#25. 完結
壇上を降りて一人で街路を歩いていくルシアンを止める者は誰もいなかった。
パメラは、寂しげに遠ざかっていくルシアンの背中を一度だけ見つめると、未練なく壇上へ視線を戻した。
「王太子は去りました……次はどなたが降りる予定ですか? ああ、いっそ降りたくない方々が先に挙手してくれるほうが楽かしら? 首を刎ねられたい方は手を……」
「い、嫌よ。こんな老いぼれと一緒に死ぬために頑張ったんじゃないわ! ルシアン、ルシアン! 私が悪かったわ。一緒に連れて行って!!」
パメラの言葉が終わるか終わらないかのうちに、オフィーリアが国王を突き飛ばしてルシアンのもとへ駆け寄った。オフィーリアの声が届く距離だったにもかかわらず、ルシアンは立ち止まらなかった。
「娼婦……いえ、愛人も去りましたね。次は誰かしら?」
パメラの問いに呆然としていた貴族たちがハッとして、慌てふためきながら壇上を降り始めた。
主に従って急ぎ足で立ち去る従者たちを眺めながら、パメラは今思い出したかのような表情で言った。
「あ、そういえばこれを言っていませんでしたね。壇上から降りた方々は、今この時間をもって貴族ではなく平民です。財産と爵位はすべて没収します」
「待て、今なんと言った? 没収だと? そんな話は聞いていないぞ!!」
「当然の話ではありませんか? あなたたちは“追放”されるのですよ。それなのに家に戻って、高価な金銀財宝を詰め込んで悠々自適に出て行けると思っていたのですか?」
「それじゃあ、俺たちはどうやって生きろと言うんだ!!」
オフィーリアの次に壇上を降りた宰相が、パメラを指さしながら叫んだ。それに対し、パメラは冷ややかな目で宰相を見下ろして答えた。
「私がそれをなぜ心配しなくてはならないのです? あなたたちは、あなたたちが搾取してきた領民たちの事情を考えたことはありますか?」
「連中は我々のために存在しているのだろう! 貴族としての当然の権利……」
「あなたはもう貴族ではありません。それに私は、あなたたちが搾取してきたすべてを、本来持ち主であるべき人々に返すだけのことですよ」
「そ、それでもその財産は我々が築いたものだ。貴族として……」
「ふふ。ええ、そうですね。つまり、死ぬことになっても金は諦められないというわけですね。仕方ありませんわ。そこまで仰るのなら、もう一度だけチャンスを差し上げましょう」
パメラが剣の切っ先を宰相の喉元に向けた。
「カマリッドの宰相ダニエル・オーランドは、カマリッドの宰相として簒奪者を認めず、名誉ある死を遂げた。墓碑銘としては満足でしょう?」
冷や汗を流していた宰相が一歩、二歩と後ずさった。パメラが剣を振り上げた瞬間、宰相は悲鳴を上げて逃げ惑い始めた。
一人、また一人……貴族たちは力なく壇上を降りていく。今や壇上に残っているのは国王一人だけ。
この状況になっても、国王の瞳に後悔の色はなかった。憎悪だけを込めた強烈な視線がパメラに突き刺さる。
「パメラ・アレイルグ。厚かましい小娘が」
「一体いつまで私をアレイルグと呼ぶおつもりですか。本当に話が通じない方ですね」
「これが終わりだと思っているのか? 民が魔物と化した皇太子に従うはずが……」
「お前なんかに従うより、皇太子様に従うわ! いい言葉で言っているうちに早く消えろ!!」
国王の言葉を遮るように響いた高い声に、全員の視線がそちらへと向いた。
いつからそこに立っていたのか、幼い子供が憎悪の籠もった目で国王を睨みつけていた。子供だけではなかった。路地や家の中に隠れて状況を見守っていた民たちが、誰となく顔を出し、国王を追い出そうとしていた。
「あら。どうやら民は、あなたなんかよりお兄様のほうが良いみたいですね」
「汚らわしい平民どもが……」
「陛下も本当に……もうすぐその『平民』になられる方が、最後まで自尊心をお出しになるのですね。ああ、もしや目を閉じるその瞬間まで国王でいるという意地ですか? でしたら、喜んで……」
パメラが剣を振り上げて首を刎ねようとしたその時、リハルトが彼女の肩を掴んで制止した。
「パメラ。ここは君ではなく、私が前に出るほうが絵になる」
「あら、それもそうですね。さあ、ではお兄様。新しい国王として、悪辣な現国王の暴政を終わらせてくださるかしら?」
パメラの微笑みに笑みで応えたリハルトが、国王へ視線を向けた。パメラを見る時の穏やかな眼差しとは比較にならないほど冷徹な瞳が国王を射抜く。
リハルトがゆっくりと剣を掲げると、国王はビクリとして一歩後ずさった。
一歩、二歩。剣先から逃れるように退いた国王は、やがて滑稽な悲鳴と共に壇下へと転落した。
国王……いや、アレクサンダーの姿を見下ろしていたリハルトが、広場に轟き渡るような声で叫んだ。
