雨の日スケッチ(スケッチするとは言っていない)
最近青空を拝んだ覚えがない。それ位に降り続く雨はブラック企業の社員の様に休みなく振り続いていた。
6月も終わり、新しい月に突入し、梅雨の終わりも少し近づいてきた7月の頭。
もう少ししたら夏休みという気分が上昇する思いと、もう少ししたら期末試験という気分が下降する思いが重なり合い、何とも言えない微妙な空気が学校中を包んでいた。
「とおおじいい!」
昼休みが開始されて直ぐに何とも言えない微妙な空気とは無縁の、通年平常運転――いや、通年暴走機関車のお騒がせ列車がズカズカと我が物顔で教室に入ってくる。この前は遠慮して入り口付近から呼んで来ていたのに、どういう心境の変化だろうか?
――いや、この人の事だ……。何も考えていないのだろう。
「うるせー! っすよ!」
「ぬ! そうか!? あっはっは!」
クラスの連中が何事かと反射的に視線を集めて来たので注意してやると、更に大きな声を張り上がる3年の松井先輩――通称、筋肉ダルマ先輩。
「それで? なんすか?」
「おう! 一応確認でな!」
「確認?」
「おう! 明日だぞ! ってな!」
「明日?」
「ぬ!? やはり忘れていたか! あっはっは!」
「明日……? 明日……。もしかして助っ人の話ですか?」
「おう! なんだ! 覚えていたか! 良かった! 良かった! あっはっは!」
「覚えてますよ。バイトも休みましたし。大丈夫です」
「おう! ありがとうな! そこで――だ! 今日は放課後予定あるか!?」
「いえ。ないですよ」
「すまないが今日野球部に顔出してくれないか!? 部員達と顔合わせ程度はしておいた方が良いと思ってな」
確かに、お互いにどんな奴が居るのか、来るのか、っていうのは知っておいた方が良いよな。
帰ってもやる事ないし別に良いか。
「分かりました」
「ありがとう!! じゃあ放課後野球部の部室に来てくれ! ではな!」
先輩は手を上げて教室を去って行った。
それ位の話ならメッセージのやり取りで良かったではないだろうか。
「――野球部の助っ人ですか?」
ふと、隣に座っていた瑠奈がこちらに首を傾げて聞いてくる。
「あ、ああ。この前から頼まれててな」
「時人君、試合に出るのですか?」
「あはは。出ないよ。ただの人数合わせ」
そう言うと瑠奈は少し残念そうな声で「なんだ」と声を出した。
「しかし……明日ですか……」
瑠奈が考える様に言ったので「なに?」と尋ねると「あ、いえ」と答えてくれる。
「明日も雨だから試合やるのかな? って……」
言われて反射的に窓の外を見てみる。
昨日も一昨日も見た景色が窓の外には広がっており、止む気配など微塵もない。
「――一応天気予報では曇り後雨ですか……」
瑠奈がスマホの天気予報を見て言葉を出す。
「明日の試合。私も応援に行かせて頂いてもよろしいでしょうか?」
「え?」
俺はそう言われて、一体こいつは何を企んでいるのだろうと思った。
それが顔に出ていたのか、瑠奈が笑う。
「いやですわ。単純に野球が好きなんですよ? 高校野球の春と夏の全国大会とか、プロ野球とか普通に観戦に行きます」
「へぇ。意外だな」
「よく言われます。ま、理由は不純なんですけどね」
「不純?」
不純な理由で野球が好きになるってどういう事だろうか。
「あの人どこで知り合ったのか……。お見合い相手にプロ野球選手を提示してきまして……。そこで、少しでも野球の勉強しろと……」
「いや……単純に凄いな……」
人を蹴落として成り上がった割には顔の広い社長様だな。
「お見合いと言っても私自身結婚の出来る年齢ではなかったので相手側から断られてしまい、その話は破談になりましたが……。残ったのは私の『野球って面白い』っていう感情だけです。ですがその点については感謝しております」
