(2)
夕方に起きたサキは、眠る前よりも何だか具合が悪そうだった。熱が上がってきたのだろう。
顔が赤いサキに、ジャックはライスプティングを小さな器に入れて渡した。
甘くてひんやりとした、バニラの香りがするライスプティング。
お米を牛乳と砂糖と卵を混ぜたもので煮込み、それにバニラエッセンスを加える。普通は温かいものを食べるけど、食欲が無くても食べやすいように、冷やしたやつだった。ちなみに僕は、オーブンで焼いたライスプティングが好きだ。
サキは恐る恐る口に入れ、やがて「おいしい」と驚いたように言った。
聞くと、日本で食べたライスプティングは、こんなにおいしくなかったそうだ。温かくて甘すぎて、シナモンがたっぷりかかっていて、数口でギブアップしてしまったと、苦笑しながら言った。
小さな器のライスプティングを食べ終えたサキに、ジャックは温かいお茶を差し出す。
薄い色のお茶からは、マスカットのような甘い香りと、ほのかなミントの爽やかな香りが漂ってくる。
「エルダーフラワーとスペアミント、ヤロウのハーブティーです。風邪に効いて、よく眠れますよ」
「いい匂い……。ありがとうございます」
サキがはにかみながら礼を言った。
僕とジャックは顔を見合わせる。
――ルカが持ってきた紙袋には、エルダーやジャーマン・カモミール、ミントやセージなどのハーブが入っていた。
それらをざっと見て苦々しげな表情を浮かべたジャック曰く、「さすがエルフ」と。
丁寧に乾燥されたそれらは品質が良くて、さらには、収穫時期がまだ先のはずの、立派なフレッシュハーブまで入っていた。
念のため、妙なところがないか(変な呪いが掛かっていないか)を確認して、ジャックが飲みやすいようにブレンドしてお茶を淹れた。
エルダーは、果実も花も樹皮も葉も根も、全ての部分に優れた薬効を持つ。風邪の症状や花粉症の改善、防虫効果なんてのもあるそうだ。民間の万能の薬箱としてだけでなく、病気や悪霊を寄せ付けない厄よけやお守りにもなる。
お茶には乾燥させた花の部分を使う。血行を良くして体を温める効果があるらしい。
同じく、スペアミントにはリラックス効果があって、ヤロウは発汗作用で熱を下げる……と、ジャックがハーブを並べながら説明してくれた。
もっとも、ミントもヤロウも、香りが強くて癖がある。その二つは少なめにして、優しい味わいのエルダーを多めにブレンド。ほんのりと甘く爽やかな香りのお茶には、ハチミツも少し入っていて、サキの口に合ったようだ。
ふうふうと冷ましながら飲むサキに、僕もジャックも、ルカが持ってきたハーブだと伝えそびれた。珍しく反省しているルカの伝言のことも。
……まあ、伝えなくてもいいだろう。そもそもルカのせいなんだし。
体が温まったおかげか、ハーブの効果か。
布団に入ったサキは、穏やかな寝息を立て始めた。サキの肩まで布団を引き上げたジャックが、僕に言う。
「今夜は、サキと一緒にいてくれるかい?」
もちろんと頷くと、ジャックはサイドテーブルに新しい水差しとタオルを置く。
それから、ルカが持ってきたエルダーの白い花。一か月も早く枝に満開になったそれを花瓶に挿し、少し離れたデスクに置いて部屋を出た。おやすみ、と明かりを消される。
僕は持ち込んだお気に入りのクッションを、ほどよい位置になるように動かした。前足を乗せて顔を伏せて、眠りについた。
……誰かが泣いている。
ふんふん、と鼻を鳴らして起き上がると、小さな呻き声が聞こえた。慌ててベッドの上に身を乗り出す。
暗い中、サキの額に汗が滲んでいるのが見えた。白い眉間には皺が寄っている。苦しそうだ。熱が上がったのだろうか。
ジャックを呼んで来ようとして、サキが何か呟いているのに気付いた。近づいて耳を澄ませる。聞きなれない響きの言葉。日本語だろうか。
「……ごめんなさい……」
繰り返される単語の一つは、ジャックから少し教えてもらったことがある。
『ゴメンナサイ』は、確か『ソーリー』。謝罪の言葉だ。
サキは誰に謝っているのだろう。閉じた眦から、涙が零れる。
どうして泣いているの? どこか痛い?
苦しいの? 悲しいの? ……寂しいの?
サキのことをまだよく知らない僕には、彼女が泣く理由は分からない。
でも、ジャックを呼びにこの場を離れることはできなかった。ベッドに飛び乗って、サキの横にぴったりとくっつく。
病気で心細くなっているときは、誰かが隣にいるとよく眠れるって、ジャックが言っていた。だからジャックも、僕にここにいるように言ったんだと思う。
サキの手に、自分の鼻先を近づけた。熱で温かい手に、そっと頭を摺り寄せる。僕がここにいるからと、知らせるように。
温かくして、たくさん眠って、風邪を治して。
そうしたら、また一緒に散歩に行こうよ。
たくさん道を教えてあげる。いろんな場所に連れて行ってあげる。
丘の向こうの森には、お気に入りの花畑があるんだ。森の中の池には、友達の精霊がいるんだよ。生意気だけど面白いやつなんだ。会わせてあげるよ。
他にもね、いっぱい、いっぱい、君が知らない場所を、知らないものを、教えてあげる。
君が寂しくないように、泣くことの無いように、僕が側にいてあげるから。
だって僕は、君のお兄さんで、先輩なんだから――。
声を出さずに語りかけていれば、サキの指がかすかに動いた。
起きたのか、無意識なのかは分からないけれど、柔らかく頭を撫でられる。……ずっと昔、死にかけていた僕の頭をジャックが撫でたように。
遠慮がちに、優しく。それはまるで、恐れながらも、縋るようで。
ジャックの声が、哀しそうな微笑みが蘇る。
『寂しいもの同士、一緒にいましょうか』
僕とサキは似ている。
そしてきっと、ジャックとも似ているのだと、そう思った。
近くに感じるサキの寝息が、少しだけ安らかになったような気がする。エルダーのほのかに甘い香りに後を委ねて、僕はそっと目を閉じた。




