我がまま
日が高く昇る頃、炎嘉が居間を訪ねて来た。維月はもう起き出して蒼の所へと話しに行っている。維心は、一人炎嘉の対応をした。
「炎嘉、帰るか?」
炎嘉は、頷きながらも、まだ帰るつもりはないようで、維心の前の椅子へと座った。
「ああ、帰る。維月は?」
維心は、あからさまに嫌な顔をした。
「蒼の所ぞ。普段から維月維月言うでないわ。年に二回だけのことであろう?」
炎嘉は、すると急に真面目な顔になって、維心に身を乗り出した。
「居らぬ方が都合が良いからぞ。」維心が驚いたような顔をすると、炎嘉は言った。「その、焔は主に挨拶も無くと気にしておったが、夜明けに帰ったぞ。」
維心は、頷いた。知っている。帰る時に自分の結界を抜けるからだ。
「知っておる。早朝に結界を抜けたからの。あれも宮が大変なようであるから、長く開けてはおれぬのだろう。別に気にはせぬわ。」
炎嘉は、頷いたが何やらもじもじとしている。維心は、怪訝そうに眉を寄せて言った。
「何ぞ?…焔のことか?」
炎嘉は、驚いたように維心を見た。維心は、じっと睨むように炎嘉を見ている。
「主…気取ったか?」
維心は、フッと息をついた。
「やはりの。我も今朝気付いたばかり。あれに限って宮が荒れておるだけで気があんなことにはなるまい。いつからああなのかと考えた時に、思い当たった…維月であろうが。」
炎嘉は、諦めたように椅子へと沈み込んで、頷いた。
「我は昨夜部屋へ押しかけて聞いた。維月がどんな女であるのか知って…心地は分かるが。」
維心は、無表情に答えた。
「我とて分かる。だが、譲るつもりなどない。主とて分かるであろうが。主に許さぬのに、なぜに焔に許さねばならぬ。」
炎嘉は、慌てて首を振った。
「そうではないのだ。あれは、まだ維月と深く交流しておらぬ。ただ過去を一方的に見て来ただけぞ。なので、必死に忘れようとしておるのだ。絶対に、維月を焔の目に付く場へ出してはならぬぞ、維心。本当は、さりげなくそう仕向けて、主には言わずでおこうかと思うておったが、しかし主のことであるから、直に気付くだろうと思うて…言うべきか悩んでおったのだ。」
維心は、同情したような顔をしたが、頷いた。
「言われずともそのつもりよ。維月は焔が出席するような公の場には出さぬ。案ずるでない。」
炎嘉は、ホッとして頷いた。
「そうしてやってくれ。無駄やもしれぬが…しかし、あれは努力しておるのだ。」と、息をついて下を向いた。「元はと言えば、我らがあれの前で維月を取り合って口論などしたせいであるのだ。あれは、維月がなぜに我らにこれほどに愛されるのか、不思議であったのだの。それで、見に参った。そうして、こうなったのだ。望んだことではない。」
維心は、それを聞いて複雑な顔をした。
「確かにの。だが、どうしようもないこと。これ以上は、あれの前で維月の話はすまい。」
炎嘉は、黙って頷きながら立ち上がると、維心に手を上げて、帰る、と合図して、そこを出て行った。
維心は度々維月のことで争いが起こるこの状況に、維月を箱にでも詰めて置ければ良いのに、と本気で思った。
維月が、ぶるぶるっと身を震わせた。
「母さん?どうしたんだ、寒い?」
維月は、首を振った。
「違うのよ、蒼。なんだか悪寒が。」と、気を取り直して蒼を見た。「もう大丈夫。それより、維織にあまりうるさく言わないで待っていて、と伝えて。母が大氣と話したから、内容を伝えに行くからって。」
蒼は、頷きながらも気が進まないようだった。
「面倒だな…伝えるけどさ。最近、本当に陽蘭様にそっくりなんだよ。オレが文句言われるんじゃないかって、そこが心配だ。」
維月は、ため息をついた。
「ええ、分かってるわ。とにかく、伝えるだけ伝えて、話は聞かなくていいから。よろしくね。近いうちに戻るわ。私も、ここでいろいろと責務があって、今は突然に出て行ける時じゃないの。全部済ませてから行くから。」
蒼は、立ち上がって頷いた。
「分かった。龍王妃だもんね、仕方がない。じゃ、オレは帰るよ。最近、華鈴の具合が良くなくって…あんまり宮を長く開けたくないんだ。維心様にご挨拶を。」
