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心配事

その数時間前、維心は部屋へと戻って来た。維月はと回りを見回すと、庭へ出て空を見上げて何やら話している。まだ、十六夜との話し合いは終わっていないようだ。

維心は、居間の窓を開いて、庭へと足を踏み出した。

「維月。」

すると、維月はぱっと振り返った。

「維心様。」

維心が、維月の横へ並ぶ。すると、月から十六夜の声がした。

《なんだ、もう戻ったのか?まだ話が終わらねぇんだけど。》

維心は、空を見上げた。

「蒼から大体のことは聞いた。大氣が戻って来ぬのか?」

十六夜の声は、舌打ちして言った。

《なんだ、蒼は。自分ちのゴタゴタを外で話しやがって。》

維心は、首を振った。

「何やら物思いに沈んでおるようだったので、我から聞いたのよ。命を繋ぐ話をした後に消えたと聞いた。」

十六夜の声は、首を振っているようだった。

《違う。心を繋ぐ話をしてて、維織は維月とオレの子だから、親父と同じやり方で出来るんじゃないかと言っただけだ。だが、大氣は親父と同じで長い時を生きてる。だから、自分の記憶で維織に負担を掛けたくなかったんじゃねぇかなと思うんだ。》

維月も、それには頷いた。

「私は、維心様の記憶にも十六夜の記憶にも、少し混乱することはありましたけれど、精神に支障をきたすこともありませんでしたわ。なので、お父様も案じておられなかったでしょうけれど。維織は、本当に大切に育っておるので、そんな負担に耐えられないと考えるのも、間違っておりませぬ。確かにお父様の記憶は膨大で、私は自分でどこかの端にその記憶を寄せて、意識に上らないようにしておるのです。全て何て、頭がおかしくなりまするもの。でも、維織にはそんなことは出来ませぬ。慣れないのですから。」

維心は、しかし訝しげに言った。

「だが、そんなことで居なくなったりするものなのか。大氣にとって、それが大変なことであって、したくないから帰って来ないとかないのか。」

十六夜の声が、少しためらいがちに言った。

《したくないって…心を繋ぐだけだろう?出来るなら、維織に心を繋ぐと思うけどなあ。だって、結婚してるんだし。それをしないんだから、きっと面倒なんじゃなくて、維織を傷つけるのを恐れてるんじゃないかと思うんだが。》

維月も、維心に少し意見したいような表情で言った。

「そうですわ。あんなに苦労して婚姻まで持って参りましたのに。大氣には、他に女のかたの影など少しも見当たりませぬし、それにずっと月の宮で、一緒に暮らしておりまするもの。それは、時々にどこかへ出掛けまするけれど、それはどの殿方にも共通することでございまするし。」

維心は、しかし表情を変えなかった。

「主らは、根本的なことを忘れておるのだ。元々、大氣は何のために苦労したのよ。」

維月は月を見上げる。間違いなく、十六夜も月から維月を見ただろう。維月が言った。

「それは…その、他の女神の求めに応じて、一度関係を持ったので娘が居ったからですわ。」

維心は、頷いた。

「普通、神ならそんな行きずりは警戒するもの。子を成すなどもってのほかなので、重々考えるのだ。だが、大氣が軽々しくそんな関係になったのは、なぜなのだ。」

それには、十六夜が答えた。

《そういうことに、こだわりがないからだ。オレだってほんとならそうだ。大氣は神や人にとってそれが重要な意味を持つのを知らなかった。なので、維織と結婚するのにそれが障害になると知って、悩んでたんだ。それは解決したぞ?あいつは神世をそれは学んで、神らしく振舞ってたじゃないか。》

維月は、庇うように頷いた。

「そうですわ。だからこそ、波風に立っておりませぬし、幸福にしておりましたの。」

維心は、ふっと息をつくと、言った。

「主らが娘の幸福を願うのは分かる。だが、思い込みで真実を見ないようにするのは堅実ではない。よう考えてみよ、大氣の価値観は何ぞ?婚姻について、全くこだわりも執着も無かった大氣が、維織に話を聞いて、その理を受け入れたとしても、根底にある価値観まで変わるものなのか。我は、主らと接していろいろと譲歩することを覚えたが、それでも己の根底にある価値観までは簡単には変わらぬ。長く生きておれば生きておるだけ、それは根強いものであると、我は思うぞ。」

維月が、困ったように月を見上げる。十六夜は、言った。

《つまり…大氣にとって、維織は心を繋ぐほどの仲じゃないってことか?だが、婚姻ぐらいならいいと。それを重要視してないから。》

維心は、重々しく頷いた。

「我は、そうでないかと思う。だからこそ、碧黎は維月と命を繋ぎ、婚姻という関係にはこだわらない。婚姻など神が決めたことぐらいにしか思うてないのではないか。なので、我らが維月の側に居て婚姻関係でも、全く気にならないのだ。」

