03│まさか、二人きりのつもりでいますか?
春の午後、学院の中庭には柔らかな陽光が満ちていた。
講義を終えた学生たちの笑い声が遠くで響き、どこか穏やかな時間が流れていた。
――あの“測定不能”の騒ぎから、一週間が経っていた。
表立った噂は落ち着いた。だが、完全に消えたわけではない。
フィーナとミアの周囲には、さりげない距離があった。
もっとも、当のミアは気にした様子もない。
「そのぶん、広々使えてラッキーじゃない?」
と笑いながら、膝の上に包みを広げたサンドイッチを並べる。
焼きたてのパンの香りとハーブの香りが混ざり、春の風に溶けていく。
「やっぱり、外で食べると美味しいね。」
ミアが口元をほころばせる。
「そうだね」
フィーナは湖面を見つめながら、無意識に左手を撫でた。
そのとき、ふいに影が差した。
顔を上げると、予想もしていなかった二人が立っていた。
「ここにいたのか。」
低く静かな声。ルークランだった。
隣には、柔らかな笑みを浮かべたクローディオ。
四大公爵家の二人が、周囲から遠巻きにされている私たちのところへ来るなんて――何の用だろう。フィーナとミアは一瞬体を強張らせた。
「……アストレイド様と……ノクティル様も?」
ミアが少し慌てて立ち上がるが、ルークランは軽く手を上げてそれを制した。
「そんなに構えなくていい。……少し話がある。」
クローディオが穏やかに微笑む。
「お昼を邪魔してしまった?」
その声は春風のように穏やかで、空気の緊張をやわらげた。
「い、いえ!どうぞ……座りますか?」
ミアが慌てて敷物を整えると、クローディオは「ありがとう。」と言って腰を下ろした。
フィーナは公爵家の貴族が敷物に腰を下ろしたことに戸惑いつつ、目線をルークランへ戻した。
ルークランは隣に立ったまま、少しの間言葉を探すように黙っていた。木々のざわめきと湖面の反射が、その沈黙を満たしていく。
「セレス。……一緒に制御の練習をしてみないか?」
「えっ?」
フィーナが瞬きをする。
唐突な提案に、胸の奥が少し跳ねた。
「制御…?練習?」
フィーナは首を傾げた。ルークランはフィーナのその反応を見て、わずかに首を振る。
その表情は真剣で、どこか穏やかだった。
「……レイナード教授から話があった。君の魔力は”光”の系統だろうと。制御を試みる必要があると、判断した。」
フィーナの瞳が驚きに揺れる。
「…私の魔力が、光?」
「光属性を持つ者は少ない。俺にとっても、有益な訓練になる。……協力してもらえるか。」
端的な、でも押しつけのない言葉だった。
フィーナはしばらく迷ったように視線を落とし、それから小さく息を吸って頷く。
「……わかりました。お願いします。」
ルークランは静かに頷き、落ち着いた声で続けた。
「場所は錬成区画を使う。許可は取ってある。――人目を避けられるし、結界も強い。」
その声音には確かな安心感があった。強引さはなく、むしろ配慮のこもった穏やかさだったが、その言葉にミアが目を丸くする。
「えっ、錬成区画って……上級生用の演習区画じゃないですか?」
「通常はな。」
ルークランは簡潔に答える。
「だが、教授が俺たちの練習には適していると判断された。」
クローディオが微笑を浮かべる。
「もう学院にも許可を取っている。準備は万端、というわけだね。」
ルークランは軽く彼に目を向け、短く言葉を添えた。
「午後の授業が終わったら、錬成区画の第三ドームに集合だ。」
「えっ、…今日ですか?」
フィーナは思わず声を上げる。
ルークランは小さく息をつき、穏やかに笑った。
「そうだ。できるだけ早く始めた方がいい。……焦る必要はないが、光の制御は時間をかけて積み重ねるものだ。」
フィーナは少し戸惑いながらも、そっと息を吸い、「……はい」と答えかけた、そのとき――
「ちょ、ちょっと待ってください!」
ミアが勢いよく立ち上がった。
手に持っていたサンドイッチが危うく落ちそうになる。
「……まさか、二人きりのつもりでいますか?」
ルークランはわずかに目を瞬かせ、「そのつもりだが。」と淡々と答える。
「ふ、二人きり~!?」
ミアが頭を抱えて叫んだ。
「フィーナ、ただでさえ目立ってるのに!“闇の王子様”と二人で特訓だなんて、更に噂になっちゃいますよ!」
「……闇の、王子様?」
思いも寄らない単語に、ルークランがわずかに眉を寄せる。
「今、学院中で話題なんです!フィーナの暴走を止めたときの、あの闇魔法!!――もう、みんなが見惚れてました!!」
