未来へ歩む
「いいかげんに起きなさい日向!いつまで寝てるの!」
「ううー…」
お母さんはノックもなしに部屋に入ってきて、ベットで寝ている私から布団を引き剥がそうとする。
簡単に取られてたまるかと布団にしがみついて抵抗したけど、力比べに負けてベットから布団ごと引きずり下ろされてしまった。
床に落ちて転がった私は、鳥肌の立つような冷たさから身を守る為にぐるぐると布団を身体に巻きつけて暖をとる。
意地でも布団から離れない私を見て、母は盛大な溜め息を吐いた。
「ひ~な~た~」
「あと2時間くらい寝させてぇ……」
「だーめ!今日は陽織さん達と約束してるんでしょう?そろそろ起きないと遅刻するわよ」
「じゃーあと10分……」
「んもう。早く起きないとオハヨウのちゅーをしちゃうわよ?」
「……はっ!?」
顔の辺りに不穏な何かが近づいてくるのを察知したので、慌てて床を転がり母の接吻を回避した。
「む、惜しい」
「はぁー…はぁーっ…!!」
(間一髪っ…!)
あ、危ないところだった…。
もう少し反応が遅れていたら、朝っぱらから想像するのも恐ろしい体験をしてしまうところだった。
厄介なことにお母さんはやると言ったら本気でやる。しかも今日は一直線に口を狙ってたような気がするし。
私が逃げたことが不満なのか、お母さんは頬を膨らませて拗ねたように口を尖らせた。
「そんなに嫌がることないのにぃ。これは愛しい娘に対する母の愛情表現なのよ?」
「いや、行き過ぎた愛情表現だよ、絶対。するなとは言わないから、もっと違う形で表現してください」
「うーん、それじゃーどうしようかな」
お母さんは少し考えてから、何かいい方法を思いついたのかにっこりと不気味な笑みを作る。
嫌な予感がしたけれど時すでに遅し、母は床に転がっている私の上にいきなり抱きつくように乗っかって、頭の上に手を伸ばし髪の上にぽんっと置いた。
いったい何をするつもりなのか解らなかったけれど、母はそのままゆっくりと手を動かして寝癖のついた私の髪を触り続けている。
「よしよし」
「…………」
これは頭を撫でてくれてるんだよね。
うん、まあ、常識的な愛情表現の仕方だと思うよ?ちょっと姿勢がおかしい気もするけど。
「日向たんはいい子いい子~」
「……やっぱり、これも勘弁して」
小さな子供じゃあるまいし親に頭を撫でられるのはなんとなく気恥ずかしい。
抵抗しようと思っても簀巻き状態なので身動きできず、一方的にひたすら撫でられている。
さっきと同じように転がって逃げようと思っても、同じ手は食わないとばかりに体重をかけて身体を押さえつけられているので無理だった。
「~っ!ああもうわかった!起きます!!今すぐ起きるからどいてっ」
「んふふ、よろしい」
降伏すると、母は満足そうな顔をして私の上から退いてくれた。
やけにあっさりと開放されたので不思議に思ったけれど、これ幸いと転がって布団から抜け出し、急いで立ち上がる。
「おはよう、日向」
「おはよ」
……うぅ~、起きたばっかりなのに一仕事終えたような疲れを感じる。
「早く準備して来なさいね。ご飯冷めちゃうわよ」
「はいはい」
「二度寝しちゃ駄目よ~」
「わかってるってば」
ようやく部屋を出て行った母を見届けてから、着替えようと自分の寝巻きに手をかける。
あまりの眠たさにあくびをしながら服を脱ごうとしたところで―――
「あ、ちなみに今日の朝ご飯はね」
「ほぎゃーーっ!?」
先に居間に行ったはずの母がドアの隙間からひょっこりと顔を出したので、びっくりして間抜けな声が出てしまう。
着替えを見られるのが恥ずかしいわけじゃないけど、近くに居られるとまた何かちょっかいを出されそうで落ち着かない。
私の叫び声が面白かったのか、ニヤニヤと含み笑いをしている。
