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焔は、父王の結界のすぐ脇に、倒れていたのだと弦から聞いた。遠くまで行って戻った時に、さすがの焔も幼いので気を消耗したのだろうと父王から聞かされた。これよりは、勝手に出て行ってはならぬ、父と共に参れと父王に言われ、焔は素直に頭を下げた…精進すれば、と、あの男は言った。ならば今は父の結界の中で、己を磨かねばならぬ。

焔はそう決心していた。


それから、焔は体が小さいながらも、無理を言って立ち合いを始めた。それが驚くほどに筋が良く、瞬く間に軍神達を寄せ付けないほどの技術を身につけて行った。まるで、体が始めから、その技術を知っているかのようで、育ったらどれほどかと皆が噂した。

そんな毎日を過ごしているうちに、体は人でいうところの中学生ほどの大きさになった。いつものように、弦の目を盗んで結界外へと飛び立った焔は、そこでじっと空を眺めていた…すると、その時何かの声が言った。

《…時ぞ。目覚めよ。》

聞き覚えのある声…あの男の声だ!

焔がそう思って探そうと回りを見回そうとした時、頭の中で何かが弾け、深くから大きなものが爆発的に湧き上がって来た。

「なに…っ?うわ…!」

焔は、頭を押さえてうずくまり、そのまま下へと落ち、木々の下へと転がった。

長い記憶…ああ我は1500年生きた。その生の終わり、ここへ篭ってすぐに、老いが始まった…神世の友の、誰にも知られることもなく、自分はこの世から去った…。

目を開くと、何もない空間に、あの青い髪の男が浮いていた。

《思い出したか、焔。主がなぜに孤独に死んで逝かねばならなかったか、知りたいか。》

焔は、縋るような目でその男を見て言った。

《教えてくれ。なぜにあれほど急に老いが参った。我は…間違いであったやもと思い、張維に連絡を取らねばと考えておったのに。我が居らぬようになったら、誰もあちらと渡りをつけられなくなろうと。鷲を、未来永劫、このような場所にとどめておってはと…。》

その男は苦笑して言った。

《遅かったの。主が神世の責から逃げ出し、己の殻に篭って世を平定する面倒から目を反らしたその時に、我は主の寿命を切った。我が欲しかったのは、地を平らかに、命を守って清浄な世を作ることに力を尽くす神。主はそれが出来る神であったのに、自ら放棄したのであるから、もう要らぬと思うたのだ。主が死んでも、鷲の王の血筋は途絶えぬ。もう既に子もあった。なので、我は主を黄泉へ送った。》

焔は、目を見開いた。では、この男が決めたことなのか。我は、それで死んだのか。そうして、また転生したのもまた、この男ゆえだった。ならば…。

《…鷲を、世に出せと?我の、前世の責を負うために。我のせいで、こんなことになっておる鷲を元へ戻し、そうして、世の役に立てと?》

男は、首を縦にも横にも振らなかった。

《どうであろうの。戻って考えよ。主は、どうしたい?》と、その男は消え始めた。《また寿命を切られてしまわぬようにの。まずは己の記憶と戦うが良い。今の主には重いであろう…まだ、父が居る。よう考えよ。》

そこで、その声は消えた。

その瞬間、焔はハッと目を開いた。

空は、夕焼けに赤く染まりつつあった。

焔は、木の足元に、上を向いて四肢を投げ出して転がっていた。目を覚ました焔は、自分の手足を確認し、まだ細く、成長途中であるのを見て取った。あの頃の自分とは、似ても似つかない腕…。

そう、まだ子供なのだ。

焔は、浮き上がって遠く皆が住む神世に、沈んで行く夕日をじっと見つめた。知らず知らずの間に、浮いたまま膝を抱えて座るような形で考えていた。戻って来た記憶の中で、遠い神世に住む友を思った。だがしかし、恐らくその友ももう、皆黄泉へと旅立ったであろう。あちらで会うこともなかった…恐らく、行く場が違ったのだろう。あれらは、責務をまっとうしたのだ。我は、放棄した。あの張維の子の維心の気を見た時、世は龍の世になると悟った。その瞬間、このままでは戦国に巻き込まれ、自分の民は龍の下に下ると思った。張維はそんな性質ではなかったが、その子維心はあれほどの気を持つのだ。力の大きな龍…龍は、本来残虐で粗暴だ。それを己で抑え付けているのだが、力が大きければ大きいほど、その残虐な性質は強くなると言われていた。ならば、維心は恐らく、張維より強硬な姿勢を持つだろう。鷲も鷹も、鳥も虎も、恐らくただでは済むまい…。

そう考えた焔は、神世を後にした。そして、すぐに後悔した。…だが、ならば鳥や鷹や虎は、いったいどうなってしまうのだ。

炎真や蓮、箔志のことが頭を過ぎった。あれらは、世に残った。我が居らぬようになって、あれらを助けることが出来ぬではないか。鷲だって、未来永劫こんな狭い土地へと押し込めてしまうことは出来ない。鷲だけで生きて行くなど、そんなことが己の一族にとって益となるはずはない。

慌てて張維へと、どうやって言い訳しようかと考えていたその最中、焔は急に眩暈を覚えて倒れた。腕には、炎の痣…そう、死斑が現れていた。

自分は死ぬ…!

