変化(へんげ)
維心が、顔を上げた。
「…間に合わなんだか。」
横に居た維月は、維心を見上げた。
「え…?何か?」
維心は、苦笑して維月の頬を撫でた。
「どちらかが祟り神に変化しようとしておる。将維と晃維の気がするゆえ、おそらく二人で抑えておるのだろうが、こうなってしまうと難しいの。」
維月は、口を押さえた。
「そんな…!」
維心は、ため息をついた。
「一人は助けたのであろうから、まあ仕方のないことよ。元はといえば、あれらが過去へなど参るからあのようなことになる。祟り神など、もう今の世には居らぬのだからの。」
それでも、維月は言った。
「そのような!あの折、人であった私を助けようと飛び出してくれたから、あのようなことになってしもうたのですわ!そうでなければ、無事であられたのに。潜んで見捨てておられたら、こんな目に合わずに済みましたものを!」
維心は、維月の剣幕に驚いた顔をした。
「確かにそうであるが…余計なことであった。主はあの時死ぬはずであったのだから。結局は命を落としたではないか。」
維月は、それでも首を振った。
「それは結果でございまするわ!知らなかったから、襲われておる人を見捨てることが出来なかっただけなのです!」と維月は立ち上がった。「月の宮へ参りまする!」
維心は、慌てて維月の腕を掴んだ。
「何を言うておる、主が行って何が出来ると申す!新たな祟り神の気に、主が当たってしもうたら大変ではないか!」
維月は、ぶんぶんと首を振った。
「将維と晃維は、何とかしようとしてくれておりますわ!私は、参ります!」
そう言うが早いか維月は瞬く間に光に変わった。月へ戻って、月の宮へ実体化するつもりなのだ。
維月の腕を掴んでいた維心の手は、途端に空を切った。
「維月!」
《これが収まったら、すぐに戻りまする!》
光は、空へと打ちあがって行く。
「こら維月!待たぬか、行くなら我も!」
しかし、維月からの答えはない。
遠く月の宮へと、維月の光が降下して行くのが見える。
維心は、舌打ちをして、慌てて窓から月の宮へ向けて飛び立ったのだった。
将維は、必死に踏ん張っていた。
「…殺してはならぬし…!」
将維の気が、ぐいぐいと押されている。晃維がそれをフォローしてくれているのでこれで済んでいるが、祟り神に変化しようとしている、いわば祟り神が誕生しようとしている爆発的なエネルギーを、そうならぬように押し返しているのだからかなりの力だった。何でも誕生の時のエネルギーが特に大きいのだ。殺してしまうのなら将維の力なら難なく消してしまえるのだが、それをするなと言われているのだ。しかし、生まれようとしているものを無理に押し戻しているのだから、大変な負担だった。
「兄上!」晃維が、叫んだ。こちらも必死のようだ。「もう、消してしもうた方が良いのでは!」
将維は、ちらと晃維を見た。確かに晃維の力と合わせてこれなのだ。いっそこのままこの膜の中で消滅させてしまった方が…。
すると、上から声がした。
「まあ!なんと言うことを言うの、晃維!」二人が仰天して見上げると、そこには維月が浮いていた。「ああ将維!修はまだ人だった私を助けようとしてこんなことになってしもうたのよ!助けてあげて!」
「維月!」将維は、叫んだ。「いったいどういうことぞ?人だったとは何ぞ!」
維月は、浮き上がったまま将維の手に自分の手を添えた。
「知らないのね、話は後で!」と、集中した。「私の力も貸すわ!闇に似てる…言うことを聞くかも!」
維月の力が自分に流れ込んで来るのを感じた将維は、慌てて自分の中の陰の月の力とその力を合わせた。陰の月は、闇を操る力。陽の月は、闇を消し去る力がある。将維は、長らく使っていなかったその力で、祟り神になろうとしているその気に命じた…収まれ、眠れ…。
