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英国カントリーサイドの吸血鬼   作者: 黒崎リク
第一章 春には早い、三月
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閑話 花冷えの夜に(1)


 僕の名前はアーティ。

 一応、犬。ボーダーコリーっていう種類。

 グレートブリテンっていう大きな島の西の端っこ、ウェールズのランズエンドで生まれた。アーサーっていう昔の王様の名前から、僕の名前を付けたらしい。

 名前を付けたのは、僕の主人であるジャックだ。彼は吸血鬼で、人間とは違う匂いがする。

 ジャックは、僕に命を与えてくれた。

 僕は体が弱かった。一緒に生まれた兄弟達の中で一番小さくて、力も無かった。死にそうだった僕を飼い主も親兄弟も見捨てたけど、ジャックが拾ってくれた。そして、血を与えて眷属にしてくれた。もう百年以上前のことだから、あんまり覚えていないけれど。


 ジャックとの生活は楽しい。

 最初はジャックと一緒にいろんなところを転々としていたけど、緑と丘と羊がいっぱいの町に住むようになってからは、もっと楽しい。

 ご飯はおいしいし、たくさん外で遊べていっぱい走れるし、おやつもとてもおいしいし!

 そんなジャックとの生活に、闖入者が現れた。

 サキだ。

 サキは、遠い東にある、日本っていう国から来た人間の女の子。

 でも、男の子みたいに見える。髪は短いし、男の子みたいな服装だし、胸にも腰にも肉がついていない。身体の厚さが、近所のエイミーおばさん(よくお菓子をくれるいい人!)の半分くらいしかない。薄くて倒れそうで、ちょっと心配になる。

 あと、猫っぽい。ものすごく警戒して僕を見てくる。そう、やせっぽちの黒猫みたい。近づくと逃げそうで、あまり近づかないようにしている。

 サキは、とても静かでおとなしい。あんまり笑わないし、表情も変わらない。ぼうっと遠くを眺めていることが多い。

 ジャックは「サキはシャイなんだよ、お前と同じでね」と言っていた。それから「お前の方が年上のお兄さんで先輩なのだから、面倒を見てあげるんだよ」とも言われた。


 先輩! お兄さん!

 僕は兄弟の中で末っ子だったから、妹ができたのはちょっと嬉しい。最近は特に、サキと目を合わせても逸らさなくなったし、時々見せる笑顔は可愛いし、ますます嬉しい。

 そんなサキが、熱を出した。




 最初に気づいたのは僕。

 朝、ダイニングに入ってきたサキに近づいたら、なんだか体がぽかぽかと温かい。サキを見上げれば、顔が少し赤くて、黒い目がぼんやりと潤んでいた。

 いつもより頼りない感じのサキに、ジャックもすぐに気づいた。サキの額に手を当てて眉を顰める。

 体温計と水差しを手にしたジャックは、すぐにサキを寝室へと追い立てた。やっぱり熱があったらしい。

 サキがこの家に住み始めて二週間が経つ。慣れない異国の生活による緊張と疲れ、ストレスで身体に不調をきたしたのでは、とジャックは言う。この間、エルフのせいで身体が冷えきってしまったのも原因みたいだ。

 ベッドに戻ることになったサキに、ジャックは珍しく眉間に皺を寄せている。


「いいですか、サキ。具合が悪い時はちゃんと言って下さい。分かりましたね?」

「すみません……」

「謝ることではありません。自分の身体を大事にしなさいと言っているだけです」

「はい……」


 枕と布団に埋もれたサキは、申し訳なさそうだ。

 ジャックは優しくて面倒見がいいけど、意外と口うるさい。説教が長い……というか、こっちがちゃんと理解するまで懇々と説明し、なかなか解放してくれない。

 仕方ないから、ジャックの服の裾を噛んで引っ張って止めた。

 我に返ったジャックは「とりあえず薬を飲むために少しは食べましょう」と立ち上がる。後を追って部屋を出ると、ジャックから命じられる。


「アーティ、湯たんぽを探してきてくれ。ゴム製のだ。倉庫のどこかに干しているはずだから」


 分かったと頷いて、一階の奥にある倉庫を漁った。臭いゴムの匂いですぐに見つかる。

 牙で穴を開けないように注意して咥えて、キッチンに向かった。ジャックはキッチンで忙しく動き回っている。

 鍋に洗ったお米を入れて、少し変わった匂いのするスープで煮ている。日本の『ダシ』というものだそうだ。その間に、電気ケトルで沸かした湯を湯たんぽに入れて、タオルと洗面器を一緒に持って二階に行く。

