地の底で
碧黎は、本体でじっと考えていた。
ここに戻って来た直後は、いくら碧黎でも動転していたのか、気の調整がうまく行かずにいくらか暴走し、地上に大雨を降らせてしまった。なんとか落ち着いて、今はいつもと変わりないが、それでも考える事は多かった。
陽蘭の意識が、同じ本体の中で眠っているのを感じる。陽蘭のことは、大事でないわけではなかった。太古よりいつの間にか側に居た、共に時間を過ごして来た命だったからだ。
だが、陽蘭とは離れていた時間があった。その時間は、碧黎にとっても片割れということについて、深く考える時間だった。陽蘭は、人世で数多くの人の男と過ごしていた。そこで生きるためであって、必ずしも愛していたのではないだろうが、そうやって陽蘭が誰かと過ごしている間、碧黎はたった一人で地を平らかに保つことばかりを考えて、地表の命を育むのに力を入れていた。
千数百年の時を経て、陽蘭と再び会って、お互いに許したものの、碧黎にはまだ、よく分からなかった。
陽蘭が人の男から学んで来た、相手を愛するということが、碧黎には今一分からなかったのだ。陽蘭は、自分を愛せとよく言った。だが、自分の陽蘭に対する気持ちが、いったい何なのかが本当に分からなかった。十六夜や維月、維心に出逢ってその話を聞き、おそらくこれだろうと思うこともあり、陽蘭を愛しているのだと思おうとしていた。なので、話も辛抱強く聞き、なるべく陽蘭の望むようにしようと努力もした。
だが、しっくり来なかった。十六夜や維心は、なぜにあれほど無心に維月を愛せるのだ。面倒にはならないのか。腹は立たないのか。なぜにこちらが機嫌を取らねばならぬのだ。そんな関係は、疲れるだけではないのか。ならば一人の方が良いのではないのか…。
碧黎は、常疑問に思っていたのだ。
しかし、十六夜と維月を再び現世へ生み出したその時から、碧黎の気持ちは変わった。
十六夜もそれはかわいい。だが、無心に自分を頼って素直に心を委ね、自分の話を聞く維月という娘の存在は、碧黎の心にこれまで知らなかった感情を生み出した。この娘のためなら、どんなことでもしてやりたい。そう、自分の命を削ってでも、この命を幸福にしてやりたい…。
それは、碧黎に自分を犠牲にしてでも守りたいものというものがあるのだと教えた。
そうして、その娘は育ち、一人前の命として目の前に立ち、自分と対等に話した。育っても、やはり碧黎の心は同じだった。この命を大切に、幸福に、辛い思いなどさせぬよう、全てのものから自分が守る…。
その気持ちが、愛情なのだと、碧黎はやっと知った。
陽蘭に持っていたのは、愛情ではなかった。だからこそ、自分はあれほどに面倒に思い、側に居て言うことを聞くことに我慢を強いられているような心地になっていた。
維月に対してならば、そんなことは毛ほども思わなかった。維月が望むなら、何をしていてもすぐに飛んで行き、その望みを叶えた。泣いていれば抱きしめて、泣き止むまで辛抱強く側にいた。取り留めのないことを話していても、維月が楽しそうなら、その場に留まって話を聞いた。まとわりつかれても、我慢などしなくて良かった。そうしているのが、心地よかったからだ。
そう悟って、一気に維月のことばかり見ているようになった。それでも、幸福ならば自分を呼ばなくても気にならなかった。維月さえ、幸福ならば碧黎も幸福だったのだ。
思えば陽蘭は、それを感じ取っていたのかもしれない。自分に愛されていない事実を感じ、そうして他の男に愛され、愛したのだろう。自分も、それに対して感情が動く事も無かった。
碧黎は、陽蘭にすまないと思った。十六夜と維月のように、同じ本体の命は愛し合っているのが一番幸福なのだ。十六夜と維月は、月へと二人で戻っている時が一番穏やかな気を放つ。二人で意識もないほど泥のように月で眠り込んでいるのを、苦笑しながら見上げていたこともあるほどだ。本来なら、こうして戻っていたら碧黎も落ち着くはずなのだ。それが、陽蘭の意識の端が自分の意識の端に触れることに、抵抗がある。まるで他人が、自分の寝台へ潜り込んで来たかのように…。
