目覚め
蒼は、ガバっと起き上がった。ここはどこだ…?
そこは、大きな天蓋付きの椅子があり、それと向かい合うようにたくさんの椅子が置かれた、見慣れた居間の設えだった。側の椅子から、十六夜の体が起き上がった。
「…蒼?親父…?」
碧黎の声が答える。
「おお、戻った。」碧黎は、側の椅子に腰掛けた状態で、言った。「蒼、主はどうよ?記憶はあるか?」
蒼は、頷いた。
「はい。あの別次元に行っておった意識です。ここは、月の宮の、碧黎様の居間…?」
碧黎は、頷いた。
「そうだ。月の宮ぞ。歴史は、どの程度か知らぬが、ある程度は元のままであることが、それでわかる。」と、立ち上がった。「どれ、調べてみようぞ。時が要る。炎託達は、恐らくあの次元の扉のある部屋であろう。あれらはあそこから飛びこんだゆえ。見て参るが良い。」
蒼は、慌てて立ち上がった。
「はい。でも…維心様は…。」
碧黎は、暗い顔をした。
「あれは、若月を庇ったのを最後に、気を喪失して消滅したのを感じた。」
十六夜が、勢いよく立ち上がった。
「そんなはずあるか!こうして元に戻ったのに、維心の意識だけ無いなんて…!」
碧黎は、首を振った。
「我は戻せなかった。気が尽きかけておったし、あれを庇うだけの力はもう、残っておらなんだのだ。こちらが戻っておることを確かめた後、主らをこちらへ帰すのが精一杯だった。」
十六夜は、首を振った。
「維心が正したのに!なのに…維心だけ、戻って来れなかったなんて!オレは信じない!」
十六夜は、窓から外へ飛び出して行った。碧黎は、ため息をついた。
「気持ちは分かるが、事実ぞ。しかし、龍の宮に維心の気があるのが分かる。あの時の意識は消滅したやもしれぬが、維心という存在は生きておる。それだけでも良いと思わねばならぬ。」
蒼は、それを聞いて下を向いたが、頷くよりなかった。あんな世になるよりは、良かったのだ。しかし、ここまで一緒に来た維心という意識がなくなった。確かに、今いる維心もそれなりに一緒に過ごした維心であろう。こうして、月の宮も建ててくれている。だが、それでも蒼は、なぜか納得できなかった。違う維心のように思えてならなかったのだ。
それでも、蒼は炎託と慶、修を探して、次元の扉の間へと向かったのだった。
次元の扉の間へ着くと、炎託が、床に倒れて体を起こしている慶と修と気遣っていた。ほとんどの気を祟り神に吸い取られ、炎託に補充をされて一命を取り留めていたものの、まだ本調子ではないらしい。
蒼が入って行くと、炎託は振り返った。
「慶と修は悪うないのだ。我が無理に連れて参った…瑞姫を治療してくれと申して。」
炎託は、庇うように言う。しかし、青い顔のままの慶が言った。
「いえ…我らもそれを承諾したのです。瑞姫殿を助けられるのならと。同罪でございます。」
蒼は、ため息をついた。
「此度のことで、維心様の意識は消滅したと思われる。最後に慶と修を助けようとなさったからだ。だが、神世は元に戻った。主らがあちらへ行った瞬間、月の宮は消え、神世は今とは全く違ったものになってしまったのだ。過去に干渉するとは、そういうことぞ。簡単に考えるでない。何のためにここを封鎖しておると思う。碧黎様でさえ、これを扱うのにはかなり慎重にされるのに。普通の神では無理なのだ。」
慶と修は、うなだれている。炎託は、蒼に頭を下げた。
「申し訳ない。何なりと、沙汰を受ける。」
しかし、蒼は首を振った。
「これは、我らのほか誰も知らぬこと。何も起こらなかったと思うておる。時を変えるとは、そういうことなのだ。碧黎様が居ったから、どうにか気取って元へ戻すことが出来たが、そうでなければ皆、変わったことになど気付かず変わった世で生きておっただろう。なので、沙汰をとオレが言っても、いったい何に対しての沙汰だとなる。なので、何も。今のところ沙汰は考えていない。とにかくは、瑞姫のところへ行ってやると良い。あれも、もう最期が近い。」
