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人造人間  作者: 大輔華子
1/2

【前編】

<一>


 司冴華つかささやかはA大学大学院の天文学研究室で天体物理学(Astrophysics)を専攻し、今春二年間の修士課程(博士前期過程)を修了した。

 研究室の同期研究生は全員が博士後期過程に進むこととしていたが、冴華だけは突然意志を翻し卒業することにした。

 冴華は天体観測が好きでこの道の研究に進んだが、天文学がこれほど物理学的な手法を用いて研究する学問とは思っていなかったのである。もともと数学が大の苦手であった冴華は、この段階で何の未練もなく記号や数式の行列と決別した。


 冴華の父は某有名中国電子機器メーカーの董事長兼総経理兼大株主であり、冴華は遊んでいても金にはほとんど困らない家庭環境にあった。

 建屋の中には冴華専用の浴場、化粧室、それに専用のシアター。おまけに専門の診療所まであって、冴華は戸外の映画館に行ったこともないし、病院にさえも通ったという記憶がない。


 自分自身の予期せぬ行動に事前の就職活動をまったくしていなかった冴華は、『仕事に就ければいいな〜』程度の感覚で職探しを開始した。

 

 多くの失業した人々が生活をかけて日々職探しをしている世情を考えれば、まったくもってバチがあたりそうな話である。


 さらに冴華は実に都合の良いわがままな人間である。

 

 途中で自分勝手に挫折しながらも、今までの研究と全く関係のないことを仕事にしていく気はさらさらなく、自分の今までの研究を活かせる職業以外は考えていなかった。


 そんな中、大学院のCPS(Career Placement Service:就職斡旋課)より、冴華のいる天文学研究室に対しちょうどおあつらえ向きの求人があった。

 

 その会社は、従業員が百人ほどの中堅企業で、『株式会社ニュートン』といった。


 冴華は、『ニュートン力学』は科学の中でも相当『おおらか』な分野であると考えていたので、こんなに自分にぴったりで楽ができそうな会社は他にはないと思い、ろくに会社情報や会社案内を確認せず即応募することにした。

 冴華は『ニュートン、ニュートン』と口ずさみながら、希望通り中堅企業の『株式会社ニュートン』に就職が内定した。


 ところが、その会社は物理のニュートンとはほとんど、いやまったく関係のない、医療用の人工臓器等の開発受託を主とする研究開発会社であった。

 過去数年間にわたって毎年その会社から冴華の研究室への求人があったにもかかわらず、一人も応募すらしていないのは、なるほどそういうことだったのか、と冴華は今さらながらにドジな自分を悔やんだ。


 数字の式と決別した冴華は、今度は化学記号の式と電子顕微鏡が『お友達』になることになる。すぐに辞めることになるかもしれないと思いながらも、冴華はとりあえずその会社に就職した。


◇◆◇


 その会社の第一研究所に配属が決定されたのは、冴華を含めやはり今春大学院を卒業した四名であった。

 しかし、冴華の二年修士課程修了の『修士』に対し、他の三人はいずれも専門の理化学分野の後期三年もしくは一貫博士課程を修了した『博士』だった。

 冴華はこのことにかなり気後れを感じ、やっぱりこの会社は辞めようと思いかけた。

 

 しかし同期入社のリストを再度確認してみてふと思いとどまった。


 ……ええ?あの人が。まさか? …… 


 同じ研究所に配属する者の名は、相原望あいはらのぞむ浜崎千里はまざきちさと遠藤司えんどうつかさ

 冴華は、かねてから噂に聞いていた『遠藤司』が自分と同じ研究所に配属とわかり、逆に期待に胸膨らませた。


 遠藤司……


 その男、Z大学理工学部をダントツの首席で卒業後、大学院でも天才と評され、将来を期待されている超大物大学院研究生である。

 冴華は自分の姓『司』と彼の名『司』が同じであることに何か運命のようなものを感じていた。

しかも配属が同じ研究所だ。


 新入社員男女二名づつ計四名が第一研究所に初めて集合したその日、冴華は一目でそれとわかる背が高くりりしい感じの男性に緊張しながら声をかけた。


「司冴華と申します。宜しくお願い致します、遠藤さん」


 その男性は一瞬怪訝な表情をして見せたが、すぐに事情に納得し応えた。


「よろしく。ボクは彼ではなくて、相原望といいます。遠藤クンはそちらの方だと……」


 彼が手の平で示したその先には、身長は一四〇センチ代半ばくらい、牛乳瓶の底を二枚重ねてさらにマジックで渦巻きを書いたような黒ぶち眼鏡を果物のパイナップルに架けたような顔の変な小さなおじさんが立っていた。


