21. 交流と破綻(後)
その後も似ている、似ていないの押し問答を続けていた2人は、ある時点でハッとして、庭に急ぐ。
2人が中庭と屋敷を繋ぐ一室に入ると、中にはマルクトが居た。他の参加者の姿はない。皆マルクトに挨拶して、庭に入ったのだろう。ミルドレッドは頰に手を当てて薄く微笑む実母を見ると、途端にパトリシアを睨め付けた。
「貴女が妙な事言うせいで遅れそうになったのだけど、その件に関してはどうお考えなのかしら」
パトリシアもまた、息を整えながらミルドレッドを見上げる。
「ええ、私のせいですか……?」
「2人とも、随分仲良くなったのねぇ。娘が増えたみたいで嬉しいわ」
パトリシアとミルドレッドはマルクトを一瞥した後、互いに顔を見合わせた。パトリシアは眉を下げながらも小さく微笑み、ミルドレッドは首を赤くして睨んでいる。少なくとも、本音を隠し合うような仲では無くなっていた。
「本当なら控え室にご案内するところだけど、時間が迫っているから、ここで良いかしら?」
言うなり、マルクトは部屋の隅を指した。
壁に沿って、幾つかの化粧台が並んでいる。一番奥の台では、オレンジ色の髪の少女が化粧道具の確認をしていた。
「ルルー!」
駆け寄ったパトリシアに、ルルーが笑みを浮かべる。
「パトリシア様、お待ちしていました〜!」
化粧台の椅子を引いたルルーは、櫛とパフを構えた。パトリシアは頷いて、椅子に座る。2人は声をかけられるまで、雑談に花を咲かせた。
そうして、パトリシアは今、中庭に居る。
低木が多く植えらており、春の花を中心とした淡い色合いの空間だった。中心部に設置された円状のガーデンテーブルの周りには、華奢な椅子が何脚か置かれている。周囲を彩るのは、白や黄色、桃色といった、小ぶりの花々だった。
「それにしても、お天気に恵まれて良かったです」
「ええ、本当に! この辺りは曇り空になる事も多いでしょう? だから私、ほんの少し前まで不安で仕方ありませんでした」
パトリシアは椅子に腰掛けながら、隣に座るマルクトを見る。席順は、主催のマルクトを上手とし、左隣をミルドレッド、右隣をパトリシアが埋める形になっていた。各々の参加者の後ろには、各家から連れてきた使用人が控えている。
この並びを知った時、パトリシアは息を呑んだ。主催者の実子と同じ場所に座っているという事は、同等の扱いをする、という宣言でもある。
(下手を打てば、私だけでなく、マルクト様の面子にも関わるという事)
思わず笑顔が引き攣る。純粋な好意なのか、はたまた試されているのか──イマイチ測りかねる厚遇だった。パトリシアは準備中に、ルルーが言っていた事を思い出す。
『今日のお茶会ですが、パトリシア様の事を……その、あまりよく思っていらっしゃらないご令嬢も居るみたいです。嫉妬してるみたいで……。使用人の中には、色々探ってきた人も居ました』
パトリシアは慌ててルルーを見上げる。キョトンとした顔をして主人を見下ろしていたルルーは、勝気な笑顔を見せた。バッチリ対応できました、とでも言いたげに。
こう言う時、自分の評判の悪さを痛感する。
所詮“商家のお人形”である。元より、国防のために奮闘する辺境伯家でさえも謗りを受ける連中なのだ。パトリシアが何も言われていない訳がない。
巻き添えを食らったルルーに謝ろうとして、開きかけた口を閉じる。ルルーが欲しいのは、多分、謝罪ではない。
『なら、私も頑張らないとね』
ルルーは力強い声に頷く。そして、ゆるゆると嬉しそうに微笑んだ。パトリシアの自尊心が、着実に育ってきているのを実感したのだろう。喜びを噛み締めていた。
対して、パトリシアの隣で化粧直しを受けていたミルドレッドは、主人と使用人のやり取りを見て肩をすくめる。
『わたくしも人のこと言えないけど、結構好戦的よね。貴女』
この時、パトリシアは苦笑いを見せた。
──しかし、実際にお茶会の場に出ると、“やってやる”という気が湧いてくる。それもそのはず。殆どの参加者は、雑談をしている体でパトリシアを観察していた。
