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深窓の令嬢編 19






レドンネ村の暮らしは、ほぼ村落内で完結している。

申し訳程度の耕作地から採れる麦と根菜類、森で採取されるキノコ類やいくつかの木の実、野草など……そして蛋白源は猟師たちが狩ってくる魔獣の肉などが村人たちの糧となっている。

山賊団との緊張が高まったことで外との交流が難しくなってはいるものの、生活の面で立ち行かなくなるということは当面ありそうもない。それゆえに村人たちがむやみに騒ぐということはなかったのだけれども。


「…また抜け出した村人を見つけた。寄り合いで柵の外に出ることは禁じているのに、守ろうとしないのが多くてたまらんぞ。…薪拾いぐらいと簡単に考えるのが間違いの元だっつうのにな。賊どもはどうせこの近くに息を潜めてやがるから、見つかったが最後、女子供なら攫われて人質だ」


村はいま厳戒態勢だ。

山賊どものやり口は知られているので、村人たちは安全な村落の中に自主的にとどまっているのだけれども、人が大勢集まれば中には軽率な輩も含まれてしまうもので。迂闊に村を出て、もしも自分が山賊の人質にされてしまったらとか、その程度のことも想像できないときている。実際にそうなれば、その命を質に山賊どもがどれだけ無体な要求をしてくるか知れたものではない。


「猟師のオレたちが普通に出入りしてるんだから、こっちだけ出られないのはずるいとか言われてもなぁ」

「オレらも命がけなんだが、そればっかりは女どもには分かんねえか」


山賊たちの動向を知るうえで、猟師たちの狩りを兼ねた索敵はかなりの重要事である。周辺の土地事情に詳しい猟師たちは、神経をすり減らしながら村外を細目に見回り、村長たちのもとに常に新しい情報を運び続けている。

エディもまた猟師の一人として、危険な村外へと足を運ぶ。

両親、特に母親のアリアからそのことについては強硬な反対を受けていたのだけれども、村を守る猟師の一人として、すでに外すこともできないほどしっかりと勘定に入れられている彼は、歳がずっと上でもまぎれもなく『同僚』であるベテラン猟師たちを指して、「同じ扱いでないければ不公平だ」と突っぱねて、そのまま押し切ってしまった。彼の協力が必要だと考えている周りの大人たちの都合が、彼のわがままを後押しした。


「…もう一度見まわってくる」


彼は大人たちの不毛な愚痴など聞くまでもないと、そう言い置いて村を出た。

父のウォルドが「あまり遠くへは行くな」と釘を刺してきたのに、軽く頷いて。


「たぶん、森の獣道を走るの、ぼくが村で一番速いと思うし。大丈夫」

「その服だといろいろあるだろ。肝心なときに転ぶんじゃないぞ」

「………」


彼の着る服は、相も変わらず『村娘』である。スカートの裾を左右で二か所結んで余計なひらひらは抑えてはあるのだけれども、機能的でないことに変わりはない。

昨日衝撃の事実をママンから聞かされたのだけれども、家にちゃんとした男服がないことが判明いたしました。コスプレ衣装は店を開くほどあるというのに、背格好に合った男物の服が一着もないというある意味終わっている家庭事情を突き付けられて、自分の頬を思わずつねり上げてしまった彼の心情をおもんばかっていただけると助かります。

着せるつもりがなかったから用意してない、そうドヤ顔できっぱりと言い放ったママンは小揺るぎもしませんでした。

近隣の、男の子がいる家に父さんが融通を打診してくれたのですが、なぜか「似合ってのからいいじゃない」と不思議そうにされたらしい。ダメよ天使ちゃんにはふさわしくないからと右に倣えで協力者はいなかったそうです。村の女たちはたぶんみなおかしな性癖持ちばかりなんです。きっとそうです。


(…父さんには悪いけど、寄り道する)


あれから一日が経って、村の周辺に山賊たちの気配がないことが判明していることもあって、彼は少し離れた廃砦の見回りをすることにしていた。

彼が旅立つ時のための大切な準備がそのままになっているのだ。とくに当面の頼りである金貨は山賊に盗まれないようにちゃんと隠しておかなければならない。

森の住人たるエルフ族の血のなせる業か、あるかなきかの獣道も彼は風のようにするすると進んでいく。村一番かどうかはともかく、森での彼は確かにはしっこかった。

しばらく鬱蒼とした森を突っ切り、緩やかな尾根を越える。

いくつもの沢を越え、その先にある草に埋もれた窪地を倒木伝いに這い上がり、たまにしか使われない草ぼうぼうの古街道を視界に入れる。あの金髪王子が山賊たちから命からがら逃げてきた道だ。

