ジャガイモは、もはやマジックアイテム
コロッケ、肉じゃが、フライドポテト
ポテトサラダ、ポテトチップス、ハッシュドポテト
ジャガイモのピザetc.
そして、じゃがバタ-……全て美味い。
イナバはアマラオ、カグヤ達の家に入る。
家の入り口は族長の家だけあって、里のウォーリア達も頻繁に出入りす
る為大きく造られており、イナバでも問題無く通れた。
ちなみにイナバは、転生してこの異世界に来てからずっと裸足だったの
で足が汚れていたのだが、この里ではどうやら家の中でも、欧米式の土足
スタイルらしく、そのままどうぞと言われた。
家の中には何やら食欲をそそる匂いが漂っている。部屋の中心辺りに大
きな毛皮が数枚、絨毯の様に敷かれており、その上には木製の器に盛られ
た大量の料理が並べられていた。
鹿の様な動物の脚 (おそらくリブーのもの)を1本丸ごと焼いてある肉
の塊が4本、鮭によく似た川魚のお刺身、何かの動物の干し肉、その干し
肉と野菜を具に使ったスープ、器から溢れんばかりにこんもりと盛られて
いる、茹でて皮を剥いてあるジャガイモの様なもの(というかジャガイモ
そのものに見える)等だ。調味料の様なものが乗った小皿も幾つかある。
家の中や食器等はそれなりに綺麗にされていて、イナバは密かにホッと
した。
さらに部屋には、リッカやカグヤ程ではないが、若く綺麗な顔立ちをし
たソーサラの女性達が4人いる。イナバが男である事を聞いて、もてなす
為に集めてくれたのだろうか。
女性達の手には、それぞれの飲み物が入っていると思われる水差しの様
な形をした陶器や、涼を取る用と思われる鳥の羽根が使われた大きめの団
扇がある。……こんな寒い所で(スキルのおかげで別に寒くはないが)涼
を取る必要はあるのか疑問だが。
「イナバ様はどうぞ、こちらへ」
アマラオが上座に当たるであろう、重ねた藁の様な物に何かの毛皮を被
せた簡素なソファーが準備された座席を示し、座るよう促してくれる。
「……良いんですか?俺がここで」
イナバはアマラオに尋ねる。
イナバが元居た世界のイナバの暮らしていた国では、上座に当たる席に
はその場で最も目上の者が座るのが普通だった。この世界、この里でもそ
うなのかは分からないが、里の族長であるアマラオを差し置いて、本当に
自分がそこに座って良いのか、不安に思った為だ。
アマラオは穏やかな笑みを浮かべる。
「勿論です。イナバ様は大切な御客人。どうか遠慮なさらずにお座り下さい」
イナバは、どうやらこの里にも、目上の者が上座に座るという習慣があ
ることにはあるんだな、と思いつつ、そういうことならと素直にそこに座
ることにした。
イナバが座るのを待ち、アマラオ、カグヤ、ガディア、そしてこの家に
来る途中に挨拶され、合流してきた、この里のお偉方だという者達が、小
さな毛皮を座布団代わりにして、他の席に座る。
リッカは座ろうとしない。
「リッカ、座らないのか?」
「はい。私は精霊なので、空気中のマナさえ吸収していれば、食事は不要
でございますゆえ」
「そうなのか」
リッカが良いなら、無理に勧める事もあるまい、とイナバは考え、その