 冴華はその変なおじさん越しに、心の中で遠藤司を捜した。


 …えっ? どこどこ? 遠藤さん。遠藤司さ〜ん〜どこ〜……


 目の前にいたその変なおじさんは、いきなり冴華の右手人差し指をつかみ、自分の鼻のところにもっていった。


「きゃあっ!」


 冴華は虚を衝かれて、彼の手を振りきって指を引っ込めた。その男に咄嗟に指を舐められるか、くわえられると感じたからである。


「オレ。オレ。えんどう。遠藤司」


「えっ?」

 

 まさかそうではないと心で否定していたが、期待は見事に裏切られた。見た目も相当みすぼらしくおかしいが、態度のほうもすこぶる異常である。


 …自分を指差すのに、普通、他人の『指』を使うかあ?! ……


 ところで、相原望は長身のいわゆる『イケメン』で、浜崎千里はスラッと脚の伸びたモデル体型のしかも美形である。気がつくと二人は初対面から仲好さそうに笑顔で話をしている。まさにお似合いの美男美女カップルだ。


 対する冴華は、変なおじさん、ではなくて遠藤司と向かい合わせで絶句状態である。


 冴華は将来を期待される噂の大物を目の前に、急に力が抜けていくのを感じた。


◇◆◇


 配属の新入社員四名は研究所長の横に並んで、三十名ほどの所員と向かい合わせになった。所員の方へ自己紹介も含めて新任のご挨拶である。

 

 向かって右側、所長の脇から身長が等間隔に高くなっていっていて奇妙な光景だ。


 遠藤司・・一四七cm、司冴華・・一五八cm、浜崎千里・・一六九cm、相原望・・一八〇cm。


 自己紹介で、すでに冴華は気後れの極限状態だった。専攻分野も理化学研究所に完全に畑違いの天文物理学だ。

 いったい君はこの研究所に何を研究しにきたの? という感じである。

 仮にテーマは無視したとして、研究キャリヤや称号だけを比較しても他の三人にはとてもかなわない。

 自分の研究テーマを披露すること自体まったく意味がない。


 競ってみても初めから勝負がついていると思った冴華は、自己紹介で得意分野は『国語と算数です』とか言って、ふざけてウケを狙うしかないと考えていた。

 

 ところが、最初に挨拶した遠藤司に先にボケを越されてしまった。

 彼は、名も名乗らずに『得意分野は……』と言ったあと、その場でバクチュウ(トンボ返り)をして、得意満面のマッチョポーズを決めたのである。

 かなりウケて拍手が広がった。


 ……ずるいよぉ! ……


 このままだと冴華の考えていた、『国語・算数が得意』ではボケにもならないことが明らかであり、冴華は焦った。悩んだ挙句、彼女はその日、黒のパンツスーツ姿だったので、『得意分野』のところで思い切って股を割り相撲のしこを踏んで見せ、土俵入りを見事に決めた。