「やだもう何今の驚きかた!ひなたん可愛いっ!」
「えぇい!さっさと部屋から出てけぇええ!」
怒鳴ってみたけどお母さんは少しも悪びれた様子を見せないで上機嫌のままドアを閉めて去っていった。
耳を澄ませると廊下を歩いていく足音が聞こえたので、今度こそ居間に戻っていったのだろう。ひとまず、これで安心だ。
朝から余計な体力を使ってしまったので、正直しんどい。
(はぁ…あんまり寝てないのにな……)
布団に入ればすぐに寝てしまう私にしては珍しく、昨日はなかなか寝付くことができなかった。
寝ようと思っても今日のことを考えてしまい、いつもの半分ぐらいの時間しか睡眠をとっていないのだ。
緊張して眠れないだなんて、こんなこと、今まで一度もなかったのに。
「ふあぁ……眠い~」
瞼が重くて目を開けているのも辛い。
目をゴシゴシと擦っても変わらず、視界が霞んで見える。
んー、いかんいかん。今日は大切な日なんだから、気を引き締めないと。
眠気を吹き飛ばすように、両頬を軽く叩く。
「よしっ」
約束の時間まで余裕がないので、誘惑を振り切るように着替えを再開した。
*
準備を整えて居間に向かい、用意された朝食を急いで食べ始める。
よく噛んで食べなさいよーと台所から声が聞こえてきたけれど、ゆっくりしている暇はないから朝食を無理やり口に押し込んだ。
味わって食べれなくてごめんなさいと心の中で謝りつつ、母に行ってきますと告げ玄関に直行する。
「あれ、お姉ちゃん出掛けるの?」
居間を出ると、今起きてきたらしい小姫と鉢合わせした。
今日は休日で学校がないからパジャマ姿のままだ。
ネコさん柄でいかにも子供らしいそのパジャマは、小柄で童顔な小姫によく似合っている。
口に出すと本気で蹴られるので、心の中で思うだけにしておこうっと。
「今日は用事があるって少し前に言ってたでしょ。帰りは多分遅くなるから」
「そうだったっけ?まあいいや、いってらっしゃーい」
「うん、いってきます」
「あ、言い忘れてたけど口の端にイチゴジャムついてるよ」
「うそっ!?」
危ない危ない。教えてくれなかったらこのまま陽織たちと合流して笑われちゃうところだったよ。
慌ててハンカチを取り出して口の周りを拭うと、小姫がいきなり笑い出した。
ど、どうしたんだろう?しっかり拭いたつもりだけど、まだジャムがついてるとか?
「ぷくくっ、騙されてやんのー!イチゴジャムなんてついてないよ」
「え?…あ………あああああっ!?」
そういえば今日の朝食は珍しく和食だった。
イチゴジャムなんて食べてないんだから、口元についてるわけがない。
拭ったハンカチも当然のように綺麗なままだ。
「こ、小姫ー!からかったなー!」
「え~?普通は気付くでしょ?まだ半分寝てるんじゃないの~?」
お母さんといい小姫といい、どうしてこの人達は朝っぱらから私で遊んで楽しむんだろう。
こっちの身にもなってほしいけど、怒っても効かないからもう諦めてる。
「目、覚めたでしょ?」
「まあね」
「ふふん、感謝してよね」
うわぁ偉そう。
おかげさまでだいぶ眠気が吹き飛んだし緊張も解れたけれど、何か釈然としないなぁ。
(……ま、いいか)
上機嫌で楽しそうに笑っている妹を見ていると憎めなくて、可愛いと思ってしまう。
どんなことをされてもすぐに許してしまう私は、やっぱり相当な妹バカなのかもしれない。
馬鹿にされても、からかわれても、喧嘩しても、なんだかんだ言って放っておけない……妹ってきっと、そんな存在なんだろう。
「ほらほら、早く行かないとまた遅刻して怒られちゃうよ。時間ないんでしょ?」
「わ、そうだった。じゃあね、小姫」
「はーい、いってらっしゃーい」
手を振って見送ってくれる小姫に背を向けてから、玄関のドアを開けて外に出る。
