変化
唖然としている維心は、ただ黙って碧黎を見ていた。蒼も、急いで碧黎に歩み寄った。
「碧黎様?気は変化ないようでございますが、姿が…。どうなさったのですか?」
碧黎は、言われて初めて自分の体を見回した。
「姿?別に人型など何でも良いではないか。それより、張維と炎真が維心達に過去を見せてやって欲しいと申すのでな。我は寝ておったし面倒なのであるが、こうして出て参ったのだ。面倒はさっさと済ませようと思うてな。」
維心は、驚いたように碧黎を見た。
「それは…主は、過去を見せてくれると申すか。」
碧黎は、気だるげにうなずいた。
「今そう申した。確かに地を統べておる主が心に何某か持っておるのは、地のためにも良うない。見せてやるゆえそれを見て、さっさとそのわだかまりとかいうものを消してしまうのだ。」
蒼は、それを聞いて張維はあちらへ戻ってすぐに、碧黎に呼びかけたのだと知った。そうして、維心が心にわだかまりを持っているのが、地のためにならぬと言ったのだろう。碧黎に言うことを聞かせるには、どういえばいいのか張維も心得ているのだ。
だが、碧黎がここへ来た事実よりも、その姿が気になって仕方がなかった。どうして、こんな姿になっているのだろう。何か心境の変化なのだろうか。
焔が、立ち上がって言った。
「主…名を、碧黎と申したのだの。いろいろと世話になった。」
碧黎は、ちらと焔を見た。
「ああ、思うておった通りよ。主は、前世維心を助けなかったのであるから、今生はそれを成し遂げることを我は望んでおる。だが、生まれたからには後は主次第ぞ。まあ精々己で考えよ。」
どうも、前よりもそっけないような印象がする。
焔は、そう思って戸惑った。しかし、忘れもしないこの気と顔。間違いなく、本人なのだ。
炎嘉が、気遣わしげに碧黎を見た。
「どうしたのかの、主から何やら…その、確かに気は大きく強く感じるが、生きているような感じが薄いように感じる。山や岩のような。どうなっておる、姿の変化と関係あるか?」
それにも、碧黎は面倒そうだった。
「姿、姿とうるさいの。どうでも良いことであろうが。過去を見たいのだろう?もう良いのなら帰る。」
さっさと瞬間移動の体勢を整えようとする蒼が、慌てて碧黎を引き止めた。
「お待ちを!あの、どうやって参りますか。次元の戸を使って?」
碧黎は、蒼を見た。
「ああ、あれを使うが、主らが過去へ行くのではなく、我が主らの頭にその当時の映像を流し込む形で行なう。実際に行くといろいろややこしいではないか。また過去が変わって未来がおかしくなったら正すのが面倒なのでな。案じずとも、その中で自由に動き回れる…ただ、見ているだけなので、そこへ干渉することは出来ぬ。相手には、主らが見えぬ。存在せぬからの。」と、手を上げた。「では、そこへ座れ。」
そこに居る四人が仰天した顔をした。
「え、今から?!」
碧黎は、ぐっと眉を寄せた。
「見たいのであろうが。」
「見たい。」と、焔が答えて、皆に言った。「さあ、このソファの方へ背を預けて座れ!早よう!」
焔も、碧黎の気まぐれさは分かって来たようだ。
蒼が、びっくりしながら言った。
「え、オレも?」
炎嘉が、ぐいと蒼を引っ張った。
「ついでよついで!早ようせい!」
維心が、向こう側でソファにもたれかかって目を閉じたのが見えた。蒼も、仕方なく椅子の一つへ腰掛けて目を閉じた。
「では、見せる。戻りたければ、戻りたいと申せ。勝手に戻る。」
碧黎の声が、閉じた目の向こうで聴こえた。
そう思った瞬間、蒼はストンと何かの中へ落ちて行くような心地がして、気を失った。
その少し前、維月と仲良く唇を合わせていた十六夜は、ぴくっと止まった。そして視線を遠くに目を丸くして唇を放すと、維月も驚いたように目を見開いている。二人は、目を合わせて言った。
