三段目 「犬のビストロ」
竜宮城で玉手箱の煙に包まれた俺は今、真っ暗な煉瓦道に立っていた。
辺りは本当に暗闇で俺の夜目の効かない目にはただの「黒」に見える。
しかし、なぜか俺と佐久がいる煉瓦道だけが明るく照らされているようだった。
「今度は一体なんなんだ……。おい、佐久」
俺は隣にいるはずの佐久に呼び掛け、隣を見る。しかし――
【ワンッ!】
返事をしたのは犬だった。
それはそれは可愛らしい子供の柴犬だった。
「あいつ、ついに犬になったのか……。でも喋らないからこの方がいいか」
【僕はその『佐久』っていう人じゃないよっ! お兄ちゃん】
小さな柴犬は可愛らしい少年のような声で俺に返事した。
「えーっと。じゃあ、君は誰?」
【僕は『柴丸』だよ。お兄ちゃん】
「えーっと。じゃあ『柴丸』……俺の連れは、佐久は今どこにいる」
俺の問いに柴丸は待っていましたというように跳ねた。
【これから案内するように師匠に言われているんだっ! 僕に付いて来てね、お兄ちゃん!】
柴丸はもふっとした尻尾をぱたぱたと振って歩き出した。
「……なんか急に癒される展開が来ている。俺はこれから待ち受ける佐久との再会というストレスに耐えられるのだろうか」
俺はそう言いながら、こちらを振り返りながら進む柴丸を追いかけて歩いた。
* * *
【お兄ちゃんのお友達がいるのはここだよっ!】
柴丸は尻尾を振りながら頭をすりすりと俺の脚に擦り付けてくる。
どうやら褒めて欲しいらしい。
俺はしゃがんで柴丸の頭を撫でる。
可愛らしいやつだ。
「ありがとう柴丸。助かったよ」
俺が柴丸の案内で辿り着いた先には、おとぎ話にでも出てきそうな煉瓦でできた小さな建物が立っていた。
そこはレストランか何からしく、良い香りが立ち、看板が立っていた。
俺は柴丸を撫でながら目線の高さにある立て看板を見る。
そこには『BISTRO KOMAINU』と書かれていた。どうやらそこはビストロらしい。
なぜにフランス料理店がこんなところにあるのだろうか。
俺はそんな疑問を胸に抱きながらも、その店の扉を開けた。
年季の入った真鍮のドアノブをひねると、古い木製の扉を鈴が打つ。
――チリン。チリン。
俺は店内に一歩進み入る。
「――よおふっ! 久慈、久し振りだなっふ!」
そこには呑気にパンを頬張る佐久がいた。俺はストレスを逃がすべく、すっと真顔になる。
「……」
「ここの料理は絶品だぞっ! お前も食べてみろ!」
「はああああ」
俺は盛大な溜息を吐く。
こいつは本当にいつもいつもなんでこんなに呑気なのだろうか。
こんな訳の分からない空間をたらい回しにされ、俺は疲れているんだ。
そして、実は俺も腹が減っていた。
良い匂いがやたらと俺の空きっ腹を刺激してくる。
【いらっしゃいませ、久慈様ですね。お待ちしておりました】
カウンター席の奥にある厨房からおそらく秋田犬が柔らかで穏やかな声で俺に話し掛けてきた。
いい加減喋る動物に対する驚きは減ってきたが、さすがに二足歩行でシェフ的な格好をしている犬には驚く。
「あ、どうも。こんにちは」
【師匠! 師匠! 僕、ちゃんとお兄ちゃんを連れてきたよ!】
【ああ、偉いな。分かったからそこで座っていなさい】
師匠と呼ばれた秋田犬はカウンター席に跳ね乗り、自慢げに背筋を伸ばして座った。
そして、俺は佐久が座るテーブル席に向かう。
「……お前はどうしてそんなに呑気に食ってんだよ」
俺はなるべく声を抑えて、顔を突き出し佐久を詰問する。
「旨そうな匂いがして、食べていいと言われたからだな!」