話は終わりにする。
すると、それを待っていたかの様にアマラオが話し掛けてくる。
「それでは、まずは乾杯と参りましょう。
申し訳ないことに、この里ではあまり上等なものは用意できませんが、一
応酒を、他には『ゴタ』の乳等がございますが、イナバ様はどちらが宜し
いでしょうか?」
ゴタとは?とイナバが聞いてみたところ、どうやら特徴を聞く限り山羊
の様な姿をした動物らしく、この辺りでは主に乳を搾るのを目的に飼って
いるのだとか。先程イナバが見た時はその姿は見られなかったが、リブー
達と一緒に牧場で放牧されているらしい。
「では、ゴタの乳の方で!」
話を聞き終わると、イナバは即決でそう答える。
イナバは人間だった頃からビール1杯で吐く程酒が苦手だった。逆に牛
乳が大好物であった為、迷うこと無く味が近そうなゴタの乳を選択した。
それを聞いて、ゴタの乳が入っているのであろう、水差しの様な形の陶
器を持ったソーサラの女性の1人がイナバに近づこうとする。
それを見て、
「私が……」
「イナバ様のお酌は私が致します!」
カグヤが何か言おうとしたのに被せてリッカが、彼女にしては大きめな
声でそう言った。『先を越された!』と言いたげな感じのカグヤを、リッ
カは華麗にスルーし、ソーサラの女性から水差しの様な物を受け取るとイ
ナバのすぐ横に侍る。
「イナバ様、どうぞ」
「ありがとう!悪いな、リッカ」
「とんでもございません」
イナバがお礼を言うとリッカは、イナバだけでなくその場にいた他の男
達も思わず見惚れてしまいそうな、輝く様な微笑を浮かべながらそう答え、
イナバの持つ杯にゴタの乳を注いでいく。
カグヤがむぅ~~!といった様子でそれを見ていた。
アマラオや他の者達の杯にも飲み物が注がれ、アマラオの「乾杯!」の
声に皆で唱和し、杯をあおる。
(……うん、なかなかイケる!)
ゴタの乳を飲んで、イナバはそう思う。
中々癖のある匂いがするが、味は思っていた以上に牛乳に近く、十分満
足できるものだった。空になった杯に、すぐさまリッカが新たなゴタの乳
を注いでくれる。
そしてイナバは、腹が減っていた事もあり、早速目の前の料理に手を付
けることにした。
まずは4本ある、丸ごと焼いた鹿の脚の様な肉の塊を手に取る。
これは後で聞いた事だが、これは食用に育てている若いリブーの脚だそ
うで、この里では他部族やモンスターから里を守る為に戦う戦士達にたま
に振る舞われ、他のイエティ達は基本的に特別なお祭りの際等にしか食べ
ることができない御馳走で、外からの客人をもてなす最高の食材なのだと
か。
若いものとはいえ、それでもそこそこ大きいリブーの脚にイナバは豪快
に齧り付く。
もぎゅ、もぎゅ、もぎゅ、もぎゅ、もぎゅ、もぎゅ、もぎゅ。
少し筋っぽい感じもするが、しっかりと血抜きがされていたのだろう、
臭みはほとんど無く、肉汁もたっぷりで、十分に美味かった。
あっという間2本平らげ、残りの半分の2本は後でレオニダスに持って
いってやろうと考え、とっておくことにした。
(味付けは……塩と胡椒かな?)
