二段目 「鮭の竜宮城」
久慈と佐久は稲荷山で迷い、猫神のお茶会に参加し、そして今は海の底にいた。
* * *
「……お前といると、ほんっと、ロクなことが起きねーよなー!」
「ふん、見くびってもらったら困る」
「ありきたりな台詞だが、言わせてもらう……」
俺は深く息を吸う。
「――褒めてねえよっ!」
そう、そこは海の底なのに息が出来た。
俺と佐久はまた意味が分からない場所に迷い込んだのだ。
* * *
――――それは少し前のこと。
俺は海の底で浜辺に打ち上げられていた。
「……うう」
不快な感覚に目が開かない。
地面に伏した頬に砂が食い込み、口の中もなんだか塩っぱくてジャリジャリとしていた。
ついさっきまでお茶を飲んでいたはずなのに、今は海水と砂を飲んでるってか。
冗談じゃない。
早く帰って、早く風呂に入って、早く寝たい。
俺は薄目を開け、ゆっくりと起き上がり、身体を伸ばす。
「……痛え、体中が痛え」
それまで地面しか見ていなかった俺の視界が広がる。
俺は呆けた後、自分の顔が苦虫を噛み潰した表情になるのを自覚した。
「あれ? 俺死んだかな」
――視線を上げた先。
そこには朱色の鳥居が並んでいた。
稲荷山を登っていたときに散々見たその鳥居の連なりは、ここでは違う表情で俺を嘲笑っていた。
水底は暗いが、提灯の明かりが朱色の鳥居を幻想的に照らしている。
こんな状況でなければ、感動の一つでもしていたかもしれない。
そう、こんな状況でなければ。
「あー、ここは彼の世かな」
俺は髪の毛についた砂を払いながら投げやりに言う。
そして盛大に深く溜息を吐いた。
「はああぁぁー……! 俺はただ、早く家に帰って惰眠を貪りたいだけなんだよ……!」
俺は項垂れる。
しかし、すぐに無性に怒りが湧いてきた。
「別に! 永遠の眠りにつきたいわけじゃ!! ないんだ!!!」
俺が一体何でこんな思いをしなきゃならないんだよ。
全部あいつのせいだ、佐久の馬鹿のせいだ。
あいつが意味の分からない伝説に興味を持ったりするからだ。
そして意味不明な理屈で俺を巻き込むからだ。
俺は不覚にも泣きそうになり、涙が瞳に滲んだ。
――ゴチンッ!
次の瞬間、頭部に衝撃が走り、本格的に涙が出た。
痛みで、だが。
「――……っ! ってぇー!! 今度は何なんだよ!?」
俺は後ろから何かに強く殴られたようで、地面に前のめりに倒れ込んだ。
砂浜に膝をついた俺は後ろを震えながら振り返る。
怒りで、だが。
「大丈夫だ。生きているみたいだぞ」
そこにはなぜか仁王立ちをした佐久がいた。
「おい、佐久てめえ、何で今、俺を、殴った!?」
「自分の生存に自信がないようだったから、親切にも俺が生存確認してやったのだ」
「てめぇは何でそういうところだけファンタジックなんだよ!? もっと他に医学的に根拠がある確認方法なんていくらでもあるだろうがよ! 俺もお前の生存確認してやろうか?」
俺は親指を握り込んだ右拳をぶんぶんと振り回す。
「大丈夫だ。俺は脈もあるし、心音も確認済みだ」
「…………おい」
「それに俺は痛いのは嫌いだ」
「…………おい!」
俺だって痛いのは嫌いだ。
そんな風に騒いでいる俺たちは、背後に迫るものの陰に気が付かなかった。
【おまんらあ、どうしたあ?】
俺は驚き、振り返る。
そして口をあんぐりと開けた。間抜けにも。
振り返った先にいたのは――――
「――――鮭!?」
そう、喋る鮭だった。
「でかいな」
そう、喋る巨大な鮭だった。
どう見てもザトウクジラくらいの大きさはありそうな鮭が水面から顔を出し、こちらに話しかけてきていた。
【おっす。おら鮭太郎だあ】
――もっとひねれよ。
そんな言葉が思わず口からこぼれ出そうになる。
我慢した俺を褒めてほしい。
そして俺はこの非現実を、どういうわけか受け入れ始めていた。
だが、俺の横にもっとこの非現実に適応している奴がいた。
「奇遇だな! 俺は佐久だ! 一文字違いだな!」
「あー、ああ俺は久慈だ」
【おらは旅人なんだあ】
「いや、鮭だろ」
バチコーンッ――!