待ち合わせの場所はいつもと同じで隣にある陽織の家なんだけど………どうやら訪ねる必要はなさそうだ。
「遅いわよ、日向」
「おはようございます、日向さん」
家を訪ねる前に、これから会う予定だった人達が目の前に居るのだから。
「オハヨウゴザイマス…」
陽織は明らかに不機嫌そうな顔をしていて、その隣にいる椿は困ったように笑っている。
きっと私が来るのが遅かったから、わざわざ迎えに来てくれたのだろう。
もう少し遅かったら部屋に突撃されていたかもしれない。
「今日は遅れないだろうと思っていたけど、いつも通りだったわね」
「ご、ごめんなさい」
何だろうこのおもわず敬語になっちゃうような威圧感。
臆病な私は陽織の鋭い視線に耐えかねて、隣にいる椿のほうに目を向けた。
「でも、日向さんにしては頑張ったほうだと思いますよ。いつもなら約束の時間より最低でも20分は遅れてきますから」
「あ、あはは、ほんと常々すみません」
今日は10分の遅刻ですね、と椿は時計を見てにっこりと笑う。
椿は純粋に擁護してくれてるんだろうけど、私の駄目っぷりを再確認させられて、ほんのちょっとだけ落ち込んでしまう。
いや、普段の自分が悪いんだけどね?これでも、昔に比べると早起きできるようになったんだけどなぁ。
「さて、そろそろ行きましょうか。私たちはいいけれど、向こうに迷惑をかけるわけにはいかないから」
「そうだね」
「はい」
これ以上時間を無駄に費やしていたら、約束の時間に遅れてしまう。
「余裕を持って待ち合わせの時間を決めておいて正解だったわね」
「うぐ……そ、そうだねー」
「ふふっ。あ、日向さん、後ろの方の髪が少しはねてます」
「うそっ!?」
「……まったく、女の子なんだからもっと身だしなみに気を使いなさい」
「以後気をつけます。……椿は今日も可愛いね」
「あ、ありがとうございます」
「朝っぱらから娘を口説くのはやめなさい」
「いや、そんなつもりは……」
快晴の空の下、私たちは他愛もない話をしながら目的地に向って歩いていく。
行き先は私や陽織たちにとって縁のある場所。そこで、会う約束をした人達が待っている。
私がその場に行っていいのか随分迷ったけれど、陽織やみんなに来て欲しいと言われたので行くことを決めたのだ。
しばらく静かな住宅街を歩くと、目的の場所に辿りついた。
陽織は毎年この日に此処に来ているようだけど、私がこの場所を訪れるのは何年か前に椿を探しに来た時以来だった。
私たちは口を閉ざして入り口を通り、約束の場所まで歩いていく。周りは木に囲まれているので、昼前だというのに薄暗くてちょっと不気味だ。
小さな森のようなところを抜けると、沢山の墓石が並んだ場所へ出た。
「あ、来た来た」
私たちに気付いた瑠美が、こっちを向いて手を振っている。
その後ろにいた人達も彼女に習って振り向き、私たちの姿を捉えると優しく微笑んだ。
この町に来てもう何度か会ってるけれど、この人達と会うと、未だに胸の奥がざわついて落ち着かない。
私を……ううん、赤口椿を18年間育ててくれた、お父さんとお母さん。
今はもう血は繋がっていないけれど、それでも私は大切な両親だと思っている。
昔とは違う間柄になってしまったとはいえ、こうしてまた会えて話すことが出来るだけで十分だった。
懐かしさと気恥ずかしさが邪魔をして未だに上手く話すことが出来ないので、よく陽織に笑われてるけど。
「今年もわざわざ来てくれて、ありがとう」
「いえ。来たくて、来てますから」
陽織が会釈したので、私と椿も同じように頭を下げた。
「椿ちゃんも日向ちゃんも、ありがとう。あの子もきっと喜ぶわ」
お母さんが嬉しそうな顔をして、私たちを見つめる。
それから、とある方向にゆっくりと視線を移した。
