(3)
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姉の姿と、ジャックの姿が重なった。
事情は違えど、死を望む者達。彼らの願いを叶えることができる己の血が、ひどく恨めしく、遣る瀬無かった。
姉も、ジャックも。
大切な人を傷付ける意思はなくても、私は彼らを傷付け苦しめる。
まるで、薔薇の棘のように――。
「い、いやだ……死なないで、お願い、いなくならないで……もう、一人にしないで……!」
喉が震えて、抑えられなかった言葉が溢れた。苦しくなって言葉を詰まらせた私の肩に、ジャックが遠慮がちに触れてくる。
「すみません、サキ。泣かせるつもりは無かったんです」
ジャックの長い指が、私の目の下をそっと撫でる。冷たく濡れた感触に、私は自分が泣いていることを知った。
ジャックは白いハンカチを取り出して、私の涙を拭いながら言う。
「……今まであなたに黙っていて、すみませんでした。あなたが『薔薇の血』を使うことを恐れていることを知っていたから、言えなかった。そしてそのせいで、あなたを危険な目に遭わせました。本当に申し訳ありません」
薔薇の血を欲するジャック。彼の願いを知る者達は、それゆえ私を警戒し、排除しようとした。
「……私は、無理やりあなたの血を奪う気はありません。約束します。あなたが許さない限り、私はあなたから血をもらうことはありません。そんなに簡単にはいなくなりませんから、どうか泣かないで」
「え……?」
「これは、ジョー……ジョアン・ブラッドレイ公爵と結んだ誓約でもあります。そしてもう一つ、条件を出されています。あなたの研修を最後までやり遂げ、一人前の保護官に育て上げてから、無事に日本に帰すこと。ですので、今すぐあなたの血をもらうことはありませんし、その後あなたから許可をもらえなかった場合も同じです。また、私の元で研修を続けることが不安であれば、ベラの保護下で研修できるように手配してあります」
ジャックはあっさりと告げて、濡れたハンカチをしまう。私は呆けながら、彼を見上げた。
「……ジャックは、それでいいんですか?」
「以前言ったでしょう、サキ。あなたが道を選び、進む手伝いをすると。あなたがしたくないことを強要はしません」
薔薇の血を欲していながらも、私が嫌だと言えば、彼は本当に血をもらう気は無いのだろう。
「私は……ジャックにいなくなってほしくないです。だから、血は……あげたく、ないです」
「分かりました」
答えが分かっていたようにジャックは頷いた後、私を――否、私の後ろ、はるか遠くを眺めるように、目を細める。
「それも踏まえて、できれば一つお願いがあります。あなたの道が終わる時……あなたが生をまっとうする時に、どうか、あなたの血をくれませんか」
「……」
「サキがいなくなったら、私も一人です。それは、寂しい」
ジャックの微笑みは優しくて、哀しい。気負いのない、穏やかな覚悟を湛えた彼の笑みに、強張っていた身体の力が抜ける。
――死にたがりのジャック。愛した人を失い、彼女の元へ行くために死を望む。会いたい人に会えない寂しさを、側に居たい人の側に居られない哀しさを抱えた吸血鬼。
生きてきた年数も環境も、そもそも人間と異人という違いがあるのに、自分とどこか似ている気がした。
私は熱を持つ目元を押さえながら、ぽつりと言う。
「……何十年後に、なるかもしれません」
「もう何百年と生きていますから、そのぐらいは待てます」
「……死ぬ前でも、私がやっぱり嫌だと言ったら……」
「ですので、時間をかけて説得していければと考えています。強制と説得は違うものですから」
「ジャックがいなくなったら、アーティが寂しがります」
「アーティは私の眷属なので、私が死を迎えればあの子も一緒に旅立ちますが……そうでした、アーティにまずは許可を取らなければいけませんね」
ジャックは、ふむ、と顎に手を当てて考える。
己の死について話しているはずなのに、『今日の夕食はどうしましょうか』と話す時の口調と同じだった。
ジャックは己の力を、運命を受け入れていた。己の願いを叶えたくとも、誰かの理を曲げ、傷つけてまで達成しようとはしていなかった。悠久の時を、苦しくとも、辛くとも、自然の理に寄り添いながら生き続けてきた。
思い出すのはルカの言葉だ。
『彼らはこの世界に生まれた。すべての世界の理の下で、誰かが故意に作ったわけでもなく、自然に生まれたんだ。だから僕らは、どんなに彼らを恐れても、許容しなくてはならない』
今までずっと恐れ、疎んできた己の血。
だが、この力も宿命も、受け入れたいと……受け入れなければと、今は思えた。ジャックやルカのように受け入れて、自分が正しいと思う道を選んで、進むしかないのだ。
「……分かりました」
一度目を閉じて、開く。
薔薇の茂みを背にしたジャックが、そこにいる。
尊敬する優秀な保護官で、優しく強い、寂しがり屋の吸血鬼。
「ジャック・オールドマン。これからも、どうかよろしくお願いします」
まずは一人前の保護官になる。そこまで進んでから、次の道を選ぶ。
正しいと判断できる知識と経験を積んで、力と宿命を受け入れて。そして、ジャックの願いを心から叶えたいと思える日が来たのなら。
「いつか、その時が来るまで……どうか待っていてもらえますか?」
私は右手を前に出す。初めて会った時、ジャックが手を差し出した時のように。
ジャックは青い目を瞠り、くしゃりと破顔した。
「……はい。よろしくお願いします、サキ」
伸ばされた手が、私の右手を強く握る。
二度目の握手なのに、初めてみたいだ。私はようやくジャックと、己自身と向かい合えた気がした。
手を繋ぐ私とジャックの間で、淡い薔薇の花弁が風に揺れていた。
次回でいよいよひと段落の最終話です。
また、本作は都合により、5/5に削除する予定です。
それまでお付き合い願えれば。