「雲竜型の土俵入りが得意な私です……」


 しまった、のせられてしまった、と思ったのはその直後だった。いや、のせられたのではない。生来のボケを自分から露呈してしまったのである。


 所長以下全員と同期の相原と浜崎の目まで一斉に『点』になっている。

 腹を抱えて大笑いしているのは、遠藤司だけである。


「がっはっはっははは。負けた。負けた。このオレが負けた。完敗だ。ははは」


 ……『コマネチ!』ぐらいにしとくんだった……


 いやいや、そういった問題ではない。


 ……何でこんなやつとボケを競ってしまったのだろう……


◇◆◇


 その日は事務所の中の設備の使い方や、決まりごと、電話の取り方などを教わって配属一日目が終わった。四人揃って所員にご挨拶をして一緒に最寄駅まで向かった。

 ところが、研究所の門を出たすぐのち、しめし合わせていたかのように、イケメン相原と美形浜崎は『じゃあね……』と言って二人でどこかへ行ってしまった。


 ……ちょっ、ちょっとやめてよ。それずるくない?! …… 


 かくして冴華は遠藤司と仲良く二人で駅まで歩くハメになってしまった。


 遠藤司は言う。

「ねえねえ。さやちゃん。オレこの会社で一つだけ心配事が有るんだ」


 冴華はちょっといらっとした。


 ……なんで、いきなり『さやちゃん』なんだよ。なれなれしいな……


 それでも冴華はその気持ちを決して顔には出さずに言った。


「なあに?遠藤さんでも心配するようなことがあるんだ……」


 天才と評される遠藤司に対する尊敬の念、いや、尊敬しなくてはいけないという心理的コンプレックスからかもしれない。


「あのね」


 彼は内緒話のように手の平を口のところへ持っていくので、冴華もこれに耳を近づけた。


「何?」


「この会社、組合がないんだってよ」と遠藤司。


「……あの。組合って労働組合のこと?」


「そう……。心配だなあ」と天を仰ぐ遠藤司。


 ……!! この男、いったい何を心配してるんだ! しかも思いっきり内緒話でもないし! ……


<二>


 世の中不景気なわりに、研究所はいつも忙しかった。

 人間の臓器の役目を一時的に代替する医療機器に比べ『人工臓器』はより高価であったが、潜在的ニーズは量り知れないほど大きく、各企業は次世代の先進医療を何とか自社技術として取り込もうと躍起になっており、研究の受託は増えるばかりであった。


 仮に技術的にクリアしても、実用化には法整備というさらに厚い壁もあるので、まだまだ先が永いが、各企業とも一発逆転を狙っていることは確かだ。

 逆に逆転された企業は大企業でも市場からふるい落とされることにもなりかねない。

 患者に少しでも苦痛や負担を与えない先端治療や手術のためのさまざまな器具や機器の開発も盛んでいるが、その水面下では『人工臓器』の開発も深く潜行しながら動いている。


 遠藤司は、第一研究所にとって即戦力になり得る資質を充分備えていたが、学術機関の研究と異なり企業の研究所ではサイエンスよりもテクノロジーが優先されることがあるので、先輩研究員にとって彼が邪魔になる場面もしばしば見られた。

 頭のいい遠藤司はそれがわかっていても先輩たちの言うことをあまりきかない。

 我が道を行く、である。


 幾分ノウテンキな冴華であっても、これが研究受託の当社にとってプラスになる筈がないことくらいは感じることができた。

 冴華は、研究内容には何も口を出せなかったが、いつの間にか女房役のように遠藤司と先輩研究員の間を調整している自分に気づいていた。

 これは冴華にとっては、決して好んでやっていることではなく、ただ何となくそうなってしまっているのだ。


 研究所の中では、名前をめぐる実にややこしい関係が存在している。


 この研究所の所長は遠藤雄二という。

 彼は実に常識的で穏やかな気性で、新入社員の遠藤司とは年も相当違うが性格も正反対である。新入社員の遠藤のことを研究所の皆が、『遠藤司』とフルネームで呼ぶのは、所長の遠藤に気をつかってのことである。


 しかし、冴華にとってはこれが逆にうっとうしい。

 常に遠藤司と、司冴華がセットのような響きになってしまっている。

 冴華はこれが、研究所に配属される前考えていたような運命的なものであるとは考えたくなかったが、何となく遠藤司を放っておけなくなっていた。

 人付き合いがあまり得意でない冴華が、同じように不器用で我が道一直線の遠藤司を何とかしてあげたい、と感じるのはある意味同族意識からくるものかもしれない。


そうしているうち、一つの季節の時が流れた。


◇◆◇


 この研究所にはいわゆる事務員女性なるものは二人のベテラン派遣社員しかいない。女性といえども、本社採用で配属されてくる社員はすべて研究員である。

 研究所員の男性は、ほとんどが二十代後半から三十代で、毎年配属される数名の女性と数年以内に次々と結婚する。

 研究所が違うとテーマもがらりと異なるため、結婚した研究者の女性は他の研究所に転勤という選択肢はないに等しく、夫婦同じ職場はあまり具合もよくないので、当然に女性のほうが会社を辞めることになる。