こいつは田舎の小学生か。
「なんでそこで普通に飯が食えるんだ。お前は無警戒すぎる」
実は俺は警戒していた。
俺たちは『美味しく満腹にされた後に、美味しく頂かれてしまうのではないだろうか』と。
* * *
俺が椅子に座ると、注文を取りに来た秋田犬シェフに俺は尋ねる。
「あの……お代はどうすれば良いですか。俺、今お金持ってないんですけど」
色々あって荷物は紛失してしまっていた。今は着の身着のままだ。
【いえいえ。大丈夫ですよ。お代は既にいただいていますから】
秋田犬シェフはにこりと笑う。
ゴクリ――。やはり喰われるのか。命の前払いなのか。
【とにかく、心配いりませんから。お食事とお飲み物は何になさいますか】
「えっと、じゃあこの『海老のカルパッチョ』と『子羊のロースト』を下さい」
俺はメニューにおすすめと書かれているものをとりあえず頼んだ。
【かしこまりました。お飲み物はいかがなさいますか。美味しいワインなども取り揃えておりますが】
「水を、水を下さい」
この疲れている中アルコールを摂取したら俺はきっとすぐに酔ってしまう。
佐久はどう思ったのは分からないが、オレンジジュースを飲んでいるようだった。
* * *
「うーん! 美味い! 海老も美味しかったですけど、この子羊もすごく美味しいです」
【気に入っていただけたようで、何よりです】
「臭みもなくて、柔らかくて美味いだろう」
「なんでお前が得意げなんだよ」
そんな俺たちのやり取りに、相変わらず秋田犬シェフはニコニコしている。
「あの……シェフと柴丸は、『犬の神様』とかそういうものなのでしょうか」
柔和な笑みを浮かべる秋田犬シェフに、俺は口を拭いながら問う。
【違うよっ! 僕たちは『狛犬』だよっ。お兄ちゃん】
柴丸はカウンターの椅子から飛び降りると店の看板の方を尻尾で指し示す。
俺はそれを見て、確かに『BISTRO KOMAINU』だったことを思い出す。
狛犬がやっているビストロだらか『ビストロ コマイヌ』か。
「そっか。狛犬、ですか」
動き回る狛犬と会話するのは初めてだ。
【それと、どうか私たちのことを『犬神』と呼ばないでくださいませ。あんな凶暴な奴らと一緒にされたくないのです。どうか私たちのことは『神の遣い』という認識でお願いいたします】
念押しする秋田犬狛犬シェフの眼光は僅かに鋭い。
『犬神』は確かに人への怨念に溢れた呪いに満ちた存在だ。
そんな存在がこんなに美味しい料理をわざわざ振舞ってくれるわけはないか。
「わかりました」
「了解したぞ!」
俺と佐久が返事をすると、シェフはにこりと笑って厨房の方へと戻っていった。
【お兄ちゃんたち、沢山食べるね】
柴丸は俺たちの皿を見てにこにこ笑っている。
「まあ、まだ二十歳そこそこだからな。まだ食べ盛りではあるな」
「それに、ここの料理は美味い」
「お前の意見に珍しく大賛成だ」
【ここに来るのはお年寄りの人間ばっかりで、皆あんまり食べないから、師匠も今日は嬉しそうだよ】
柴丸がそう言って厨房の方を見ると、再び秋田犬狛犬シェフが戻ってきた。
【スープ・ド・ポワソンです。よろしければお飲みください】
なんだか難しい名前のスープが出てきた。とりあえず俺は口を付ける。
「ん。魚のスープ。これも美味しいですね」
「濃厚だな」
【お料理、おかわりも追加も出来ますよ。ごゆっくりお召し上がりください】
ここらで若者らしさを発揮するべく、俺たちは秋田犬狛犬シェフの言葉の通り沢山食べ、最後に美味しいデザートまでいただいたのだった。
* * *
【食後のホットワインです】