瑠奈の話から何かを仕掛けてくるとかじゃなさそうだな。
いや、そもそも最近、瑠奈の様子は変わって来ている。
ゴリゴリな接近は無くなり、ある程度の距離感を保ってくれている。
それは俺からすれば良い事なんだ。くっついて来て恥ずかしいし、男子トイレまで堂々と乱入してくるし。だけど……それはそれで少しだけ寂しい様な……。懐いていた犬がいきなりそっぽ向くみたいな感じがする。
「野球部の人も学校の人が応援来てくれたら喜ぶから良いんじゃない?」
そう言うと瑠奈は嬉しそうな手を合わせて「まぁ」と喜んだ声を出す。
「それでは明日、応援に行かせて頂きますね」
瑠奈が嬉しそうに言った後に「瑠奈ちゃーん。ご飯食べよー」と元気な紗雪の声が聞こえてきた。その後ろには雫もいる。
彼女の言葉に「はい」と応答した後に「あ……」と声を漏らして2人に提案する。
「明日、時人君が野球部の助っ人に行かれるみたいなので応援に行くのですが、お2人もご一緒にいかがでしょう?」
瑠奈の言葉に「野球部の……助っ人?」と雫がこちらを見てくるので、俺は彼女に答える様に言った。
「人数合わせだから試合には出ないけどな」
「あ、さっきのマッチョさんは野球部の人かー」
紗雪がポンと手を叩いて納得した声を出す。
「時人くん野球経験者なのに出ないの? シニアやってたのに」
「ボーイズな。ま、どっちも硬式だから他の人から見りゃ同じか――。つか、野球部でもない奴が試合出るとか図々しいだろ」
「いや……。多分図々しくはないと――」
紗雪が苦笑いで歯切り悪く言う。
「――私は暇だし行こうかな」
紗雪に、何でそんな微妙な反応? と聞こうとしたら雫が言葉を出した。
「私も部活ないし覗きに行こっかな」
雫の言葉に紗雪も乗っかる。
「では、皆で行きましょ」
「行こう行こう。試合って何時から?」
紗雪の言葉に「あ、そういえば聞いて無かったな」と思っていた事が口に出てしまう。
「今日野球部行く予定だから、聞いておくよ」
こうして出もしない野球の試合に美少女3人が来てくれる事になったのであった。
♦︎
本日昼からの授業は前期選択授業。『美術』『音楽』『書道』『家庭科』の中から選択する。
第1希望の音楽が外れてしまい美術となって3ヶ月。
美術は美術で楽しかったが、夏休み明けには後期選択授業となる為、また選び直しとなる。そこで俺は再度音楽を希望するつもりだ。
そんな美術の時間も終わりが近づいてきている中、本日の美術は校内の好きな場所に赴き、好きな物を写生するとの事。
好きな場所ったって雨が降っているのでグラウンドには行けないのと、場所移動が面倒なのか、ほとんどの生徒は美術室に残り窓の外の景色を描いていた。
美術の先生も「雨だしねー」なんて納得した様な、呆れた声を出した様な気がする。
俺も例に倣い、量産型大学生みたいに皆と同じ事をしようと思ったが、これって逆に言えば堂々と授業をサボれるって事じゃない? なんて悪魔な発想となり、天使は一切出てこずに、そのまま美術室を後にした。
出て行ったのは良いとしても、俺の行く場所なんて限られており、いつもの自動販売機前のベンチに座る。
渡り廊下の屋根に雨が当たる音をBGMに普段飲まないコーヒーを買って、気分はカフェテリア。そして俺意外の生徒は真面目に授業をしていると思うと優越感に浸ってしまう。
「――やっぱりここですか……」
浸っていると聞き慣れた声がした。目の前にはたまたま選択授業が一緒になった雫が呆れた顔をして立っていた。その手にはスケッチブックと筆箱がある。
「雫? お前もサボりか?」
「まさか。私はキチンと写生しに来たのです」
そう言って俺の隣に――隣――となり……。
「――近くない?」
「そうでしょうか? 普通だと思いますが?」
彼女の言う普通とは、付き合ってもいないのに太ももと太ももが引っ付く事なのだろうか?
