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夜明けの後に  作者: 木之本 晶
外伝 命を運ぶもの
14/37

五 聖女の婚礼

 ヴィーフィルド皇紀4015年、大陸共通ユリミア暦2870年九の月十五日の、午前十の刻――史上、最初で最後の祝宴の始まりを告げる鐘が、皇都リーヴェルレーヴに鳴り響いた。



 婚姻の儀そのものは親族のみ立会いの下、大神殿で執り行われた。

 というか、親族以外立ち会いたがらなかったというのが真実だ。皇族達はもちろん参列したが、誰も強大な神力を誇るヴィーフィルド皇族、それも存命中の全員が勢揃いしたところに居合わせたくなどない。渦巻く濃密な神気に対し本能的に萎縮して、部屋の片隅で膝を抱えて蹲るのがオチだ。

 それでなくても地下には皇祖、時空神がいる場所である。先祖と子孫で相乗効果、逆に神職以外の耐性がない者には耐えられない空間だ。十七年前の皇太子夫妻の婚儀に、立場上参列せざるを得なかったセライネ伯爵家の面々も、もう二度と御免だと証言している。

 史上において最初で最後、ただ一度きりと思われる『聖女』の婚儀なので、事情を知らない外国人の中には参列しようと意気込む者もいたが、儀式が行われる『暁の間』に足を踏み入れた瞬間、激しい恐怖に泣き出すという事件が起こった。もちろんそういった者は、厳粛な儀式の場に姿勢を正していられない者など必要ないとアルモリック卿アルトレイスとヴィランド公爵ギルトラントによって大神殿の外へ文字通り飛ばされた。

「全く、だから来ぬ方が身のためぞと言うてやったというに」

「然り、然り」

 年嵩の皇族達は呆れつつ頷き合う。一仕事終えたヴィランド公爵は妻――エデルガルトの隣に戻った。

 皇女が半年間の眠りについている間に(年齢の問題で)挙式した二人は、結婚後もすこぶる仲が悪い。

「ヴィランド公、それ以上寄るな。暑苦しい」

「暑苦しいはないだろう。照れるな」

「照れてなどおらぬ。ただでさえこう腹が大きくては身動きが取り辛いというのに、貴殿がそこにいては祭壇が見えん。もう二歩、下がれ」

「……その他人行儀な呼び方はもう少し何とかならんのか? せめて『あなた』とか」

「断固拒否する」

 仲が悪いというよりも、どうにか奥方の気を引こうとして失敗する夫がいるだけであった。

「キティ、お久しぶりですわ。その後の経過はどうですの?」

「エアではないか、久しぶりだな。順調だ。最近、私の腹を蹴るようになってな」

「まあ、元気のいいこと。きっと父君に似た元気な子ですわね」

「そうなったら躾が大変だな」

 エルヴェス公女エアルローズと笑い合うエデルガルトの腹部には、儀礼用の礼装の上からわかるほどの膨らみがある。婚約時は多くの女性を驚かせ、結婚時には泣かせた彼女の懐妊は、皇女の婚姻に先駆ける慶事として歓迎された。

 エアルローズも先立ってギースベルト公子ジェラルドと婚姻を結び人の妻となったのだが、エデルガルト共々自身の結婚生活はそっちのけで皇女の婚礼のため走り回っていたために、まだ懐妊はしていない。エデルガルトが懐妊しているのは、ギルトラントの涙なしでは語れぬ頑張りの賜物である。

「でももうそろそろ無理はだめよ、キティ。これが終わったらしっかり休むことね」

「言われるまでもない。ヴィルフォールのことはオリエがしっかり引き継いでいるからな。私はもう気楽なものだ。襲爵がまだ先になりそうなのが残念だが、ヴィシュアールの事情を考えれば仕方がない」

 ギルトラントとエデルガルトの成婚に伴い、ヴィルフォール公爵位をオルトリーエにという話が出ていたのは事実である。が、オルトリーエ自身も婚儀を控えていること、現在のヴィシュアール公爵が皇族ではないことを鑑み、アルトレイスがヴィシュアール公爵位を継ぐことが優先されたという事情があった。