焔は、悟った。間に合わぬ。これから神世に戻るための根回しを、我自身でなければ誰にも出来ぬのに!

老いは、驚くほどに早かった。どうしようもなく気が消失して行くその中で、焔はせめてと必死に自分と友人達のことについて書き記して行った。これが、煁の役に立つのなら…!もしくは、生まれたばかりの煽が、世に戻ろうと考えた時に、使ってくれさえしたら…。

命が尽きるその瞬間まで、焔は筆を放さなかった。そうして、意識が遠く薄れて行くのを感じながら、まだ書に筆を走らせようとしていたところまで覚えているが、そのまま、自分は世を異にした…。

夕日が沈む。焔は、後悔していた。なぜにあのようなことを考えたのか。自分の種族のことだけしか、考えられなかった。誇りがなんであろうか。世を捨てるなど、王がする決断ではないのに。

「焔様。」

焔は、ハッとした。弦の声だ。探しに来たのだろう…自分は、まだ子供なのだ。煽が…父が居る。まだ、自分は鷲を率いているわけではない。まずはこの体を成人させねばならぬ。そうして、機が参ったら、王座に座る。父を脅してでも、その座に就き、そうして龍に、鳥に会わねばならぬ…!

だが、煽は焔が成人して間もなく、老いが来て世を去って逝った。

焔は、200歳にして王座に就いたのだった。


「正確には、240歳の時であったがの。」月の宮のコロシアムの小会議室で、焔は維心と炎嘉、蒼に言った。「我は煽の葬式を済ませてすぐに、軍神達に命じて神世を調べさせた。そうして、最近の神世の力関係を知ったのだ。鳥が滅んだのも、そこで知った。」

炎嘉が、ふーっと長い息を吐いて、沈黙を破った。

「我が跡継ぎに炎翔を選んで世を去ったのが原因ぞ。」炎嘉は、息をついた。「あれには、つらい在位であったろう。兄弟は多かったが、一番下の炎託が大変に我に似ておった。だがまだ幼かったし、母の身分のことで臣下が炎翔を皇太子から下ろすことに反対したのだ。炎翔は、我の在位中のことを知り過ぎていて、龍の下に下るのを嫌がった。あれの力がそれほどでもないのに、龍が最早言う事を聞くはずなどないことも、抗っても勝てぬことも、あれには分からなかったのだ。一族は滅び、それでも細々と生き延びておった鳥達を、我は見つけ出しては南の宮で世話しておる。なので、全く滅んでしもうたのでもないのだ…また、数が増えて参っておるからの。今は龍である我に、よう仕えてくれておると思うておるよ。」

蒼は、頷いた。

「オレの妃の一人が、前世の炎嘉様の最後の皇女でな。今は老いているが、まだ元気にしている。娘達のうち一人は、炎嘉様の宮の、そうやって見つかった鳥の軍神に嫁いだのだ。」

炎嘉は、それには眉を寄せた。

「まあ…あれは密やかにであったろうが。主、ここでばらして良かったのか?」

蒼は、肩をすくめた。

「良いのですよ。」と、何のことかとこちらを見る維心に言った。「あの、雪華のことです。ずっと将維将維と大変でしたが、結局は炎嘉様について参っていた軍神の将と婚姻をして…もう、100年ほど。維心様には、鳥同士のことであるので、言いづらかったのですが。」

維心は、目を丸くした。

「100年と?主らしゅうないの、蒼よ。何でも我に申しておったくせに。まあ、別に誰の娘が誰と婚姻でも我は構わぬよ。維月さえ我が妃であるならの。」

焔は、何のことか分からなかったが、それを聞いていてフッと思った。維月…聞いたことのある名であるが。はて、どこで聞いたのであったか。

「そうか、維心には妃がの。我は今生、面倒で臣下が持って参った婚姻は皆蹴っておるから、一人も居らぬがな。」と、何かに気がついたように言った。「そういえば、主、この宮を建てさせた五代龍王の維心と同じ維心であったな。ここを結納代わりと聞いたが、左様相違ないか?」