維月は、口を袖で押さえた。反論したいが、だが維心の言うことは的を射ている。そうなのだろうか…。

十六夜の声が、怒ったように言った。

《命じゃねぇっての、心を繋ぐんだって言ったじゃねぇか。》

維心は、息をついた。

「どっちでも同じぞ。言い方を変えておるだけで、恐らくは真実ではあるまい。やり方が違う時点で、何かがおかしいと気付くべきであった。心を繋ぐのだ、と大氣は断定したか?それともそのようなもの、と茶を濁すような言い方を?」

十六夜が、ハッと息を飲んだのがわかった。

《…心を繋ぐようなもの、と言った。》と、焦ったような声で続けた。《じゃあ、本当に命を繋いでるのか?心を繋ぐのとは、違うのか…。》

十六夜は、そのまま黙った。維月も、おろおろと月と維心を見ている。維心が、息をついて言葉を発しようと口を開いた時、月を背に、パッと二つの人型が現れた。維心は、思わず維月を引き寄せて自分の袖の中へと隠す。十六夜が、叫んだ。

《親父!大氣!》

すると碧黎が、困ったように少し微笑みながら、維心の方を見て言った。

「さすがに我が作った命。利口であるの。ま、そのように作ったしの。」

大氣が、横に浮いたまま言った。

「主は己に似せて作り過ぎたのではないのか。維心は何かと聡明で、思うように動かぬではないか。」

碧黎は、ふふんと笑った。

「それが良いのだ。我と同じ知能でありながら、我とは違うことを考え付く。我はこれを見て、他の方法も知ることが出来る。だがしかし、此度は面倒なことよ。」

維心が、碧黎を睨みながら言った。

「つまりは、我の考えは間違っておらぬと言うことであるな?」

碧黎は、あっさりと頷いた。

「その通りよ。命を繋ぐのと、心を繋ぐのは全く違う。そして、我らの価値観は、昔より全く変わっておらぬ。主らと共に居るため、その価値観に合わせて生活しておるフリをしておるのだ。そうして、世を乱さぬように、じっと黙って見ておるのだ。我らの価値観を変えることなど、主らには出来ぬ。」

十六夜の声が責めるように言った。

《大氣!じゃあお前、維織のこと、どうでもいいって事か?!》

大氣は、首を振った。

「どうでも良ければ、側に置いたりせぬわ。そこは主らと同じ。我はしたいようにするからの。嫌ならとっくに月の宮には居らぬ。だが…」と、碧黎を見た。碧黎は、頷く。大氣は続けた。「命を繋ぐほど、まだ維織を慕わしいと思うておるわけではないのだ。我らにとって、命を繋ぐことはかなりの重大事。この命のうち、一人ではないかと思うておる。分かるか?長い我らの命のうちの、たった一人であるぞ?まだ、そこまで決心できるほど、我は維織という命を知らぬし、愛しておるわけではない。」

維月が、維心の袖の中で息を飲んだのが分かった。十六夜も、言葉がないようだ。碧黎が、言った。

「我が、陽蘭とすら命を繋いだことがないことを、主らに言うてはおらなんだの。これほど長く居っても、これと思わぬと、我らは命を繋ぐことなどせぬ。体など一部。命は全て。婚姻は、主らが決めた体を繋いで共に生きるという制度。我らには関係ない。これが、我らの価値観ぞ。」

十六夜が、やっとという感じで言った。

《それって…じゃあ、オレ達の意識に変えて考えたら、親父は維月と結婚したということか。》

碧黎は、それにもすぐに答えた。

「主らの価値観と我らの価値観を合わせて考えると、その通りよ。主らが体を繋ぐ意識と、我らが命を繋ぐ意識は、同じものであろうの。しかし我は、主らのいう婚姻という形を望んでおるのではないぞ。分かっておろう…共に暮らすとか、体を繋ぐとか、そんなものは必要ないのだ。」

維心は、唸るように言った。

「では、主は維月を娶った感覚なのではないか。我らから、奪うつもりなどないと言うておいて。」

碧黎は、イライラしたように維心を見た。

「何を言うておる。こんなことには頭が働かぬか。我がいつ、主らから維月を奪ったのよ。一度も体など繋いでおらぬぞ?共に暮らすと無理を言うたか。主の腕に居ることを禁じたか。否であろうが。主らは、何も変わらぬ。変わったのは、我と維月の関係性だけぞ。我らは命を繋いだ仲。天にも地にも維月の他に我には居らぬ。それだけぞ。」

