本心
維心は、ホッと肩の力を抜いた。目の前の炎嘉は、杯を手にそんな維心を見やった。
「維心?どうした。」
維心は、炎嘉に視線を向けた。
「十六夜と維月の会話を聞いておった。」
炎嘉は、顔をしかめた。
「また。いくら結界内は全て見えてるからと、盗み聞きはようないぞ?して、何か安心するようなことを言うておったのか。」
維心は、頷いた。
「維月が我を愛しておると。」
炎嘉は、また盛大に顔をしかめた。
「だから何ぞ?そんなことは分かっておるではないか。」
維心は、じっと炎嘉を見つめた。
「今の我は、今生の記憶を優先して努めて前世の記憶は抑えておるが、しかし無理をしておることは事実。本当ならこれが我であるから、この我も維月に見せて、その上で判断してもらおうと考えた。碧黎だって、今生維月と交流して来た上で、維月の心を惹き付けたのであるから。前世は、何も感情の交流はなかったのだからの。やはり、新しい生を生きているのだから。」
炎嘉は、維心を見た。
「つまりは、主は前世を封印することで、新たな主の魅力に気付いてもらおうとしたと言うわけであるの。それでも、維月は主を愛しておると言うておったのか。」
維心は、黙って頷いた。素直に嬉しそうに少し頬を紅潮させている。炎嘉は、そんな様を見て、呆れたように言った。
「何ぞ、主はほんに何と言うか、愛らしいの。」維心が、仰天した顔をして炎嘉を見ると、炎嘉は手を振った。「ああいや、違う。我が主を愛しておるとかそんなことではないぞ。素直で子供のようであって、それが微笑ましいのだ。息子を見るような。まあ主は友であって歳も近いのだが。」
維心は、拗ねたように横を向いた。
「うるさい。ちょっと嬉しかっただけぞ。主の前であると、どうも調子が出ぬ。」
炎嘉は、ハッハと笑った。
「若い記憶で生きておる証拠ぞ。我には気がやすいであろうから。しかし、我は父ではないからの。困った時にはいつも我、というのはいい加減やめぬか。我とて万能ではないのに、どうにかしてやらねばと焦るではないか。」
維心は、それにも素直に頷いた。
「分かった。だが、あの瞬間炎嘉ぐらいしか思いつかなんだから。」
炎嘉は、苦笑した。
「ま、しようがないの。話ぐらいは聞く。だが、何とかしてくれと言うのはやめてくれ。」
維心は頷いて、まだ維月と十六夜は話していたが、それには聞き耳を立てず、炎嘉と楽しく語らいながら酒を汲み交わしたのだった。
深夜、月も傾いて来た頃にやっと、維心は部屋へと帰った。奥の間へと入ったが、そこに維月は居なかった。思えば、自分がここで待てと言わない限り、維月がこの維心の部屋で休むことは出来なかった。それは、王と妃の間でも、部屋が分かれている神世の王族では当然のことだった。維月は、いつも維心が側を離さずそのまま部屋へ入るので、必然的に自分の部屋のようにここで休んでいたが、本当はこうだったのだ。
維心は、自分の部屋で待つように言わなかったことを後悔した。維月が居ない寝台は、とても入る気になれなかった。いつも、維月が月の宮へ里帰りしている時の、寂しい気持ちを思い出す。
維心は、隣り合って繋がっている維月の部屋へと繋がる戸を、そっと開いた。いつものことだが、そこには鍵は掛かっていない。中は灯りが落ちていて、維月が眠っているのが分かる。起こさないように、維心はそっと寝台の方へと回りこんだ。
すると、維月がそこですやすやと寝息を立てて眠っていた。思わず頬を緩めた維心は、起こさないように、そっとその横へ滑り込んだ。そして、維月をそっと抱き寄せ、その気を感じてホッと息をついた…こうしないと、一日が終わる気がしない。
維月は、それに気付かずぐっすりだ。維月の寝つきはとてもよく、しかも深い。安心し切っているからだろうが、維心の気が側に来ても起きることはまずなかった。だが、他の神であったら、すぐに目が覚める。つまりは、維心以外の気は警戒しているのだ。
「…我とて、主を愛している。本当なら、前世の記憶が無くても主と他の神が話す様だって腹が立って仕方がないのに。余裕など、主に関して我にはあり得ぬよ。いつなり我に縛りたくてならぬ…だが、それで主の心を失うぐらいなら、我はこれぐらい我慢せねばと思う。」
維心は、ぐっすりと眠る維月を抱きしめて、そう言った。維月からの答えは無い。分かっていたが、それでも口にせずには居られなかった。起きている維月に言って、その反応が怖かったのだ。せっかく自分に余裕が出来て、それを慕わしいと想ってくれているのに、それが無くなることを恐れていたためだ。
維心は、自分の心を吐き出して少しすっきりすると、そのまま維月を抱いて目を閉じた。