彼女が見ている先にあるのはひとつの墓石。その墓前には綺麗な花が沢山活けてあり、様々なお供え物が置かれていた。
すでに誰か参った後なのか線香が焚かれていて、独特の香りが漂っている。
「さっきまで、あの子のお友達が来てくれていたの」
「…………………」
「私たちも、お線香を上げましょうか」
「はい」
両親に案内されて、数年前に何度か見たことのあるお墓の前に立った。
その墓石の正面には『赤口家之墓』と刻まれている。その側面を見れば、私の名前が彫られているはずだ。
以前来た時と同じように、自分のお墓の前に私が立っていることがおかしくて不思議な気分になる。
「“椿”、みんなが来てくれたよ」
そう――― 今日は、一年に一度だけ訪れる赤口椿の命日。
生まれ変わる前の私が、死んだ日だ。
だからこうして赤口家の人達と一緒に私たちもお墓参りに来た。
家族と言っても過言じゃない陽織たちは良いとして、表面的にあまり関係のない私がこの場に居てもいいのだろうかと思ってしまう。
少し前に陽織に連れられて赤口の家に遊びに行った時に「陽織さんにとって家族のような人なら、私達にとっても家族みたいなものだよ」と
言われてしまい、良かったら娘のお墓参りに来てほしいと誘われたのだけど。相変わらず大らかというか、何と言うか、凄い人たちだと思う。
おっとりしている母はともかく、勘の鋭い父はもしかしたら私と陽織の関係を少なからず察しているのかもしれない。
……さすがに自分の娘の生まれ変わりだとは気付かないだろうけど。
父が線香を立て、手を合わせて目を閉じたので、みんなも同じように手を合わせてから俯いて、目を閉じる。私も、同様に。
黙祷を奉げて1分ぐらい経ってから目を開いて、下に向けていた視線をお墓に移した。
「貴女に会えなくなってもう18年以上経つのね……なんだか、あっという間だわ」
「そうか。もう、そんなに経つのか」
父と母が優しい声で墓石に語りかける。
私の立つ場所からは父と母の顔が見えないので、ふたりがどんな表情をしているのか解らない。
ただ私の瞳に映るのは、墓石に向って手を合わせている両親の背中だけだった。
「私に似て鈍いところがあったけれど、お父さんのように他人の気持ちに聡いところもあって、優しい子だったから。
自分が死んで私達が泣いてるんじゃないかって、ずっと気にしてるかもしれないわね」
「………」
「ああ。だからこそ簡単に自分の命を投げ出すような娘じゃないのは、知っているよ。
命をかけても譲れないことが、きっとあったんだろう。だから、親より先に逝ったお前を、責めはしない。
だけど、どんな理由があろうと………親としては、生きていて欲しかった」
「………」
「椿が死んで、辛かった。とても、悲しかったわ。貴女の周りに居た人たちはみんなそうよ。
でも、貴女が望んでるのはそんなことじゃないって解るから。私たちが悲しい顔をしていると、貴女は自分のことのように悲しい顔をするものね。
……そう、だから私たちは今、こうして笑っていられるんだわ」
「っ!」
口を開きかけていたことに気付いて、慌てて閉じた。
余計な言葉を発してしまわないように、力いっぱい噛み締める。
「私たちのことは気にしなくて良いから、瑠美や陽織さん達のことをずっと見守っていてくれると嬉しい。
まあ私が言わずとも、椿ならそうしているかもしれないね」
「ふふ、そうね」
父と母は墓前で笑う。
悲しさなんて感じさせない、力強い声で。
「…………」
手のひらに、柔らかな感触が伝わる。
震えていた左手をそっと握ってくれたのは、陽織だった。私の方は見ず、真っ直ぐ無表情でお墓のほうを見ている。
そして、空いているもう片方の手を握ってくれたのは椿だった。何も言わず、けれど瞳を濡らして、母親と同じように前を向いている。
