20. 交流と破綻(中)
ギャラリーは子爵邸の奥にあった。
幾つかの客間を通り過ぎ、長い廊下を抜けた先にあてがわれた部屋。そこは、照明が少ないため薄暗く、壁に絵と銅像が立てかけられているだけの空間だった。
子爵家の人々の私室が垣間見えるその場所は、ギャラリーというよりも、倉庫のようだった。パトリシアには、そのように感じられた。庭先で感じた緊張感は、今もパトリシアの心臓を逸らせている。思わず、隣に立っているミルドレッドを見つめた。
「あの、私、本当にこの部屋に来て良かったんでしょうか。なんというか......部外者が入っていい場所ではないような......」
豊かな赤毛の下で、静かに部屋を眺めていたミルドレッド。先ほどまで攻撃的だった碧眼の輝きが、穏やかなものに変わっていた。何かを懐かしむように緩んでいた瞳は、しかし、パトリシアを視界に入れた途端、鋭さを取り戻す。
「まぁ、部外者だなんて仰らないで。同じ家系図に刻まれた者同士、仲良くいたしましょう?」
首を傾げ、薄く微笑む。
仄かな照明が、ミルドレッドの白い頬を照らした。
パトリシアは新緑の瞳をグッと細める。ミルドレッドの言う“仲良く”は、恐らく、ケイデンス子爵家の総意なのだろう。少なくとも、マルクトはそうだった。
(やっぱり、よく分からない方だわ。この部屋に連れてきたという事は、家の意向を汲む気はあると思うのだけど……)
パトリシアは、子爵家が自分と同じ目的を持っている、と知っても、微塵も心が動かなかった。ただただ、ミルドレッドの行動に困惑してしまう。
「パトリシア様、先ほどから随分上の空ですけど、大丈夫ですか?」
気づけば、ミルドレッドはギャラリーの奥に移動していた。最奥の壁に立てかけられた絵画を背に、凪いだ顔をしている。
パトリシアは息を呑む。
絵画に描かれているのは女性だった。
胸元まで伸びた髪は、血の色を呈していた。碧眼が目立つシュッとした顔立ちは、辺境伯の面影がある。同時に、絵の隣で立ち竦む、ミルドレッドの相貌にも重なった。
直感で理解する。
この絵画の女性が、辺境伯の母親なのだ。
「いえ……あまりにも似ていらっしゃるので、驚いてしまって」
ミルドレッドは一瞬目を見開いて、振り返った。
甘やかな声で、ああ、と呟く。
「赤い髪と青い目は、ケイデンス子爵家の特徴ですから、自然と似るのでしょうね。ルーセント様も、幼い頃から見事な赤毛を持っていらっしゃいました。叔母様と同じように」
パトリシアは言葉を失った。
叔母様、と。ミルドレッドは、絵の中の人物をそう呼んだ。パトリシアの知る限り、ケイデンス子爵家とルドビカ辺境伯家の繋がりは2つだけ。現辺境伯ルーセントの祖母がケイデンス子爵家の出身である事と、彼を指導したマルクト前子爵夫人との交友のみだった。
(子爵家の直系は、今の子爵閣下。マルクト様は嫁入りした側だから……ミルドレッド様の叔母様は、子爵閣下のご兄妹ということ?)