維月は、そんな維心が眠るのを待っていたかのように、少し薄く目を開き、そうして維心の方へと寝返りを打って、その胸に抱きついて再び目を閉じた。
次の日の朝、維心は目を覚まして、そこが維月の部屋であるのを見て、昨夜のことを思い出した。そうして、自分に抱きついて眠っている維月に視線を落とすと、その額にそっと口付けた。
維月は、すぐに目を開いた。
「まあ維心様…わざわざお越しになられましたの?お呼び頂きましたら、そちらへ参上しましたのに。」
維心は、微笑んで維月の頭を撫でた。
「遅うなったゆえの。よく眠っておったし、起こすに忍びなかった。だが、次からは我が居らぬでも我の部屋で眠って待っておれ。部屋へ帰らずとも良い。」
維月は、苦笑しながらも、頷いた。
「はい、維心様。」
「良い返事ぞ。」と、身を起こそうとした。「さて、本日は主が開く女神の茶会だとか言うておった…、」
維心が言い終わらない間に、維月は維心をがっつり抱いて止めた。足まで使っている。維心は、びっくりして維月を見た。
「維月?」
維月は、ふふと維心を見つめて笑った。
「まだ夜は明けたばかりでありまする。茶会はお昼から。まだ時間はありまするわ。」と拗ねたように口を尖らせた。「昨夜はお帰りが遅くであられましたのに。維心様には、炎嘉様がいらしたら私のことなどすっかり忘れてご興味も薄れられておるご様子。」
維心は、慌てて首を振った。
「そのようなことはない。昨夜だってこうして主の部屋へ来たではないか。我は主のことを忘れてなどおらぬぞ。」
維月は、維心の首に腕を回した。
「ならば私を見てくださいませ。維心様…もっと身近くに。」
維心は、それを聞いて嬉しそうに微笑んだ。
「こうして主に抱きつかれておるのに、これ以上身近くにとはどういうことぞ?維月…我が欲しいならそのように素直に申せ。さすれば主の願いを叶えてやろうぞ。」
維月は、微笑んだ。
「はい、維心様。維心様が欲しいのですわ。」
維心は嬉々として維月を抱きしめた。
「おお維月、主からそのように。よしよし、素直で良い。」と、維月に唇を寄せた。「ならば主が欲しいもの、与えよう…。」
二人は口付け合って、そうして維月は維心をしっかりと抱きしめた。
その日は、龍王妃の茶会の日だった。
日も高く昇った頃、侍女達にそれなりの装いをとわらわら囲まれて、維月は新しい袿を着せかけられた。いつもは羽織るだけなのだが、公式の場に出る時は前で細い帯で結ばれる。これがまた維月には邪魔なのだが、龍王妃なのだから仕方がなかった。
髪を結い上げられ、かんざしを例のごとく山ほど挿されて、重くなった体に維月はふて腐れて、居間で炎嘉と話していた維心の前に立った。
「おお、よう似合う。」維心は喜んで言った。「たまにはそのような姿も見たいものよ。参れ。」
差し出された手を取りに、歩きながら、維月は言った。
「いつもながらとても重いのですわ。でも、皆様の前に出るのですから、我慢は致しまするけど。」
炎嘉が、感慨深げに頷いた。
「どこの王妃も同じような思いをしておるもの。特に主は龍王妃であるから、宮の面子もあるのだ。本日ここへ来る王妃や皇女は、もっと大変な思いをしておるぞ。そのままの格好で輿に乗ってはるばる来るのだからの。主は身分柄出る必要がないのだから、まだ恵まれておるわ。」
維月は渋々頷いた。
「はい、炎嘉様。では、行って参りまする。」
維心は、頷いた。
「もう、皆待っておると先程知らせが来たゆえ。話を聞いてやって来るが良い。」
維月は頷いて、侍女達に会釈すると、引き連れてそこを出て行った。炎嘉が、それを見送りながら言った。
「維月も、落ち着いておるではないか。龍王妃としての役目を果たしておる。我だって維月は慕わしいが、それでもあの地位から引き摺り下ろしてまで己の側にとは思わぬの。」
維心は、炎嘉を見た。
「維月は、神世最高の地位の女として我が守る。前世より決めて来たことであるから。いくら主でも、渡すつもりなどない。」
炎嘉は、維心に手を振った。
「だから今奪い取るつもりはないと言うた。だがしかし、心は別。いつかはと思うのは真実ぞ。此度のように、碧黎とか言われたら我だって焦るが、主ならの。友であり、ライバルでもある。そうであろうが。」
維心は、炎嘉を睨んだ。
「…分かっておるわ。それでも、主に相談せずには居られぬのだから、我も甘いよの。」
炎嘉は、ふふんと笑った。
「そう。そして我も、それでも主を助けようとするのだから、甘いよの。」
維心は、宮の中を茶会の行なわれる広間へ向けて歩いて行く維月の気配を探って追いながら、誰にも渡さぬと、心の中で思っていた。




