二十 変革の時
「先程からごそごそとうるさいぞ。出て来い」
ソルディースの呼び掛けに、シェランは自分以外の者が当の昔に彼らに気付いていたことを知った。それだけ自分は余裕がなかったらしい。もう落ち込む気にもなれない。
「は、失礼致します」
居住まいを正したとわかる声に続いて、シェラン達の前にその人物達は進み出た。シェランは目を見開いた。
「あなたは……確か」
男性としては少し長い白金の髪を飾り紐で束ね、明るい灰紫の瞳は何が楽しいのか常に楽しそうに輝いている――見覚えが、あった。そう、他ならぬこのミルフェンの公位継承問題が持ち上がった、あのときに。
とっさに名前が出てこなかったのは、決して忘れていたからではない。久々すぎて記憶の底から引っ張り出すのに時間がかかっただけだ。
シェランが彼の名前を思い出す前に、アルトレイスが青年を頭の天辺から爪先まで一瞥して鼻で嗤った。
「どこの鼠かと思えば、二年前の聖エディリーン祭の武芸大会で、そっちの餓鬼に剣を折られて負けた洟垂れ坊主か」
「ちょ、あ、アルモリック卿、事実だけどそんな傷に塩塗りこむような言い方しなくても……え、そっちの餓鬼って……え?」
華やかな青年の後ろで、そっと佇むもう一人の青年に気付き、シェランは声を上げた。
「――ローラン・レイモア?」
「はい。お久しゅうございます、皇女殿下。遅れましたが、ご婚礼、心よりお祝い申し上げます」
「ありがとう…………い、いや、そこじゃなくってね? 帰って来たの? エヴァには会った?」
「姫、重要なのはそこでもありませんよ」
色々と問題というか、突っ込みどころはあるのだが。
「ええと、いつからここに?」
「アルモリック卿閣下の『連中の存在自体どうなろうと』くらいからです」
そんなことはシェラン以外全員がわかっていた。そしてどうでもいい。
絶賛混乱中らしい皇女に任せておいては話が進まない。次に会話の主導権を握るべき皇族二人は興味なしと雰囲気でひしひしと語っていたため、イルヴァースが口を開く。
「なぜ君達がここにいるのかな、ロナルド・グランヴィス……だったか」
よくぞ訊いてくれたとばかりに、派手な方の青年――ロナルドは大仰に両手を広げた。ガルダニア人にしては珍しいほどひょうきんというか、底抜けに明るい青年である。
「なぜここにいるか? いいご質問をありがとうございます、カルスルーエ卿閣下。それはもちろん――」
ロナルドは羽飾りがついた帽子を取って、優雅に礼をした。きちんと貴族として教育を受けた片鱗が見えた。
「私、ロナルド=セドウィック・ロメオ・グランヴィスがガルダニアの全権特使だからです!」
誰よりも先に口を開いたのは、当のガルダニア王太子だった。
「帰れ、今すぐ」
「すみません無理です。なんせ元老院の全会一致での任命ですから! あのじいさん達ときたら、ちょっとでもヴィーフィルドと繋がりのある者を血眼になって探してたんですよ」
満面の笑顔で言うロナルドに、エリアスの額に青筋が浮いた。
ヴィーフィルド人達は漏れなく王太子に同情したが、同じ言葉を口には出さなかった。こいつが特使? とは思ったものの。
(この脳内が花畑に埋め尽くされてそうな奴なら、ちょろいな)
(この交渉、もらった)
(煮るなり焼くなり好きにしてくれということか……ガルダニアの連中に、エスライドの微妙な被虐趣味が移ったのか?)