維心は、黙って碧黎を睨みつけた。分かっている…それでも、このどうにもならないもやもやとした胸の内は何ぞ。命を繋ぐということが、どんなことなのか分からないが、それを婚姻以上の事として行なう男が居る。それに対して、維心は許せない心地だったのだ。

「だが…それを親父は婚姻以上のことだと思ってしてるんだろう。」十六夜の声が、間近から聴こえた。いつの間にか、十六夜が人型で浮いていた。「オレと維心には、それがどうしても許せない気持ちなんでぇ。何で、一言言ってくれなかった。ちゃんと説明してくれてたら、オレ達だって覚悟が出来た。それなのに、隠したりするから、余計にそれが、オレ達に後ろめたいことなのかって、腹も立つじゃねぇか…。」

怒っている感じではない。ただ、悲しんでいるようだった。碧黎は、さすがに視線を落として、息をついた。

「…悪かったの。だが、主らの価値観は知っておったし、これならば構わぬであろうと思うたのだ。だが、今のように理解出来ぬことであるから、主らの反発があるだろうと思うた。我にとって重要なことでも、主らにとっては重要なことではあるまい?命を繋ぐのは、本当に命そのものを一つにするのだ。そうして、離れる時は分離する。それが難しく、知らぬですると元へ戻れなくなる。なので、主らには出来ぬ。大氣が心を繋ぐようなもの、と言うたのは、あながち嘘ではない。感覚的にはそんな感じであるからの。」

十六夜は、碧黎をじっと見つめた。

「オレにも出来ると聞いた。だが、するなと止めるだろう?」

碧黎は、険しい顔をして、首を振った。

「やり方を教えぬからの。主が、我に維月の体を許さないのと同じ。我は、主に維月の命を許さぬ。対等であろう?それとも、維月の体を許すか。我が、命の繋ぎ方を教えようぞ。」

維心の袖の中で、維月が身を硬くする。維心がためらっていると、十六夜はすぐに首を振った。

「そんなこと!許せるはずがねぇ!」

碧黎は、それ見たことか、という表情で頷いた。

「そういうことぞ。主が我に訊ねたのは、それよ。我がなぜに許せぬのか分かったの。」

維月は、じっと黙っている。維心が、何かを考えていたが、碧黎を見上げて言った。

「では、お互いに約そうぞ、碧黎。」碧黎と、隣りに浮く大氣が維心を見下ろした。維心は続けた。「我らは維月と婚姻関係を今まで通り続けて参る。何も変わることはない。主は、頻度は知らぬが時に維月と命を繋ぐ。他は求めない。それで良いか。」

碧黎は、十六夜をちらと見たが、維心に向かって頷いた。

「それで良い。我は、最初からそのつもりであった。」

維心は、頷いた。

「では、我からはもう何も言わぬ。」と、十六夜を見た。「主も、それで良いの?」

十六夜は、少し戸惑ったが、頷いた。碧黎はそれを見て、ホッとしたように肩の力を抜いた。

「分かってもらえてよかったことよ。では、そのついでにもう一つ。」と、横に浮く大氣を見た。「…ま、そういう訳で大氣はまだ、維織と命を繋ぐほどの覚悟が出来ておらぬ。だが、維織の性質であると、昼に夜にとそれを求めるであろう。それが、大氣にとっては負担なのだ。それを思うと、厭わしいとまで思うらしい。なので、そうならぬために、こうして離れて月の宮へ帰らぬのだ。主ら、己の常識に照らしてこやつがどうしたら良いのか考えてくれぬか。わからぬなら別に良い。我と一緒にあちこち飛び回って放浪しておるから。だが、大氣は二度と月の宮には戻らぬがの。」

それを聞いた維心は、自分の袖をそっと開いて維月を覗いた。維月は、維心を見上げて困惑したような表情でいる。一度に、いろいろなことを聞いたのでまだ、混乱しているのだろう。

見上げると、十六夜もぼーっと放心状態だった。

維心は、仕方なく言った。

「…しようのないことぞ。今聞いてすぐに答えが出る問題ではない。しばし待たぬか。ゆっくり考えてから知らせるゆえ。」

碧黎は、それを聞いて頷いた。

「そうか。わかった、では結論が出たら呼べ。すぐに参ろうぞ。」と、大氣を突付いた。「さ、行くぞ。主も一人で悩むことはなかったのだ、こうしてこやつらに考えさせれば早い。何事も話し合いよの。」

大氣は、息をついた。

「ほんに、理解が追いつかぬ。分かっていても、感情がついて来ぬわ。」

そうして、まだ呆けた感じの十六夜と、考えに沈んでいる維月を維心の下に残して、碧黎と大氣は消えた。

維心は、どうやって二人を元に戻そうかと頭を痛めたのだった。

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