秋田犬狛犬シェフが俺たちのテーブルに背を向けると、俺はそのホットワインに口を付ける。
やはり、これもほっとする味で美味い。そして俺は溜息を吐く。
「しかし、いつになったら俺たちは元の場所に戻れるんだ」
腹が満たされると、俺は現状に対して少し冷静になっていた。
「何を言っているんだ。まだ伝説の実証をしていないじゃないか」
俺は佐久の言葉で少し考える。
「……あ、ああ。あの『未来の一番幸せな時間における自分に会える』だっけか」
そういえば初めはそんな話だった気がする。
「そうだ。それだ」
「でも、もう十分意味が分からない経験をしているんだから十分だろう」
俺の言葉に佐久は、なぜか冷淡な顔を向けてくる。
なぜこんな奴に、俺は軽蔑の眼差しを向けられなければならないのだろうか。
「佐久。お前は『おにぎり』を食べたいと言っている人間に、『カルボナーラ』を出す人間なのか」
「はあああ?」
「俺はおにぎりが好きだ。特におかかのおにぎりは最高だ。ただ一言おかかと言ってもな……」
「お前のおにぎり談義はどうでも良い。話を進めろ」
「――つまり。俺はこの現象を非常に楽しんでいる。だが、俺の目的はこれではないということだ」
「……言いたいことは分かった。だが、その意見は却下する。俺は家に帰りたい。伝説なんて俺にとっては初めからどうでも良い話だ」
【――お兄ちゃんたちはお山に帰りたいの?】
気が付くと、柴丸はいつのまにか俺たちのテーブルの近くまで来て、こちらを見上げていた。
【そうですか。久慈様も佐久様も行ってしまわれるのですね】
そして秋田犬狛犬シェフも淋しそうな顔でその横に立っていた。
「俺たち、元の場所に戻れますか」
「いや、俺は――」
「佐久、黙ってろ」
俺は佐久の顔すれすれの位置に手を伸ばす。
【そんなに怖い顔をしないでください。今すぐには無理ですが。『手順』を踏めばきちんと帰れますよ】
また『手順』という言葉を聞いた。
俺たちはその『手順』を踏まされ、あちこち神様や神の遣いの処を巡り続けているらしい。
いつまでこれは続くのだろうか。
【お二人とも、とても幸せそうに私の料理を食べて下さったので、もう少しここで過ごしていただきたかったのですが――】
そう語る秋田犬狛犬シェフの顔が徐々に滲んで見えてきた。視界が歪む。
「――……っ!」
俺は途端に猛烈な眠気に襲われる。
向かいの席からガタンッという音が聞こえる。おそらく佐久が椅子から転げ落ちた音だ。
――お酒を飲むということは、神事では重要な儀式だ。
俺はそのことをすっかり失念していた。
そのくらい、ここの料理は美味しかったし、ここの空間は居心地が良かった。
そしてどうやら俺は佐久の呑気さに、少なからず影響を受けていたのだ。
きっとこの場所で踏む『手順』は御神酒を摂取すること。
ホットワインを出した時点で、彼らは俺たちを送り出す気だったのだ。
二匹の狛犬からは悪意は感じない。
だけど、不安にはなる。
俺は自分の視界と思考がぐるぐると回っているのを感じる。
* * *
【おやすみなさい、久慈様、佐久様。とても楽しい時間を過ごすことが出来ました】
【おやすみなさい、お兄ちゃんたち。元気でね】
夢現でそんな声を聴いた気がした。
どうせお別れするなら、最後にきちんと挨拶もお礼もしたかったのに。
本当に神様とか、その遣いは自分勝手だ。
自分たちの都合でいつも俺を振り回す。
もう、たくさんだ。
俺は、普段ならば酔うはずのない度数のアルコールで酔っていた。
そして、俺の視界は真っ暗に染まった。