かなり都合の良い解釈をしていたが、おくびにも出さない。
そんな臣下達の内心など知らぬシェランは、以前の印象とは全く違う青年に戸惑っていた。前はもっと貴族然とした、しっかりした青年という印象だったのだけれど。
「性格、変わった……?」
「いえ、こっちが素です。しかしうちの殿下へのお言葉、容赦なかったですね! 意外です。聖女猊下なのに」
屈託の無い笑顔に、つられてシェランもほっこりしかけた。しかし意外という言葉で気付く。
皇女にして聖女という、高貴な女人としての仮面がかなり剥がれているということに。
「いいえ、あの、それはその――」
「でも詰めの甘いヘタレっていうのには同意します。うちの殿下ったら結構純情なところがありまして――」
言いかけて、ロナルドは素早く身を捻った。かっと何かが石の壁を打ち、ロナルドの頬に一筋の傷が走る。
「余計なことを言うな、ロナルド!」
「口を慎め、洟垂れ。本来ならば貴様、皇女殿下に拝謁叶う身ではないぞ」
「……エリアス王子はともかく、アルはもう黙ってて」
一応、彼は今回の事件解決のためにガルダニア政府から全権を委ねられた使者である。
命令通り口を噤んだアルトレイスとは対照的に、収まらないのはエリアスだ。鉄格子を掴んで首を振る。
「お前に特使など務まるものか。せいぜいそこのアルモリック卿やカルスルーエ卿にいいように遊ばれて不利な条約に署名させられるのがオチだ」
「嫌だなあ、殿下。だから彼がいるんじゃないですか。ミルフェン公爵の血縁で、ミルフェンではちょっとした英雄の彼が」
くいくい、とロナルドが指す先には、苦い表情をしたローランがひたすら空気になろうと頑張っていた。
「……ローラン、壁と人間は同化できないのよ」
「彼が中立の立場から僕を守ってくれるんです。だって普通のミルフェン人は頼りになりませんからね」
胸を張る全権特使。
得意げな顔は何も考えていなさそうだ。適当にどこかに埋めて『来てないけど?』と惚けるのもありだな、とアルトレイスは料理の仕方を思案する。まともに話をする気など端からない。
腕を組んで考え込む様子を見せた従兄に、シェランは危ない何かを感じた。
「アル、ちょっとこっち」
「シェラン?」
「皆も。一度戻りましょう。特使と捕虜の面会を邪魔する権利はないわ」
「どちらにしても結果は見えていると思うぞ」
「ソールも変な横槍入れないで」
皇女に追い立てられるように牢を出て行くヴィーフィルド人達を、ロナルドが物珍しそうに眺めている。その背後で、ローランがそっと一礼した。
「変なこと考えてないでしょうね」
牢のある一角から出て適当な小部屋になだれ込んで早々、シェランは父方の従兄の襟元を掴んで締め上げた。しかし締め上げられている方は涼しい顔で返す。
「奴なら急に行方不明になっても何の不思議も無い」
「大有りよ! 真面目な顔して何か考えてると思ったら、案の定だわ!」
締め上げているうちになぜか恍惚めいた表情になってきたので、気色悪くなったシェランは早々に従兄から手を放した。
「あのね、せっかくエリアス王子がここまで来て、こっちの話なら何でも受け入れさせられる状態なんだから、もうちょっと有効活用しようと思わないの?」
「いや、全く」
さらりと返され、シェランは一瞬言葉に詰まる。アルトレイスは心底不思議そうな顔をした。
「シェラン、あの小僧にさせたいことでもあるのか?」
ソルディースが畳み掛けるようにして問う。
「それは僕達ではできないことか?」
逡巡したが、遅いか早いかの違いだとシェランは腹を括った。そうよ、と頷く。
青年達は顔を見合わせた。只人にできて、自分達にできないことというのが想像できなかったのだ。
「ガルダニアの王太子としての彼が必要なの。嫌とは言わないと思う。神力を持たない人達には朗報……かもしれないんだから」
怪訝そうな表情が並ぶ。幼い頃は兄とも慕った彼等のその反応に思わず怯みそうになるが、シェランは毅然と顔を上げた。
「ルヴァ、前に私がエルレインで言ったこと、覚えてる?」
唐突に話を振られたイルヴァースは、微かに翡翠の双眸を張った。次いで柔らかく微笑む。
「我が姫の仰ることならば、全て覚えておりますとも。しかしどのことか……」
「私はあのとき、貴方に訊いたわ。『恒久平和のための国際機関って、どう思う』って」
真っ直ぐな眼差しに、何を感じたのか。イルヴァースはああ、と声を上げた。