両手から伝わる暖かさが、揺れる心を落ち着かせてくれた。
「見てるか、椿。お前が救った子たちがこうして立派に生きている。…お前は、誇っていいんだよ」
繋がれた両手が、ぎゅっと強く握られる。
私は黙って、両親が“自分”に語りかける言葉を聞いていた。
その言葉の一つ一つが私の胸を締め付けて、ずっと溜め込んでいた気持ちが溢れてしまいそうになる。言葉にして伝えたくなる。
けど、それは私が口にしていいモノではないから、吐き出してはいけないのだ。
私はただ、家族の思いを、何も言わず受け止める。
それが、今の私にできること。
(……ごめんなさい)
私を生んでくれたのに、たったの18年しか生きることができなくて。
惜しみなく愛情を注いで育ててくれたのに、それを返すことができなくて。
何も言うことができなくて、ごめんなさい。
赤口椿として生きていた時間は短かったけれど、でも間違いなく、幸せな人生だった。
2人の子供に生まれて来れて、本当に良かったと思ってる。誇りに、思ってる。
「いつまでも忘れないよ、椿のこと」
私も忘れない。
ずっと忘れないよ。
お父さんとお母さんが、私にくれた温もりを。
(……ありがとう)
今度は最期まで生きるから。
胸を張って「幸せだった」って言えるような人生を、赤口椿と早瀬日向の一生分を使って、送るから。
雲ひとつない綺麗な青空を見上げて、私は密かに誓いを立てた。
*
「さ、そろそろ帰ろうか」
お墓周りを綺麗にしてあらかたやる事を終えたので、あとはもう帰るだけだ。
このあとは瑠美の提案で赤口の家に集まって食事会を開くことになっている。
もちろん私も参加する予定だけど……その前に、彼女に伝えないといけないことがあった。
ずっと言わなきゃいけないと思っていたんだけど、なかなか踏ん切りがつかなくて言い出せなかったこと。
昨日からずっと緊張していたのは、実はこの件が原因だったりする。
もちろん、赤口の両親と自分のお墓参りに行くことにも緊張してたけど。
「姉さん、陽織さんに今日言うんでしょ?」
「う、うん。そのつもり」
今言うべきか、やはりまた後で言うべきか悩んでいたら瑠美が傍に寄ってきて小声で話し掛けて来た。
大まかな事情を知っているので、心配してくれたみたい。
「あはは、緊張して顔が引き攣ってるよ?姉さんらしくないね」
「ぐ……し、仕方ないでしょ。大事なことだし」
「大丈夫だと思うけどね。ほら、早いほうが良いと思うし今から伝えてきたら?」
「お、おうっ」
「私たちは先に家に戻ってるから、頑張ってね」
トン、と軽く背中を押された。
まったくもう、私の心配をしてる余裕があるのなら自分の心配をすればいいのに。
もう20代後半なのに、未だに付き合ってる人が居ないなんてお姉ちゃんは心配です。
こればかりは本人次第だから、やっぱり余計なお節介はできないんだけど。
まあ、とにかく。今は陽織と話さないと。
せっかく妹が応援してくれているのだ、覚悟を決めて彼女の元に向おう。
「陽織。2人でちょっと話があるんだけど」
「話?…今すぐ?」
「できれば、だけど」
「そう……わかったわ」
私と陽織は少し遅れて行くと伝えてこの場に残り、両親たちには先に家に戻ってもらった。
場所を変えようと思ったけど、あまり遅くなってみんなに迷惑かけるのも悪いので、そのままここで話すことにした。
墓地で話すことじゃないかもしれないけど、伝えることができればそれでいいや。
「………」
私の墓を、2人で黙って見つめる。
伝えようと思っていたことは事前に決めていた筈なのに、いざ本番になると頭が空っぽになってど忘れしてしまった。
うー、あー、どうしよう。まず、どう切り出そう。あれ、何を言うつもりだったんだっけ?