 すると今度はヴィライオルドも現公爵ルークセイドの年齢からそろそろ代替わりすべきではないかという話になり、同時期にヴィルフォールまで代替わりしては一等公爵家全てが揃って経験の浅い者が爵位に就くことになってしまう――と議論が紛糾した。来たるファナルシーズ治世の始まりが慌しくなりすぎるということで、オルトリーエの成婚を待ってアルトレイスがヴィシュアール公爵位を継ぎ、現公爵ルーネイスは既に勝手に辞表を出して田舎に引き篭もった元宰相ロイセイルの後を継ぐことになっている。皇王の退位はそれが終わってからと、当初の皇王本人の目論見より時期がずれ込んだが、それはそれ、これはこれである。そもそも皇女の婚儀と皇王の代替わりを同時にと考えたのが無理があるのだ。

 そしてオルトリーエはというと、本日の主役である皇女の花嫁付添い人の役割は誰にも譲れないと言い張った。花嫁付添い人は未婚の親族の娘でなければならないという慣例があるため、その希望に沿うために彼女の婚儀が皇女の後へと延びたのだった。

「何だか寂しいような、嬉しいような……不思議な心地ですわ」

 別室で待機するシェランの傍にぴたりと張り付いて、婚礼用のドレスの、無い埃を払うオルトリーエの表情は少しばかり切なげだった。

 首を傾げたシェランが何かを言う前に、オルトリーエは慌てたように首を振った。

「誤解なさらないで下さいませね。今日という日を心待ちにしていたことは間違いございませんの。ただ……もうわたくし達は子供ではいられないのだと、改めて感じてしまって」

「なあに、それ」

 困ったように笑う主君に、そうですわよね、とオルトリーエも返す。

「自分でもよくわかりませんの。でもいいのです。……シェラン様、とてもお似合いですわ。ソールとの婚姻のためだと思うと少々複雑ですが」

 シェランは肩を落とした。

「オリエ、段々アルに似てきたよね……」

「な……あれと一緒にしないで下さいませ! 屈辱です……!」

 更にオルトリーエが言い募ろうとしたところで、部屋の扉が叩かれた。わたくしです、という声に反応したオルトリーエが、シェランの許可を取って扉を開ける。

「妃陛下、妃殿下」

「忙しい時にごめんなさいね」

「いいえ、ちょうどご準備は終わったところでしたわ」

「ならば良かったのだけれど……ああ、綺麗にできたのね」

 皇妃ユーライアは眩しそうに紫水晶の瞳を眇めた。後ろで皇太子妃イリアーナも若草色の瞳を潤ませている。

「まあまあ、あの小さかったわたくしの孫娘が……時の流れというのは本当に早いものね。ねぇ、イリア?」

「はい、本当に……シェラン、綺麗よ。とても」

 ありがとうございます、とシェランは微笑んだ。早くも涙腺が決壊しそうになっていたが、そうすると薄くとはいえせっかく施された化粧が崩れてしまう。

 皇妃は何を思ったのか、ころころと笑った。

義母君(ははぎみ)様?」

「いえ、ね。ほら、ファースとリダーがどんな顔をするかと思うと楽しみで。フィオのようにお嫁に出すわけではないけれど、似たようなものですもの」

「それを言うならアルトレイスもですわ。どのように崩れるか、わたくし今から楽しみでなりません」

 誰がどのような反応をするか、で盛り上がり始めた皇妃とオルトリーエを横目に、イリアーナはそっと娘に歩み寄った。

「シェラン。緊張していて?」

「しないわけないです。でも大丈夫……だと思う。裾を踏んで転ばなければね」

「ふふ、わたくしも自分の時は同じことを思ったわ。……まるであの日が昨日のことのようなのに、もう貴女はこんなに大きくなったのね」

 少し離れて微笑む母に、シェランは胸が詰まるように溢れるのを感じた。何か――何かを言いたいのに、何も言葉が出てこない。

「お母様……」

 イリアーナは、伸ばされた手を取った。

「彼についてはわたくしから言うことなどないわ。貴女の方がよく知っているでしょうから」

 それとは別なのだけど、とイリアーナは声を潜めた。聞き取りにくいほどだったので、シェランはもう一度、と頼む。どこか泣きそうな顔で笑ったイリアーナは、娘の耳元で再び囁いた。