「はい、覚えておりますよ。私は『夢に溢れている』とお答えしたのでしたね。で、貴女は拗ねてしまわれた」
「……拗ねてないもん」
「お顔とお声が拗ねてますよ。何でしたっけ、軍事協定に平和維持活動に、国際救援に紛争や内乱の仲裁? 差別の撤廃も先導しているとか……異界にあるという、国際なんたらとかいう組織ですね」
何だそれ、とアルトレイスが眉を顰めた。
「国際なんたらって、何だ?」
「姫が作りたいって仰っていらした組織だよ。何でも、各国の元首かその代理が直接顔を合わせて平和のために国際規則を制定するそうだ」
「名称なんかどうでもいいのよ。要は、私達だけじゃ作れない組織だってこと」
ふーんとかへえとか、いかにも興味もやる気もなさそうな返事が返ってきた。これといった権力を持っていない若手だけで話すと大体こうなる。
「もちろん道のりは長いわ。全ての国が加盟してくれるようになるまでには時間がかかると思うけど……」
話が見えたらしく、アルトレイスが嫌そうな顔をした。
「……構わないが、最初にあの変態の巣窟を引きずり込む気か」
「ガルダニアの人に失礼よ。ミルフェンとデルフィニアにも声をかけて、四カ国同盟って形でどうかな」
「他を釣り上げる餌は?」
「戦力協定」
こともなげに言う皇女に、はあ? と首を傾げる騎士達――対照的な光景である。
「前から考えてたの。うちは神力保持者も多いし、お金もあるから軍備がすごく充実してる。でもそのせいで必要以上に警戒されて、悪くすると『やられる前にやってしまえ』みたいな感じで戦争になるでしょ? だから、軍事協定を作るべきだと思う。特に戦時の神術の扱いに関して。私達は力を持っていない者に対して、もっと慎重に術を使うべきよ」
「……つまり姫は、神術の使用に制限をかけるおつもりですか」
それは、自ら武器を放棄する行為に他ならない。戦って守るという、騎士という職務を真正面から否定しかねない皇女の思想に、青年達は苦いものが湧くのを隠し切れなかった。
「反対だ。そんなことをしても意味は無い」
真っ先に首を横に振ったのはアルトレイスである。
「俺達が自分から術に制限などかけてみろ。ここぞとばかりにあちこちに燻っている火種を煽ろうとする馬鹿が必ず出てくるぞ」
おいたが過ぎれば神術大国ヴィーフィルドが出てくる。その脅威が常に只人達にあるからこそ、今日の平和――というよりも均衡が保たれていることは、紛れもない事実だ。そうしたヴィーフィルド一国が支配的な、単極化した現在の国際構造を、彼女が快くは思っていないことは察していたが、まさかこんな思い切った策を考えるとは、というのが彼等の正直な感想だった。
「エスライドのような阿呆が今以上に湧くなんて、考えるだけでうんざりする」
「私も同感です、姫。戦時の神術の使用に制限をつけるとなると、国内からの反発は必至。聖女の権威を盾に強硬に推し進めても良い結果にはならないかと」
皇族二人に続くように、ライゼルトが口を開く。
「このミルフェンが我が国の庇護下にあるように、我が国との友好関係を表向きにでも維持することで、他国からの侵略を防いでいる国も少なくありません。それが軍備を縮小するとなれば……」
「我が国への不審を覚えさせる上、下手を打てば姫様御自身への信頼の喪失に繋がりましょう。とても組織を作るどころの話にはならないのでは」
「それでも」
反論があることなど予測済みだ。こんなことで挫けるほどやわな心では、ただの世継ぎとしてさえ立つことなどできはしない。
「やってみる価値はあると思うわ。大体、どれも予想でしょう? 交渉の材料としてうまくちらつかせれば、食いついてくる国は必ずあるはずよ」
無駄に資源を消費したい国などないだろう。活用すれば自国を発展させ富をもたらし、これまで以上に良い暮らしをさせてくれるものを、むざむざ他にぶつけて壊すような真似をしたいはずがない。その心理を突くのだ。
イルヴァースが翡翠の双眸を僅かに眇めた。
「それは、命令ですか」
静かな声だった。一瞬で空気が変わる。問い詰めるものではないけれど、さりとて誤魔化しを許すことはない。皇女だから、臣下だからという、身分の差に甘えることを許すものでもなく。
ひやりと冷たいものを頭からかけられるような。
「……いいえ」
知っている。命令だと言えば、従ってくれること。あらゆる手段を使って実現させてくれる。どんな手を使ってでも。だがそれでは意味がない。
それでは、意味がないのだ。