炎託は、涙ぐんだ。ここまでしたのに、それでも命は繋ぐことが出来ぬか。
「蒼殿、ではやはり瑞姫はもう無理か。あれは、寿命と。」
蒼は、頷いた。
「月の眷族には、見ようと思えば寿命が見える。瑞姫の寿命は、まさに今。病とはいえ、あれはなるべくしてなったこと。前にも言うたよな。この病を治せたとしても、他の病に罹ってやはり今命を落としておったと。そういうことなのだ。」
炎託は、頭を垂れた。慶と修が、よろよろと起き上がる。元々、治癒の神であって軍神などではないので、体力はあまりないのだ。
蒼が言った。
「主らは、この宮の治癒の対へ。祟り神の気に当たったのだ。あまり良うないのではないか。」
二人は、顔を見合わせた。
「…はい。では、申し訳ありませぬが、我らに軍神をつけてもらって、牢へつないで頂いて良いでしょうか。」
蒼は、驚いたような顔をした。修が言った。
「祟り神の気は特殊であって、それを受けると病のようにその侵食を受け、己の気を飲まれる可能性がありまする。己のことは己で治療することが出来ぬ。あの祟り神、ああなる前はかなりの力を持った神であったよう。我ら、今は何とか抑えておりまするが、いつそれが破られるとも限りませぬ。」と、慶を見た。「慶を治療しようにも、我の気自身が同じものに侵されておるゆえ、出来ませぬ。どうか、回りに迷惑を掛けぬように。」
蒼は、二人を見た。
「それは…治療は?どうすれば良い。」
修は、慶を見た。慶は、首を振った。
「我らには、分かりませぬ。あの神の力より大きな気を持つ神で、治癒の技に長けておるかたでなければ、これを治すことは出来ぬでしょう。」
蒼は、炎託を見た。炎託は、首を振った。
「我は、一般的な治癒の技ぐらいしか知らぬのだ。」
蒼は、二人に言った。
「では、オレがそれを学んで使うのであったら?」
慶がまた首を振った。
「簡単なものではありませぬ。一歩間違えたら、己までそれに食われるのです。」と、修を見て、頷き合った。「もしも、抑えられなくなったなら、我らを封じてくださいませ。我ら、祟り神となることは望んでおりませぬ。」
蒼は、思っていたより深刻なことに愕然とした。治癒の技に長けた、力の強い神など…。
炎託が、蒼に言った。
「蒼殿、では早急に軍神を。それから、牢は月の封をした方が良い。我は、瑞姫の所へ行くが、それでも心当たりの神は居らぬかあちこち問い合わせてみよう。」
蒼は、頷いて侍女を呼び、嘉韻に軍神を送るように言付けた。
碧黎の所へ戻ると、碧黎は庭へ出ていた。そして、蒼が近付くと、振り返らずに言った。
「…確かに沙汰は下せぬな。あれだけの事をしたのに、神世は誰も知らぬ。我らだけが知っている。」
蒼は、頷いた。
「元の世に戻したいと思ったのはオレ達でした。でも、もしかしたらあれで死なずに済んで繁栄した神も居ただろうし、そちらの方が良かった神も居たでしょう。」
碧黎は、蒼を見た。
「鳥と虎であるな。」
蒼は、頷いた。
「炎翔は、結局は十六夜に殺されますが、でも鳥は皆殺しにはされませんでした。つまりは、今頃は皆平和に鳥の宮で過ごしておったはずなのです。今度のことに、炎嘉様をお連れにならなかったのは、正解だったのではないかと思いました。」
碧黎は、ほんのり笑った。
「主は、炎嘉が己の種族が生き延びた未来を選ぶと本気で思うか。」
蒼は、目を丸くして碧黎を見た。
「でも…それならば、きっと黄泉でそう待たぬ間に維心様と再会しておったと思うのです。そして、転生する時は、自然に赤子から鳥の宮へと生まれたでしょう。今のように、不自然な形で龍で居ることもなかった。炎嘉様は、維心様を助けたいと転生を急いで、龍の器を選んで記憶を持って来られたのですから。」