俺は秒で佐久の後頭部をぶっ叩いていた。
そしてヘッドロックを決めながら小声で恫喝した。
「そう言いたいのは分かるが、お前、ほんと空気読めよ?」
「空気を読む? 空気は読めんぞ」
「そういうのは今は良いんだよ、そういうのはよお」
「久慈、お前さっきからやたらと攻撃的だな。どうした?」
「眠いんだよ。究極になあ」
「堪え性のない奴め」
俺に本当に堪え性がなかったら、俺は今すぐこいつを海にぶち込んで沈めている。
【おまんらあ、どうしたあ? 喧嘩は良くねえぞお】
俺は笑顔で振り向く。
「なんでもないです! 気にしないでください」
俺は鮭太郎とやらに満面の笑みを向ける。
「もごもごもごもごもご……!」
佐久の口を必死で覆いながら。
【それはそうとお、おまんらあ、どっからきたんだあ?】
「えーっと、上から? ですね」
【ああ! おまんら迷い子かあ! お山で迷ったんだなあ。迷い子は久しぶりだなあ】
お山とは稲荷山のことだろうか。
「確かに迷子だな!」
「まあそんなところです……猫神様にここに落とされまして」
【猫神かあ、人間の時間でいう去年の秋に会ったぞお】
「意外と最近ですね」
【おらも一応神様だからなあ。年に一回は神様会議にでるんだあ】
「神在月ですか……」
そしてこの鮭も神様か。
何となく神だがその使いだかのような気はしていたが。
【そおだあ。良く知ってるなあ! ……ん?】
鮭神様はなにかを思い出したように手、もといヒレを叩く。
【そおだあ! 迷い子が来たら渡すものがあるんだあ。ついてこいよお】
「渡すもの、ですか?」
「美味いものだといいな!」
「……なんで食べ物前提なんだよ」
* * *
【とりあえず舟にのるぞお】
鮭神様の指示に従って俺たちは水辺に並ぶ朱色の門を潜っていった。
歩き始めて程なくして、俺たちは潮の匂いがわずかに薄まった舟着き場にたどり着いた。
そこにはゴンドラと言うよりも、おんぼろな小舟が一隻繋がれていた。
俺たちはそれに乗る。
そしてその小舟を鮭神様の鮭太郎が朱色の縄で引いた。
鮭神様に引かれた俺たちは汽水域から先程溺れかけた海域に入っていく。
まるで産卵を終えて大海に帰る鮭のように。
ただし全員雄だが。
「――見ろ! 久慈! あれは竜宮城か!?」
真っ暗な海を進み、しばらくすると佐久が突飛な発言を始めた。
「ああん? こんなところにそんなものがあるかよ。お前寝言は寝てから言えよ――」
俺は鼻で笑いながら顔を上げた。
そして固まった。
そこには確かにあったのだ。
――竜宮城は本当にあったんだ。
絵本の中のような豪華な城がそこに建っていた。
朱色と白の壁。
灯籠に渡橋。
海色の瓦屋根。
そんな景色を見ながら、俺はこめかみに指をあてて頭の中の整理を試みる。
「……悪かった。あれは確かに竜宮城かもしれない」
そして顔を上げて佐久に謝罪した。
「気にするな! 俺は寛大だからな」
イライラした。
俺が怒りを鎮めようと暗い海面を見ていると、そこに明かりが灯る。
気が付けば、竜宮城がある島にたどり着いていた。
【ついたぞお。ここで待ってろお】
鮭神様はそう言うとぴちぴちと砂浜を跳んでいき、竜宮城のような建物の中に入っていった。
「ああ! この近くをちょっと散策させてもらうぞ!」
「おい。あんまり離れんなよ」
俺は佐久に注意するが、既に目の前には佐久はいなくなっていた。
「おい! 久慈! 見ろ、変な銅像があるぞ!」
「お前は勝手に動き回るな! 幼稚園児か!?」
「おい! 大変だぞ! なぜ亀が不在なんだ!?」
助けた亀に連れられてってか。
「うっせぇ! てめえは黙ってろ! 助けてもないのに亀がいるわけねえだろ!」
「いや、別に亀は助けなくても海にはいるぞ」
「お前そういうところ本当に嫌いだ」
俺は項垂れ、膝を抱えてその場に座り込んだ。
* * *
【おーい! これこれ、これだぞう】
俺が砂と戯れていると、鮭神様が再びぴちぴちと跳ねながら戻ってきた。
【迷い子が来たらこれを渡すことになっているんだあ】
鮭神様が俺たちに差し出したのは、黒光りした箱だった。
厳重に紐でくくられた、黒光りした箱だった。
俺は多分、あの箱の正体を知っている。
「これは……」
「玉手箱だな!」
竜宮城とセットの箱を俺はこれ以外知らない。
【おまんらも玉手箱を知ってるんだなあ。さいきんくる奴はなぜか知ってるんだなあ。秘宝なのになあ】
その秘宝は童話になっています、とは言えなかった。
鮭神様が手、もといヒレで持った箱をずいずいと俺に押し付けてきた。
――これは受け取らなくてはならないのだろうか。
俺は身体から体温が奪われるのを感じる。
冷や汗が流れ落ちる。
【しょうがないなあ。おらが開けてやるかあ】
鮭神様はヒレを玉手箱の紐にかけた。
「おい! 鮭神様! 開けるな!」
紐はするりと落ち、今度は蓋にヒレがかかった。
【……だめだぞう、これが『手順』なんだあ】
俺の叫びは虚しく散った。
鮭神様は玉手箱を開けてしまった。
――――ぼふんっ!
――という音が聞こえたと思うと、俺たちは煙に包まれた。
煙は濃く、鮭神様の気配が消えた。
俺は俺の意志とは関係なく、包まれるはずのない煙に包まれていた。
――煙の向こうに、尻尾をふる小さな動物の陰が見えた気がした。