「日本で戦争は悪だと教えられたこともあるわ。でもこちらに還ってきてからも、私は私なりにずっと考えてた。どうすれば誰も理不尽に傷つかない、傷つけられない世界になるんだろうって。それが『闇女神の代行者』として生まれた、私の使命だと思っていたから」
使命――命の使い方。その言葉に、目の前の秀麗な顔が険しくなる。嫌な記憶を刺激してしまったようだったが、それで引くような安い決心ではない。
「長期的に見れば、戦争や紛争の頻度が下がり、それらによる消耗が少なくなることが我が国にとっての第一の利点。そして各国それぞれの関係が友好性を増せば、物流もより円滑になる……」
無駄な出費の削減と富の獲得。世の中を動かすのは正義でも倫理でも仁義でもない。金と富である。いかに人を使い金を回し物を得るか、これこそ国家が抱える永久の至上命題なのだ。
差別は良くない、戦争は悪だ――そんなことは子供でも言える。だがそれが現実に行われていることには意味がある。自分とは違うモノを恐れ、自らを守ろうとする防衛本能が、異質なモノを疎外し闘争心を駆り立てる。自分が生き延びるために。
無くすためには――生命の危険がないことと共に、受け容れることで生じる利点を知らしめてやればいい。
「夢物語ですね」
ライゼルトがぽつりと呟いた。いいえ、とシェランは即座に反駁した。
オルトニアで会った私娼の少女や、山奥で息を潜めて暮らす『混ざりもの』達の姿が脳裏を過ぎる。彼等がどう頑張っても変えられない現実がある。変えるのは、きっと聖女でも難しい。
「確かにとても難しいわ。何年もかかるかもしれない。でも、不可能じゃない」
『闇女神の代行者』の真実を知って、最後には微笑んで黄昏の門に向かったエクシードやシオンのように――人は言葉を尽くし真実を知れば、分かり合えると、もう知っているから。
「夢で結構。夢のない人生なんて、そんな砂漠みたいに無味乾燥としたカラッカラな一生は御免よ。ただ玉座に座って毎日ハンコ推して貴族に文句言われるだけなんて、絶対に嫌。いいじゃない。夢、とっても素敵な響きよ」
屁理屈めいた個人的な願望を、さもこの世の真理であるかのように熱弁する皇女。呆気に取られる臣下達に、それまで黙っていたソルディースが軽く吹き出した。
「いいんじゃないか。確かにそれくらいの張り合いがあった方がいいかもしれない」
「ソール! お前」
反論が出かかったが、皆まで言う前に鮮やかな翠が強い光を放った。
「我等が皇女殿下の仰せだ、アルモリック卿。まさか貴君が嫌とは申されるまいな?」
再びヴィーフィルド人達がガルダニア王太子の居牢まで下りたのは、微かに西の空に朱が差してきた頃だった。
牢の前に陣取っていたロナルドが、一行を認めて立ち上がる。――なぜか彼は、椅子に座り小卓の上に茶器と差し湯、簡単な茶菓子まで用意して、非常に寛いでいた。見届け役という名の目付け役であろうローランは断るに断れなかったらしく、ちょっとした茶会となっていたようだ。鉄格子を挟んでエリアスにも同じ物が供されていた。
「あ、いらっしゃった。君、追加の椅子と茶器を」
「いらん。こんな陰気な場所で茶なぞ飲めるか」
牢番の兵士に場違いな指示を出すロナルドを遮ったのは、無論のことアルトレイスだ。そしてヴィーフィルド人の青年達はこの言葉に軒並み同意だった。軍属している以上陰湿な環境にも耐性はあるが、彼等は生粋の「いいとこのお坊ちゃん」である。間違っても彼等の中に「牢で茶会開催」などという発想は生まれないし、やりたくもない。
「何ですか、出て行ったと思ったらこんな時間に」
エリアスはいい加減うんざりしているようだった。しかしもうシェランはめげない。
「こっちの要求が纏まったから」
「こっちというより、貴女のでしょう」
イルヴァースの補足に、エリアスは不審を覚えた。表情にもそれが出た。
「そんな大層なことじゃないわ。ただ、同盟に参加してもらおうと思って」
「同盟?」
そう、と頷いて、シェランは自らの野望を手短に語った。
「要するに、そちらの軍事制限と引き換えに、各国の和平締結と被差別民の保護に協力せよと。また聖女猊下らしいお考えだ。何年もかかりそうな壮大な夢ですね」
椅子に座ったまま、エリアスは腕組みをして考え込む素振りを見せた。
「悪い話ではないことは認めましょう。我々としてもあなた方と友好……になれるかはまた別の問題ですが、手を組むことに異存はありません。設立初期の顔ぶれに加えて頂けるなら尚更です。――で? 見返りはリディオス皇女、貴女の秘密を漏らさないことですか」
