09(完)
彼はもう姿を隠そうとはしなかった。宿に戻ると起き出していた二人に飛びつかれた。
「心配したのよ」
「そちらは、誰?」
「これはヴァルよ」
シャルロッテが言うとルトはすんなり納得したみたいだった。
「驚かないの?」
いかにも驚いたというアンネに、不思議そうに聞かれて、彼は言った。
「狼を恐れない兎なんていないよ。だから、何かあると思っていた。もちろん、驚いているよ」
「__じゃあ、元はと言えば人間のせいだったって訳?」
かいつまんで話すと、ルトはむむむと唸った。
「そうとも言えるし、そうでないとも言える」
ヴァルが答える。
「どういう事ですか?」
アンネが質問した。
「この地だけではない。人間の間でさえ差別があるように、人間と魔物は基本的に分かり合えない。召喚士が、橋渡しとならない限りは、な。人間は皆、魔物を敵だと思っているし、魔物もまた、人間を敵と認識している」
「僕たちはどうしたら良いんでしょう」
「何も。お前たちはそのままでいれば良い。人の言葉にも魔物の言葉にも流されず、正しく中立であろうとすれば、いずれは」
「難しいなぁ」
定められた実習が終わりに近づいた時だった。
一つ決めたことがあるの、とシャルロッテは口を開いた。
「ヴァルにはまだ言ってないんだけど」
「何だ?」
「私、今年度いっぱいで__退学しようと思って」
「え?」
アンネが目を見開いた。ルトですら驚いた顔をしている。
「私、今回のことで、自分がまだ何も知らないんだってわかったわ」
「退学して、どうするつもりなの?」
ルトがそう聞いてきた。
「旅をしてみようかと思って。自分にできることを探しに。卒業してしまうと、国の名簿に名前が載ってしまうかもしれないでしょう?」
「確かに。動きにくくはなるね。」
「一緒に来てくれる?ヴァル」
「お前が望むなら」
後は今年一年をやり切って、先生に交渉するだけだ。
シャルロッテは課外実習から帰ると、魔導研究に打ち込んだ。ヴァルには一旦ラピの姿になってもらっている。
召喚士をやめるのかい? と魔導科の先生に勘ぐられるくらいには、その腕は上達した。癒しの魔法、攻撃魔法、護符の作り方。学べるものは何でも学んだ。
トントンと、見慣れた教員室の扉を叩く。
「ラルム先生。失礼します」
「シャルロッテ、そろそろ来るのではないかと思っていました」
「何か、決めたのですね」
「はい」
ラルム先生はいつも何でもお見通しだ。
ヴァルのこと、今までのこと、これからのこと、シャルロッテは話した。
「__私を、退学にしてください」
「シャルロッテ……」
静かに聞いていたラルム先生は、それは出来ませんと、首を振った。
シャルロッテは頭を下げたまま動けなかった。
「ですが、あなたの意思を尊重することは出来ます。実はアンネも診療所で働きたいと言っておりましてね、今朝、許可を出したばかりです。ルトは学者になりたいとのことで、中央図書館へ向かうことになっています」
「知っていますか? 三年生は実地の実習へ出るのです。あなたにぴったりなところは冒険者ギルドですね」
「冒険者ギルド?」
「はい。冒険者ギルドは、卒業生だけでなく、学生の受け入れを行なっています。主な業務は、民間の警備や調査の委託です。旅をして、見聞を深めることが出来ますし、何より実力主義で、一定のランク以上になれば、その地位は確固たるものになります。」
わかりますか?とラルム先生は続けた。
「冒険者ギルドはEランクから始まり、段々と依頼が難しくなります。そして、一番上のランクはSSSランクです。その二つ手前のSランクに到達すれば、普通に卒業した召喚士より位が高くなります。国に縛られることも少なくなるでしょう」
「つまり、Sランクを目指せばいいと?」
「あまり危険なことは、して欲しくはないのですがね」
でも、あなたなら出来ますよ、とラルム先生は微笑んだ。
「やってみます」
決意を胸に校舎を歩く、寮に続く外廊下に出ると呼び止められた。
見るとアンネとルトがこちらに手を振っている。
「聞いたよ。二人とも」
「シャルロッテは、どうだったの?」
「冒険者ギルドに行くことになった」
「へえ」
旅立ちの日は三人とも同じ日にしてもらった。
「一旦さよなら、だね」
アンネが口火を切った。
「うん。でもこれは夢に向かっての旅立ちだから」
ルトが言って拳を突き出す。それに二人も合わせた。
「行ってきます」
そして__さよなら。
シャルロッテは6歳の時から過ごした学園に背を向ける。隣には元の姿に戻ったヴァルフリートが並んで歩く。彼は飛んでいくことも出来るのに、わざわざシャルロッテに歩幅を合わせて歩いてくれるのが嬉しかった。
「行こう。ヴァル」
「ああ。シャルロッテ」
そして気づく。これは、彼にとっても旅立ちなのだと。魔王としてではない、ヴァルとして歩む一歩なのだと。
シャルロッテは、その後伝説と呼ばれる冒険者となる。
その傍らには、見る人を時に畏怖させ、時に崇拝の対象ともなったという人でなき相棒が常にあったそうだ。
シャルロッテは、生涯見習いの召喚術士の印のついたローブを着続けた。
彼らに救われたものは口々に言う。
息のあった二人の姿を見ていると、将来、人と魔の手を取り合う未来もありえるのではないか、とそう思えるのだ、と。