その日の夕刻
維心と十六夜は、炎嘉と共に碧黎に送られたその場所を見て、懐かしさに胸を詰まらせた。
ここは、あの美月の里だ。
十六夜は、これが映像なのが分かっていながら、辺りを見回した。この、横に神社がある古い屋敷。人だった維月が、月になって選んだ住処で、維月の祖母の美月が遺した田舎の家だった。
維月と結婚した最初、ここで数年を過ごした。お互いに遠慮がないので、よく言い合いになった。だがそれでも、愛しているのは違いなかった。
維心が、維月を見初めて愛するようになったのも、ここでだった。
じっと黙っている維心に、十六夜は言った。
「覚えてるだろう、維心。懐かしいな。」
維心は、頷いた。
「必ずしも良い思い出ばかりではない場であるがの。我は、長く維月に片恋であったゆえ。ここは、そんな維月を遠く龍の宮から探っていたつらい気持ちも思い出させる。これはいつの時かの?もう我と婚姻を済ませた後であろうか。」
十六夜は、高台のその入り口へと降り立った。
「どうだろうな。蒼が月になってからだって、しばらくここで住んでたしなあ。」
慣れたように、先にずかずかと中へと戸をすり抜けて入って行く。炎嘉が、降りて来て維心に言った。
「あやつはすぐに慣れるの。我らでも最初、壁を突き破るような気がしてあんなにずかずか入れなかったのに。過去に対するためらいというものも感じぬし。」
維心は、肩をすくめるような仕草をした。
「どんな過去であっても、今の我らに繋がっておるのは事実。なので、あやつは気にしないというところであろうの。」と、十六夜に続いて歩いた。「だが、我には辛い時間であったしな。」
そう言いながら、中へと入って行くと、そこには若い蒼が居て、入り口横にある広い座敷には、維心が座っていた。蒼は、維心に言った。
「十六夜は、見送りには来ないと。まだ少し、複雑なのだと思います。申し訳ないです。」
維心は、首を振った。
「良い。我が無理を言うたのに、それを聞いてくれたのだ。して、維月は?」
蒼は、背後の廊下を振り返った。
「はい、そこに。」
すると、美しい袿に身を包み、頭には今では見慣れたかんざしを山ほど挿された状態で、ベールをすっぽりと被った維月がぎこちなく入って来た。間違いなく、婚姻の衣装だった。
「…婚姻の当日か。」
こちらの維心が、小さく呟いた。しかし、自分の前の記憶ではこうではなかった…こんな風に連れて帰ったのではなく、龍の宮へ来ていた維月が残るという形で…。つまりは、これは過去が変わってしまった後に起こったことなのだろう。
だが、月の妃である維月を娶ることを、公には出来なかった。なので、こうして維心が一人、迎えに来ているのだ。
「維月…。」
過去の維心が、その維月に手を差し出す。維月は、その手を取った。
「維心様。どうぞ、龍の宮へお連れくださいませ。」
維心は頷いて、維月を抱き上げた。
「ではの、蒼。維月には、決して嫌な思いはさせぬゆえ。」
蒼は、頷いた。
「はい、維心様。よろしくお願い致します。」
過去の維心は、頷くと、維月を腕に、美月の屋敷を後にして飛んで行ったのだった。
維心がそれを黙って見送っていると、炎嘉がふと横を見て、あ、と叫んだ。
「焔!」十六夜と並んで、こちらへ歩み寄って来る。「十六夜、見つけたのか?」
十六夜は、うなずいた。
「維月の部屋に居た。それで説明して連れて来たぞ。」と、維心を見た。「こっちの記憶、あんまり無かったな。変わった過去だ。」
維心は、頷いた。
「ああ。我が迎えに参って連れて帰ったのだな。我が申し出て主らが受けてくれたのだ。前とは違う。」
十六夜は、肩をすくめた。
「ま、どっちでもいい。もう済んだことだ。どっちにしても、今は同じ。変わらねぇんだからよ。」と、焔を振り返った。「じゃ、帰ろうや、焔。お前どうしたんだ、おかしいぞ。ぼうっとしやがって。」
