いっぱいおぼえないと。あのね、ゆめのなかで、だれかがおしえてくれるの。だから、まいにちいっぱいねて、おべんきょうするね。」

維心は、維月を抱いたまま椅子へと腰掛けた。

「夢の中で?」

維月は、頷いた。

「うん。きのうもおしえてくれたよ。くろいかみの、おんなのひと。」と、居間の壁に掛かっている写真を見て、指差した。「あのひと。」

維心は、それを見て驚いた。それは、前世の維心と維月の、結婚式の時の写真なのだ。維月の小さな指が指しているのは、穏やかに微笑む、維月自身だったのだ。維心は、維月が自分は出て来れない状態なので、きっとこの小さな維月に思い出すように促しているのだろうと悟った。

「おお維月…」維心は、小さな維月を抱きしめた。「愛している。早よう思い出せ。我は主が恋しゅうてならぬ。」

維月は、訳がわからないようだったが、それでも維心の首に抱きついて、維心の頭を撫でた。その手の小ささに、維心は胸が締め付けられるようだったが、しかし他ならぬ維月が自分をこうして抱きしめているのだ。

気持ちを奮い起こして、維心は無理に笑顔を作ると、維月を見つめた。

「さあ、では着物を着替えねば。その着物で表に出ることは出来ぬから。侍女に申し付けようの。」

維月は、微笑んで頷いた。

「いづき、あかいきものがいいなあ。」

維心は、これまでの維月ならば、何でもいいと言って、自分の好みは言わなかったので、それを興味深く聞いた。

「ほう?主は赤を好むか?」

すると維月は、首を振った。

「なんでもすきだけど、いまはあかいのが、きたいとおもっただけ。」

維月の瞳は、純粋だ。きっと、この維月は本来の気ままな性質のまま、常の維月ならこちらを気遣って口にしなかったことを、こうして素直に口にしているのだ。維心は、それがとても嬉しかった。維月が、自分に遠慮していない。心を、本当に許してくれているのだ。

維心は心が自然と浮いて来るのを苦労して押さえながら、仕立ての龍を呼んで維月と共に着物の柄を選んだのだった。


十六夜は、維織を抱いていつものように維心の居間へと訪ねた。すると、そこは広いのに足の踏み場もないほどに反物が敷き詰められ、その向こうの椅子に維心と、少し大きくなった維月が座っているのが見えた。

「え、維月?!」

十六夜が驚いて戸口から叫ぶと、維月がこちらに気付いてパッと明るい顔をした。

「あ、いざよい!いおり、つれてきてくれたの?」

十六夜は、その声に懐かしさを覚えて涙ぐんだ。あれは、維月だ。小さい頃から一緒だったから覚えている…間違いなく、手の掛かった妹の維月なのだ。

仕立ての龍が慌てて通路を開ける中、十六夜は維織を抱いて維心と維月の脇の椅子へと腰掛けた。

「急にそんなに大きくなっちまって、驚いた。維月、何か覚えてるか?」

維月は、それには小さな眉を寄せた。

「おぼえてる?なにを?」

維心が、横から慌てて言った。

「維月は、何も思い出しておらぬ。ただ、成長しただけぞ。維織はどうか?」

十六夜は、息をついて腕に抱いている維織を見た。

「見ての通りまだ赤ん坊だよ。乳母達は最近言葉を理解して来て、言った方向を見るとか言ってたが、それぐらいだ。そんな劇的に変わっちゃいねぇなあ。」

維月は、維心に着せてもらったとにかく今仕立てられてあったぴったりサイズの着物の裾をちょいと持ち上げると、ぴょんと椅子から飛び降りた。そうして、維織の顔を覗き込んだ。

「あかちゃん、かわいいわね。いざよい、いおりのおとうちゃまなのね。」

十六夜は、心底かわいいと思って維月の頭を撫でながら、頷いた。

「そうだ。維織も早くお前みたいに大きくなればいいがな。」

維織は、維月の方をじっと見ている。維月もそんな維織の手を握って、じっと見ていた。

「いおり、おおきくなるよ。でも、まよってるみたい?」

十六夜は、びっくりして維月を見つめた。

「え、わかるのか?維月。」

維月は、しかし首をかしげた。

「わからない。そうかんじただけ。」と、ぱっと明るい表情になった。「いざよい、いおりのおとうちゃまだけど、いづきのおとうちゃまはいしんちゃまなのね。」

それには、維心も十六夜も驚いた顔をした。そうなるのか。…いや、確かにそうなるかもしれない。何しろ、まだ子供なのだ。そう思ってもおかしくはない。

「いや、維月…維心は、お父様じゃねぇぞ。お前の父親は、他に居る。」

維月は、びっくりしたように十六夜を見た。

「え、どこに?」

維心が、ため息をついて維月に手を差し出した。

「維月、これへ。」

維月は、まるでよく訓練されたサルのように、維心の手を見てそれに向かって走って戻って行った。どうやら、手を差し出したらすぐに戻るように、維心が言って聞かせてあるらしい。

無事に維月の手を握ると、維心は言った。

「維月、主は我の妃になる娘。我の子ではないぞ。今は意味が分からぬやもしれぬが、そこはしっかり覚えて置くが良い。主の父は忙しいので、たまにしか来ぬのだ。だが、呼べば参る。呼んでみるか?」