維心が答えようと口を開いたが、炎嘉が横から割り込んで答えた。

「左様相違ないわ。こやつはの、維月に狂っておるのよ、前世からずーっとの。」

維心は、憮然として言った。

「己が手に出来ぬからと妬むでないわ、炎嘉!我はこの命で愛したのは維月のみであるからの!前世遊び回った主と同じにするでない!」

焔は、感心したように言った。

「ほう、なら妃も転生を?今生も共に居ると言うか。」

維心は、得意そうに頷いた。

「その通りよ。我らはずっと離れぬ。死であっても我らを分かつことは出来ぬ。共に逝き、共に生まれる。そう決めておる。」

焔は、この歴代最強の龍王が、生まれ変わっても共にと望むほどの女に、会ってみたいと心底思った。いったい、どれほどの女なのか。

「興味のあることよ…主ほどの神が、そこまで愛する女とは、いったいどのような女なのか。おそらく淑やかで、心栄えもよく、見目も見たこともないほど麗しいのであろうの。」

蒼が、息を飲んでいる。そんな大したもんじゃないのに、維心様がハードルを上げてるからエラいことになってしまってるじゃないか。

しかし、維心は言った。

「淑やかではないが、見目は麗しいし、心根も優しくはっきりとしておって清々しいのだ。分かりやすいことこの上ない性質ぞ。それに気が珍しい月の気で、癒しと催淫の効があっての…側に置かずには居られぬのだ。」

炎嘉が、呆れたように聞いている。焔は、それを聞いてふと、気がついた。月の気?今、月と言ったか?

「…ちょっと待たぬか。月と申したか?」

維心は、頷いた。

「そうよ。我が妃は月。陰陽の陰ぞ。陰の月の維月が、我が妃なのだ。だからこうして、妃の里帰りにはついて参っておる。」

陰の月の維月!

焔は、心の中で仰天していた。では、あの時物凄い速さで降りて来た、あの女か。そうかあの時聞いたのが、維月という名だった。だが、だがあれがこの、維心がここまで心酔して側を離さぬ、これほどまでに大きな宮と領地を結納として贈るほどに愛している妃だと言うのか。しかも、前世から!

焔は、何と言っていいのか分からず、しかし維月には黙っていてくれと言われているので会ったとは言えず、ただ口をぱくぱくとしていると、維心はその様子に、ぐっと眉を寄せた。

「…興味とて、維月には会わせぬ。そのように簡単に、目通りを許すつもりもないし、今日も奥でじっとしておるように申したところ。主、興味など持つでないわ。」

もう、会ったのだが。

焔は思ったが、黙って頷いた。炎嘉が、面白く無さげに言った。

「維月維月と。我の妃でもあると、焔に言うておけ、維心。年に二度は我の所へ来させる約束であるからの。分かっておろう…主の無理な頼みを、聞いてやったのだからの。」

維心は、炎嘉をにらみつけた。

「主の妃ではないわ!あれはただの遊戯ぞ。許しておれば調子に乗りおってからに!」

炎嘉は、睨み返した。

「前世からがっつり抱え込みよって腹が立つの!己だけが維月の夫だと思うでないわ!」

焔は、また驚いて炎嘉を見た。炎嘉もあれを?!いったい…今の神世はどうなっておるのだ。

焔は、カルチャーショックを受けて眩暈がした。額に手を置いて、ため息をつく。蒼は、それに気付いて慌てて焔を見た。

「焔殿?大丈夫ですか、あの、ご記憶が何か?」

焔は、首を振った。

「あ、いや、何でもない。その、今の神世について教えてくれぬか。我は、本当にここ最近のことしか知らぬでな。我が去ってからの世、どう変わったのか知りたいのだ。」

蒼は、頷いた。そうして、先ほどよりは丁寧に、焔を案内した。これは、3000年前の神の記憶を持つ、王なのだ。尊重しなければならないだろう。

「では、こちらへ。学校というものが、この月の宮にはあるのですよ。そこの図書館…書庫にて、いくらでも見ることが出来ますから。」

焔は、頷いて立ち上がった。維心と炎嘉が、それに気付いて振り返った。

「何ぞ、もう参るのか。」

維心が言うのに、炎嘉が言った。

「そうよ。まだ生まれた時からのことしか話しておらぬよな。前世はどうであったのだ。父のことを聞きたい。」

蒼が、呆れ顔で言った。

「とにかく、これから書庫へ。維心様も炎嘉様も、もう言い合いなどなさらないでください。静かに。」

二人は、むっつりと黙った。言い返したかったが、もっともだからだ。

そうして、四人はコロシアムを出て、学校へと向かったのだった。

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