婚約破棄されたので帰ります
私は辺境伯の娘だ。
辺境というのは、ただの田舎ではない。隣国との境を守る武力を持ち、常に警戒に当たる重要な役割を持っている。
だから、王家と縁組みをすることになった。
それを理解しないアホがいる。
「なぜ私が田舎者と婚姻を結ばなければならないのだ」
嘆かわしいことに、この国の王太子の発言だ。教育係、どこにいる。出てきて土下座する案件だぞ。
ああ、無礼な発言もそうだが、婚約者同士のお茶会に浮気相手が同席しているのも問題だ。
童顔に大きな胸。男の理想を体現している。辺境伯騎士団の男たちが見たら、喜んではやし立てそうだ。
つまり、そういうプロの女性のような振る舞いなのだが、我が婚約者殿にはご理解いただけない。貴族女性らしからぬという欠点が、彼には美徳に見えているらしいのだ。
頭がおかしい。こんな男が国王になったら、国が潰れるのではないか?
婚約者に蔑ろにされ続ける。睨みつけられながら、田舎者と罵られる。
――普通の貴族のご令嬢だったら、これは嘆き悲しむシチュエーションだろう。
婚約をなんだと思っているのかと、憤るところかもしれない。
ただ、私には前世の記憶がある。日本という国で、小説やアニメといった娯楽がたくさんある夢のような世界だった。
たぶん、前世の私は過労死したのだと思う。前世の記憶は年々薄くなっていくが、価値観は消えてくれない。
貴族じゃなくなっても、気にしないで生きていけると思う。
ちょっとマズいのが、王権神授説を心底くだらないと思ってしまうことだ。不敬罪を無意識に犯してしまいそうなので、こうして王城に上がるときは猫を被りまくっている。
「殿下。辺境伯というのは国境の要だと何度言えば……」
後から考えると、私の言い方もよくなかったかもしれない。
「そういう言い方、良くないと思うんですけどぉ」
豊かな胸を強調した男爵令嬢から非難された。
まあ、教育するのは私の役目ではない。無言で冷めかけの紅茶を飲んだ。
正直、男爵令嬢だから側妃にもなれないだろうと、油断していた。
まず、私の側近候補が学園から去った。侍女と女官として支えると言ってくれていたお友達が、退学したり休学したりしていなくなった。
手紙を出してもお見舞いに行きたいと言っても断られ、私は孤立した。
青ざめる私を、王太子と浮気相手が楽しそうに眺めていた。
一体、どういうつもりなの? 正々堂々と私が気に入らないと言えばいいのに。なんて卑怯な人たちなのか。
宰相の息子や騎士団長の息子など、王太子の側近候補が諫めることなく追随している。ああ、腹が立つ。
一発殴っても良いのなら、負けはしないのに。
私が悔しがっている間に、王太子の浮気相手フローラは伯爵家の養女となった。
私は中央の政治に疎い。けれど、これがフローラを側妃に向かえる準備だろうということはわかった。
私が嫉妬で浮気相手を虐めているという噂が出てからは、早かった。
王太子妃になりたかった女性たち、武力を野蛮だと蔑む男性たちから悪意をぶつけられるようになった。
こちらが反論できそうなことは何もしない。私とすれ違った後にクスクス笑ったり、聞こえるようにフローラを褒め称え、王太子とお似合いだと言う。
ただの不貞だぞ、それ。
そう心の中で反論していたが、少しずつ気力が削られていく。森の中を一人で散歩するのは平気だが、群れの中でぽつんと孤立するのは、存在を否定されるようだった。
一緒にいてくれる友達を失って、元気を取り戻す時間がない。
そんな状況の中、一人で戦うのはさすがに無理だった。まるで敵陣に、一人だけ取り残された敗戦の将だ。
もう、これは私の手には負えないと、情けないが白旗を揚げた。
辺境にいる父に、婚約解消したいと手紙を出した。
その返事を待っているときに、事件は起きてしまったのだ。
王太子の浮気相手フローラが、噴水に飛び込んだ。
私はその側のベンチで、こっそりと一人でランチをしているところで……驚いた。
飛び込む前に目が合ったのだ。ニヤリと笑って、彼女はジャンプした。
きっとこれも私のせいにされると思ったが、体が動かなかった。
捨て身というか、「そこまでするのか」と感心してしまったのだ。
一見きれいに見えても、屋外の噴水だ。少なくとも、私は触りたくない。気に入らない女を排除するためにここまでするのは、いっそ見事だ。
今さら助けようとしても遅いだろうし、こちらが濡れてまで手を貸す必要を感じない。
「ああ、フローラ! なんてことだ。ずぶ濡れじゃないか。さては、ルチアリア、お前の仕業だな」
王太子がギャーギャー喚いている。
どう見てもタイミングが良すぎる。示し合わせて、近くで待機していたに違いない。
早く噴水から助け出せばいいのに……。苔で滑るせいか、ドレスが水を吸ったせいか、彼女は水から上がれないでいる。
くだらない。
馬鹿らしい。
「お前の有責による婚約破棄だ。そして、王都を永久追放する」
王太子は私に指を向けて宣言した。本当なら、ここでフローラの肩を抱いているべきなのではないだろうか。
「王太子殿下、あなたにそんなことを決める権限があるのですか」
さすがに腹が立って、冷たく低い声で問いかける。
「わ、私は次期国王だぞ」
「現時点では国王ではありません」
そのとき、腕を強く掴まれ、背中にねじり上げられた。
騎士団長の息子だ。
「痛いです。離してください」
私を捕まえるより、フローラを助けてあげればいいのに。
「頭が高いぞ」
そう言って、騎士団長の息子は私を跪かせた。なんという屈辱か。
もう、この男たちを再起不能に叩きのめしていいだろうか。
辺境での訓練で、武器を失った場合を想定したものがある。充分やれる。
その場に宰相の息子が、丸めた羊皮紙を持って来た。
「王命で、ルチアリア・グルマルディへの王都追放が発令されました!」
どのような理由で?
まあいい。こいつらを血祭りに上げてから訊けば……。
「お前ら、いい加減にしろよ」
王都では聞くことがなかった、空気を震わせるような大声。教師と共に、辺境の騎士が廊下を歩いてきた。
「ニコ! どうしてここに?」
「お嬢様を迎えに来ました」
そう言うなり、騎士団長の息子を蹴り上げて、私を立たせた。
「もう、帰ってきていいと伝言を持って参りました」
「本当? 嬉しい!」
私は思わず抱きついてしまった。
王太子が目を丸くしている。もう、どうでもいい。
婚約破棄されても、王都追放になっても、構わない。
嫌な人だらけの王都なんて、こっちから出て行ってやる。
「すぐに荷造りしなきゃ」
「寮の片付けには、侍女が行っていますので、ご心配なく」
「手回しがいいわね」
「ああ、その王命の書類はいただけるのよね? 父に見せないといけませんから」
「え、こ、これは……」
宰相の息子が言いよどむ。
この反応だと、かなりの確率で偽造だろう。証拠として確保しておかないと。
チラリとニコを見ると、彼はうなずいて宰相の息子から取り上げてくれた。グッジョブよ。
案の定、国王の署名が違う。王太子の仕事を押しつけられたときに、国王の筆跡は見ているのだ。
それに、国王は自分の権力を強固なものにしたくて、武力を持つ我が家に白羽の矢を立てたのだもの。婚約解消を認めるわけがない。ましてや王都追放などと――
私は挨拶したい人もいないので、そのまま学園を後にした。
この時の私は、自分の幸せを掴むことで精一杯だった。
王都を捨て、悪役令嬢の物語は終わった……そう信じていた。