 ――あちらで貴女を育ててくれた方達にも、見せて差し上げられたら良かったわね。

 囁かれたシェランは瞠目し――俯いた。肯定も、否定もできなかった。



 ヴィーフィルドの花嫁衣裳の原型は、古代の巫女装束に端を発していると言われている。現在の巫女装束は実務仕様に動きやすく寒暖の調節もしやすいが、古代のそれはいっそ貫頭衣としても良いほど簡素だ。

 しかし古代の巫女が現代の巫女と違う点は、初代聖女ユーシェン=リィスティルに代表されるように、神の妻として迎えられることが多かったことにある。そのため婚姻の儀は、出産や葬儀と並ぶ神聖なものとされ、花嫁衣裳も神職のそれに準じるようになった――とものの本には書いてあるが、率直に言って根拠は薄い。

 だがごてごてと飾り立てたドレスよりも、聖女のためにと用意されていた聖衣を元に改めて作られた衣装は、『聖女』であるシェランにこれ以上無いほど相応しい衣装だったことは確かだった。

 本来、白も蒼も現代のヴィーフィルドにおいては喪色である。それを敢えて、原初二柱に最も近い存在だからと濃い蒼を一番下に、白い薄衣を重ねて両方の色を使った。

 レースも透かし織りも、飾りらしい飾りは一切無い。唯一、特筆すべきは長い裾で、蜻蛉(かげろう)の羽のように薄い、襞のある絹を幾重にも重ねたそれは、纏った者が動くたびに複雑な陰影を生み出していた。

 額を彩る皇女冠は、正面に彼女の個人紋章を(かたど)ったもので、唯一の装飾品でもあった。皇族直系を示す金が下ろしたままの結い上げることをしない夜闇の黒とは対照的な輝きを放つ。

 一目見たソルディースは、素直に綺麗だ、という賛辞を贈るには躊躇われた。美しくないわけではない。だがそれだけでは何かが著しく欠けていた。手を伸ばしてはいけない何かに触れようとしている自覚を促されたというのが一番近い。彼女も自分も望んだことであるはずなのに、罪に踏み込もうとする感覚さえ覚えかけたほどである。無表情は緊張から来るものだろうが、それさえ手を伸ばすことを躊躇う高潔さを宿していた。

 注がれる視線に気付いたのか、ふ、と彼女がソルディースを見上げた。漆黒の双眸が驚いたように見張られる。ソルディースが微笑んで見せると、安心したようにシェランも微笑み返した。

 白と称して過言ではないシェランの装いとは対照的に、ソルディースは例によって皇族の第一正装、黒地に金の刺繍の騎士服である。ただし昨年の誕生式典の時とは違い、サーコートは儀礼用ではなく儀式用の、より丈は長いが縁取りはついていないものだ。

 額には傍系皇族であることを示す環のような銀冠。こちらも正面に個人紋章が模られている。

 傍系男性皇族の皇族冠など、こういう時以外では即位や大葬の儀でしか使われないので(皇史上、かなり初期の段階で慣例化された)、実は一同勢揃いして各々の冠をつけているのだが、これがまた壮観だった。しかしシェランの目に一際ソルディースが映えて見えるのは惚れた欲目というものであろう。

「では刻限でございます。これより、聖シェランティエーラ皇女殿下と、ヴィライオルド公子たるリアード閣下の婚姻の儀を執り行います」

 儀式の一切を取り仕切るのは大巫女である。神殿の最高位を主張できる聖女の婚儀を誰が執り行うかで一時揉め、いっそ皇祖にやってもらうという案も出ていたが、本人達の強い意向により慣例に従い当代大巫女が祭主に立った。シェランが自分で自分の婚姻の儀を執り行うのも、それはそれで滑稽というか、儀式自体が成り立たない。