さすがにアルトレイスと張り合う頭脳の持ち主だけあって、シェランの思惑など簡単に見抜かれたようだった。
「ですが解せません。長期的に見れば、随分私達に利が大きい。僕と父と、後は我が国の術者達が黙っていればそれで終わりですからね。僕以外に関しては漏らしそうになれば、それこそ口封じしてしまえばいい」
さりげなく実の父親にして仕える国王を隣国との裏取引のための抹殺対象候補に入れているあたり、伊達に修羅場をくぐっていない王太子である。
「別にこちらの心配はしなくて良い。停戦条約の内容に関しては、我が兄上とそこの特使殿で詰めることになる」
はっきりと別件だと言い渡したソルディースにエリアスの眉が動いたが、妥当なことではあるので異論は唱えなかった。ただし。
「ロナルド、聞いての通りだ。どうせお前はのらくらと誤魔化されるから、必ず草稿を私に見せに来い」
「私達がいるところでそんな指示を出すのはまずいと思われないのですか」
「今更だ、カルスルーエ卿。それに私が会談の場に直接出席するわけではない。あくまで相談に応じるだけのこと」
飄々と返す王太子に、イルヴァースのこめかみがひくりと動いたのを見たのは、弟であるソルディースだけだった。……もうこれは、心配ない。
「はい、質問です殿下」
ここでロナルドが手を挙げた。
「手短にしろ」
「素朴な疑問だと思うのですが、殿下が握っておられる聖下の秘密とは何ですか?」
皇族三人が首を落とそうとするより先に、ローランが「あっ、こら馬鹿!」とその頭を思い切りはたいた。
「痛いな! 何するんだい」
「空気を読め! 死にたいならせめて特使としての役目を果たしてからにして下さい!」
再従妹からの手紙で、いかにヴィーフィルド皇族が怖いかを片鱗なりとも知っているローランは蒼白になって叫ぶ。不満げな声を上げたロナルドだが、ひたりと何かが首筋に押し当てられたのを感じて口を閉じた。
「洟垂れ坊主が、調子に乗るな」
絶対零度の『氷の貴公子』はこういう場面でも出現する。
そして、やっぱり埋めるまでも無く、ちょろそう。という思いがヴィーフィルド人達を駆け巡った。これは放っておいても勝手に自滅してくれるのではないか。
だが、ただのアホかと思われたガルダニアの特使は誰もが予想し得なかった行動に出た。首筋に当てられた剣を、指で掴んで慎重に退けたのだ。
「アルモリック卿、私は洟垂れではありません。同じ十九歳なのですから、きちんとパルヴァー二卿と呼んで頂けませんか」
びし、と音がしそうな勢いでアルトレイスの鼻先に指を突きつけた青年に、シェランでさえ絶句した。……これは庇い切れない。
他の者は、あのアルモリック卿に物申す只人がいるとは思っていなかっただけに衝撃が大きすぎて動けなかった。
凍りついた空気の中、はん、とアルトレイスが笑った。かちりと剣を腰に佩いた鞘に収める。
「孔雀か。貴様に似合いの名前だな」
「あ、閣下もそう思いますか? 華やかでいいですよね。こう、ふぁさっと飾り羽を広げた感じが僕らしくて」
アルトレイスの額にも青筋が浮いた。――前言撤回。
彼は、案外大物かもしれない。
********
後年、ミルフェンの将軍ローラン・レイモアと並ぶガルダニア屈指の武人ロナルド・グランヴィス――彼が武人としての器量以上に、その度胸の据わり具合で歴史書に名を轟かせることになるとは、黴臭い牢の前に集結した面々の中の誰も予想し得なかったことだが、それはまた別の話である。
大陸史の大転換点たるヴィーフィルドとガルダニアの同盟は、長年干戈を交えてきた間柄だけに当時の諸国を驚かせたようである。とある国王の側近が主君の『これでエスライドの死因は決まったね』という呟きを聞いたとか聞かなかったとか、とある国の皇太子が地団太を踏んで悔しがったとか、とある国の小心者な大公が聞いた瞬間飲んでいた果実水を吹き出して一ヶ月奥方に口を利いてもらえなかった等々――逸話には事欠かないが、どれも真偽の程は定かではない。
ともあれ、ヴィーフィルド皇紀4015年、大陸共通ユリミア暦2870年――その最後の月が終わる直前、世界同盟の前身――ヴィーフィルド、ガルダニア、ミルフェン、デルフィニアによる、四カ国同盟の発足が発表された。
懐かしい二人再登場回。前話最後の時点でわかった人は本当にすごい。
次で終わればいいな……(遠い目)。




