42、そして未来へ
奈美子の想いを聡が受け止めて、奈美子は幸せな気持ちで未来へ向かいます。
最終回です。
私は今引っ越しの準備に追われて、部屋の中の段ボールと格闘している。
急なことだったが、あの那須へ行った日に父と聡であの家を購入する契約をした。
2週間後には私たち家族は那須にいる予定だ。
母は、忙しく友人たちと連絡を取り合っている。
今生の別れではないが、那須へ行けば今より会う機会が少なくなるからだろう。
父も建築事務所を移転する手続きに奔走している。
もしかしたら父だけ少しの間こちらに残ることになるかも知れない。
私は明日美佐子と香山先生の所へ行く予定だ。
美佐子は電話で私の話を聞いて、悲しんだり驚いたり、でも最後は喜んでくれた。
「奈美子が保育園の先生になるところみられるなんて嬉しい」
「本当に子供のこと乗り越えたんだね、良かった」と涙ぐんでいた。
そして美佐子は言った。
「子供がいない悲しみを私に話してくれていたこと、私はほっとしていたよ。奈美子が悲しんでいる理由が分からないことの方が私は苦しいし、悲しい」
その言葉に以前の自分を振り返る。
本当に私どうかしていた。
私だって美佐子が何かで苦しんでいたら、助けになりたいと思う。
それがどんなにヘビーなことでも、受けて立つに決まっているのに。
いつの間にか相手の立場に立てない思考になっていた。
今やっと健康な心に戻れたと、そう思う。
「奈美子、準備できたか?」
那須から引っ越しの手伝いのため帰ってきている聡が部屋に入ってきた。
聡は転勤してから通常の勤務シフトになり、土日休日から水曜日が休みとなっていた。
「あっごめん、荷造りに夢中でまだなの。今すぐ着替えるわ」
今日は聡と近所の幼稚園の運動会に行くことになっている。
これは幼稚園と近隣の住民との交流を目的としたものなので、平日に開かれ、私たちも参加することができる。
父がチラシをもらってきて、行ってみたら?と勧めてくれたのだ。
急いでパンツスタイルとスニーカーに着替えて、髪をひとつに結ぶ。メイクは最小限。
私の心はもう保育士の心構えになっていて、こういった時に身に付けるものも変わってきた。
「楽しみだね」
二人で笑い合いながら、幼稚園前の道を歩く。
子供たちの姿を見られる。
それだけで心が弾む。
すると、うきうきするようなメロディーが流れてきた。
「始まっているな」
小さな子供たちに優しく目を細める聡。
そんな聡を見て、一瞬ちくりと胸が痛んだが、すぐ可愛らしい子供の姿にくぎ付けになった。
どの子も一生懸命に顔を真っ赤にして頑張っている。
聡は「みんな、がんばれ~」と声をだして応援している。
「ふふふ。聡が子供みたい」と笑うと、口をとがらせた。
運動会も競争だから、どうしても遅い子が出てくる。
ひとり何をやっても極端に遅い子がいた。
よく見ると、足が不自由なようだった。
私は人に注目され続けているその子を思って、聡に
「あの子、辛くないかしら?」
とつぶやいた。
聡もじっとその子を見た。
恐らく脳性麻痺の一種だろうか。
左足を回すようにぐるっとしながら走っている。
聡も思う所があったのだろう。
次の瞬間。ロープで仕切られているぎりぎりまで近寄って駆け出していった。
聡を見て人だかりがロープから離れる。
聡はその子に会わせて走り始めた。
「がんばれ!がんばれ!あと少しだ!」
と声をかけながら。
その子も聡を見て、こくんと頷く。
会場が手拍子に包まれる。
「がんばれ!がんばれ!」
一生懸命に走る女の子。
走りながら、何度も聡を見る。
聡も声の限り叫んでいた。
「がんばれ!あと少しだ!」
私は知らないうちに目の前がかすんでいることに気づいた。
「がんばれ!がんばれ!」
他の人たちからも声がかかる。
「すごいぞ!がんばれ!がんばれ!」
老いも若きもその場にいる人全員が、その子を応援した。
あたたかな感情が溢れてくる。
聡の子を励ます姿……。
聡が愛情深いのは知っていたけれど、これほど子供の立場に寄り添える人だったとは……。
拍手の中、その子がゴールした。
その子は聡にピースをし、聡がその子にガッツボーズを返した。
聡にも温かな拍手が贈られる。
私は戻ってきた聡を泣き笑いの顔で迎えた。
「奈美子があの子を辛くないかと言った時、あの子の気持ちが前向きにだったらさらに元気になるように、そうでなかったらこの状況をはねのけるようになれないかって考えていたら、体が勝手に動いていた。恥ずかしかったか?」