ミアがうっとりしながらしゃべり始める。こうなったら誰も止められない。
ルークランが呆気にとられていると、ミアは得意げに続けた。
「…アストレイド様知らないんですか?もうみんながアストレイド様のこと”闇の王子様”って呼んでるんですよ!!ああ、今思い出してもドキドキします、あの瞬間……!本当に、すっごく素敵だった!!」
ミアの声はどんどん熱を帯び、手に持ったサンドイッチまでぶんぶん揺れている。フィーナは苦笑しながら、そっとそれを受け取って皿に戻した。
ルークランは額に手を当て、低く呟く。
「そんな呼び方を……?」
「……まるで舞台の題名みたいだね。」
クローディオが横で静かに笑うと、すぐさまミアがぱっと顔を上げた。
「ノクティル様もですよ!”光の王子様”って呼ばれてます!」
「……僕も?」
クローディオは目を瞬かせ、それからおかしそうに微笑んだ。
ミアがさらに熱を込めて続ける。
「だって、あの日!私たちが医務室に行ったあと、みんなが怖がって測定に立てなかったのに――ノクティル様が”もう大丈夫だよ”って笑って魔力を流したんですよね!?そしたら、水晶がふわっと光って、まるでレクシア湖に差す朝の光みたいに綺麗だったって!」
手振りを交えて熱弁するミアの目はきらきらと輝いていた。その勢いでまたサンドイッチを持ち上げそうになり、フィーナが慌てて止める。
「その場にいた子たち、うっとりとして教えてくれましたよ!“あれは王子様の微笑みだ”って!“女子も男子も目がハートになってた”って!あぁ~、私も見たかったーー!!」
ミアの声はだんだん大きくなり、近くのベンチにいた生徒たちがちらりとこちらを振り返る。
フィーナは小さくため息をついた。
「ミア……声、少し抑えて。」
クローディオはその様子を穏やかに見つめ、軽く首を傾げる。
「僕まで“王子様”とは、ずいぶん華やかな話だね。……どこかのご令嬢に聞かれたら、鼻で笑われそうだけど。」
その口調は軽やかで、どこか楽しげでもあった。
反対に、ルークランはこめかみに手を当て、静かにため息をつく。
「全くだ。」
ミアは再び瞳を輝かせ、両手を胸の前で組んだ。
「でもみんな言ってるんですよ!あのときの光景、見た人たちはきっと一生忘れられないって!」
クローディオは小さく息を洩らし、穏やかな笑みを浮かべる。
「ふふ、そんなふうに語られているんだ。きっと誰かの中では、現実より少し綺麗に光っているんだろうね。」
その柔らかな声音には、どこか遠くを見つめるような静けさがあった。
ルークランが横目で彼を見やる。クローディオは目を細め、穏やかに言った。
「…僕はさておき、あの時のルークは本当に見事だった。あの緊迫の中で、光を包み込むように制御した。……まるで、運命さえ従えたみたいに。」
「やめろ。」
ルークランは静かに言いながらも、頬がかすかに赤く染まっていた。
その照れを見て、クローディオは楽しそうに笑う。
「人気者は大変だね、“闇の王子様”。」
「……呼ぶな。」
「でも否定はしない。」
「言っても聞かないだろう?」
その淡々とした返しに、クローディオが小さく笑い、ミアは目を輝かせる。フィーナも思わず微笑んだ。
闇と光――まるで正反対なのに、不思議と呼吸が合っている。
からかいと静けさのあいだに生まれる空気が、春の陽射しの中に心地よく溶けていった。
短い静けさののち、ルークランがふたたび口を開いた。
が、ほんのわずか、言葉を選ぶ間があった。
「……失礼だが、君の家名を聞いていなかったな。」
一瞬きょとんとしたミアは、すぐに小さく笑う。
「あ、そっか。カルディナよ。ミア・カルディナ。」
そう名乗ってから、ふっと首を傾げた。
「……あれ? でも、フィーナのことは最初から“セレス”って呼んでたよね?」
ルークランは一瞬だけ黙り、視線を落とした。
それから静かに言う。
「……カルディナの心配は理解した。他の者も交えて訓練しよう。君たちも、呼びたい者がいれば呼んでくれ。」
そう言い残し、ルークランは静かに身を翻した。
黒いローブの裾が春風に揺れ、石畳をまっすぐに進んでいく。
やがてその背は回廊の向こうへと消えた。
フィーナは噴水の縁に立ったまま、その去り際を見送っていた。
胸の奥に残った小さな温もりの理由を、まだ知らないまま。
ミアは、フィーナの横顔と遠ざかる黒の背を交互に見た。
「ふぅ~ん。」
そして、楽しそうに目を細めていた。