「誰かに見られても良いのか? 設定が崩れるんじゃない?」
「この時間にここに来る生徒などいません。それに――設定が崩れて勘違いされても……別に良いです……」
ここ最近雫の雰囲気が変わってきていた。なんというと、今まではハリネズミの様に刺々しい感じの雰囲気を出していたのに、今はそれが全て抜けたただのネズミになっていた。
――いや、変わったというよりは戻ったというべきか……。
「雫が良いならいっか……」
「ほ、ほら。手を動かさないと。今日出さないといけないのですから。コーヒーブレイクは終わりです」
そう言って雫は俺からコーヒーを取り上げる。
そしてそれをまじまじと見て心底疑問な声を出した。
「――珍しいですね。時人様が珈琲飲むなんて。確か中学生の頃にイキッてブラックコーヒーを飲んで全て吐いてからは飲んだ記憶がございませんが?」
「嫌な事思い出させんなよ……」
「ふふ。黒歴史というやつですね」
「ほっとけ……」
「どういう心境の変化ですか? コーヒーなんて……」
「いや……。本当に何の意味もないよ。あえて言うなら……この雨の中の雰囲気にコーヒーが合っただけって感じ」
「ふふ。まぁコーヒーと言っても、これ、甘いコーヒーで有名なやつですもんね。CMでもやってる」
「ああ。俺みたいなお子ちゃまでも飲めるわ」
「ふぅん……。1口頂いても良いですか? 飲んだ事ないので」
「え? いや、良いけど、それなら新しいのを――」
俺の言葉を最後まで聞かずに雫は俺の飲みかけの缶コーヒーを飲んだ。
「――ふふ。甘いですね。色々な意味で」
そう言ってニコッと笑う雫の顔が1番甘かった。
――雫はなんやかんや俺の飲んでいたコーヒーを気に入ったみたいで自分でも同じのを買っていた。
つまり、俺のは試食用という訳だ。ま、別に良いけど。
お互い飲みかけのコーヒーをベンチに置いて写生を始めて数分が経過していた。
「――野球部の助っ人……ですか……」
スケッチブックに視線を向けたまま、まるで独り言の様に呟く雫。
「青団のよしみでな。朝倉くんも」
「そうですか。まぁお世話になりましたものね……。お世話?」
自分で言って首を傾げる雫の反応に笑いながら答える。
「まぁ楽しい時間を過ごさせてもらったお礼だよ」
「ですが……大丈夫ですか?」
彼女の主語のない言葉が何を意味しているのか瞬時に理解する。
「大丈夫だよ。別に野球が悪い訳じゃなし。それに試合にも出ないから」
「その台詞が私にはどうもフラグにしか感じられません」
「あはは。まぁ何かあって試合に出られたら――そん時は全力でプレイするよ」
「――無理だけは……しないでください」
スケッチブックから視線を俺に切り替えて真剣な眼差しで言ってくる。
「心配性だな雫は」
「だって……あんなに辛そうな時人様は……見たくないもん……」
そう言われて俺は申し訳ない気持ちと雫の優しさを感じた。
「まず、状況が全然違うから大丈夫」
「ですが、野球を辞めてから初めての試合。もしかしたら自分でも分からない何かがトリガーになって――」
「その時は前みたいに雫が側にいてくれるだろ?」
そう言った後に俺は続けて彼女に無茶振りをする。
「そうだ。主人命令だ。もし、俺がまた心が病んだら昔みたいにする事。良いな?」
そう言うと溜息を吐いて呆れた声を出す。
「心が病む位ならやらなければ良いじゃありませんか?」
「ダメダメ。もう約束したし、明日だし。良いか? これは命令だから」
そう言うと「ホントわがままで困ったご主人様ですね」と呆れた中にも何処か優しさの入り混じった声。
「かしこまりました。その時は私にお任せください」