私は頭を左右に振った。
「ううん。誇りに思う。聡のこと」
「ねぇ、聡。私の思いが強すぎたのなら、ごめんなさい。あなたはお父さんになる資質があると思う」
「奈美子……」
「私、養子が欲しい」
「……」
「もちろん保育士の資格は取るし、他の資格も取得することも考えているわ。でもあなたが子供といるのを想像しただけで、幸せな気持ちになるの」
「……」
「どう思う?」
「俺も……子供は可愛いと思う……。でも……。養子か……」
「おじちゃん!」
背後から鈴のなるような声がした。
見ると、さっき走った女の子が先生と左足をひきずる歩き方で私たちの所へやってきた。
「すみません。愛ちゃんがどうしても先ほどのお礼を言いたいと……」
と先生が笑った。
聡と私はかがんで女の子の目線になった。
「おじちゃん、ありがとう。がんばれたよ」
そういって聡にハグした。
聡も驚いたようだけれど、しっかりハグを返す。
「どうしたしまして。最後まで走り抜けて、かっこよかったよ」
「うん!」
女の子はにっこり笑うとバイバイと手を振って、園児たちの場所に帰っていった。
「奈美子の気持ち。分かる気がするよ……。子供といると、温かな気持ちになる」
「そうなのよね。でも、良いことばかりじゃない。嘘だってつくし、いやいや期や反抗期だってある。でもそれ以上の喜びがあると私は思うの」
聡は愛ちゃんの行った先を見つめた。
「子供のいる生活か……」
そして、先ほど愛ちゃんを抱きしめた自分の両手を見てから、私の目を真っ直ぐ見ていった。
「奈美子の願いはできるだけ聞いてやりたい。それに……この温かな気持ちが何だかとても……。そうだな。養子のこと、前向きに考えてみよう」
「聡。ありがとう」
胸の中に、今までのことが一気に去来した。
その内どれか一つ欠けていても、今の私はなかった。
人生はたった1か月でも劇的に変わる。
約一月前まで、スーパーでやっていっていけるかどうか悩みに悩んで、そして子供のいない悲しみを持て余していた。
でも今は……
私達お父さんとお母さんになろうとしている。
愛とは不思議で、夫婦だってもとは他人。
一緒に色々なことを乗り越えていくことで、絆が強固になって家族になっていく。
それは子供でも同じことだ。
聡の笑顔が今までにないくらい優しい。
私の笑顔もきっとそうだろう。
取り戻した輝きは私だけなく、聡のことも輝かせた。
そしてまだ会えていない私たちの子どものこともきっと。
たとえハッピーなことばかりでなくとも、私は怖くない。
聡に繋がれた左手をぎゅっと握り返して、私の目線はまた子供に注がれる。
私が自然体でいられて、最も輝けるのはやはり家庭だ。
愛する人と愛する家庭を作っていく。
私の子どものいない悲しみの穴は聡への愛を感じたあの夜にふさがれ始め、匠君と出会うことで完全に栓ができ、今私の内から外へと夢と希望が溢れ、きらきら流れ出し始めている。
私は今全力で感じている。
出会いに決して意味のないものなどないということを。
聡に出会えて夫婦になれた。
聡だからこそ私は妻としての立場に喜びを感じられる。
愛情深い両親も、美佐子も、匠君も、香山先生も、その存在は大切で唯一無二。
そして今までの人生ですれ違った人だって、誰かにとって大切な人。
だから大切にされるべき、掛け替えのない人たちなのだ。
あのスーパーでの出会いさえも大きな意義を持つものに変わった。
人は出会いに大きな意味を持たせることができる。
それは人間の持つ大いなる力だ。
そして、これから出会う子供たちに愛と共にそれを肌で感じさせてあげたい。
私は歩いていく。家族と共に。
この未来へと続く道を。
疲れ果てた主婦が輝きを取り戻すまで。
そこから見えてきたもの。
未来は底抜けな愛に溢れている。
そう、希望はいつも共にあるのだ。
今後辛いことが何度あっても、私は信じ続けるだろう。
悲しみは「優しさ」に、喪失感は「愛」につながっているから。
きっと何度だって輝きは取り戻せるということを。
完
最後までお読みくださり、ありがとうございました!
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本当にありがとうございます!
奈美子のように苦しんでも、人は必ずまた輝ける。
そんな思いが伝わったら、とても幸せです。
素敵なバナーをくださったあき伽耶様にも、御礼申しげます。
最後にもう一度御礼を……本当にありがとうございました!