 戻ってきたジャックは、変わった匂いのする鍋に溶いた卵を入れてひと煮立ちさせ、深皿に移す。

 皿に入れられたそれは、ポリッジに似ている。でもポリッジより透明で、米の粒が見えて、少しさらっとしている。匂いは甘くなくて、ちょっと魚っぽい感じの良い匂い。……何か美味しそう。

 じっと見ていれば「これはサキの分です」とジャックが釘をさしてきた。

 ジャックは変わった匂いのポリッジをお盆に乗せて、二階に向かった。サキはポリッジが苦手じゃなかったっけ、と僕は首を傾げる。

 部屋に入ったジャックは、お盆をサイドテーブルに置いて、サキが身を起こすのを手伝った。ジャックがお盆を差し出すと、猫みたいなサキの大きな黒い目が瞬く。


「おかゆ……ですか……?」

「こういう時は、日本のものが食べたくなるのではないかと」


 どうやら、皿の中身はポリッジじゃなかったようだ。サキは目を潤ませ、しばらく『オカユ』を見つめていた。


「早く食べないと、冷めてしまいますよ」

「は、はい」


 ジャックに言われて、サキは木のスプーンを手にする。吹き冷まして口に入れると、彼女の頬が緩むのが目に見えて分かった。


「……おいしいです」

「それはよかった」


 ジャックも嬉しそうに微笑んだ。

 ふむ、やっぱりおいしいんだ。鍋にまだ残っていたから、僕も後でもらおう。

 食べ終えたら常備薬の風邪薬を飲ませて、サキを寝かせる。僕はジャックに命じられて、サキの看護だ。足元に待機する。

 前足を組んで頭を伏せて時折うつらうつらしていると、ノッカーの音が聞こえた。

 来客のようだ…………む、あいつか。

 僕は起き上がって、サキが眠っているのを確認して一階に降りる。玄関には、ジャックが腕を組んで立っていた。

 後ろ姿からでも分かる。ジャックはちょっと怒っていた。


「何の用ですか、リュカリウス」

「仰々しいなあ、ジャック。ルカでいいよ。サキにもそう教えたし」

「気やすく彼女の名を呼ばないで下さい」


 開いた扉の向こうにいるのは、ジャックと同じくらい背が高い、金髪の男。

 きらきらして胡散臭い、エルフのルカだ。こいつは好きじゃない。

 ジャックに加勢するように、僕はしっぽを上げて威嚇しながら近づく。

 でもルカは、まるで親しい友人にするみたいに「やあ」と手を振ってきた。友人になった記憶は無い!


「アーティ、彼女は元気かい? ジャックが会わせてくれなくて」


 お前に会わせるわけないだろ。さっさと帰れ。

 そう唸れば「もうあの子に懐いたのかい?」とからかってくる。む、やっぱりいけ好かないやつ。

 ジャックに力づくで追い出されそうになったルカは「待ってよ」とその腕を止めた。


「お見舞いに来たんだ。彼女、熱を出したんだって?」

「……」


 僕とジャックはさっと目線を交わす。

 一体どこから情報を、しかもこんなに早く手に入れたのか。たぶん、そこらをうろついている精霊や妖精が、ルカに教えたのだろうけれど。

 ルカは情報源を明らかにはせずに、持っていた紙袋を差し出してくる。


「よかったらどうぞ。君の庭にあるかもしれないけれど。……それから、サキに『ごめんね。お大事に』って伝えて。それじゃあね」


 ルカは微笑むと、あっさり去ってしまう。ルカの珍しい謝罪の言葉に、ジャックは紙袋を抱えて、僕は呆気に取られて、その後ろ姿を見送った。

 紙袋には、風邪や安眠に効果のあるハーブがたくさん入っていた。



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