聞いてみたところ、塩と『コッチョの実』という木の実を粉に挽いたも
のを使っているとのこと。コッチョの実と言うものの味や風味はほぼ胡椒
と同じだなとイナバは感じた。そして、『塩』はこの異世界でも『塩』な
んだな……と、なんだか不思議な気持ちになる。
次にイナバが手を付けたのは、ジャガイモのように見える芋だ。
これは『クイン』と呼ばれている作物だそうで、この里のイエティ達の
主食らしい。イナバが試しに1個食べてみると、味も食感も完全にと言っ
て良い程、ジャガイモと同じだった。
アマラオが、小皿に乗せられている『ベッタ』という、見た目はバター
にそっくりのものを塗ると、クインはさらに美味くなると教えてくれる。
このベッタと言うものは、ゴタの乳を使って作ったものらしい。
イナバは言われた通り、今度はベッタを付けて食べてみる。食べてみる
と見た目だけではなく、味もバターそっくりだった。
クインにベッタを塗る……要するに『じゃがバター』だ。美味いに決ま
っている。
イナバは、今度は3個程クインをまとめて掴むと、それらにベッタをた
っぷり塗り付け、まとめて口の中に詰め込む。
んがぁ~~、ばくっ!……もぎゅ、もぎゅ、もぎゅ、もぎゅ、もぎゅ。
((((((…………かわいい))))))
頬を膨らませながら、実に美味しそうに食事をするイナバを見て、リッ
カ、カグヤ、そして4人のソーサラの女性達は皆、心を同じくしていた。
その後も鮭に似た川魚、干し肉、スープと手を付けていく。
鮭に似た魚は『サシャ』と言う川魚らしく、やはりこれも味まで鮭にそ
っくりだった。
この異世界でも刺身が食べられるというのは、日本人(今はイエティだ
が)としては実に嬉しい。惜しむらくは、醤油が無い為塩で食べるしかな
かったという点だ。刺身は塩で食べる方が好き、と言う人もいるだろうが、
イナバは完全に醤油派だった。
黙々と食事を続け、腹が満たされたイナバは締めに再びゴタの乳を一気
にあおると、「ふぅ~!」と満足気に息を吐いた。
「お口に合いましたでしょうか?」
イナバの食事の手が止まったのを見て、アマラオが尋ねてきた。
「はい!美味しかったです!すみません、こんなに御馳走になっちゃって」
「とんでもない。イナバ様には娘や精鋭達の命を救っていただき、私も含
めたこの里の者達皆が頭を悩ませる、『3つの脅威』の1つ……あの強大
なマンティコアの脅威を取り払って下さったのですから。このくらいは当
然です」
「3つの脅威?レオニダスと同じようなのが他にもいるんですか?」
イナバが何気なく聞くと、アマラオは険しい表情で重々しく頷く。
「とは言っても、あのマンティコア……レオニダス殿と同じようなモンス
ターがいるという訳ではなく、他の2つはある〝勢力〟なのですが」
「勢力ですか……」
「はい。まず1つはここから東の方角にある鉱山地帯を塒にしている単眼巨人
達です」
「ほお!サイクロプスですか!」
剣と魔法のファンタジーものでは王道中の王道と言っても良いくらいのビ
ッグネームの登場に、イナバは思わず少し興奮してしまう。
「ええ、奴らは繁殖力が弱いので数はそう多くはないのですが、周辺の小鬼
や豚鬼達を支配下に取り込む事でそれなりの勢力を誇っています」
「その数はおよそ1500と、この里の戦士の数の15倍近くになります
が……正直、それだけなら大した脅威にはなりません」
アマラオの言葉に、ガディアが続ける。
「1体のモンスターに圧倒され、イナバ様に救われた身でこんなことを言
うのは少々気恥ずかしいものがありますが、これでも我々『白の賢者』族
は、このルヘイム地方にあるイエティの部族の中では最強と謳われており
ます。
特にカグヤ様はイエティ族始まって以来の魔法の天才と、他の部族のイエ
ティ達からも噂されている程です」
「うむ。カグヤの魔法使いとしての実力はもはや、族長である私をも超え
ているだろうな」