「お、お父様が!」
十六夜も、叫んだ。
「なんだ親父、あの姿は!」
二人は弾かれたように立ち上がった。維月が、おろおろと歩き回る。
「どうしたらいいの。あちらへ行こうにも私はお姿を見ないと約束しているし。」
十六夜は、さすがに立ち尽くしながら言った。
「お前はダメだ、オレが行かなきゃ。だが、どうしてあんな風になっちまってるんだ。色素が抜けたみたいになっちまって。」
維月は、立ち止まって十六夜を見た。
「何かが薄れてらっしゃるんじゃない?それが、人型に影響してあんな風な人型に。」
十六夜は、じっと考えるように宙を見た。
「…気は充分過ぎるほどだ。力を発するのも問題ないようだし。」
維月は、首をかしげた。
「分からないわ…何が影響してああなっているのかしら。私達に分からなかったら、誰に分かるっていうの?」
十六夜は、うーんと唸って腕を組んだ。そうして、じっと考え込んでいて、顔を上げた。そして維月と顔を合わせて、同時に叫んだ。
「大氣!」
維月はもう扉に飛んで行っていた。
「早く!大氣にあの状態がなんなのか聞いて、お父様が何か変なことになってないか調べないと!」
十六夜も、慌てて飛んで来て維月と手を繋いだ。
「親父が帰っちまうぞ。急ごう!」
そうして、二人は大氣と維織の部屋へと物凄いスピードで飛びぬけて行ったのだった。
蒼が、何かに揺すられて目を覚ますと、そこはどこかの芝の上だった。目の前には、炎嘉の顔が覗き込んでいた。
「蒼?気がついたか。主はどうも意識を保つのが苦手のようだの。他は皆普通に着地したのに、主だけ落ちて行ったので慌てたわ。」
蒼は、身を起こしてバツが悪そうな顔をした。
「申し訳ありません。こういうことは苦手で。どうしたら気を失わずに済むのか全く分からなくて。」
そして炎嘉に手を貸してもらって立ち上がると、維心と焔がどちらかを見て話し合っていた。炎嘉が、その背後から言う。
「して?別々に行くか、それとも共か。」
焔が振り返った。
「ここは龍の領地の端よな。つまりは張維の結界の中。だが、碧黎が言うには我らは過去の映像を見ているだけであるから、あちらは我らのことなど関係なく動いておるであろう。なので、堂々と皆一緒に見に参ろうかと言うておったのだが。」
炎嘉は、南の方角を見た。
「だが、我が父はあちらに居るだろう。我は、父がどうやって政務をしておったのか見てみたいのに。」
焔は、頷いた。
「確かにそうだが、戻るのは共に戻った方が良いだろうが。別行動になったら、連絡の取りようがない。何しろ、ここでは我ら、飛ぶより他に気を使うことが出来ぬのだぞ?念で話も出来ぬのに、離れてしもうては合流出来ぬやもしれぬではないか。一緒にまず龍の宮を見て、それから鳥の宮ぞ。それで良いだろうが。」
炎嘉は、仕方なく頷いた。念も使えぬのなら、それしか無いからだ。
そうして、四人はまず龍の宮へと向かって飛び立った。
上空から見ると、領地はまだ山々しかなかった。この時代は、まだ人も少なく、十六夜ですら月に宿ったか宿らないかの頃のはずだ。
蒼は、珍しげに地上をきょうろきょろと見ながら、他の三人について飛んでいた。
維心は、ただ黙って先頭を飛んでいた。龍の宮へと近付くにつれ、それが現在の宮と全く変わらず、美しく大きくそびえ立っているのが見える。焔が、言った。
「おお、ここは変わらぬわ。記憶にある龍の宮の辺りは、こんな感じであったの。」と、滝を指した。「そら、まだずっとあちらに滝があって。」
維心は、頷いた。
「侵食されて今の位置になってから、我は滝の位置を固定して、その裏にも宮の出入り口を作らせた。この頃は普通の到着口しかないはずぞ。」
そうやって話しながら降りて行くと、窓の一つから、会合の間に張維の姿が見えた。