碧黎は、息をついて空を見上げた。
「我はそうは思わぬな。どちらかを選べと言われたら、炎嘉もこの今の世を選ぶだろうと思う。確かにあり得た未来ではあったが、もうこれを知っておるのであるから。それに、維月とは会えておるまい…会っておったとしても、黄泉。黄泉はの、確かにこちらと変わらず穏やかな地で、愛する者と共に居ることができるが、それでもあちらは退屈な世ぞ。子も出来ぬし、何より己のためにだけ存在し、何かのためになるような事は何も出来ぬ。責務はない代わりに、ただ退屈な毎日が過ぎて行くだけ。こちらで濃い生涯を終えた者ほど、最初は穏やかに休んでおるが、そのうちに何かのために生きたくて仕方がなくなるのだ。維心もそうであろう。世のために生きておったあれが、己のためにだけ生きよと言われたら、何をしていいのか分からぬと言うておった。ま、あれは維月が居るならそのために存在して、それで満足しておるようであったがな。」
蒼は、首を目を伏せた。
「オレは…まだ死んだことがないから、よく分かりません。きっと、ずっとそうなのでしょうね。」
碧黎は、それを聞いて蒼に向き直った。
「蒼。不死の命は重い。恐らく主の気持ちが分かるのは、我だけであろうの。維心や十六夜ですら一度死んで黄泉で休んでおったのに、我らはそれが出来ぬ。ずっと、何かのために存在し、生きている。我は生きながら黄泉へ行くことも出来るゆえ、あちらのことも知っておるのだが、主は全くあちらを知らぬしな。」と、遠い目をした。「…皆、先に逝く。我らを置いて。我は、それを知っておるからこそ個としての命を見ては来なかった。しかし、こうして皆と過ごすことを楽しいと思うにつけて、それらが黄泉へ旅立つ寂しさもまた分かるようになった。まして、主は人として生まれて、生まれながらに情を学んで育った命。これから、辛いことも多いであろう。その時は、我ら地を思い出すが良い。こうして、ただ命を世話して生きる、我らのことを。我だけは、死なずで存在するであろうからの。」
蒼は、頷いた。自分は、一人にはならない。碧黎が居る。十六夜は、維心がまた黄泉へ逝く時維月と三人で去るのだろう。だが、自分は一人にはならない。きっと、この元に戻った世なら…。
碧黎は、表情を緩めて言った。
「ま、時はある。主の意識が成長するためのの。炎嘉や維心は、あそこまで来るのに1700年掛かった。そして、それからまた転生して300年ほどか。主もあれぐらい世で過ごせば、あれらのような判断が出来るようになるだろうよ。案ずるでない。」
蒼は、苦笑した。つまりは、オレはまた未熟だということか。
「はい。」蒼は、笑って言った。「そうですね。オレも、いつかああいう風になるのかなあ。」
碧黎は、穏やかに微笑んでまた空を見た。
「…うむ。世は変わらぬ。変わったのは人の維月が死んだ直後、維心と十六夜とばたばたとしたあの辺りぐらいで、後は全て全く同じ流れのようぞ。我も出て参り、主らと交流し…全く同じであるわ。良かったことよ。」
蒼は、仰天して碧黎を見た。
「え、碧黎様、今話をしている間にも、歴史を見てらしたのですか?」
碧黎は、逆に驚いたような顔で蒼を見た。
「見ておった。本体から気の供給さえあれば、我はいくらでも同時に事を行なうことが出来るのだぞ。知らなんだのか。」
それは知っていたが、でもそんな大きなことをしながら、あんな込み入ったことも話せるなんて。
「…碧黎様は…やっぱり、碧黎様なんですね…。」
そう、出逢った時と変わらない。こうして頻繁に会って話すようになって、近い存在のように思っていたのに。
碧黎は、それを聞いて怪訝な顔をした。
「…何を言うておる?我は我ぞ?」
蒼は、頷いた。答えようがない。
だがそのまま、納得しない碧黎がしつこくどういう意味かと聞いて来るのに、蒼は困ってしまったのだった。