その服装がお茶会に適しているのか、使用人の様子はどうか、辺境伯家で虐げられている様子は無いか──お茶会で槍玉に上げても、問題ないか。パトリシアは、彼女達の笑顔の裏で、汚泥のような感情が跋扈しているのを感じていた。
「そういえば、パトリシア様って……」
パトリシアの斜め前に座っている令嬢が、カップを片手に口を開いた。黒目がちな瞳が三日月の形に歪む。
「使用人にも好かれておられるのね。ホラ、この立場だと、どうしても相手を萎縮させてしまうでしょう? コツがあるのならお聞きしたいわ」
瞬間、空気が凍った。
他の令嬢は互いに顔を見合わせ、マルクトは口元に手をやって目を丸くしている。ルルーもまた令嬢の方を見て、あっ、と声を上げた。ルルーに喧嘩を売った使用人が、件の令嬢の背後に控えていたからだ。年若い使用人は、ルルーの視線から逃れるように顔を逸らす。
そんな中で、ミルドレッドはただ一人、寒々しい碧眼を限界まで尖らせていた。
「貴女……」
半ば腰を上げたミルドレッドだが、パトリシアを一瞥して、ため息と共に着席する。にわかに緩んだ新緑の瞳は、じっと令嬢を眺めていた。
「私はありのままで接しているだけなので、何とも言えませんね」
ミルドレッドが苦々しい表情を見せる。
平民に好かれる、素朴な態度を取ることができる──パトリシアは、根っからの貴族ではないから──それは、令嬢の主張を裏付けるような言葉だった。
パトリシアは微笑みながら振り返った。
「強いて言うなら、シェーン商会のおかげかもしれません。ウチは商売の門戸が広いので……ほら、この子が付けている爪飾りも、商会の物なんですよ」
そう言って、パトリシアがルルーの手を取る。
春の花を模した宝石が、小さな爪に散りばめられていた。何人かの令嬢は、身を乗り出して爪を見つめた。爪の色は、良くも悪くも心身の影響を受けやすい。だからなのか、近年は爪を彩る令嬢が増えていた。
(宝石を融通するようお願いしただけなのに、爪飾りまで押し付けてくるんだもの。本当にお父様は性根逞しい方だわ……。今回ばかりは助かったけど)
ミルドレッドが胸を撫で下ろしながら、パトリシアの髪を見やる。
「パトリシア様のお髪にあしらわれているのは、南方の海から採れた真珠かしら? あら、ここから見ると虹色に見えますわ。不思議ね」
「まぁ、ミルドレッド様、よくご存知で」
「ふふふ、ありがとうございます。取引している商会が少ないから、記憶に残っていただけですわ」
ミルドレッドは扇で口元を隠しながら、うっそりと笑った。パトリシアもまた、ミルドレッドに笑みを見せる。笑んだ碧眼からは、嗜虐心が垣間見えた。パトリシアを擁護したい。というよりも、雰囲気をぶち壊した奴に恥をかかせたい、という趣の方が強そうだ。
「あら、そうでしたの。私どもの席からは、鈍く光って見えます。ねぇ?」
「ええ、そうね。とてもお綺麗だわ。パトリシア様の白い肌、艶やかな髪……どちらにも良く映えていらっしゃる」
他の令嬢も、パトリシアを見て口々に褒め出した。パトリシアは短く吐息を吐いた。肌を刺す緊張感が消え、和やかな空気が戻ってきたのを感じる。
件の令嬢は、未だパトリシアを睨んでいた。しかし、使用人に肩を叩かれ、何事かを話し込んだ後。頬を膨らませながら、静かに紅茶を飲み始めた。
もしかしたら、使用人同士で揉めかけたと知って、居ても立っても居られなくなっただけかもしれない。パトリシアは言い聞かせるように脳内で呟くと、雑談の輪に戻った。心臓が唸って仕方がない。けれど今回は、吃らずに場を乗り切った。それだけでも、自分を褒め称えてやりたい気持ちでいっぱいだった。
お茶会の終了後、夕陽が差す中。
パトリシアとマルクトは、使用人らと共に、外門付近の庭に佇んでいた。参加者の見送りをしていたのである。
尚、ミルドレッドは残った参加者がパトリシアだけになると『次会う時は惚気るのやめて、沢山お話しましょうね』という旨の台詞を残し、足早に邸へ引っ込んだ。
(そんなに惚気てたかしら、私)
確かに、ミルドレッドが辺境伯に恋をしていると勘違いして、突っ走ってしまったが。そこまで考えて、パトリシアは首を横に振る。思い返せば、色々とこじつけすぎた。恋愛脳が過ぎる。自分はここまで視野が狭かっただろうか……。恥ずかしさと申し訳なさで呻きそうになった、その時だった。