「張維ぞ。」
焔が言った。思わず声を抑える。しかし、窓のすぐ側に寄っても、誰もこちらの大きな気の集団には気付かないようだった。
「誰も気付きませんね。」
炎嘉が、頷いた。
「碧黎が言っておったように、これは映像でしかないのだろうの。」と、手を窓枠に掛けた。「どれ。」
すると、炎嘉の手はするりとその中へと抜けた。窓を開けられるのかと思っていた炎嘉は驚いた。
「手が抜けるぞ。」
維心が、横から言った。
「つまりはここに、存在しておらぬのだ。」と、すいっと飛んで中へと進んだ。「そら、こうして。」
皆も、恐る恐るその後に続く。
中には、張維を前に、この時代の臣下達がずらりと並んでテーブルについていた。洪によく似た重臣らしき男が、張維に話している。
「この様子でありますると、正月のご挨拶はどうしようかと申しておりまして。維心様は、王か義明か、我でなくばお世話が出来ませぬので。」
張維は、憮然として言った。
「我が妃の喪中ではないか。此度は祝いもせぬ。そう申したであろうが。」
洪は、しかし食い下がった。
「ですが、せめて王が表に出られてご挨拶だけは。何しろ、正式に宮へ入られたかたではありませんでしたゆえ…神世では、妃と認められておりませなんだので…。」
張維は、首を振った。
「ならぬ!世継ぎの皇子を生んだのだぞ?妃として葬儀もした!これ以上あれを侮辱しよったら主でも容赦せぬ。」
洪は、慌てて頭を下げた。滅多に張維は声を荒げたりしない王だったからだ。
「は、ははー!申し訳ありませぬ!」
すると、赤子の泣き声が響き渡った。途端に、宮がびりびりと震えた。
「維心!」張維が、慌てて立ち上がった。「後は主らで決めよ!宮が崩壊する!」
洪達臣下は、慌てて何度も頷いた。
「は!王、お早く!!」
張維は、物凄い勢いで会合の間を飛び出して行った。
後に残った洪は、はーっと息をつくと、側の臣下に言った。
「早ようお育ちになってくださらぬかのう。確かに力の強い跡継ぎを早よう欲しいと思うておったが、維心様の気は強大過ぎて、回りを巻き込んで大変なことになってしまう。」
相手の臣下は、苦笑した。
「確かにそうだが、まだ三ヶ月であられるからの。それでも、利口なお子だと聞いておるが。」
洪は、頷いた。
「確かにそうなのだ。何しろ、もう結構なことを理解されておるらしく、我の名を聞かれると、我の方を見る。父王のことは、見るとピタっと泣き止まれるしな。試しに庭で花の名などとお教えすると、言うた花に視線を向けられるのだ。なので、お話はされないが、恐らく分かっておられる。しかし目覚めてご機嫌がお悪い時は、こうして泣いてしまわれて…気が暴走して、大変な力ぞ。我だって、術を知らねば何度命を落としておることか。」
相手の臣下は、洪の肩を叩いた。
「今しばらくの辛抱ぞ。そのように賢いお子であるのなら、見る間に気を制御出来るようになられよう。維心様が王座に就かれた暁には、龍族は今よりずっと神世で力を持って居よう。喜ばしいことよ。」
洪は、頷いて目の前の書に視線を落とし、次の議題へと移った。
炎嘉が、それを見て言った。
「これはまた、想像以上に大変なことであるな。主、泣くだけで宮を崩壊させかけておったのだの。」
維心は、炎嘉をちらと見た。
「…赤子であるし。さすがにあまり覚えておらぬから。ただ気に入らぬことがあると、泣いておったような…。」
しかし、それよりも父の言葉を聞いて、維心はため息をついていた。父は、やはり母をないがしろにはしていなかった。一度も宮へ入らなかった母なのに、妃として遇し、喪に服していたのだ。
焔は、先を促した。
「さ、張維の所へ行こうぞ。」
皆は頷いて、張維を追って会合の間を出て行ったのだった。