それでも、碧黎が居心地悪くそこにじっとしていると、十六夜の声が呼んだ。
《親父?居るんだろう?維月から、伝えて欲しいって言われて来たんだ。出て来てくれ。》
碧黎は、上を見上げた。地の宮の奥、本体に一番よく聞こえる場所に十六夜が来ている。
碧黎は迷ったが、そこに居づらかったのもあって、光になってそこへ向かって打ちあがって行った。
地の宮の奥へと実体化すると、十六夜がそこに立っていた。
「親父!良かった、出て来てくれねぇかと思った。」
碧黎は、眉を上げた。
「我が?なぜに?」
十六夜は、少し言いづらそうに下を向いた。
「その…維月から聞いて、さ。親父が、しばらく本体へ戻ってるって言ったって言うから。」
碧黎は、視線を下へ向けた。維月は、維心とのことすら十六夜の話す。ならば、自分のことも話してもおかしくはないのだ。
「…ならば理由も知っておろう。我は、しばらく月の宮へ戻らぬ。」
十六夜は、顔を上げて言った。
「そのことなんだ!維月が親父に伝えてくれって。維月は、しばらく月の宮へ戻らないから、安心してくれって。自分は大丈夫だからって。親父に、あっちへ戻っててもらいたいんだよ。」
碧黎は、十六夜をじっと見た。維月がそう言ったのか。
「…主はそれで良いのか。維月が己の下へ戻って来ぬのだぞ?」
十六夜は、頷いた。
「オレは月から毎日話してるしいい。会いたけりゃ会いに行くし。」
碧黎は、考えるように黙った。十六夜は、思い切って言った。
「なあ親父、維月は親父を親父として愛情持っていられるように、努力するんだって言ってたよ。だから、しばらく会わない方がいいんだって。あんまり大事にされるから、勘違いしたのかもって。きっと、あいつのことだから、そのうちケロッとして寄って来るさ。」
碧黎は、しばらく下を見ていたが、視線を上げて十六夜を見た。その真剣な顔に、十六夜は驚いた。
「十六夜…勘違いではない。」十六夜が更に驚いた顔をする。碧黎は続けた。「我は、陽蘭すら愛していなかった。それを、維月と過ごして維月を想うようになって、やっと分かった。維月を想うこの気持ちが、愛情なのだ。我は、維月を愛している。身を求めることは無いかもしれぬ。他の男が側に居ても、妬くこともないのかもしれぬ。だが、我はあれを愛しているのだ。維月がなのでそれを感じても、おかしくは無い。維月のせいではない。我のせいぞ。」
十六夜は、言葉を詰まらせた。
「親…父。」
碧黎は、息をついて下を向いた。
「主からも、維心からも取り上げるつもりなどない。これ以上、我があれに愛情を感じさせるようなことをしてしもうては、あれの気持ちが我に引っ張られるやもしれぬ。元は地の底で一人であった。我はそこへ戻るだけぞ。元々、生を楽しむような命ではないのだ。贅沢をし過ぎた。」
碧黎は、そう言うと光に戻った。
「親父!」
十六夜は急いで引きとめようとしたが、碧黎はそのまま、何も言わずにまた本体へ、地の底へと戻って行った。
取り残されて、十六夜は呆然と立ち尽くしていた。
維月は、茶会と言っても女神達からの直訴を聞く、そんな場からやっとのことで戻って来ながら考えていた。龍王妃の茶会とは、維心の謁見とは違い、気軽に女が頼み事や願い事を出来るようにと維月が続けている会だった。毎回抽選で招待客が決められ、一度当たった宮は全ての宮が招待を終えるまで抽選に当たることはない。そんな中、今日も20人ほどの招待客が居て、維月は一人一人と話して、その悩み事や、頼み事を聞いて回った。いくらかはどこの夫婦にでもあるようなプライベートな悩みで、誰に聞いてもらったらいいのか分からないというものだったが、宮の存続に関わるような、深刻そうなものも中にはあった。幾つかは既に維月の権限で兆加に命じて一時的な支援をさせることになったが、大規模な支援になると維心の許可が要る。
維月は、少し気が重いなあと思いながら、居間へと歩いたのだった。