誇らしげにカグヤのことを語るガディアの言葉に、アマラオが太鼓判を
押す。
『白の賢者』族がこの辺りのイエティの部族の中で最強という情報に、
内心少し驚きつつ、イナバはスキル【強度測定】を発動させてみる。
アマラオからはガディアと同じ、黒――レベル30台であることを示すオ
ーラが放たれていた。
2人の言う通り、どうやらカグヤがこの里の中で最強の存在のようだ。
イナバは、この異世界の者達の平均レベルが自分の想像していたよりも
大分低めなのではないかという己の考えが、いよいよ真実味をおびてきた
なと思う。
しかし、それはそれとしてカグヤがこの若さで、(もっともまだ年齢は知
らないが)この里で最強の存在になっていることは事実であり、それは素
直に凄い事だなとイナバは感じた。
「凄いんだな!カグヤは!」
「い、いえ!私などイナバ様や父様と比べたら、まだまだです」
カグヤはそう言いながらも、嬉しそうに顔を赤らめている。
「そんなわけで、相手がゴブリンやオーク共なら多少の数の差は質で撥ね
退ける自信があります。
サイクロプス共の力も我々とそう大差はありません。ただ問題は……奴ら
が魔法の武具の製造技術を持っている、という事です」
「ほう……」
「言うまでもない事ですが、魔法の武具を装備した者はその戦闘能力が跳
ね上がります。奴らは塒にしている鉱山から採掘できる希少金属を使って、
魔法の武具を自ら製造しているのです。
特に奴らの頭領……〝バクヤ〟と言う名のサイクロプスが作る魔法の武具
は強大な力を秘めています。
ただ採掘できる、武具の素材となる希少金属が少ない為、奴らもそれほど
多くは魔法の武具を用意できないのが救いです」
「奴らはこのルヘイム地方の全ての地を支配下に置こうと目論んでいる様
で、我々だけでなく他の部族の者達にも、土地を譲り渡し自分達に隷属す
るよう言ってきています。
この辺りの土地は古くから、我々が先祖代々暮らしてきた地……奴らに渡
すことなど断じてできませぬ。それは他の部族の者達も同じ!
ゆえに我々と奴らは、長い間争い続けているのです………ただ、最近……
ここ数か月間、奴らは妙に大人しいですが……」
「それは私達も気になっています。嵐の前の静けさの様で……不気味と言
うか……」
アマラオの言葉に対してカグヤがそう言うと、ガディアや他のイエティ
達も同感、とばかりに頷いた。
一瞬の沈黙の後、アマラオが再び口を開く。
「そして最後の1つは我々だけでなく、この大陸に暮らす全ての魔族にと
って共通にして最大の脅威……『聖王国』の存在です」
「聖王国?」
イナバが首を傾げると、リッカ以外のこの部屋にいる他の者達が皆一様
に驚いた顔をする。
「!?……聖王国を知らない……のですか?」
「え、ええ……」
イナバはアマラオ達の反応から、聖王国というのはこの大陸の魔族なら知
っていて当然レベルのものらしいという事を悟る。
「そう言えば……イナバ様は遠く離れた地から武者修行をしながらこの地
まで訪れた、と聞いておりましたが……もしや、イナバ様は他の大陸から
来られたのですか?」
「ええ、まあ……そんなところです」
実際は大陸じゃなくて、島国なんだけどな……と、思いながらイナバが
そう言うと、
「なんと!!」
「凄い……さすがはイナバ様!」
「まさか……いや、ロードであるイナバ様ならば……」
アマラオ、カグヤ、そしてガディアや他のイエティ達も先程よりも更に
驚いた様子で声を上げる。
イナバにはまだ理由が分からないが、どうやら他の大陸からやって来る
という事は、この異世界ではなにやら凄い事なのだと思われているようだ。
「し、しかも、かなり最近来たばかりなんですよ」
「なるほど。それならば聖王国のことを知らないのも納得がいくというも
の」
「ええ。なので良かったら、その聖王国とやらのことを教えていただいて
もよろしいでしょうか?」
「もちろんです。この大陸に来られたからには、イナバ様も知っておいた