やばい。今すごく混乱してて、伝えるべき言葉が出てこない。
「…はぁ」
何も言わない私に痺れを切らしたのか、陽織は溜め息を吐いた。
………はは、私ってほんと情けないよね。
「話の内容は、なんとなく察しがついてるわ」
「え」
「進路のことでしょう?進学するとは聞いていたけど、行き先は教えてくれなかったから」
「う、うん」
椿には教えてあるけど、自分で言うから陽織には秘密にしておいてと言ってある。
私の進学先は時期が来るまで黙ってるつもりだった。でも、それ以前に彼女はその事について何も聞いてこなかった。
興味がないってことはないだろうから、私から言い出すのを待っていたのかもしれない。
「それで、どこに進学するの?……遠いところ?」
「少し離れてるけど、実家から通える学校だよ。電車で1時間ちょっとかな」
「そう」
私がずっと進学先を隠していたので遠い所に行くと思っていたのだろう。
彼女は私の答えを聞いて、ほっとした顔をしている。うーん…そういう反応をされると、やっぱり嬉しいなぁ。
にやけそうになる顔を抑えて、真面目な顔を作る。
「私が通うのは製菓の専門学校で、2年間そこでお菓子作りのことを学ぼうと思ってる。
……将来は、パティシエールになりたいから」
「日向……」
「私さ、自分の作ったお菓子を、もっと沢山の人に食べて欲しいって……いつからか、そう思うようになってたんだ」
始まりは、お母さんがクッキーの作り方を教えてくれたこと。
それから陽織に美味しいと言って欲しくて何度も作ってるうちに、それが趣味になっていた。
あくまで趣味だと思っていたお菓子作りだけど、心のどこかで本格的にやりたいって気持ちが眠っていたみたい。
陽織に対する自分の気持ちを自覚した時に、同時に気付いたことだった。
「私が洋菓子店でバイトしてたのも修行の一環だったの。やっぱり現場に入って学ぶのが一番だし、店長の粋な計らいでツテもできたし」
「てっきりお菓子が好きだから洋菓子店をバイト先に選んだのかと思ってたわ」
「あはは、それもあるけど」
自分の好きなことをやれて、好きなものに囲まれてる職場ってやっぱり楽しかった。
楽しいことだけじゃなくて大変なことももちろんあったけど、それでもこの職業に就きたいって思えた。
厳しい道のりかもしれない。普通に就職して堅実に生きたほうがいいのかもしれない。
―――でも、それじゃきっと後悔する。
「私は陽織と同じくらい生きてるけど、ずっと子供のままだったから社会に出たことがないし、その先を知らない。
これから先は初めてのことばかりで不安だけど、だからこそ自分のやりたいことをやってみたい」
赤口椿としての私は、高校3年の今日までしか生きることができなかった。
それはそれで後悔のない人生だったけれど、神様の気まぐれか何かで私はまたこうして生きている。
再び得た人生なのだから、大事に使いたいって思う。
でも、自分の人生は自分ひとりだけのものではないから……
「いいんじゃないかしら」
私が伝え終えると、あっさりと彼女は私の夢に同意してくれた。
「え、いいの?陽織には反対されると思ってたんだけど…」
「どうして?」
「いやほら、子供の夢みたいだし、考えが甘いって言われるかと」
「馬鹿ね。私はずっと貴女を見ていたんだから、お菓子作りのことが大好きなのも知ってるし本気でやりたいってことぐらい解るわよ。
だから、私は反対しないわ。他の誰かが認めなくても、私が認める。誰よりも応援してる。
貴女は気にしないで、自分の好きなことを思う存分やればいい」
「………うん。ありがとう、陽織」
理解してくれる人が居てくれるって、凄く嬉しい。それが大切な人なら、なおさら。
両親や他のみんなも応援してくれているけれど、一番応援して欲しかったのは陽織だったから。
「話はこれだけ?」