 せっかくの優秀な女性研究者が家庭に入ってしまうのは勿体ないと考えられがちだが、『内助の功』という言葉にそのからくりがあった。

 妻のほうは会社にはいないが、夫婦互いに同じテーマでの研究者なので、少なくとも子供が生まれるまでは会社と家庭で共同研究のような状態が続く。

 こうして会社は一定期間、夫一人分の給料で二人分の頭脳や研究時間を得ることになる。

 何も会社は妻にただ働きを強要している訳ではない。相手が勝手にそうしてくれるだけだ。

 このため会社は、毎年欠かさず優秀な女性研究者で一定以上の器量を得た女性を即決で採用し、所内は公然と自由恋愛を奨励している。


 今年の場合、この研究所では女性が冴華と浜崎の二名だけであったが、美形浜崎は最初から同期のイケメン相原とカップリングしており、この点では会社の思惑はものの見事に外れた。

 このからくりは、仕事内容のよく理解した所内の先輩研究者が夫で、新人の女性研究者が妻というパターンでないと成立しない。


 仕方がなく、数人の男性からは冴華に目が向けられていたが、どうも冴華にはあのややこしい遠藤司がくっついたままである。

 いや冴華のほうからくっついているようにも見えた。

 これも会社の思惑の完全な外れだ。

 どうも今年の配属担当部門の責任者は、その手腕に鈍りがあるようである。


 ある三十代後半の独身男性は冴華を会社帰りに誘って、居酒屋で飲み食いしながら訊いた。


「司さん。遠藤司のこと。あいつのどこがいいの?」


「えっ? どこがいいって。どこもよくありませんけど」と冴華。


「うそだよ。いつでもくっついて。いったいどんな話してるの?」


 その男はほどほどに酔いがまわっている。


「どんな話って。いろいろだけど。」と冴華。


「たとえば?」


「今日は、彼が『半魚人はんぎょじんて見たことある?』って訊くから、ないって言ったら、『実はね、半魚人って半分魚じゃないんだよ』って」


「何の話?」


「だから、半魚人は半分魚じゃなくって、半分イルカだって話。だから『半イルカ人』」


「……よくわからないけど。それから?」


「あと、一九九〇年頃に絶滅した、『オレンジヒキガエル』を彼、家に沢山飼っているんですって」


「また何の話?」


「だから、オレンジヒキガエルの話よ。知らない? コスタリカ北西部のモンテベルデで最後の一匹が目撃されてから、地球上で絶滅認定されたカエル」


「……よくわからないけど。仕事と関係のある話とかしないの? 彼、とてつもなく優秀だっていうから」


「するわ。この間は彼、勤務中の安全靴のことをさかんに言ってた」


「またあ。何の話?」


「労災の話よ。材料が重くて、もし足の甲にでも落ちたら危険だって。安全靴買ってくれないと怖くて仕事できないって言ってたわ。車にひかれてもびくともしないような安全靴。ねえ、その通りよねえ」


「……よくわからないけど。それから? ……ああ、もういいや。今日は少し酒がまわりすぎた」


 相手の男性は目がうつろだった。


 彼は冴華のような、顔は細めだが極端な下半身デブという、妙にアンバランスな女性が好みだという大変珍しい男で、冴華にとっても今回のお付き合いは結婚に向けての大きなチャンスであったが、その男は酔いながら、彼女と付き合うのはとりあえずやめておこうかと考えていた。


 男はウイスキーを水のように飲み続け、完全に潰れた。


 仕方がないので、その日、冴華は男を店の人に委ね、そのまま店からタクシーを呼んでもらって家まで帰った。


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