維月は、同じように頷いて立ち上がった。
「ええ。この間の里帰りの時、部屋を訪ねたけれど話すのも辛そうだったものね。さあ、維心様は今頃は居間で座っていらっしゃるわ。行きましょう。」
そうして二人で維心の居間へと行き、蒼は挨拶だけ済ませると、月の宮へと飛び立って行った。
鷲が戻って来るという大きな会合を終えて、龍の宮は静かになった。
維心は、宮に居るのが一番ホッと落ち着いた。なぜなら、維月が自分の結界の中に居て、この中ならどこに居ても維心には見えるし、すぐに駆けつけることが出来るからだ。自分の結界の中で、自分に気取られずに維月を連れ去るなど誰にも出来なかった。
それでも、側に居ないと寂しいので、政務が無ければずっと側に居た。今日も、維月の肩を抱いて自分の居間の椅子へと座り、維月が何やら一生懸命に話すのを、ただうんうんと頷いて聞いていた。話しているその顔すら愛おしい。そうやって維月を見つめていられるのも、維心は幸福で仕方がなかったのだ。
「…なので明日、月の宮へと戻ろうかと思うておるのですわ。」
維心は、急にその言葉が耳に入ってハッと我に返った。月の宮へ戻る?
「明日?」
維月は、頷いた。
「はい。今申し上げましたように、十六夜も蒼も困っておりまして。私が言い聞かせなければ、維織も聞かぬようで。」
大氣のことか。
維心は、すっかり自分の宮が静かになっていたので、そんなことは忘れていた。思えばあれから一週間、放って置くわけにも行かない。
「そうか、放って置くわけにも行かぬの。だが主一人を戻すのは…。」
いろいろあった後だし、嫌だ。
維心は、そう思って黙った。維月は、苦笑して言った。
「はい、ですから今申し上げましたのですけれど、維心様にも共に来て頂けないかと。」
維心は、顔を上げた。そうか、聞いてなかった。
「もちろん、我が主を連れて参るのなら案じることもないし良い。兆加に予定を空けさせる。二日ほどで良いか。政務が混んでおらぬ時とはいえ、あまり宮を開けることは出来ぬから。」
維月は、微笑んで頷いた。
「はい。良かったこと。では、明日には戻ると十六夜にも申しておきまするわね。」と、息をついた。「それにしても…確かに何も言わずに戻らない大氣も悪いかと思いまするけれど、己を最優先で当然だという維織も間違っておるかと思いまする。大氣は、何でも維織の言うことを聞いておったようで、大氣にしてみればあまり人や神の常識が分からないので、そんなものかと聞いてくれておったようですけれど、結果的に維織が我がままになることに。結婚から、百年足らずですものね。私も、もっとあの子を見てやるべきでした。もう結婚したのだからと、あまり口出しせずに来てしもうたので…。」
維心は、維心の肩を抱いている手で、優しく腕を撫でた。
「嫁いだ娘は、もはや婚家の責任ぞ。と申して、大氣はああいった命であるし、家など関係なのであるが。いずれにせよ、主のせいではない。案じるでないぞ。」
維月は、弱々しく微笑んだ。
「そうは申して…大氣があんな風だと知っておりましたものを。もっと見てやるべきであったのです。私は、維心様にお教え頂いて、こうしてここで正妃の務めを果たす事が出来ておりまするけれど、大氣にはそれが出来ぬのですもの。」
維心は、困ったように首をかしげた。
「確かにの…。だが、せっかくに女神らしゅうなっておったのにの。それほどに、わがままになっておるのか。」
維月は、渋々ながら頷いた。
「はい…。せっかくにこちらでお教え頂いておりましたものを。長く大氣と過ごしておりましたら、本来私と十六夜の子でありまするもの、気ままでありましたのですね。その性質がはっきり出てしもうて。本当に、つくづく女の子はしっかりとしつけねばならぬとわかりましてございます。」
維心も、それには何度も頷いた。
「神世では特にの。王族などに嫁げば、その性質が重要視される。美しいのは見慣れておるゆえ、男が見るのはその気と性質ぞ。癒しをもたらす女でなければ、嫁ぎ先でも辛いことになろう。なので、嫁ぎ先で大切にされるよう、親は娘を厳しく躾けるのだ。」
維月は、維心を恨めしげに見上げた。