維月は、素直に頷いた。そうして、窓から見える空に向かって、言った。

「おとうちゃま。」

小さな声で一言、そう言った瞬間、ぱっと目の前に碧黎が現れた。どうやら宮で寛いでいたようで、着物は部屋着のままだ。急いで来たのは間違いなかった。

「おお」碧黎は、小さな維月が自分を呆然と見上げているのを見て、有無を言わさずいきなり抱き上げて頬擦りした。「維月!育ったのか、まだ小さいが、確かに維月の気配がする…おお、これならば戻るのも時間の問題か。」

碧黎があまりにも喜んでいるので、維月もただびっくりしていた。だが、維心も十六夜も何も言わずにそれを止めないので、維月はこれが本当に父で、危険ではないのを感じ取っていた。

「おとうちゃまは、いそがしいの?」

維月が言うと、碧黎は満面の笑顔で答えた。

「おお、何かとの。だが主が望むのなら、毎日でも顔を見に参るぞ。呼べば良い。」

維月は、頷いた。

「うん。でも、いしんちゃまがいるから、さみしくない。」

碧黎は、少し寂しげにしたが、頷いた。

「そうか。それは良かった。だが、我は主が呼ぶのを待っておるぞ。」と、回りが反物でえらいことになっているのを目に留めて、顔をしかめた。「それにしても何ぞ、足の踏み場ぐらい作ってから呼ばぬか。」

維心は、それを聞いて苦笑すると、仕立ての龍に手で合図した。仕立ての龍は深々と頭を下げると、反物をさっさと巻き取って気で浮かせ、そうしてそこを出て行った。

「いしんちゃまがおきものをつくってくださる、とじじょがいっておったわ。」

碧黎は、その言いように驚いた。月の宮で育てていた時は、この時期から人のような言葉使いで陽蘭がなかなか丁寧に話させることが出来ない、と悩んでいたのを思い出したのだ。この維月は、この歳で自然に言葉が丁寧になって来ている。やはり、環境なのだ。

「ほう?贅沢を覚えぬか案じられるの。」と、碧黎は維心を見た。「気持ちは分かるが、直に育つだろうて。あまり無駄に着物を作るでないぞ?贅沢な維月に育ってしまうわ。」

維心は、ふて腐れたように横を向いた。

「やっとこうして着せ替えて見せてもらえるようになったのだ。少しぐらい、良いではないか。」

維月は、碧黎の腕から言った。

「われも、たくさんいらないともうしたの。なのに、いしんちゃまは、ぜんぶって。すぐにおおきくなるつもりなのに。」

十六夜は、それを聞いて少し寂しかった。前世も今生も貫き通した「私」という一人称を、この維月は使わないのだ。確かに維心の側で侍女達に囲まれて育っているのだから、そうなるだろう。

碧黎は、困ったように笑って維月の頬に触れた。

「そうか、困ったヤツよ。主がしっかり言わねば、いくらでも作るぞ?要らぬ時は、そうはっきり申せ。わかったの。」

維月は、素直に頷いた。

「はい、おとうちゃま。」

維心は面白くなくて、維月に手を差し出した。

「維月、参れ。父は忙しい身であるのだぞ?」

碧黎は軽く維心を睨んだが、維月を下ろした。維月は碧黎にぴょこんとお辞儀をすると、維心の手を取りに弾むように走って行った。

…どうやら、やはり礼儀などは自然と回りから覚えるようぞ。

碧黎は、そうやって子供は育つのかと感心して見ていた。維心は維月の手を引いて抱き寄せると、こんな小さな維月相手に拗ねたように言った。

「維月、別に宮には職人が溢れておるのに…贅沢ではないぞ。」

しかし、小さな維月は維心をおもいっきり見上げて真剣な表情で答えた。

「でもいしんちゃま、われはすぐにおおきくなるのに。いおりがおおきくなったら、わけてあげまする。」

維心は、片眉を上げた。維月の言葉が、しっかりして来ているような気がする…朝、初めて言葉を交わした時より、格段にしっかりしている。成長しているのか…それにしても、早い。

「…確かに、主を見ておると朝より更に育ったような。」維心は、首をかしげた。「今も身を育てておるか?」

維月は、うーん、と考えた。

「そうおもいまする。こころのなかに、ことばがたくさんでてまいるの。からだはわからない…でも、こころはおおきくなっているかも。」

維心は、これは本当に育つのが早いかもしれない、と期待半分、まだ子供の維月を見ていたいという気持ち半分で、維月を見た。

「ならば、作らせる着物は減らそう。早よう大きゅうなれ。」

維月は、微笑んで頷いた。

「はい、いしんちゃま。」

十六夜は、維織を腕に、維月がこのまま戻らなかったらどうしよう、と一抹の不安を感じた。成長したからと、元の維月が戻って来るという保証はない。このまま体が大きく育って、心はここで成長し、そのままになってしまったら…。維月の中の自分は、いったいどうなるのだろう。

維織を殺したら、術が解ける…。

碧黎のあの言葉が脳裏をかすめ、十六夜は慌てて頭を振った。維織は、自分と維月の娘。そんなことは、何があっても絶対に出来ない。

だが、十六夜の不安は、心の中でくすぶっていた。

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