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英国カントリーサイドの吸血鬼   作者: 黒崎リク
第二章 めぐり出会う、四月
13/47

1.魔女と桜とゴーストと(1)


 早朝、小鳥の鳴き声で目が覚めた。

 ホウッ、ホウッ。チチッ、チュッチュッ。ピッ、ピゥーイ。

 ウグイスに似た高音が美しく響く。ナイチンゲールの鳴き声だ。日本では小夜啼鳥、夜鳴鶯とも呼ばれるらしい。

 スマホで時間を確認すると、六時三十分。そろそろ日の出の時刻だ。

 先日から、イギリスではサマータイムが始まっている。

 サマータイムは、日照時間を有効に使うため、標準時を一時間進める制度のことだ。三月の最終週の日曜日、午前一時に時計の針を一時間早く進めるのだ。

 初日の朝は一時間進んだ状況に慣れなかったものだが、三日も経てばだいぶ慣れてくる。

 窓辺に寄ってカーテンを開く。遠い地平では日の出前の光が零れているのだろうが、あいにく雲で隠れてしまっている。だが目線を上げれば、空が淡い水色へと変わっていく様が見えた。

 窓を大きく開けると、ピュイッと高い声がした。近くの木の枝に、茶色い羽の鳥がとまっている。ナイチンゲールだ。朝の散歩の時にジャックから教えてもらった。

 貴婦人のように、すっとした細身の体が美しい……はずが、この鳥は少しずんぐりとして大きい気がする。円らな目がこちらを見つめた、次の瞬間――。

 バサッ‼!

 翼を震わせたナイチンゲールの茶色い羽根が全て落ち、中から真っ黒な鳥が現れた。

 全身を覆う黒い羽に、小さな黄色いくちばしの鳥。ブラックバードはふるふると首を振った後、不思議そうにこちらを見やる。

 マジックショーのような変化にぽかんとする。無垢な目と見つめ合っていると、くすくすと笑う声が耳に届いた。次いで、風が強く吹いて私の短い黒髪をかき回す。意思を持つ風は茶色い羽根を巻き上げて、通りの向こうへと持っていた。

 草の香りがする冷たい風に髪をくしゃくしゃにされた後で、風の精霊のいたずらだと分かった。姿を見せない彼らは、ナイチンゲールと鳴き声が似ているブラックバードに、茶色の羽をまとわせたのだろう。

 きっと、私を驚かせるために。

 たしかに驚いたが、目の前で起きた不思議に以前ほど慌てなくなったのは、慣れてきたおかげだろう。慣れは必要だ。

 達観した気持ちで遠くを眺めていると、ふいにくしゃみが出る。四月になっても朝の空気はまだ冷たい。窓を閉めて支度をする私の耳に、ブラックバードの可憐な鳴き声が届いてきた。




   ***




 イギリスはコッツウォルズの小さな町、ブライアーヒルに滞在して三週間が経つ。

 慣れない異国での暮らしを支えてくれるのは、ジャック・オールドマン。

 見た目は六十代前後で、背が高くすらりとして、豊富な銀髪に湖のような青色の目を持つ初老の男性だ。丁寧な口調や柔らかな物腰は、まさに老紳士といった雰囲気がある。

 彼は管理局に所属する保護官であり、研修生である私の指導官。そして、齢四百年を超える吸血鬼であった。

 人間とは異なる『異人』と呼ばれる存在のジャックだが、その生活は人間とほとんど変わらない。料理が得意で、ガーデニングと散歩が好きで、ハーブに詳しくて、掃除・洗濯も難なくこなす。

 ジャックと、彼の眷属である犬のアーティとの生活は、今のところ順調だと思う。

 最初は頼りきりだった家事を分担してもらい、洗濯と掃除は任されるようになった。

 ただ、日本よりも硬度が高いイギリスの水道水で洗濯すると、洗濯物はゴワゴワになる。洗濯後のアイロンがけはジャックに手伝ってもらっている状況だ。

 その分、料理とガーデニングを手伝うようにしていた。


 ジャックの家の裏手に広がる庭は広い。

 幅が十数メートル、奥行きが二十数メートルあり、九〇坪近くあるそうだ。テニスコートくらいだろうか。

 もっとも、ジャックに言わせればこれでも小さい方だという。たしかに、知り合いのイギリス出身の吸血鬼公爵が日本の邸宅に造った庭は、東京ドームがすっぽり入る広さだった。自然風景を生かしたものや、幾何学的な整然としたものなど、テーマの違う庭がいくつもあり、緑の生垣の迷宮もあって迷子になりかけたくらいだ。

 それに比べると小さいかもしれないが、ジャックの庭は素朴で緑と花に溢れ、明るくて温かい。初めて彼の庭に足を踏み入れたとき、不思議な居心地の良さを感じたものだ。

 家の裏手の屋根付きポーチの前には小さなキッチンガーデンがあり、ハーブや野菜が植わっている。

 庭の奥には、ガーデニングの道具を入れる古びたガーデンシェッド。白いつぼみが膨らむリンゴの木、洋ナシの木やプラムの木。エルダーの木もある。

 青い芝生の一角には、パラソル付きのテーブルセット。花壇沿いにはベンチもあり、天気のいい日には庭でお茶もできる。

 芝生を取り囲むように作られた花壇には、様々な種類の花が植えられているそうだが、一回聞いただけではとうてい覚えられなかった。

 今は黄色や白、菫色や白地に群青色の線が入った数種類のスイセン。赤や黄色、淡いピンクやオレンジのチューリップ。鮮やかなピンク色のプルモナリア、濃い紫色のアネモネ。それから白色のヒヤシンス、可憐なマーガレットなどが彩っている。

 今日の作業は、キッチンガーデンの土の手入れと、ハーブの種まきだ。

 キッチンガーデンの除草作業の後、ポーチの一角にある簡易温室に移動する。ビニールのカーテンで覆われた温室の中には、いくつもプランターが並べられていた。

 バジルやディルといった一年草のハーブの種は、いったんこのプランターで発芽させてから、霜の心配がない四月末以降に外の畑に植え替えるらしい。先日種をまいていたプランターの幾つかには、小さな緑色の芽が出ていた。

 新しいプランターに土を入れて表面を平らにし、種を植えていく。

 ポーチの隅では、アーティがごろごろとしていた。時折起き上がってきては、鼻先で私やジャックの背中を突いてくる。

 アーティとは、先日のエルフとの一件以来、仲良くなることができた。目が合えばとことこと近づいてくれるし、撫でさせてくれる。毎日のアーティのブラッシングも、今はジャックと交代で行っているくらいだ。犬は苦手だったが、アーティなら大丈夫だ。

 仲良くなれて嬉しいが、アーティの力は少々強い。

 前足でたしたしと背中を叩いていたアーティが急に乗っかってきて、しゃがんでいた私は転びそうになる。


「わっ……」


 すかさず、隣にいたジャックが腕を掴んで支えてくれた。


「よしなさい、アーティ」


 ジャックに叱られたアーティは、少し不満そうに離れる。


「……これが終わったら、散歩に行きましょうか」

「はい」


 ジャックの言葉が聞こえたらしい。すぐに機嫌を直したアーティは、しっぽを元気よく振って早く早くと催促する。私はジャックと顔を見合わせて苦笑した。



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