クガトヒブセトイヌガミ (8)
「ただし、だ」
改めて巳咲は言葉を繋いだ。
要もそれは予測していたので、特に驚きもせず話の続きを聞こうと耳を傾ける。
「ここまでに話した材料だけじゃあ、今このタイミングでサバキとやり合おうって決断をする理由としちゃあ弱いってのは分かるだろ?」
「あ……サバキが強すぎて勝てないって話ですよね」
「正解。そこが今までクリア出来なかったから、ずーっと八頼は受けに回り続けてたわけだ。そうでなけりゃ、とっくに攻めに回ってる。人手も昔のほうが多かったし、餌だってとっくに用意は出来てたんだからな。なのにこれまでは何がどうあっても首を縦に振らなかった千華代のババァが急にOKを出したのは、これならサバキに勝てるかもしれねえっていう見込みが立ったからさ」
サバキに勝てる見込み。算段。方途。
この部分の予測は要にとってみると困難なこと極まりなかった。
何といっても、要はサバキという存在を漠然としか知らない。
だから当然、その強さも分からない。想像すらつかない。
となると、どれほど強いかを想定するより、サバキに攻勢をかけると決めた数日間の間に起きた事柄から推察するほうが手っ取り早くはある。
ここ数日の間に、過去の八頼では起きなかった事柄。というと、
考えて要は、はたとした。
八頼と火伏、犬神、狗牙の三家には女性しか生まれないと皆、口を揃えて言う。
だが、自分……要は男である。
これは特別な事柄と捉えてよいのではないか?
呼ばれた時期もほぼ重なるし、もしかするともしかするのではと要が思うのも無理からぬことであったろう。
それゆえ、要は軽く首を傾げるや、自分を指差して巳咲にボディランゲージをしてみせた。
もしかしてそれは自分のことですか、と。
しかし返ってきたのは、
「んなわけ無ぇだろボケ。大体テメェなんぞが何をどうやったらサバキに勝てるってんだよ。自意識過剰も大概にしろチビ」
ことさら冷たい視線と厳しい否定の言葉だった。
無論、そんなつもりなどなかった要がひどく落ち込んだのは言うまでも無い。
巳咲も巳咲で、そう言いはしたものの、何もそこまで手ひどい言い方をしなくても良かったかと、落ち込む要の姿を見て反省したのか、はっきり謝りこそしなかったが、どこか気を遣った口の利き方へと変わる。
「まあ……なんだ。こっちの事情をまるで知らねえテメェには分からないのが当たり前のことさね。あんまり気にすんなや。その分からないところを説明して分からせてやるのがアタシの当面の役目なんだし、テメェはリラックスして話だけ聞いてりゃいいよ」
「……はい……」
「実際には、腰のクソ重たい千華の代ババァを動かした一番の要因は姉貴のせいさ。言い方を変えれば、姉貴がいなかったとしたらサバキにケンカを売ろうなんて案は絶対に千華代は認めなかったろうぜ」
大人しく無言でうなずきつつ、要はそのまま巳咲の話が続行されるのを聞こうとした。
が、その瞬間、
ふと頭をよぎった疑問に押される形で、巳咲が言葉を継ぐ一瞬手前、要は慌てて早口に問いを滑り込ませる。
「なっ、ま、待ってくださいよ! それ、また何か話がおかしくなってますって!」
急に大声で言葉を遮られたため、巳咲は露の間、驚いた様子になったが、どうやら浴びせられた疑問の声に思い当たる節があったらしく、息を継ぐ間に平静さを取り戻すと、問われた内容を確認もせずに要へ向かい、話し出した。
「……子供は一度しか産めない。のに、アタシに姉貴がいるってのが矛盾してる……そんなとこか? テメェの疑問は」
「えっ……? は……はい、それです……」
「テメェさ、典型的な頭でっかちだな。知識はあっても、それを活かす知恵が無え。少し頭を動かせばこんな簡単なこと、すぐ分かるだろうによ……」
「……え、え……?」
「一度の出産で母親は命を落とすって話は確かにしたさ。けど、一度の出産で子供は必ずしもひとりしか生まれないなんて決まりがあるとか、一言でもアタシは言ったか?」
「……あっ……」
問いであり答えでもあるこの巳咲の言葉に、要は自分の浅慮を恥じて思わず赤面する。
具体的な答えを聞くまでも無い。あまりにも簡単な答え。
巳咲は双子として生まれてきたのだ。
言われればまったくもってその通り。
少し頭を捻れば容易に行き着くはずの答えを見過ごし、己が浅知恵を晒すなど、昨晩の風呂での一件に重ねて恥の上塗りもいいところ。
こうなると要の取れる行動はひとつきり。
身を縮こめて顔を伏せる。これしかない。
ただし、少なくとも状況は要にとって悪いことばかりでもなかった。
