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『村ノ掟』  作者: 雨徒然
9/27

1-9

 

 春人が鳥居をくぐった瞬間、空気が変わった。


 それは気のせいではなかった。

 木々のざわめきが急に遠ざかり、虫の音も、風の気配さえも消えた。

 まるで、外の世界から切り離されたかのような――沈黙の領域。


 春人は、息を詰めたまま立ち止まった。


 境内は、思っていたよりもずっと広かった。

 人が入っていないはずなのに、雑草は不自然なほど生えていない。

 代わりに、足元には小さな白い花が、ひっそりと群生していた。


 ひとつ、ふたつ。

 それらは夜の光を吸っているかのように、かすかに発光して見える。

 地面にぽつぽつと咲き、それぞれが人の手のひらほどの大きさで、半透明な花びらを持っていた。


 どこかで見た記憶があった。


 ――夢だ。


 あの白い花。揺れていた。

 それは風ではない。何かの脈動のように、ゆるやかに、しかし確かに動いていた。


(……なにこれ)


 春人は足を進めた。


 奥へ進むごとに、花は増えていく。

 不思議なことに、踏まないように歩こうとしても、花はどこまでも連なっていた。

 その一つ一つが、人の眼をじっと見上げているような錯覚を覚えさせる。


 やがて、視界の先に建物が現れた。


 本殿――神社の最奥部。

 鬱蒼とした木々に囲まれ、月明かりに浮かぶその姿は、まるで息を潜めているようだった。

 しめ縄はそこにもかかっていたが、朽ちていて、今にもほどけそうだった。


 本殿の扉は、半分だけ開いていた。


 誰かが入った形跡。あるいは、最初から“開かれているべきもの”だったのか。


 春人は胸の高鳴りを抑えながら、手をかけた。

 重々しい扉が音もなく開く。

 その中にあったのは――


「……!」


 本殿の内部は暗く、広く、そして――奥に、何かが“咲いていた”。


 白い。

 いや、白とは言い切れない。

 ほのかに青く、紫がかっていて、光を内側から放っているような花だった。


 それは花というにはあまりにも大きく、

 まるで人ひとりが丸ごと埋まっているような、不自然な膨らみを持っていた。


 周囲にも同じような花が、いくつも、静かに咲いていた。


 その中には、人の形のように膨らんだものもあった。


 目をこらすと――布のようなものが絡まっている。


 着物の袖。あるいは、服の裾。

 確かに“人”だったものが、花に取り込まれ、苗床のようになって咲いている。


 春人は立ち尽くした。


 怖いと思う前に、目が離せなかった。


 それは、美しかった。


 異常な光景なのに、何かに魅せられるように心が奪われる。

 恐怖と陶酔のはざまに浮かんで、ふわふわと足元が浮いていくような感覚。


 春人の身体は、ゆっくりと前へ進んだ。


 本殿の中心。もっとも大きな花の前まで。

 それは、まるで彼を待っていたかのように、わずかに揺れた。


 花の中心には、何かが埋まっている。


 白い布がかぶせられ、その下には、人の頭蓋のような丸みがあった。


 それを見た瞬間、春人の中で何かが――“揺らいだ”。


(触れなきゃいけない)


 その想いが、胸の奥から湧き上がってきた。


 触れてはならないもの。

 ずっとそう言われて育った。

 それでも、いまこの瞬間――


 触れたいと思ってしまった。


 春人は、手を伸ばした。

 花の縁に指が触れる。

 ぬるりとした感触。けれど、拒まれる気配はない。


 そのまま、春人は、中心にある“御神体”に、指をかけた。


 その瞬間――


 頭の奥で、何かが“開いた”。


 視界が、白く弾けた。


 音も、感覚も、すべてが消え――

 春人の意識は、そこで途切れた。


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