方が良い事でしょう。聖王国とは……」
その後のアマラオ達の話によると、聖王国とは正式な名前を『ファティ
スディア聖王国』と言い、人族の中で最も数の多い『人間』が中心となっ
てできている。
現在イナバが居るこの大陸では、数多くある国々の中で特に広い領土を
持つ『五大国』と呼ばれる5つの大国の1つらしい。
この異世界では、遥か昔から魔族と呼ばれる者達と、人族と呼ばれる者
達の間で覇権を賭けた争いがあちこちで繰り返されているらしく、この大
陸もそのご多分に漏れず、長いことその手の戦いが続いていたが、いつか
らか人族が戦いの趨勢を握り、魔族は追い詰められていったそうだ。
そして今、この大陸の覇権はほぼ完全に人族が握っていると言っても良
い状態になってしまっている。旅人や小さな人族の村を襲う知能の低いモ
ンスター等はいても、ある程度の知能がある魔族は人族の街や村を襲う事
は、もはやほぼ無いらしい。
現在、この大陸には魔族の集落はそれなりにあるが〝国〟と呼べるよう
な規模のものは存在せず、あるのは人族の国ばかりなのだとか。
人族の国は、長年争っていたので当然と言えば当然だが(というか、場
所によっては今でも争っている)どこの国も基本的に魔族には厳しい。
中には暴れたりせず、ある程度知能の高い魔族ならば、領土の街に入る
ことを許可する国もあるが、そういった国はあくまでも極少数であり、大
体の国は街に魔族が近づいて来たら、問答無用で退治しようとする。
しかし、そういった大体の国でも、現在ではあくまで街や村に近づいた
り、何らかの危害を加えた魔族を退治するだけであり、自分達に近づいて
来ない魔族に関しては基本的にノータッチだった。
長い争いの末にようやく魔族達が大人しくなってきたのだから、人族側
としてもわざわざ藪を突きたくはない。ほとんどの国はそう考えているら
しい。
だが、聖王国は違う。
『魔族を完全に排斥し、この大陸を人族の楽園にすべし』それが聖王国
の掲げる理念である。
聖王国国王は、『魔族は我々の生活を脅かす邪悪な存在であり、1匹た
りとも生かしておくべきではない!』と国内外に向かって、堂々と断言し
ている。
例え、自分達とは離れた場所で人族にちょっかいを出すことも無く、静
かに暮らしている魔族であろうと、その存在を知れば、聖王国は積極的に
それを狩りに行くという。
聖王国には、魔族狩りを専門とする特殊部隊も存在するらしく、それは
もちろん、時には軍を動かし容赦無く、徹底的に。
聖王国に滅ぼされた魔族の集落は数え切れず、女子供も例外無く皆殺し
にされているらしい。
ルヘイム地方は、この大陸の中では辺境中の辺境……ド辺境なのだそう
で、現在までのところは聖王国に攻め込まれた事は無い。
だが、聖王国が魔族の完全排斥を掲げている以上、いずれは必ずこの地
にもその手が及ぶ事になるだろうとアマラオは語り、カグヤやガディア達
も同感だと言う。
「………ツブすか」
アマラオ達から聖王国のことを聞いた後、少しの間考え、イナバはポツ
リとそう呟いた。
「え?」
カグヤがイナバの呟きの意味を掴みかね、思わず声を出す。アマラオ達
も眼を見開いてイナバを凝視する。
「いや、どうせこっちから何もしなくても、いずれ目を付けられるなら、
ヤラれる前にその国をツブしちゃおうかなぁ……と思って」
「聖王国を………ツブす?」
なんとも物騒で突拍子もない考えだが、イナバは割と本気だった。
聖王国が魔族の完全排斥を謳っているなら、アマラオの言う通り、この
大陸に居る以上イエティとなったイナバにも大いに厄介な話だ。いずれ必
ず目を付けられる事になるだろう。
火の粉が降りかかる事が分かりきっているのなら、なにもボ~っと待っ
ていることはない。
先手必勝!
見敵必殺!
降りかかる火の粉をはらうのではなく、火の粉が舞い上がる前に火元を
ツブす!これがジャスティス!!
脳筋万歳だ!
