クガトヒブセトイヌガミ (6)
「テメェがここに呼ばれる十日ぐらい前だ。火伏と犬神、それに狗牙の三家で長らく議論してたことがあってよ。それをやんのかやんねえのかで今までもずっと揉めてたんだが、ついに千華代のババァがOKを出したのがそもそもの始まりだな」
語り始めた巳咲のまず最初の話し出しの時点で、要の頭の中は疑問が倍々ゲームで増えていったが、今はとりあえず話を聞き進めるとして、折を見てそこは問えばいいかと考え、大人しく耳を傾け続けることにした。
「ちなみにずっと議論してた話ってのは、いつまでもサバキに対して守りにばかり回ってねえで、こっちから仕掛けようぜって話さ。この話はアタシがガキの頃からいつも聞かされてたけど、どうやらこれまでにサバキへこっちから攻めていったこと自体がほぼ無えらしい。理由はサバキの居所が定まってねえから探すだけで大変だろってのと、腹立つけどサバキのほうがどう考えてもこっちより強いからっていう単純な理由だよ」
「サバキのほうが強い?」
「ああ、悔しいけどな。ヤライとサバキ、神様同士で戦ったとしても、間違い無くサバキのが強いんだってさ。なんつーか、相性が最悪なんだと」
「相性……ですか」
「まあ、相性だけで言うならサバキだってヤライとは相性最悪なはずなんだけどな。なんたって、自分自身なんだからよ」
「……は?」
追加注文もしていない疑問がまた増える。
昨日から巳咲、栖、千華代の三人を通して断片的に聞かされてきた話の流れを見るに、どう器用な受け止め方をしても敵対しているとしか思えないヤライとサバキ。
それが自分自身とはどういうことなのか。
ただ幸運なことに、この頼んでもいない追加注文に関してはこの後、きちんと巳咲が片付けを始めてくれた。
少しばかりの回り道をしてから。
「……ちょっと待て。テメェ今、思いっきりなーんも分かってねえってツラしたろ。しかも声まで出して」
「え……? あ、や、だって……実際そんなの知らなかった……の……で……」
自分が今まさに話したものに対する要の反応を目敏く見た巳咲は、そう問うて要の真意を確認したが、戻ってきた要の返答への巳咲の反応はといえば、もはやどういった感情を抱いているのか分からなくなるほど込み入った複雑さを表情に浮かべている。
苦々しい顔にも見える。
忌々しそうな顔にも見える。
それでいて惻隠の情のようなものすら感じられてしまうのだから、見られている要本人もどうしてよいものやらと、オロオロしそうになったが、これ以上に巳咲を刺激してはならじと必死で己が体の動きを制した。
ところが挙動の不審を抑えるのには成功したものの、平静な表情を保つまでには力が及ばず、具体的にどんな顔かは分からないが、少なくとも巳咲に肺の中の空気をすべて吐き出させるぐらいの印象は与えてしまったらしい。
とはいえ、その特大の溜め息が吐き出された後、話の流れが特に悪いほうヘでなく、むしろ要には有り難い方向へ進んでくれたことは素直に幸運と喜ぶべきものだろう。
「……これだよ。とてもじゃねえけど呆れてものが言えねぇや。あいつら、昨日一日テメェと何をしてやがったんだ?」
「あ、え……と、僕の両親が本当は育ての親であって、血縁は無いとか……あと、八頼の家の成り立ちとか……」
「それから?」
「……それから……?」
「他には? 何を聞かされた?」
「いえ……その他は、特に何も……」
「……」
この短い要とのやり取りを終えると、巳咲はしばし無言になって座卓に肘をつき、その手に顔を伏せて黙り込む。
が、すぐさまその姿勢のまま口を開くと、
「……もういい。いちいち呆れ返るのもメンドクサくなってきた。仕方無えや。あのボンクラどもの代わりに知ってる範囲の話は全部してやる」
そう言い、巳咲は何度か続けて要にうなずいてみせた。
「あっ……ありがとうございます。すみません、お手数をおかけして……」
「気にすんなっての。大体、悪いのは時間はあったろうに肝心な話をほとんどしなかった栖と千華代のババァだ。まったく、いつもえらそうなこと言ってるくせして、ほんと仕事をしねえな……だからアタシは火伏も犬神も好きになれねえんだよ……」
要に答えつつ、巳咲の栖と千華代への悪態がまた始まる。
と、ふとそこでタイミングも合うかと思い、要はひとつ抱いていた疑問を巳咲に問うてみた。
「……あの……それで早速なんですが、ひとつ教えてもらいたいんですけども……」
「おう、どんどん聞け。遠慮はいらねえぞ」
「何か……さっきから千華代のババァとかって言ってますけど、火伏のお家には千華代って子の他にも誰か年配で同姓同名の人がいるんですか?」
言ったのを聞いて途端、巳咲は目を丸くする。
しかし、事前に昨日の栖と千華代の無説明を知らされていたのを思い出し、ふん、と鼻を鳴らすと目を細めて簡潔に説明を始めた。