しかし、ミルドレッドの言葉を信じるならば。
辺境伯家と子爵家の家系図は、パトリシアが見せられた物とは異なっているのだろう。
(ルドビカ辺境伯家は、二代続けてケイデンス子爵家の娘と結婚したんだわ。恐らくは……血を濃くして、魔力を高める為に)
基本的に、親の魔力量と得意魔法の傾向は、子に受け継がれる。パトリシアの母と弟が、優れた風属性魔法の使い手であるように。さらに、血を濃くすればするほど、傾向は先鋭化し、強力な魔法使いが産まれやすくなる。
一昔前までは、親戚同士での婚姻が尊ばれた。家の特色を保つ為だ。と言っても、先鋭化が過ぎて存続が危ぶまれた貴族家が複数現れた辺りで、この考えは廃れた。故に、パトリシアは今、多少なりとも動揺している。
辺境伯家の家系図は、あえて省略されたのだろう。では、ルーセントとミルドレッドの関係は、本来なら。血の気が失せたパトリシアの顔を見て、ミルドレッドが嗤った。ソレは、今までの笑顔とは違う。明確な悪意を感じさせる、下卑た笑みだった。
「やはり、知らされていなかったのですね。ルーセント様が自分から出自を語るとも思えないし、当然かしら」
パトリシアはミルドレッドの嘲笑を正面から受け止める。青白い顔で、笑わず、怯えず、ただ真っ直ぐに。
「お褒めいただき光栄です。私の予想だと、貴女と閣下も通例に従ってご結婚する予定だったと思うのですが、いかがでしょう。合っていますか?」
ミルドレッドの眉が、ひくりと跳ねた。
「……察しが宜しいのね」
苦々しい声。
図星を突かれた、と言わんばかりだった。
それでも尚、謝罪も説明もしないミルドレッドを見て、パトリシアは眉間に皺を寄せる。パトリシアからすれば、今のミルドレッドは恋に狂って暴走しているようにしか見えなかった。
「失礼ですけど、ミルドレッド様は、何をなさりたいんですか」
ミルドレッドが目を見開く。見開かれた碧眼が嫌に煌めいていた。ミルドレッドの心情は、察するに余りあった。だからといって、退いてやる気もない。
「従姉妹婚に関しては、確かに面食らいました。昨今聞かない話なので。ですが、辺境伯領の状況を鑑みれば、納得できる流れです。それを私に伝えて、なにをしたいんです?」
徐々に語調が強くなる。雰囲気が一変したパトリシアを見て、ミルドレッドは閉口した。怒りにも、同情にも似た負の感情が、ひたすらにパトリシアを突き動かしていた。
「真相を知ったところで、私に出来る事はなにもありません。貴女に閣下の妻の座をお渡しする事も出来ません。私たちの結婚は、利害が一致したが故に交わされた、一種の契約ですから──」
「ちょっとお待ちなさい」
ミルドレッドが駆け寄って、パトリシアの口を塞いだ。何処から取り出したのやら、小ぶりの扇で、物理的に。パトリシアは一瞬目を剥いたが、すぐに険しい表情を見せた。口を動かそうとして、むぐむぐと扇の羽を喰みそうになる。
ミルドレッドは深く溜息を吐いた。寒空のような碧眼が、じとーっとパトリシアを見下ろしている。
「パトリシア様。貴女、何か勘違いしているようだけど。わたくしは、辺境伯領を守る人間がどんなやつなのか品定めしたかっただけです」
「むぐ……し、品定め?」
扇を手で避けながら、ミルドレッドを見つめる。
彼女の色味も、刺々しい雰囲気も、出会った当初の辺境伯に酷似していた。
ミルドレッドが億劫そうに目を伏せると、赤毛が顔にかかる。顔立ちが判別しにくくなると、より一層、辺境伯の姿が重なった。パトリシアは勝手に騒つく胸を抑えて、グッと唇を噛み締める。
「貴女の心が弱いと、隣に住んでるわたくし達が困ちますの。色々と言われていたようですし……だから試しました。それに」
ミルドレッドは大きく息を吸って、静かに吐いた。伏された瞳が、キッとパトリシアを睨む。
「約束事もありますしね」
反射的に問いただそうとしたパトリシアを、ミルドレッドが扇で制した。
「とにかく、それだけです。家や婚約の件とは関係ありませんわ……その点に関しては、不躾な態度をとって申し訳ありませんでした」