月から、一気に力が降りて来る。その青白い力は、晃維の白い力に混じって形が変わろうとしていた修を捕らえ、その気は見る見る終息して行った。
「…おお、収まる。」
将維は、ホッと肩の力を抜いた。晃維も、息をついた。
「良かったことよ。身の中の祟り神の気が、完全に凪いでおるわ。」
維月も、ほっとして将維と晃維に微笑みかけた。
「ああ良かったわ。ありがとう、将維、晃維。助けてくれようとしておったのでしょう。それで、蒼も十六夜も詳しいことは何も話しておらぬのね?」
将維は、維月を抱き寄せながら頷いた。
「何の説明もなく突然にここへつれて来られて、あんなことをさせられておったのだ。我は部屋で主から説明を聞こうかの。」
維月は、苦笑した。
「もう、将維ったら。それはまた後でね。維心様を無理やり振り切って出て来たので、きっとすぐに追って来られるわ。」
維月がそう言ったところで、後ろの戸が開いた。蒼が中を覗き込む。
「将維?収まったのか。」
将維は、頷いた。
「治療は出来ておらぬが、祟り神になるのは抑えられた。」
すると、その後ろから維心が蒼をぐいと横へ押しやって入って来た。
「祟り神になろうとしておる神を抑えるには、一度その身から命を引き剥がせば良いのだ。さすれば闇も共に剥がれるゆえな。そして分離して本人だけを戻す。押さえつけるだけが策ではないわ。祟り神になっておらぬのなら、それで事足りる。」と、維月を将維から引き剥がすように自分の方へと引っ張った。「いつまでそうしておる。離れよ。」
維月は、そんな維心をキッと睨むと、ぐいとその胸を押して維心から離れた。
「ならばそれをなぜに先に教えてくださいませんでしたの?いくら龍王であるからと、意地悪ですわ!」
維心は、眉を寄せた。
「これぐらいなら祟り神になる前に、さっさと消してしまえると思うたからぞ。何度も言うておるが、特別扱いなどせぬ。これは一般の神。神世に影響を持つような神ならば、我も世を守るために動くことがあるやもしれぬが、世に関わりのない神まで細かく面倒見ておったら龍王などやっていられぬわ。」
維月は、それでも維心に抗議した。
「将維と晃維はこうして手を貸してくれましたのに!」
維心は、首を振った。
「維月、主は分かっておらぬ。将維は王座を離れておるし、蒼から要請があって気が向いたから行っただけぞ。ならば月に願う人の世話を主は全て見るのか?病で死する子供を助けてくれと願う親は居らぬか?事故にあった親を死の淵から救い上げてくれと願う子は居らぬか?地上の全てのそういった願いを主は全て叶えるか?否ではないのか。たまたま目に付いたとか、知ったからとそれだけを特別扱いするのは神ではない。見るならば平等に。それが力を持ち上に立つ者の務めぞ。贔屓はならぬ。」
維月は、それを聞いて自信なさげな表情になった。確かにそうなのだ。目に付いたからと助けているだけで、本当に助けを求めている者の声は、聞いていないのかもしれない。
「でも…維心様も時に単身でふらりと出てらして、気が向いたら助けてくださったりなさるのに。」
維心は、息をついた。
「まあ、我とて機械ではないゆえ。神世に隠せそうなことなら、そして主や親族が頼むならば聞くこともあるの。だが、意味もなくその辺りで助けたりせぬぞ。我の立場では後々ややこしいことになるからの。」
十六夜が、入って来て言った。
「なんでぇ、維心の意識はやっぱり死んでたんじゃないのか。前の維心はそんなことは言わなかったぞ。」
維心は、十六夜を振り返った。
「言う機会が無かっただけではないか?神世で生きておるのだから、柵はある。主が自由すぎるだけぞ。分かっておるのではないのか。」
蒼は、維心の言うことが分かった。分かっているが、納得出来ないのが、自分達のように神世を統治しているわけではなく、王の自覚が足りない者なのだ。それは、碧黎から聞いて知っているが、それでも蒼も納得できていなかった。