「旧カマリッドの民よ、聞け! 現時刻をもってカマリッド王権は完全に崩壊したことを宣言する!」
影に潜んでいた民たちが歓声を上げ、リハルトの名を連呼した。それを受けて、リハルトは民たちの顔を一人ひとり見渡した。
「私は君たちのための王となろう! 異論があるならば正当に物言え! 身分も、不敬も問わぬ! 私は決して正しい心を持つ者を、志を持つ者を裏切ったりはせぬ!」
リハルトの誓いに歓声がさらに大きくなった。もちろん、懸念の表情を浮かべる者たちもいた。特に年配の者たちは、より一層不安げな面持ちでリハルトを見つめていた。
(無理もないわね。魔族の国に近いカマリッドで、魔族が王位に就くのだから)
リハルトがいくら清廉潔白を主張し、正しい統治を行おうとも、彼が堕落した魔族である以上、いつ変貌するかわからないのだから。
民の不安な表情を注視していたパメラが、レアリアへと視線を向けた。弟子の視線に気づいた師匠は、心配するなというようにニッコリと笑った。
歓声が落ち着く頃、レアリアが口を開いた。
「当面の間は混乱することでしょう。信じてほしいとは言いません。けれど、指導者になると決めた以上、私たちは決してあなたたちを裏切りません」
決して大きくはないが、全員の耳に鮮明に届く声で、レアリアは言葉を続けた。
「今日から一週間、王城で祝賀宴会を開きます。本宴会は、新しい貴族および人材を採用するための面接の場としても活用します。賢き者、勇敢なる者、才能ある者ならば、身分に関係なく即座に採用しましょう」
レアリアの言葉に再び歓声が湧き上がった。どうやら二人ならば問題なくうまくやれるようだ。
(まあ、師匠とお兄様が失敗するなんてありえないけれど)
二人の背中を心地よく眺めていたのも束の間、やるべきことを終えたパメラは、ベインの服の裾を引っ張りながら言った。
「ベイン。私たちはもう行きましょうか?」
「え、え? どこへ?」
急変する状況についていけず、ベインが間抜けな声で聞き返すと、パメラは首を傾げた。
「家でしょう? ああ、もしかしてベインは残るつもり? とても良い考えですね。やはり英雄は王城にいなければ様になりませんものね。心配しないで。師匠とお兄様なら、あなたを十分に英雄かつ貴族として遇してくれる……」
「いや、残らない。さりげなく置いていこうとするな。絶対に君の側にいるから」
「……チェッ」
このまま師匠に押し付けてしまおうと思ったのに。失敗か。
名残惜しそうに舌打ちをするパメラを見ながら、ベインが彼女の手を強く握った。
「家に帰るのはいいけど、このまま行っても大丈夫か? 俺はともかく、パメラはあれこれ行政業務とか、後処理? みたいなことをしなきゃいけないんじゃないか?」
「私は貴族でも管理者でもないのに、どうしてそんなことをしなきゃいけないのですか?」
「だって……その、なんだ……開国功臣みたいなものだろ」
「そんなものは、やりたい人がやれば良いのです。さっき師匠が言ったでしょう? 能力さえあれば身分関係なく採用するって」
「それはそうだけど……う、その……」
このまま行ってはいけない気がする。だが、なぜいけないのか明確に説明できない。ベインが困った顔で頬を掻いていると、パメラは比較的人の少ない物陰へ移動しながら言葉を続けた。
「ベイン。まだ他に回収すべき借りでもありますか?」
「借り?」
「ええ。あなたは王城でやらなければならないことが残っていますか?」
「……」
パメラの問いに、ベインが少し悩んでから首を横に振った。
「いや、これで十分だ。これ以上、誰も苦しまないのなら。それでいい」
「ふふ。勇者様らしいお答えですね。よろしい。ではベイン、さっき私が言ったルールを覚えていますか?」
「ルール?」
「『壇上から降りた方々は、今この時間をもって貴族ではなく平民です』というルール」
「ああ」
「一つ追加しましょう。この壇上から降りる瞬間、あなたは勇者ではなく、ただの平凡な人間になります」
パメラの言葉に、ベインの瞳が見開かれた。彼が尋ねた。
「勇者じゃなくてもいいのか?」
「ええ」
「平民として、ただ平凡に生きていてもいいのか?」
「ええ」
「君の側で……いてもいいのか?」
「それは……さあね。考えておきますわ」
パメラの曖昧な答えに、ベインがフッと笑った。その微笑みを見つめていたパメラが、壇上の端へと近づいた。
「さあ、行きましょう。貴族として採用されたいわけじゃないなら、早く逃げたほうが良いですよ?」
言葉を終えたパメラが彼の手を引くと、ベインは待っていたかのように彼女と共に壇下へと飛び降りた。
お読みいただきありがとうございました。完結です!