炎嘉が、進み出て焔を庇うように言った。
「過去と現在の狭間などに飛んでしもうておったのだからの。だがそのお蔭で、我らは主の体を使って十六夜や大氣を接触出来たのだ。結果的には良かったではないか。」
維心は、頷いた。
「知らずに使った能力であろうが、炎嘉の言う通りぞ。さあ、戻ろう。維月が待っておるであろうし、我も早ようゆっくりしたい。これほど手間取るはずでは無かったからの。」
焔は、少しためらったような顔をしたが、頷いた。
「…すまぬの。我も…過去というものに当てられたのか、具合が良うない。早よう戻って、休みたい。」
炎嘉が、頷いて焔の肩に手を置いた。
「さ、では戻ろうぞ。」と、空を見上げた。「碧黎!戻るぞ!」
すると、何かの力に捕らえられ、四人はそこからすーっと消えた。
維心達の視界から美月の里が消えたかと思うと、次に見えたのは月の宮の図書室の、天井だった。
「…維心様?」
維月の声がする。
維心は、パッと目を開いた。そして、維月の姿を見て取ると、がばっと起き上がって維月を抱きしめた。
「おお維月…!案じたぞ、よう戻ったの。無茶ばかりして…たった一人で参るなど。」
維月は、維心を抱きしめ返して微笑んだ。
「お会い出来ぬなど、嫌だと思いましたもの。」
維心は、嬉しげに笑うと、維月に頬を摺り寄せた。
「我もぞ。だが我のために無理をするでないぞ。」
隣りで、炎嘉が起き上がってふて腐れたように言った。
「こら。誰が主のためよ。皆のために、維月は参ったのだ。己だけの事にするでないわ。」
蒼が、苦笑して言った。
「とにかくは、此度は大変なことになってしまいましたが、終わったようですね。もう夕刻でありますし、宴の席へ。」
しかし、こちら側から焔が起き上がって、首を振った。
「すまぬの、蒼殿。せっかくの申し出であるが、我は大変に疲れてしもうて…とても、宴に出れるような状態ではない。辞退させてはもらえぬか。」
炎嘉も、息をついて窓の外を見た。
「まだあの日の夕刻だなどと思えぬ心地ぞ。我も疲れたし、今宵は無理かの。体は平気なのだが、精神的にの。明日に出来ぬか。」
蒼は、自分もかなり疲れていることを感じていた。焔から、そうやって断ってくれてホッとしている自分が居た。なので、すぐに頷いた。
「では、明日。維心様は、お帰りになられますか?」
維心は、維月の肩を抱いて立ち上がると、頷いた。
「此度は里帰りではないからの。」と、十六夜を見た。「だがしかし、十六夜もあんなことがあった後。維月と話したいであろう?」
十六夜は、頷いた。
「ああ。月からでも話せるが、出来たらゆっくり話したいな。」
維心は、維月を見た。
「では、明日の朝に帰ろうぞ。今から十六夜も共に、我の対へ参ろうか。」
すると、十六夜が顔をしかめた。
「なんだよ、珍しく気が利くなあと思ったら、一緒に、かよ。」
維心は、憮然とした顔で十六夜を見た。
「里帰りではないと申したではないか。我だって維月と共に居たい。さ、文句を言わずに参れ。」
十六夜は仕方なく頷いて、碧黎を振り返った。
「親父、もう具合はいいんだな?どこも平気か?」
碧黎は、笑った。
「おお、もうどこも悪いところなどないぞ。心配を掛けたの、十六夜。」と、維月を見た。「また戻って参れ、維月。我は一度地の宮へ戻って参るゆえ。だが、常はここで居ることにする。」
維月は、頷いた。
「はい、お父様。」
そうして、機嫌よく微笑む碧黎に見送られながら、維心と維月、十六夜はそこを後にした。
焔は、それをせつなげに見送っていたが、何も言わずに客間へと下がって行った。
蒼は、碧黎と大氣の余裕を感じさせる様子から、二人が何を感じているのか何となく分かったが、これで維心も十六夜も維月も上手く行っているのだからと、自分の胸の内へ秘めておこうとじっと黙っていた。