他の大陸に移るという手もあるが、もし移った先の大陸に同じような存
在がいたら、また他の大陸に移る事になる。何かに怯えて逃げ回る様な生
活は、イナバはゴメンだった。
それに合って間もないとは言え、一緒に食卓を囲んだカグヤ達を見捨て
て、他の大陸に移るのは忍びなかった。
『この異世界には現在のところ、レベル100の壁を突破できている者
はいない』という前情報と、少ないながらもこの異世界に来てから今まで
の戦闘の手応えから、聖王国の情報をしっかりと集めた上で、大量に持ち
込んだ強力なマジックアイテム達、自身のスキルや魔技、魔法を上手くフ
ル活用すれば案外どうにかなるのではないか、とイナバは考えていた。(実
際、割と余裕でどうにかなる)
暴力で解決するのは間違っている?
アマラオ達の話を聞く限り、とてもじゃないが話し合いで解決できる相
手とは思えない。
国を滅ぼしたりしたら、その国に暮らす多くの民達が不幸になる?
この世は弱肉強食。
そして中身はド凡人なイナバには、天下万民が幸せになれるような道を
思いつく事などできない。できるのはせいぜい自分の身を守るのと、袖す
り合った同族達にとっての脅威を取り除く事くらいだ。
元人間なのに、人間の国を滅ぼすなんて心は痛まないのか?
イナバは断言するだろう。
はっきり言って大して痛まない!と。
もちろん相手が魔族に対して友好的だったり、特に攻撃等をしないよう
な国だったら話は別……と言うかそもそも滅ぼそうとは思わないが。
あくまで〝元〟人間であって、イナバはもう人間ではない。人間という
『種族』に対して特別な情の様なものは、もはや無かった。
もちろん人間を嫌っているというわけでは全くないし、触れ合いによっ
て特定の人間に情を抱く事も、当然あるだろうが。
「聖王国の兵士の数は軽く50万は超えている、と言われていますよ?」
「うえ~……そうなんだ。それは……ちょっと面倒くさそうだね」
「ちょっとめんど…………」
イナバの軽い返事に、カグヤは絶句する。
「ふ…ふふふ…ふははははははははははははははは!!!」
突然アマラオが破顔し、大声で笑い始める。
今までの彼の、物静かな雰囲気からは想像できない様な大笑いに、イナ
バは少々驚いてしまう。カグヤもこんな父は初めて見るのか、目を丸くし
てそれを見ている。
「ふはは………さすがはイエティ・ロード!そうでなくては!
……話は変わりますが、イナバ様。イナバ様は武者修行中とのことですが
やはりいずれは、故郷にお戻りになられるのでしょうか?」
イナバは、本当に急に変わったな、と思いつつ、
「?……いえ、故郷に帰る気はありませんね。特に帰りたい理由もありま
せんから」
とあっさり答えた。
(そもそも帰り方が分からんしな……)
普通なら元の世界への帰り方を、必死になって探すものなのだろうが、
イナバはそんな気にはならなかった。
本当に、特に帰りたい理由が無かったからだ。
元の世界に帰ったところで、仕事場と家を往復するのを繰り返すだけの
日々。
両親は2人とも既に、イナバ……いや、浩が幼い頃に、事故が原因で他
界していた。
親戚とは疎遠になっている。
恋人は無し、友達は何人かいるが、どうしても会いたいというわけでも
ない。
何より、転生してまだ半日も経っていないが、イナバは既にこの異世界
に魅せられつつあった。
魔法や魔技、スキル等の力を我がものとして自在に使え、いままでゲー
ムの中だけの存在であった、様々な種族達と出会うことができるこの異世
界の魅力の前に、イナバの中の『元の世界に帰りたい』という気持ちは、ま
さに風の前の塵の如く、何処かへ吹き飛んでしまっていたのだ。
「なるほど……」
アマラオは真剣な顔つきに戻り、イナバの顔を真っ直ぐに見つめる。
「イナバ様。大変不躾な事であると承知の上で、お願いさせて頂きたいこ
とがございます」
「……伺います」
アマラオの真剣そのものな雰囲気に、イナバはゴクリと唾を飲み込む。
「この里の族長……我々の長になっては頂けませんでしょうか?」
「………………はい?」