「まず前提としてこれを覚えとけチビ。テメェが来た時点で三家……火伏、犬神、狗牙の家にはひとりずつっきゃ人は残ってねえ。つまり火伏は千華代のババァ。犬神は性格ドブスの栖。狗牙はアタシさ。寂しいもんだが、それが現状だよ」
「は……え、でも、そうだとしたら千華代のババァって一体……?」
「テメェ、本殿で千華代のババァには会ってるんだろ? 火伏はひとりしかいねえって言ったんだから、そいつのことに決まってんだろうが」
「や、まあ……ババァかどうかは置いといて、確かにその千華代とかってゆう子には会いましたよ。見た感じ、小学四年か五年……多分、六年てことは無いかなってぐらいの小さい子で、妙に古めかしい言葉遣いする……」
「そいつが御年、千二百九十四歳だっつったら?」
このあまりに現実離れした年齢を聞き、今度は要が目を丸くする。
加えて要の場合、正気を取り戻すまでの時間的猶予を巳咲は与えなかった。
「学校で日本史ぐらい習ってるから分かるだろうが、あのババァが生まれたのはちょうど奈良時代だ。日本書紀が書かれたのと同じ年に生まれてんだよ」
「……」
「別に信じる信じないはテメェの勝手だけどな。ただ千華代のババァがいなかったら、テメェはこの世に生まれてなかった。いや……生まれてはいたかもしれねえけど、少なくとも八頼としてここに呼ばれたりはしなかったろうぜ」
「……え?」
未だ巳咲の言った内容の真偽が分からず、思考は混乱したままであったが、さしものそんな状態でも最後に言われたこの一言は要も聞き逃さない。
すぐ気を取り直し、どういうことかと巳咲に問おうと要は身を乗り出した。
だが、
その行為は無用に終わる。
乗り出してきた要へ向かい、さらに巳咲が身を乗り出し、ほぼ顔を突き合わせる格好になったためであった。
そして、要が改めて聞くまでも無く巳咲はこの話を最後まで語る。
「なあチビ、アタシがテメェに始めて会った時、テメェのことを最後の八頼だって言ったのを覚えてるか?」
「は……い……なんとなく、覚えてますけど……」
「栖もテメェの産みの親と育ての親が違うことまでは話してるみたいだから聞いてるかも知れねえけど、八頼の血統はとっくに絶えてる。だから八頼家には現在、誰もいない。そのくらいまでは聞いてるか?」
「……はい、はい! 聞いてます! ずっと変だって思ってました! だって、一度でも血筋が途絶えたんなら、そんなものまた復活させるなんて出来るはずないって……」
「だよな。普通はそんなの出来っこねえ。御家の再興ってんならまだ話は分かっけど、血統を復活させるなんて、まともに考えればおかしいと思うのが当然さ」
「です……よね。よかったあ……何だか、この土地に来てからずっと訳の分からない話ばっかり聞かされ続けてたから、もしかして僕の頭のほうがおかしくなってるんじゃないかと思って不安になってたんで……」
ほっとし、肺から漏れる空気へ乗せるようにして要は安堵の台詞を静かに吐き出した。
さりながら、
「おっと、落ち着くのはまだ早えよチビ。話はまだこっからだ」
巳咲の話は途中である。
「そこで重要になってくるのが千華代のババァなんだよ」
「……あの子……が?」
「これは今に始まったことじゃあなく、昔っからの悩みの種なんだが、八頼本家とその守護に当たってる三家は血こそ繋がっちゃあいるが、絶望的に血が薄いんだ。テメェも八頼としてはギリギリってぐらいに血が薄いけど、アタシら三家の人間はそれどころじゃねえ。実質、血が繋がってんだか繋がってねえんだか分かんねえほど血縁は薄いのさ」
「あ、そういえば八頼の家には女性しか生まれないらしいですものね。それじゃあ代を重ねるごとに血が薄くなるのが当たり前かな……」
「へえ、その話だけは聞いてんのか。なら話は早え。今テメェが言った通りだ。普通だったら女しか生まれない家系はどんどん血が薄くなる。なんでだか分かるか?」
「女性は染色体がX染色体ふたつで構成されてます。対して男性はX染色体とY染色体。子供は父親と母親から染色体をひとつずつ引き継いで生まれてきますから、確実に血統を維持するにはY染色体を持つ個体……つまり男性の親が男性の子を成し、その子がまた男性の子をという形でないと極めて困難です。女性の親が女性の子を成し、その子がまた女性の子をということになると、X染色体しか持っていない関係上、血統が受け継がれる可能性は確率的に一世代ごとで二分の一、四分の一、八分の一と低下していく……で合ってますよね?」
「ふうん、大したもんだな。チビのくせしてなかなか物を知ってんじゃねえか。ちょっとばかり見直したぜ」
「……チビとかは関係無いと思いますけど……」
褒められた割合より馬鹿にされた割合のほうが強く感じられた要は不愉快さを露わにしたが、巳咲はそんな要を気にもせず、無視して話を進めた。