「今日は来てくださってありがとうございます、パトリシア様。凄く楽しかったわ。それと、娘とあの子がごめんなさい」
腰を折ったマルクトを見て、パトリシアは慌てて駆け寄った。手を差し伸べて、顔を上げるように促す。マルクトはパトリシアの手を取りながら、おずおずと顔を上げた。
「まさかあそこまで暴れるとは思ってなかったわ。ミルドレッドに関してもね。色々と不躾な態度を取ったでしょう?」
「いえ、そんな……私も生家の営業をしてしまいましたし……いなし方を思い出す良いキッカケになりました」
実際、シェーン商会を引き合いに出したのは悪手だった。結婚前のイメージを一新するためにお茶会に参じたのに、当時と同じ事をしてしまった。ミルドレッドが援護してくれたから場が纏まったが……。今後は気をつけなければならない。
パトリシアは「それに」と付け足して、眉を下げる。
「ミルドレッド様に馴れ馴れしくしすぎました。また謝罪の場を設けなくては」
「あら、うふふ。その時は私も呼んでくださる?」
「勿論です! お待ちしていますね」
ひとしきり笑ったマルクトは、凪いだ瞳でパトリシアを見下ろした。微笑がたたえられた口元は、薄い皺が刻まれている。
「それにしても、本当に、ルーセント様のお嫁さんが貴方で良かった。これからも、あの方と西方貴族の事、よろしくお願いしますね」
ハリのある声で、噛み締めるように言う。パトリシアの手を硬く握り直して、直向きに懇願する様は、真に迫っていた。パトリシアは頷き、これに応える。
「はい。お任せください、マルクト様」
新緑の瞳が夕焼けを吸って、燃えるように輝いていた。
「その、ゴドリックさん。幾つかお聞きしたいことがあります。今、お時間よろしいですか?」
帰宅して早々、パトリシアは執務室の扉を叩いた。老執事は机の上で書類を整理していたらしい。いくつかの紙束を抱えながら、目元の皺を深くして、穏やかに微笑んでいる。
お茶会に参加して、というよりも。今日もたらされた情報を鑑みて、パトリシアの中にある可能性が浮上した。嫁入り後最初のお茶会は、元よりケイデンス子爵家になるよう調整されていたのではないか。
辺境伯の家系図、従姉妹婚、ミルドレッドが言う『約束事』──パトリシアが安定するまで、お茶会の誘いを断り続けたこと。その真意を、眼前の老執事が知らないはずもない。
「お帰りなさいませ、パトリシア様。さて、何からお話ししましょうか……」
「何からでも構いませんよ。だって、最終的に、全てお話ししてくださるのでしょう?」
有無を言わせぬ物言いに、ゴドリックが唸った。
パトリシアの頬は、にわかに紅潮していた。急な運動と怒りで、である。自室でルルーと別れてすぐ、小走りで執務室までやって来た。居ても立っても居られなかったのだ。
パトリシアは何も知らされていなかった。
またか、と思わざるを得ない。辺境伯が出征する時も蚊帳の外。魔法陣の正体を知るのだって、ずいぶん後だった。家の歴史を教わったのは、よりにもよって辺境伯家の外である。
事情があるのだろう。慮られているのだろう。
(それでも、もっと話して欲しいのに)
この家の隠蔽体質は何なのだろう。格式が高い家は、皆こうなのだろうか。少なくとも、シェーン男爵家は常に情報が開示されていた。来期の動きから、10年先の商機に関しても。唐突だったのは、パトリシアの結婚だけ──パトリシアは細く息を吐いて、胸の内の激情を押し込んだ。気を緩めると、怒りと共に涙まで溢れそうだった。
ゴドリックは硬く目を閉じる。
「子爵家と辺境伯家の従兄弟婚は、契約の類です」
「契約?」
頷き、そっと目を開いて、パトリシアを見やるゴドリック。深い皺が刻まれた目元は、どこか遠くを眺めていた。何かを思い出すような真摯な目つき。パトリシアはハッとした。その相貌が、マルクトのそれと重なるのだ。
「方や、地方貴族故に社交界へ参入していくのが難しく、私兵を持つこともできない零細貴族。方や、恒久的に戦力が必要になる辺境伯家……互いの求めるものを知るや否や、血の繋がりを強めることで、有事の際は辺境伯家が優先的に戦力を貸し出すという協定を結びました」
