4.そして薔薇は咲く(1)
レイラ・カーソンが妖精と接触したのは、メイ・デーの前夜、ワルプルギスの夜のことだった。
ワルプルギスの夜は今でこそ魔女が集会を開くことで知られているが、古くは春を迎えるための神聖な儀式を行う日であった。地方によっては、その夜は死者と生者との境が弱くなる時間と考えられ、死者を追い払うために大きなかがり火を焚く風習もある。
ワルプルギスの夜は、世界の境が曖昧になる。そのため、妖精を含む異界の住人の目撃例が増える日でもあった。
第三の目も持たぬ普通の人間であるレイラが、妖精と接触できたのもそのためだった。
一度異界の者と接点を持つ……境を越えた付き合いをした場合、正しい処置をしないと境が曖昧になる。本来なら、レイラはその時点で保護官に連絡し、その後の接触を断つべきであった。
だが、妖精達はレイラに『ジャックにとってサキは危険な存在である』と教えた。元々、保護官見習いでやってきた日本人のサキをよく思っていなかったレイラは、サキを危険視した。
その後も妖精と接触していたレイラは、サキを妖精の輪に入れて、あちらの世界と送ることを決めた。もっとも、レイラがこの考えに至ったのは、妖精がそうするように促したせいもある。異人の誘惑に、人間は弱いものだ。
レイラは、妖精に関する記憶を消されるだけの軽い処分となった。
今回の件は、一人で行動したサキにも問題があり、指導者であるジャックの監督不行き届きもあったからだ。
ジャックはロンドン支部へ出向して今回の件の詳細な報告を行い、サキは今後、時期をみてロンドン支部での特別研修を受ける運びとなった――。
***
私がジャックと話ができたのは、事態が収拾した五月の終わり。ジャックの庭に、最初の薔薇が咲いた日だった。
薔薇はイギリスを象徴する花で、国花でもある。
国花になったのは、かつて国内で起こった有名な『薔薇戦争』が由来だと言われている。赤薔薇を紋章とするランカスター家と、白薔薇を紋章とするヨーク家による王位継承権を争う戦いは、ヨーク家のエリザベスがランカスター家に嫁いだことで終結した。その際に赤薔薇と白薔薇が重ね合わされた紋章『テューダー・ローズ』が生まれ、紋章は現代まで受け継がれている。
古来より世界中で愛されてきた、華やかで美しく、香り高い優雅な花。六月に入ると、イギリスのどこの庭でも薔薇が咲き誇るシーズンを迎える。
淡いピンクのドレスのような花弁が美しいオフェリア。初夏らしい色合いの、黄色いアンバークイーン。濃いピンクの縞模様と香りが特徴の、野性味あるロサ・ムンディ。大振りでぽってりとした形のキャサリン・モーリー……。
たくさんの品種を育てているジャックから聞いたそれらの名前は多すぎて、少ししか覚えていない。そもそも、ジャックの話を聞いただけで、まだ実物を見たことが無いのだ。
そんなまだ見ぬ薔薇の蕾がたくさんついた茂みの前に、ジャックはいた。
アーティとヴァンは、今日は大人しく家の中にいる。何かを感じ取ったらしいアーティは、ヴァンを連れて二階へと行ってくれた。
一人になった私は庭を横切り、ジャックの後ろで立ち止まる。
「ジャック」
名を呼ぶと、ジャックが振り返る。彼の手元には、白にうっすらとピンクがかった花弁の薔薇の花があった。
柔らかで優美な印象を与えるそれを、ジャックが差し出す。
「どうぞ。クロリスという名前の薔薇です。今年も綺麗に咲きました」
「あ……ありがとうございます」
明るい緑色の葉とのコントラストが淡いピンクの花弁と相まって美しい。枝には棘も無く、花弁はフリルのような柔らかな線を描く。優しく、可愛らしい雰囲気を持つ薔薇だ。
「綺麗ですね」
「はい。……彼女が、好きだった薔薇です。自分の名前と似ているからと」
ジャックは懐かしむように目を細めた。
「彼女の名はクリスといいます。私が愛した、たった一人の人間です」