不遜に鼻を鳴らしたミルドレッドは、気まずそうに目を逸らした。対するパトリシアは、呆然としている。素直に謝ると思っていなかったのだ。暫くして、耳を赤くしたミルドレッドが口を開いた。
「というか、元より願い下げです、あんな男」
「は……、え、ええ!?」
パトリシアは目を白黒させながら後退る。
足元から崩れ落ちていくような感覚だった。衝撃を受けるパトリシアを前に、ミルドレッドは腕を組みながら語る。
「誰があの鉄仮面を好きになるというの。良いですか、わたくしが欲しいのはね、わたくしの事を第一に考えてくれるような──」
瞬間、ノックの音が響いた。
ミルドレッドの肩が跳ね、目が見開かれた。そのまま、出入り口の方を見て固まる。パトリシアは恐るおそる、ミルドレッドの視線を追った。
半分ほど開きっぱなしだったドアに手をついていたのは、1人の執事だった。黒髪をかき上げ、礼服を着込んだ男は、肩で息をしていた。
「お嬢様、此方にいらっしゃいましたか」
涼やかな声につられて、ミルドレッドの顔色がどんどん変化していく。白、青、赤……彼女の真横に立っていたパトリシアは、薄暗い部屋の中でも、その変容をバッチリ捉えてしまった。反射的に己の手で口元を隠す。口角が上がりきっている事を悟られないように。
「奥様から“お茶会の準備が整ったから、庭にいらっしゃい”と」
言いきる前に、ミルドレッドが早足でドアに向かう。
「そうですか伝令ご苦労様!」
言い終えた途端、齧り付くようにノブを掴んで、ドアを閉めた。より暗くなった部屋の中で、ミルドレッドは肩を揺らしながら、深呼吸を繰り返す。やがて呼吸を整えたミルドレッドは、緩慢な動作で振り返った。
「なによ」
「ふふふ、なんでもありません。ちゃんと黙っておくので、安心してくださいね」
乱れた赤毛から覗く碧眼が、ゆっくりと瞬いた。
「……ありがとうございます」
小さな声だったが、パトリシアの耳には届いた。パトリシアは微笑ましい物を見るように、柔らかく笑う。
「此方こそ、すみませんでした。勘違いしてしまって」
ミルドレッドが顔を逸らす。対して、パトリシアは笑みを深めた。パトリシアの視線に気づいたミルドレッドは、慌てて髪で耳を隠した。が、パトリシアは笑みを保ったまま、真っ直ぐにミルドレッドへ向かってくる。
「それはそうと、ミルドレッド様。先ほどの発言を撤回してください。閣下は鉄仮面じゃありません、貴女と同じくらい分かりやすい方です」
「分かりやすい? あの人が?」
ぐ、と顔を寄せて話すパトリシアに、ミルドレッドが溜息をついた。
「貴女、なにか妙な物でも見えているんじゃなくって? 奴が素直だったのは、叔母様が亡くなるまでで。以降はただの堅物でしょうに」
素っ気ない物言いに頬を膨らませたパトリシアは、しかし、すぐに悲痛な顔をみせる。パトリシアの知る辺境伯と、幼い頃の辺境伯との差異。その原因が実母の死と知って、自分の境遇を重ねたのだ。
「じゃあ、貴女の知る閣下は」
「そうね。昔はよく笑うし、博識だし、頼りにしていたけど……今は面白みの無い男としか思えませんわ」
笑顔を失い、静かに俯いたパトリシアを見て、ミルドレッドはギョッとする。
「ちょっと、今度は何よ! 貴女ほんとうに大丈夫なの? 一応言っておくけどね、今のは悪口でもなんでもないわよ。わたくしから見た、っていうか大体の人からしたら、ルーセント様なんてそんなもんなの。パトリシア様からしてみたら、全然違うんでしょうけどねぇ──」
パトリシアの肩を掴んで、半ば揺すりながら畳み掛ける。パトリシアは一瞬目を丸くして、破顔した。励まそうとしている事は伝わったが、いかんせん、励まし方が下手くそすぎる。
「ふ、ふふふ! ミルドレッド様、やっぱり閣下に似てらっしゃるわ!」
「はぁ!? どこが!」
「不器用なところ……んふふ」
「ふざけないで! それこそ撤回してくださる!?」
倉庫の中で、2人の声が児玉する。
そうしている間にも、お茶会の時間は刻一刻と迫っていた。