窪地はかつての水濠らしく、這い上がったそこが廃砦の門前にほど近い場所となる。

古街道の様子を慎重に見極めてから、そろりと廃砦の中に進んでいく。この世界に転生して感覚が鋭くなっているのか、他人が少しでもそこにいた気配があると、はっきりと分かる。


(やっぱり、もう誰かに入られたみたいだな…)


村を包むように包囲しただろう山賊たちが、この怪しげな廃砦を探索もせずに放っておくと考える方がどうかしているだろう。ひととおり調べて回って、やはり備蓄が根こそぎにされているのを確認する。

ちょっとした食料やあの練習用の中剣、それに隠し通路の櫃の中に放置してあった錆びた甲冑などもすべて姿がなくなっている。

彼は弓を矢筒と一緒に肩に負うと、腰の短剣を抜いて息を潜める。気配を殺して動くのは猟師の必須スキルである。いちいち角では壁に背を張り付けて、そっと先の様子をうかがった。


「…いまはいない、か」


村の周辺からは完全に撤退したのか、ここにも奴らの姿はなかった。

彼はほっと息をつくと、牢屋の中に入った。そこの石壁の一部……あの鎖を引いたときに足場になった膝の高さのゆるい石材を外す。

そこが金貨の隠し場所だ。見ればまだ手付かずの金貨の輝きがある。

略奪を逃れたことに安堵しつつ、辺りをうかがって石材を元のように差し込んだ。隠し場所を移すことも考えていたのだけれども、一度漁られた現場のほうが返って安全に違いない。

奇跡的に、略奪を逃れたものはもうひとつあった。

雑草を払って練習場にしていた中庭には、治癒士のばあさんからもらった魔法の教本が、うらぶれた商店街の裏道で放置されているエロ雑誌のように放り出されていたのだ。

それを取り上げて埃を払う。

魔法の才能があるなし以前に、山賊どもはおそらく文盲なのだろう。ぱらぱらと流し見て、それを放り投げるバカな山賊たちの姿が目に浮かぶ。

初級編の微妙に使えそうで使えない魔法教本ではあるが、彼にとっては大切なものである。この本の原典を書いた昔の偉い魔法使いならば、『かきつばた』とか『符丁』的な何かで、秘密を隠しているんじゃなかろうとか期待を捨て切れないでいたりする。

地面の湿気で少し濡れてしまった羊皮紙のページが一部貼り付いてしまっている。乾いてしまう前にはがそうと爪でコリコリとやっていると、結構頑丈に貼り付いていたページが少しずつはがれてくる。羊皮紙なので紙みたいには千切れないだろうと、最後の方は結構勢いよくはがしたんだけれども……あれ? こんなページあったっけ?


「…素早く血を止めたいときの術式……治癒術のひとつか」


なんとなく気になって、その場で読み込んでしまう。

前世の医療行為では、糸で血管を縛る『結紮』(けっさつ)みたいな術式のようだ。この世界では、そもそも体内の血がどのように体を巡っているのかさえ知られてはいない。魔法の治癒術が解剖学的な欲求を人々から奪ったのだろう。

なんとなく出血を止めるために、魔力の壁を傷口の近くに設定して、とりあえず押しとどめる、というイメージでよいのだろうか。


(魔力の壁で血を止めるとか……外で大規模にやったらバリヤーとかできそうじゃね?)


魔力を壁状に展開するための術理が記されている。

理屈では『壁を作る』と言っているのに、術理では『(出血を)拒絶する』という内容になっている。なんだかよく分からないけれども、たぶん理論的に整理ができていないだけなのだろう。

心の底に湧き出てくる魔力の素にイメージを注ぎ込むのが基本であるから、術理は『送り込むイメージの組み立てと順番』という、仮想上の楽譜のような扱いである。だから変な呪文とかはこの世界の魔法にはない。

『血』を『拒絶』する。

『壁』をなし『弾き返す』。

それがこの止血の術理ということになる。

そのうちに試してみようかな…。

彼がそうして教本から顔を上げたとき。


「…えっ?」


わき腹に灼熱が走った。

ぼんやりとその場所を見下ろした彼は、そこに柄まで突き立っているナイフを見た。


「やっぱりここに来やがったな」


一人の男が物陰から姿を現した。

それはあの襲撃にさなかに彼の矢から逃げ出した、山賊の頭目と思しき男だった。


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