「では、お二方はここへ」

 祭壇の下、参列者達より一段高いところを示される。

 二人が示された通り並び立つと、大巫女は形式的に聖典の一節を引用して極短い説教をした。説教と呼べるのかという短さだったが、それは重要なところではない。そもそも神の末裔に人間が説教するのかという疑問は追究してはいけない。

「では参列された皆様に問います。この婚礼に異議のある者は申し出なさい。沈黙は賛同と見做されます」

 大巫女の声に、しん、と痛いほどの沈黙が返る。慣れている大巫女はいくらも間を置かず続けた。

「ではお二方、婚姻の宣誓を」

 大陸文化において、その重さを問わず誓約は身分の高い者から、同格の場合は年長者から立てるのが一般的であった。ゆえに用意された聖石に手を置いてから、先に口を開いたのはシェランである。

「誓約の神ラキスの御名において、これより以後、わたくし、シェランティエーラ=リディオス・レイア・グリンディエタ・リュオン・ヴィーフィルドは、ヴィライオルド公子たるソルディース=リアードを生涯の伴侶とし、死によって分かたれぬ限り、彼に対し愛と誠実さを捧げることを誓約致します」

 ……非常に厳粛な雰囲気だったのだが、このときシェランは、公衆の面前に立って自分の口で愛がどうのと語るのはなぜこんなに恥ずかしいのだろうと冷静に考えていた。

「誓約の神ラキスの御名において、これより以後、わたくし、ソルディース=リアード・レイ・リヒトクライス・オルス・ヴィライオルドは、我が主君たるシェランティエーラ=リディオスを生涯の伴侶とし、死によって分かたれぬ限り、彼女に対し愛と誠実さを捧げることを誓約致します」

 ソルディースが言い終わると同時に、聖石が淡く輝く。大巫女はそれを認めて頷いた。

「誓約の神により、誓約(うけい)は承認されました。お二方、以後、かの御神の許可無くこの誓約を破棄することはできませぬ。――以上をもって、婚姻の儀を終了とさせて頂きます」



 『暁の間』を出て婚姻誓約書への署名が終わった後、新郎新婦は皇城まで天蓋のない馬車で移動である。ただの体のいい見世物だが、直接民へ娯楽を提供できるのだから安いものかもしれない。

「ていうか、思ったんだけど」

 婚礼用のドレスは聖衣なので神殿から持ち出せない。代わりにと用意されていたドレスに着替えてから、神殿の正面玄関に待機していた馬車に乗り込みながら、シェランは呟いた。当然、既に往来の歓声がすごいを通り越して、耳に優しくないという意味で酷いことになっているので、聞こえているのはエスコートするソルディース一人である。

「どうした?」

「誓約の神って、あのラキスよね」

「僕が知る限りラキスという名の神は一柱しかいないが、それがどうかしたか」

 いや、とシェランは座席に座りながら言った。

「あの方の名にかけてって、なんか重みが今一だなあって思って。あれ絶対役目の割り振り間違えてるよね……誰かにちょっと頼まれたら、あの聖石割って誓約無効とか言い出しそうでちょっと怖いよね」

「………………まあ、あれは形式の一環だからな」

 誓約の神に誓約無効を申し出る者などそうそういない。たとえ神が許しても人間社会における名誉に関わることもあり、そういう意味では非常に重いものだ。誓約の神自身が身も心も、ついでに頭も軽く、結構な頻度で姉である秩序の女神に吊るさ……説教を食らっているとしても、だ。

「ほら、ソールだって思ってるんじゃない」

「僕は端からあの神など当てにしていない。何なら魂にかけて誓い直してやってもいいぞ」

「私が悪うございました……」

 シェランは素直に非を認めた。そう、二人のことなのだから神云々を取り沙汰するのは違う。気を取り直して沿道の民の歓呼に応えようとしたときだった。

「シェラン」

「うん?」

 完全に油断していた彼女は、公衆の面前で新郎新婦の口付けを披露することになった。


 数刻後、新郎が皇城の一室で某公爵子息と文字通りの激戦を繰り広げた事実は、公式には歴史の闇に葬り去られている。

 いつの間にか評価ポイントが増えていました。こんなグダグダの遊び場に、申し訳ないです。ありがとうございます。

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