そうして産まれたのがルーセントであり。
逼迫した経済事情から、契約ではなく、金銭をもたらす婚姻が優先された、という事なのだろう。パトリシアは細くため息を吐く。
(約束って、そういう事ね)
子爵家との約束を反故にした。その埋め合わせも兼ねていたのだろう。
『穏やかな方々です。あとはお会いすればわかりますよ』
パトリシアは、今になってゴドリックの言葉を理解した。契約が不履行になった事を加味すれば、確かに、穏やかな対応であった。パトリシアの力量を試す動きがあったのも納得である。
「貴方が此処にいることも、前子爵閣下とマルクト様との結婚も、全部決められた事だったのかしら」
ゴドリックが一瞬目を見開いて、口元だけで笑った。皺が口角を隠し、笑っている事が分かりにくい。それでも、別れ際のマルクトと顔つきが似ているのが分かる。これは、もしかすると。パトリシアは、自分の体が強張っていくのを感じた。
「ええ。妹を産んだ女性は子爵家の縁戚だったので、産まれた時から期待されていたのだと思います。私は子供の時分から辺境伯家に仕えていますが……契約の詳細を知らされたのは、あの子が結婚してからでした」
パトリシアが顔を伏せる。
嫌な予感が当たってしまった。確かに、辺境伯領に来たばかりの自分では、この規模の話に耐えられなかっただろう。
「……男爵家との縁組が決まった時、気が気じゃなかったんじゃないですか? 実際に来たのも、私みたいな……」
反射的に言葉を飲み込む。
もう自分を卑下しないと決めた。自分は辺境伯家の人間なのだから、と。そう決めたはずなのに、どうしても心が折れそうになった。この家を取り巻く環境はあまりにも窮屈で、パトリシアの入る隙間など無いように思えるから。
パトリシアは異物なのだ。
あらゆる意味で。
ゴドリックは、尚も顔を上げられないでいるパトリシアを見て、柔らかく微笑んだ。
「私が申し上げるのも、気が引けますが……。パトリシア様が成された事に、意味の無いことなど一つもありませんでした」
パトリシアは、ゆるゆると顔を上げた。
昏い視界に、ゴドリックの持つ紙束が入り込む。
よくよく見ると、そこに書かれている字は、ルルーとスヴィエートの物だった。そこかしこに描き途中の魔法陣が描かれている。
「ルルーはあれで警戒心が強く、スヴィエート卿もまた、他人に厳しい方ですから。二人を巻き込み、魔法式を領に還元しようと奮起したのは、貴女様なのですよ」
酸いも甘いも知り尽くした老執事は、語りかけるように話す。
「私めは、パトリシア様が閣下とご結婚されたのは、必然だったのだと思っております」
パトリシアは、唇を噛んで涙を堪えた。
穏やかな言葉が、陽の光のように差し込む。ここに居ても良いと、誰もが言ってくれる。誰もが、パトリシアに愛情と献身を注いでくれる。穴の空いた器が埋まらないように、穴だらけのパトリシアは、時折想いを取りこぼすのだ。今回もそうだった。
ゴドリックは眉尻を下げて、笑みを深くする。
辺境伯領の人間は、皆なにかを抱えている、というのが、この老執事の持論だった。
辺境伯も、パトリシアも、致命的に心を壊した状態で、どうにか生きながらえているように見える。だからこそ、補い合って欲しい。家に振り回された彼らが、一人の人間として、ただ生きていてほしい。そう願わずにはいられなかった。
ゴドリックは気持ちを切り替えて、声の調子を高くする。
「そういえば、閣下のお話は聞けましたか? もし聞き足りないのであれば、私もいくつかお話ししましょうか」
パトリシアが小さく首を振る。
「ありがとう。でも、大丈夫です。色々聞いて思ったのだけど、こういう話は、閣下にお聞きするのが一番良いのかな、って」
目尻に涙を溜めたパトリシアは、胸の前で両手を組む。頬を赤らめ、眉を下げて笑う様は、幼い少女のようだった。
「じゃないと私、貴方にまで嫉妬してしまうわ」
ゴドリックが目を剥いて、くつくつと笑う。
パトリシアの長い1日が、ようやく終わろうとしていた。