「いや…まだあるんだけど」
「?」
無事に進路のことを話せて安心したんだけど、まだ伝えていないことがひとつだけあった。
実はここからが本番だったりする。
「えーと、それで、さ。いつになるかわからないけど、将来的には自分の店を持ちたいと思ってるんだ。
そこで自分の作ったものを売って、色んな人に食べてもらえたらなって」
「素敵ね。きっと日向なら実現できると思うわ」
その未来に辿りつくのはきっと大変だ。
正直、自分には不相応な夢なんじゃないかって思ってる。
でも、それでも、諦めたくない。
それと
「その…私の夢に、陽織も付き合ってくれないかな?」
「え?」
「夢を叶えられるか解らないけど、もし店を持てたら…陽織と一緒にやりたい」
「それって…………」
「まだ全然何も出来てないし、色々苦労かけるかもしれないけれど…それでも私は……陽織に、傍に居てほしい」
「……つまり、夢を叶えることができたら一緒に暮らそうって、こと?」
「うん」
「それは、随分、先の話になるわね」
「気の早い話だって自分でも思ってる。もちろん実現できるように精一杯頑張るつもり、だからさ」
言葉を切って、次の言葉を伝える為に深呼吸する。
「 だから ――――… “一生”私の傍にいてください」
彼女の目が、驚きに見開かれる。
私は猛烈に恥ずかしくて目を逸らしたくなったけど、なんとか耐えて彼女の綺麗な目を見つめ続ける。
緊張で手は汗をかいてるし、口の中は渇いて気持ち悪いし……うぅ、慣れないこと言うもんじゃないなぁ。穴があったら入りたい。
「……………」
しばらく待っても陽織が何も言ってくれないので、段々不安になってきた。
将来性のある人じゃないと、やっぱり駄目、とか?
「あの、陽織?」
「……私でいいの…?」
「う、うん。陽織じゃなきゃ駄目っていうか、嫌だし」
「……そう」
「それであのぅ」
返事は――と言おうとしたところで、いきなり抱き締められた。
突然のことに、身体が硬くなってしまう。
「ひひひひ陽織さんっ!?」
「私は、ずっと貴女の傍にいるから。日向がどんな道に進もうと、そのつもりだったから」
「え、あ…」
「“最期”まで、一緒にいてくれる? 日向」
「――――うん」
彼女の背中に腕をまわして、震えている身体を抱きしめ返した。
力を入れれば折れてしまいそうな程に細い彼女の身体が、私の腕の中に納まっている。
さっきまで緊張していたはずなのに、こうしてると落ち着く。
(不思議だな…)
陽織が隣にいてくれるのなら、どんなことだって出来そうな気がする。
ずっと抱えていた将来への不安も簡単に消し飛んでいく。
幸せな人生を歩んでいけるって自信が、湧いてくる。
「……頑張るから」
「ええ。一緒に、ね」
「ありがとう」
身体を離して、絡めるように手を繋ぐ。
何年先も、何十年先も、ずっとずっとこうして手を繋げるように、頑張るよ。
「そろそろ行こう。きっと、みんな待ってるよ」
「そうね」
墓地を離れる前に、もう一度だけ自分のお墓を見つめた。
――私たちには、辛くて悲しい過去がある。
時間が経っても笑って話せるようなものじゃない、重くて暗い過去が。
そんな過去を乗り越えたからこそ、今の自分たちがある。
けれど、どんなに繕っても過去は消えはしない。
辛いことや悲しいことが、これから何度もあるかもしれない。
でも、それ以上に楽しいことや嬉しいこともあるかもしれない。
これから先、何があるか予想できないけど。
大丈夫。
何があろうと全てを抱えて、生きていくよ。
大好きな人と一緒に、生きていく。
「……必ず、幸せになるから」
「何か言った?」
「ううん、なんでもない」
私は過去の自分に背を向けて、歩き出す。
幸せそうな笑みを浮かべる彼女と共に、手を繋いで。
ずっとずっと、一緒に歩いていく。
END