「そういうわけで八頼に限らず火伏も犬神も狗牙も、血が薄まっていくことへの危機感はもう大変なもんだったわけさ。といって、八頼の血統からは女しか生まれないって事実はどうにもならねえ。で、八頼の御先祖が考えたのが、これまた危なっかしい方法でなあ……」
「危ない方法……?」
「うちらの御先祖もいろいろ考えたんだよ。このままいくってえと、確実に八頼の血は薄まって消えるって。だからその時点で最も八頼の血が濃かった人間をひとり選んで、八頼の血を保とうと考えたわけだ」
「え、ちょ、ちょっと待ってください。何か途中から意味が分からなくなってますよ? 血を保つのにその時点で一番、血の濃い人をってところまでは分かりますけど、それでどうやって血の濃さを保つんですか?」
せっかく話が常識的な範囲で理解出来るものになってくれていたのが、またぞろ奇怪な話へと戻りつつある空気に不安を感じ、慌て模様で問いを発したが、返ってきたのはごく平静な顔をした巳咲が回答を口にする。
「方法自体は簡単さ。八頼の血が濃い人間から血を分けてもらうんだよ」
「血を……血……え……?」
「つまり輸血だ輸血。血の濃いやつから血を輸血してもらえば血が濃くなるって理屈さ。で、テメェの母親は千華代のババァから輸血を受けた。他にも何人か三家の中で千華代の血を分けられた女は何人かいたけど、子供を作れたのはテメェの母親だけだったんだ。それを運が良かったと思うか悪かったと思うかは、それぞれの立場によって違うだろうけど」
この時の要と巳咲の精神的な温度差はそれこそ極端なまでの違いだった。
要はその話の異常さに吐き気すら催し、顔色を蒼ざめさせているのに、巳咲は世間話でもしている風で、顔色どころか表情ひとつ変えない。
それだけ普段生活している世界と、この八頼という土地の形成している世界が異質なものだということなのだが、そんな事実によって要の精神が救われるかどうかについては、まったくの別問題である。
「……輸血って……だって、そんなことしたって血が入れ替わるわけでもなし、ただの因習であって、何の意味も無いじゃないですか……」
「そりゃそうだ。もし一度は輸血したところで、すぐに当人の骨髄が自分自身の血を作っちまうだろうから普通に考えりゃあ意味なんて無い。骨髄移植でもすりゃ話は別かもだけどな」
「……どっちにしたって、正気の人間がやることじゃないですよ……」
「ふむ……正気に関してはどうだか知らねえが、少なくとも世間一般の常識と、この土地での常識のどちらで考えるかってえ問題だとアタシは思うけどね。そして本当に意味が無いんだとしたら、そんなことを千三百年近くも続けると思うかい?」
これを聞いた瞬間、要は自分でも驚くほどの速さで聞いてきた情報同士が線を結び、たちどころに巳咲の話の終着点を予測するや、震え声を絞り出し、問いであり答えでもある言葉を冷や汗とともに発した。
「そ……んな……有り得ないですよ……だって、千三百年も前に輸血の技術なんてあったはずないし、それ以前にその話が本当なら、あの火伏って子……千三百歳ってことに……」
「千二百九十四歳な。まあ不思議に思う気持ちはよく分かるけどよ。輸血の方法もさることながら、いくら八頼でも老いにゃ勝てねえ。それなのにあの歳まで姿も変わらず生き長らえてるのはアタシでも不思議に思う。理由はあるんだろうが、アタシは三家の中で家格は最低の狗牙だからね。聞いて教えてもらえることとも思えねえし、どうなんだかなあ……」
悩ましげな仕草をしはしたものの、それも極めて軽い調子の巳咲を見、改めてどこからどこまでが真実であり、絵空事であるのかの境界が曖昧に思えてきた時、ふいに要は不快感で押し潰されそうな頭へ、ふいと浮かんだ疑問がどうにも気になり、半ば夢見心地で巳咲に朦朧と問いの言葉を投げる。
夢見心地といっても、悪夢によるそれの中で。
「……狗牙さん……」
「どした?」
「さっき……火伏さんのこと、八頼だって話してたように思うんですけど……」
「あー、はいはい。そこの疑問になら答えてやれるよ」
形ばかりの悩ましげな姿から一転、サッパリと切り替えた様子で巳咲は声を張り上げた。
「千華代はな、元々は八頼家の人間だったんだよ。それが血統を守るための言わば生きた血液銀行の立場になるに際し、火伏家に身を移したんだ。以来、元々から三家筆頭の地位にあった火伏家はより家格が上がり、八頼と比肩する立場になった。おかげさまでアタシは千華代の顔なんて生まれてから一度しか見たことが無え。ま、見たいわけでもないから、どうだっていいんだけどさ」
答えた巳咲の表情には、苦笑とも嘲笑とも取れない奇妙な笑みが浮かぶ。
されども、
そのどちらが巳咲の真意であるかを知ったところで、今の要にとってそれらは心の慰めとなるようなものでないことだけは何より確かなことであった。