「それは私も、長く神世を見て参って分かっておりまするけれど…それにしても維心様は、よう私で我慢なさっておること。今生は甘やかされて育ったゆえ、時にそれが顔を出して大変に我がままでござましょう?なるべく、そうならぬようにと思うておりまするけれど、時につい、出てしもうて。申し訳ありませんわ。」
維心は、それにはぶんぶんと首を振った。
「何を言うておるのだ。主は我を癒しておる。ただ、居らねば落ち着かぬゆえ、側には居るようにせよ。すぐに我を置いてうろうろとするのには我とて憤るのだ。」
維月は、頷いた。
「はい、維心様。」と、あ、と言う顔をした。「そういえば維心様、お聞きしたいことがありましたわ。偽り無く答えてくださいまするか?」
維心は、何も後ろめたいことなど無かったが、そう言われてドキッとした。何か不都合でもあっただろうか。
「良い。その…何か不都合でもあったか?」
「あったかどうかお聞きしたいのですわ。」維月は、真顔で続けた。「炎嘉様と、深い仲であられたことはおありですか?」
維心の目が、点になった。絶句して固まっている。維月は、もしかして、と身を乗り出して維心の袖を掴んだ。
「もしかして!あの、十六夜も、前世維心様が他の神には興味もなかったのに、炎嘉様にだけは付き合っておられたから、あってもおかしくはないと言っておったし、確かにずっと仲良く来られたから…」
維心は、ハッと我に返ったような顔をしたかと思うと、慌てて首がもげるのではないかと言うほど首を振った。
「何を言うておるのだ維月!記憶を見て知っておろうが、我は男にも女にも、主に会うまで体を繋いだことなどないわ!」
維月は、ぷっと頬を膨らませて答えた。
「だって、維心様は都合の悪いことは隠しておしまいになるから。記憶が全てではありませぬし。神世は、男同士だって有りなのでしょう?」
維心は、またぶんぶん首を振った。
「ない!有り得ぬ!我は例え炎嘉であってもあんなことをするのは無理ぞ!大体我がどれほどに他人に身に触れられるのを嫌がると思うておるのだ!女であっても主以外は無理なのに、男などもっと無理ぞ!」
維月は、それを聞いてそういえば、と思った。維心は、侍女であっても絶対にその指にすら触れさせない。今は維月が着替えさせるのでリラックスしているが、侍女の時は体を硬くして、侍女の動きをじっと見て触れないようにすっと腕を抜き、帯も自分で結ぶと侍女を追い払う。袖に触れられるのすら嫌がった。それほど徹底した潔癖症の維心が、炎嘉と、そんな仲になるだろうか。いくら炎嘉が何に対してもフランクな性格でも、きっと維心は無理だろう。
「まあ…そういえばそうでしたわ。」
維心は、はーっと息をついて頷いた。
「まさか主がそんなことを疑っておったとは。確かに神世では特に相手が男であろうと女であろうと気にせぬ風潮があるが、皆が皆それを好むのではないぞ。炎嘉とて女が良いと言うておったし、我もそう。主しか駄目であるから。だが、神世の常識ではどっちでも、その神の嗜好であるから批判したり止めたりせぬのだ。我も自分はそうではないからと相手を批判したりせぬし、なのでそんな話が出ても普通に何でもないように答えるが、心の底では理解しておらぬ。己に強要されるわけではないから、さりげなく答えるがな。」
維月は、感心して聞いていた。
「まあ、そうでしたの。あまりに自然に答えておられるから、身に覚えがあるのかと思うてしまって。でも、誤解でしたわね。申し訳ありませぬ。」
維心は、はーっと力を抜いて崩れるように維月に抱きついて言った。
「誤解が解けて良かったが、しかし思っても無いことを申して…。我は、疲れたわ。」
維月は、もうスッキリしたようであっけらかんとしていた。
「神世の常識は、未だに分からぬ事がございますの。今も炎嘉様とお遊び感覚で何かおありになるのかと思うと、落ち着かなかったので。でも、杞憂でしたわね。」
維心は、維月を抱く手に力を込めた。
「本当に主以外は駄目なのだ。分かっておろう?…困ったヤツよ。」
そうして、その日はそのまま奥へと入り、次の日に備えたのだった。