巳咲のほうは巳咲のほうで、いちいち要の粗忽を責め立てるのは面倒だし、死人に鞭打つような真似をするのも楽しくないと思い、あえてこの話はこれにて切り上げ、本題へと話を戻してくれたのは要にとって幸運であることは疑い無い事実だろう。
「アタシの姉貴……巳月って名前だったんだけどさ……双子っていっても二卵性だったから、あんま似てなくってね。や……あんまなんてぇもんじゃないわ。ちっとも似てやしなかった。姉貴はアタシとは違って明るくって、優しくって、人懐っこくて……そして何より、とんでもなく強かったんだ」
「強……かった?」
「そう、強かった。凄まじくね。アタシに限らず火伏、犬神、狗牙の中で姉貴とまともにやり合えるようなやつなんて、ひとりだっていなかったよ。月とスッポンとか、提灯と釣鐘なんて表現なんかじゃ、到底おっつかないほど姉貴は力が他の連中とは桁違いだったんだ。そもそもの次元が違うってぐらいにさ。そう……仮に姉貴の力を100だと仮定したなら、アタシらの力を全員分ひとまとめに集めたとしても……」
「……1……とか?」
「いんや」
思わず口を挟んでしまった要の一言にも落ち着き、巳咲は奇妙な薄笑いを浮かべながら、口調だけは断定的に、
「0だよ」
そう答える。
この返答はさすがに要も予想すらしていなかったらしく、驚きを通り越して困惑した顔を複雑に歪めたが、やはり巳咲はそんなことはお構いなしに話を続けた。
「そもそもの次元が違うって言ったろ? もう根本的に、比較対象にすらなれない差なのさ。栖から聞いた話だと、千華代のババァでさえ姉貴ほど力が突出した血族はこれまでに見たことが無えらしい。千二百九十四年も生きてるくせして、ひとりもだぜ? それだけ姉貴は特別のうえにも特別だったんだよ」
「はあ……それって……やっぱり何かと話に上がってくる八頼の血が濃いだのなんだのって、そういったこととかが理由なんですかね……?」
「うーん……それがどうもちょっと違うらしいんだ。どちらかっていうと、姉貴は八頼の血は薄いほうだった。それはアタシも匂いで気付いてたから間違い無い。ただよ、その代りとかってんじゃないんだけど……」
「……けど?」
「元から薄い八頼の血の匂いが隠れちまうほど、姉貴からはサバキの匂いが強くしてたよ」
「!」
思いもよらぬ一言に、思わず音無き吃驚の声を要は発する。
難解にもほどがある話。奇怪にもほどがある話。
ここはあえてこの反応が正常と言うべきだろう。
血の濃い薄いで一喜一憂している八頼や他の三家にあって、仇に近しい性質を持って生まれるとはどういった手違いか。
実物を知らないのはサバキも巳咲の姉だという巳月も同じであるものの、その知らないという不気味さが、なおもって強烈に神経に響く。
果たして八頼というのはどこまで煩雑に込み入った家系であるのかと。
「ま、そんなに驚くことでもねえさ。さっきも説明したけど、元々はヤライとサバキはおんなじ神様だ。何かの拍子で突然変異が起こったとかで、姉貴はサバキの性質がより強く出たんだろうよ。むしろそう考えたほうが全体の辻褄が合う。あのアタシらとは比べることも不可能な力の理由を説明するためにはな」
「……はあ……」
「そういうことで、これはもしかするってえとサバキとまともに渡り合えるかも……どころか上手くしたら勝てちまうかもっていう算段が固まって、千華代のババァが数少なくも残ってた火伏、犬神、狗牙の人間を最低限の人員……アタシと栖、千華代のババァだけを残して総動員し、姉貴に餌となる神宝、死返玉を持たせて八頼の土地を出立させたんだ。死返玉ってのは性質上、死人を生き返らせたりする力を持つ神宝だから、死を司るサバキとは正反対の性質を持つ神宝なんで、万が一の場合にも悪用される心配が無いってんで餌に選んだらしい。んで、それが今からもう約一週間前のこと。そして今の今まで誰からも連絡は無し。つまるところ……」
言うと、巳咲は一旦言葉を切り、軽く咳払いをして、
「……全滅したのは明らかだろうな……」
そう言葉を継いで、そのまま口を閉ざした。
懸命に隠しているようだったが、微かに声の震えていたのを要の耳は聞きとっている。
それだけに、要は掛ける言葉が見つからず、同時に沈黙するより無かった。
掛ける言葉など見つかるはずもない。
もし万一、あるとするなら、知る人がいるとするなら、是が非でも教えてほしいとさえ思う。
親を失うつらさは自分も巳咲も同様。さりながら、
兄弟姉妹を持たない要には、それを失った人間の悲しみを慰める言葉など、どうやっても思い浮かばなかったのである。




